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血潮は在るが儘に  作者: 機乃 遙
血潮は在るが儘に《Let it Bleed》
4/13

 翌朝のMからの連絡は、吉報と言えた。

 電話がかかってきたのは、朝七時ごろ。エヴリンはルームサービスの朝食を食べ終え、シャワーを浴びたところだった。

「調べがついた。映像は君のラップトップに暗号化して送ってある。……なかなかおもしろいモノが見つかったよ」

 そういわれて、エヴリンはバスローブ姿のままマックブックを開いた。たしかにビデオが一件、メーラーが受信していた。開くと、先日ラングレーで見た荒れた映像が、比較的鮮明になって映し出された。画質は数年前の携帯電話レベルだったが、しかし音質は聞き取れるレベルにまで回復していた。


     *


 主観映像――メガネに組み込まれたカメラは、ハウンドの視点で動き回る。彼はカフェの中に一人の女性を認めた。ちょうど映像の中央にもその女が出てきた。ブロンド髪の、黒か濃紺のワンピースを来た女だった。女は琥珀色のサングラスをクイと上げてから、ハウンドに目線を寄越した。

「接近する。……カプチーノを一つ(アン・カプチーノ)どうも(メルシー)

 店員にそう言って、彼は女の前に座った。

 不鮮明ながら、女の全身が間近に映された。男の視線の動きをそのまま体現したような映像だ。まずゆるく開いた胸元を見てから、すぐに顔へ移った。女は琥珀色のオーバル・サングラスを外すことなく、カフェラテを手に取った。サングラスのレンズは大きく、顔はよく見えなかった。

「仕事は引き受ける」

 先に口を開いたのは、ハウンドだった。

「あら、気が変わったのね」

「契約の期日は明日までのはずだ。……おまえのお望み通り、その女――チューズデイを消してやる。そうすれば、パク・ユイルの情報を教えてくれるんだろう?」

「ええ、その通り。あなたが仕事をまっとうするというなら」

「なら契約しよう。しかし一つ条件がある。情報が先だ。仕事は、そのあとにやる」

「逃げるつもりでしょう。契約に変更はない。あなたはターゲットを消し、情報を得る。情報は直接あなたに送信するわ。いいでしょう?」

「……いますぐ情報が必要なんだ」

「あなたの上司は、そんな血眼になって彼を捜しているのね。たしかに、パク・ユイルは先日マレーシアであった要人暗殺の首謀者。ヤツは北朝鮮の利権に一枚噛んでいる。ま、捜すのも当然でしょうね。……正確には、彼の上にいる組織シンジケートを捜しているんでしょうけど」

 そう言うと、突然女は立ち上がった。

 彼女は飲みかけのカフェラテをテーブルに残し、さらにイスかけていたハンドバッグを机に置いた。そして手ぶらでその場から去ろうとした。

「おい、結局どうするつもりだ」

 視界が右へ急転する。一八〇度回頭。ピンぼけした視界に、青いドレスがにじむ。

 女は何も口にしなかった。ただ白い手を振って、それからちょうどよく現れたクルマに飛び乗った。

 ハウンドは舌打ちし、カプチーノを飲む。

 爆発は、その直後のことだった。


     *


「おもしろいだろう?」

 エヴリンが映像を見終わったところで、見計らったようにMが言った。電話越しの彼の声は、相変わらず異様な雰囲気を帯びていた。

「……ハウンドは、チューズデイを殺そうとしていた。そしてそれと引き替えに、パク・ユイルの情報を得ようとした。しかし、殺された……。この女の身元はわかりますか?」

「わからない。現在照会中だ。だが、少なくともブラックリストにはない」

「あの女の目的はなんです? 爆弾は、おそらくあの女が仕掛けたと考えて間違いないでしょう。あのカバンは、きっと……」

「だろうな。謎のブロンドの女と、老婆。容疑者は二人だ。正直、僕もよくわからなくなってきた。ただこの事件に彼女が一枚噛んでいることだけは明白だ。何を持ってあの女がハウンドを殺したかは不明だ。だが、チューズデイがハウンド暗殺に関わったことだけはわかっている。……そういえば、君からも何か報告があると言っていたな」

「ええ、その件なんですが。セーヌ川に係留されていたジェットスキー、その持ち主を照会したんです。すると、そのうち一台の保険契約者の名義が『ジェイミー・ボンド』で登録されていました。おそらく、チューズデイと見て間違いありません。彼女は、もともとジェットスキーでその場を脱出するつもりでいたんです。そうなれば、不可思議な弾痕にも納得できます。

 本来チューズデイは、爆破テロを起こすつもりは無かった。彼女はどこからか依頼を受け、ハウンドを狙撃。暗殺するつもりだった……そうは考えられませんか? そして老婆に変装し、そのまま川を下って脱出(エクスフィル)する予定だった。しかし、何者かが彼女の邪魔をした。商売敵か、あるいは彼女に敵意を持つ何者かが」

「……なるほど。チューズデイを狙う何者かが爆発物を持ち込み、ハウンドもろとも消し飛ばした。仕事は台無しにされ、そして彼女はテロの首謀者として指名手配されるまでになった……たしかに、辻褄は合うな」

