第一話 魔女駆除係の公務員
可哀想だなあ、というのが最初の感想だった。
俺の足元には一人の少年が震えている。年齢はまだ小学生の……しかも低学年といったところか。ならば特定外来生物法について知らないのも無理はない。
いや、こういう案件が起こらないように学校でも家庭でも言い聞かせることになっているはずだが。
可哀想に。再びその感想を抱く。
少年が抱えているのは猫ほどの大きさしかない小さな『魔女』。異界からもたらされた特定外来生物。
どれだけ小さくても『魔女』は『魔女』だ。どんなに無害に見える存在であろうと、駆除しないといけない。
俺は腰に吊っていた駆除銃を持ち上げ、ぴたりと『魔女』の眉間に向ける。『魔女』は何が起こるのか分かっていないようで、きょとんとした目を俺に向けていた。
少年のしゃがみ込んでいるあたりから、ピンク色の波が広がり始める。『魔女』が放つ<ギフト>によって、世界が歪み始めている。時間はない。
僅かな罪悪感を飲み下し、俺はせめてもの手向けとしてぎこちなく表情筋を動かして笑ってみせた。
「ごめんね、規則なんだ」
引き金を引く。術式を組み込んだ銃弾が『魔女』の眉間を撃ち抜く。『魔女』はきょとんとした顔のままのけぞり、まるで砂糖菓子が砕けるようにして消えていった。
これが、世界を守るために一介の公務員ができる、唯一のことだった。
*
私のお友達の満天坂ちゃんがお仕事を終えるのは、市役所に帰ってきて報告書ってやつを出してからだ。
なんでも満天坂ちゃんは『魔女』を駆除する専門の公務員ってやつで、書面でしっかり報告しないとお給料をもらえないんだって。
「満天坂先輩、お疲れ様っす」
「ああ。水際もお疲れ」
後輩のちょっとちゃらい男、水際が軽く頭を下げて部屋から出ていく。多分定時退社ってやつだ。
水際は、割とがっしりした体系の満天坂ちゃんに比べれば比較的痩せているけれど、それでも一応鍛えてはいるみたいで、腕まくりをしているときとかは、筋肉がついているのをはっきりと見ることができる。
私がそれを見送っていると、オフィスの奥から聞きなれた声が響いてきた。
「満天坂!」
「はい」
満天坂ちゃんを呼んだのは、でっぷりと太った課長の山野だ。スーツの上からでもだらしない贅肉がよく見える。
「また書類間違えてたぞ、何度目だ」
「すみません、直しておきます」
山野は満天坂ちゃんの上司なのだけれど、満天坂ちゃんの本当の上司は他にいる。なのに山野は、いつも偉そうに満天坂ちゃんを叱るのだ。
満天坂ちゃんは間違えていた書類を作り直し、今日の分の報告書も作成する。
対象、中型妖精『魔女』。
駆除銃にて処理。<ギフト>による影響範囲は半径十メートル。浄化済み。
備考、<ギフト>に侵された子供を保護。保護院へと輸送。
<ギフト>っていうのは、『魔女』がこの世界に与える悪影響みたいなものだ。
そもそも『魔女』は異界から持ち込まれた生物で、ほんの数十年前まではたくさんの人間がペットとして飼っていたらしい。
だけど、そんな『魔女』が放つ<ギフト>っていう波長のせいで、この世界の環境や生物が変異してしまうということが判明して、一気に『魔女』は特定外来生物に指定されてしまった。
やがて『魔女』を単純所持しているだけでも罰せられるほど規制は厳しくなって、満天坂ちゃんのように『魔女』を駆除する駆除員っていう職業も現れた。
満天坂ちゃんは駆除員をすることにちょっと抵抗があるみたいだけど、私は天職だと思うよ。だって、満天坂ちゃんは……。
「……終わった」
そうこうしているうちに満天坂ちゃんのお仕事は終わったみたいだった。満天坂ちゃんは立ち上がり、自分ひとりだけ残っていたオフィスの電気を消して、建物を後にする。
すっかり日の暮れた街を歩く満天坂ちゃんに、私はようやく話しかけた。
『満天坂ちゃん、満天坂ちゃん!』
人通りの多い道を横切り、地下鉄へと乗り込む。まだ帰宅ラッシュは終わっていないようで、四角い箱の中に詰め込まれた満天坂ちゃんは体を縮こまらせていた。
『今日もみんな《《おいしそう》》だったね、満天坂ちゃん!』
マンションやアパートが立ち並ぶ寂しい住宅街を、うつむいたまま満天坂ちゃんは歩いていく。彼を照らす電灯がジジっと音を立てて明滅した。
『ねーえー、聞いてるー? やっぱり殺しちゃおうよー』
水際後輩も山野課長もとってもおいしそう。思わずよだれが出そうになる思いがすると、満天坂ちゃんは慌てて口元をぬぐった。
『みんな殺して『魔女』を釣るエサにする! ね、ね、いいでしょ?』
「……うるさい」
ようやく反応をしてくれた満天坂ちゃんに、私は有頂天になって、飛びつくような勢いでぱたぱたと主張した。
『そしたらそしたら、満天坂ちゃんのお仕事も増えて、もらえるお金も増える! 私はおなかがいっぱいになる! すっごくいい考え!』
「うるさい、『魔女』め!」
満天坂ちゃんの叫びは、誰もいない路地にやけに大きく響いた。ぜえぜえと肩を上下させ、その反響が消えるころ、私は彼の足元からにゅっと顔をのぞかせた。
『もー! 名前で呼んでー!』
頬をぷくっと膨らませて言うと、満天坂ちゃんは憎悪と悲しみが入り混じったような顔をしてダンっと一回足を鳴らした。
「引っ込め、ハナ!」
私はにんまりと笑みを深め、彼の内側へと戻っていく。
駆除員は満天坂ちゃんの天職だ。だって、悪食『魔女』の私を飲み込んでいるんだから。