「ええ。それで計画を台無しにされた彼女は、手近なクルマを奪い、脱出を試みた」

「そして消えた、というわけか」

「消えたのではありません。脱出方法にも、一つ考えがあります」

「というと?」

「泳いでいったんです。泳いでセーヌ川を渡り、そのまま国境を越えた」


 係留されていたジェットスキーは、管理会社に頼んでフランス警察が押収した。証拠品として押収された品は、しかしフランス警察からすれば全くの意味不明なものだった。なぜなら、「ジェイミー・ボンド」なる人物が何者か、彼らは知らなかったからだ。その正体が金を積まれればどんな汚れ仕事(ウェットワーク)でも請け負う傭兵だとは、知る由もない。気づいているのは、エヴリンだけだった。

 そして、結論から言えばエヴリンの推理はすべて正しかった。犯人は――ルビー・チューズデイが、どうやら本気でセーヌ川を潜ったらしいのだ。


 明くる日、エヴリンはパリ警視庁本部にある鑑識課に向かった。彼女が鑑識課のオフィスを尋ねたとき、ちょうどジェットスキーが運び込まれたところだった。だが、鑑識官の多くはジェットスキーに関心を持たなかった。唯一の例外は、エリック・ダヤン一人だけだった。

 ジェットスキーは、鑑識課が持つガレージのような調査室の、その最深部に放置された。ホコリをかぶったそこは、廃墟のようにしんとしていた。

「これ、捜査官が見つけだしたんですよね」

 ダヤンは白衣に着替え、手袋とゴーグルをつけ始める。彼はどこかうれしそうだった。

「ええ。入手経路は極秘情報です。で、手っ取り早くそれを調べてほしいんですが……」

「はいはい。インターポールの捜査には協力はしますが、邪魔はしちゃいけないってことですね」

 文句をブツブツ言いながら、ダヤンはジェットスキーを調べ始めた。

 黒のジェットスキーは、他に係留されていたものと違い、どこかタクティカルな印象があった。黒と青灰色のカラーリングは、水面にとけ込むような色合い。マットな質感で、座席後部には鍵付きのトランクもあった。

 ダヤンは、真っ先にその荷物入れの調査にかかった。万能鍵を使ってもなかなか開かず、結局レーザーで焼き切って、ようやく開錠した。そしてその中に入っていたのは、エヴリンの推理を裏付けるものであり、また捜査を一歩進展させるものだった。

「なに、これ……?」

 ダヤンの肩越しにエヴリンはのぞき込む。

 それは、小型のタンクのようなものだった。

「リブリーザーだ……」ダヤンが言葉を漏らす。「それも、軍事潜水用の閉鎖式リブリーザー(CCR)です。このタンクには、ソーダ石灰だとか、アルカリとか、そういう薬品を入れるんです。見たところこれは予備の薬剤ですね。……でも、こんな型番のは見たこと無い。ウチの外人部隊だってこんなすごいのは……」

「リブリーザーって、ダイビング機材の?」

「そうです。呼吸した二酸化炭素を濾過して、長時間潜水できるっていうアレ。しかもこれは、かなりの高性能機ですよ。もっとも本体は見あたりませが……。もし本体があれば、フルに使っても二時間近くは潜水ができますね。これは趣味のダイバーとかじゃなくて、特殊部隊とか工作員とかが使うシロモノですよ。こんなものがどうして……」

 点と点は、つながった。

 本体はきっとチューズデイが取っていったのだ。彼女はミニでセーヌ川に飛び込んだあと、潜水して橋の下までたどり着いた。水の中でなら、弾丸の威力は大幅に減衰する。正しい選択だ。そして彼女はリブリーザーを確保すると、大急ぎでパリを潜って脱出したのだ。そして、当初の目的通り、国境を出たに違いない。リブリーザーとともに、泳いで。

「……ありがとう、ムッシュ・ダヤン。ここから先はインターポールの仕事です。証拠品については、こちらで預からせてもらいます」

「え? なんですって?」

「あとはこちらで引き受けるということです。容疑者はおそらく、もうフランス国内にはいません」

 エヴリンはそう言い放つと、すぐさまジョーダンにダイアル。鑑識課を出て、ホテルに急いだ。


 ジョーダン経由でMに連絡し、それから返事が返ってきたのは、ホテルに戻ってきたときだった。エヴリンの携帯に直接、Mから非通知の着信があった。

 そのときエヴリンは、ソファーに腰掛けてテレビを見ていた。点けていたのはニュース番組で、ちょうどテロの報道をしているところだった。

「ご苦労だ、ミス・エヴリン。君のおかげでだいたいの足取りが掴めてきたよ。ルビー・チューズデイは、たしかに泳いで脱出したんだ」

「彼女の潜伏先に心当たりはありますか?」

「一つある。イギリスだ。昨年、チューズデイはMI6の依頼を受けて、テロリストの暗殺に荷担していた。ミス・エヴリン、君も調査員として参加(アセンブル)していた事件だよ。その際、彼女の現地での協力者だった女がいる。その女はMI6の職員だったが……現在は、行方不明になっている。デイジー・アンダーソンという女だ」

「怪しいですね。その女の詳しい情報は?」

「これから君の端末に送る。ミス・エヴリン、君にはこれからロンドンに向かってもらう。ジョーダン君も一緒にね。そこで再びチューズデイの捜索、および彼女を狙っていた謎の人物、そしてハウンドが狙っていた暗殺者、パク・ユイル。この三人を追ってもらう。いいな?」

「わかりました」

 携帯を切り、エヴリンはため息をついた。

 すぐに荷物をまとめなければ。相手は待ってくれない。エヴリンはマックブックを開くと、ロンドン・ヒースロー行きのチケットを取ることにした。


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