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アリサ・エヴリン・ヴィアライネンは、モニターとのにらめっこを続けながら、本日六杯目となるコーヒーに手を出していた。カップに注がれているのは、深入りのコスタリカ・コーヒー。砂糖やミルクのたぐいは入っていないブラックだ。淹れたのは、国の税金で購入されたデロンギ製コーヒーメーカーである。しかし、ほとんど徹夜で仕事を続けている彼女には、もはやそんな味の優劣などわからなくなっていた。
ヴィアライネン――もといアリサ・エヴリンがいるのは、ヴァージニア州はマクレーン。俗にラングレーやカンパニーと称される中央情報局のオフィス、その一角である。書類の束と愛用のマックブック、それに官給品デスクトップコンピュータを前に、彼女は頬杖を突いて座っていた。昨晩からずっとこの調子だ。もっと言えば、入局以来ずっとこの調子だ。かれこれCIAには七年ほど在籍しているが、彼女の仕事はどちらかと言うとオフィスワーカーの色が強い。フィクションにあるような銃撃戦をかいくぐったり、敵国のスパイと恋に落ちたりするようなことは、ただの一度も起きていない。
そもそもエヴリンがCIAに入局したのは、大学卒業後すぐのことであった。
よくその手のフィクションでは、大学にスカウトが来て、そのままヘッドハンティングを受けるという話がある。退職間際の老練のスパイがリクルーターとして現れて、その候補者を見つけるとかなんとか。そして幾度もの熾烈な選抜試験を経て、ようやくスパイの門をくぐることがゆるされる……というような夢物語だ。
実際現場に出るような諜報員や軍上がりの戦闘要員がどのようにスカウトを受けるかは知らないが、少なくともエヴリンはそうでなかった。確かに大学までスカウトは来ていたが、物々しい面接があったわけでもなければ、極秘の試験をパスしたわけでも、はたまた特殊なコネクションがあったわけでもない。ただ国家公務員を目指す課程において、国防関係に進んだだけの話だ。もちろんCIA職員からの面接はあったが、銃をつき合わせるようなものではなかった。一般的な公務員になるのと変わりはない。ただ配属先が州役場だったか、中央情報局だったか。それだけの違いだ。
もっとも、彼女の仕事が特殊極まりないものに違いはなかったのだが。
パリでは、一発の銃弾よって鼠算式に被害が拡大していた。そのころ、エヴリンはオフィスでディスプレイを凝視し続けていた。パリは昼過ぎだが、ワシントンはまだ朝だ。
愛犬のチワワがプリントされたマグカップに、記念すべき十杯目のコーヒーを淹れ、彼女はデスクについた。ラップトップを開き、起動するまで熱いコーヒーを飲んで時間をつぶす。
そのようにして、深夜の仕事から怠惰な朝のスタートを切ろうとしていた。そのとき、一本の内線電話が響いた。
エヴリン――それはアリサのミドルネームであり、彼女はヴィアライネンという発音しにくい名前の代わりにこちらをよく用いている――は一瞬、内線に応じようか逡巡した。しかし相手が上司だとわかると、さすがに取らざるを得なかった。
「はい、エヴリンです」
「わたしだ、オコナーだ」
そう低い声で言ったのは、彼女の直属の上司であるジェイムズ・オコナーだった。
「いますぐ局長室まで僕と一緒に来てほしい」
「いますぐ、ですか?」
「そうだ。君にあるものを調べてほしい」
「あるもの、というと?」
「それはあとで話す。今すぐ来い」
内線はそのあとすぐに切れた。
エヴリンは嘆息し、マグカップをデスクに置いた。そしてスタンバイになったばかりのラップトップを閉じると、それを小脇に抱えてオフィスを出た。
オコナーは局長室の前で待機していた。ちょうど彼はスターバックスのラテを飲み干し、ゴミ箱にタンブラーを投げ入れたところだった。
「よくきた」とオコナー。
「何でしょうか。局長直々というのは――」
「トップシークレットだ。……いいか、これから君に話すことは他言無用。関係者以外に口外してはならない。今朝がた、パリでテロがあったのは?」
「ネットではそれらしき情報が確認されています。ですが、情報は錯綜しているため、なんとも。……それが何か関係が?」
「今はまだ私の口からは言えない。現在、そのことについては情報統制が敷かれている。テロについてマスコミに知られるのは、あと二十分後といったところだろう」
オコナーはそう言うと、エヴリンを引き連れて局長室のドアをノックした。
「オコナーです。部下のアリサ・ヴィアライネンを連れて参りました」
入れ、とドアの向こうから。
オコナーは軽く目配せしてから、室内へ。
局長室では、白髭の男が紅茶を嗜んでいた。しかし彼の表情は厳しく、とてもじゃないが清々しい朝には見えない。
「かけたまえ」と局長はティーカップを机上に戻した。
「情報部のアリサ・エヴリン・ヴィアライネンです」
「ああ、君の評価についてはオコナー君から聞いている。情報部で七年間対テロ活動にあたり、国内外でのテロ計画をリーク。処理の指揮補佐もつとめた。軍での訓練も修了済み……優秀だな。とりあえず楽にしてくれたまえ。萎縮するのは、これからだ」
促されるがまま、エヴリンはソファーに腰掛けた。だが局長と相対して話すのは、彼女にとってもこれが初めて。リラックスできるはずがなかった。
「オコナー君、資料を彼女に」
「はい……エヴリン、これを」
渡されたのは、二十枚前後の印刷資料。表紙には最重要機密の判が押され、また大統領のサインもあった。
エヴリンはさらに萎縮しながら、おそるおそるページを繰った。まず一ページ目にあったのは、廃墟と化した家屋の写真。爆発に巻き込まれたのか、粉みじんになった煉瓦がそこらじゅうに飛散している。キャプションには、「パリ市内:アンシェンヌ・コメディー通り」と記されていた。
「今から二時間ほど前、パリ市内で大規模な爆破テロがあった」オコナーが言った。「死傷者は四十名を越える。現在、フランス諜報部とCIAが共同で情報統制にあたっている」
「テロの首謀者は?」
「詳細は不明だ。だが……次のページを見ろ」
エヴリンはページをめくる。
今度は証明写真のような男の顔写真が貼られていた。浅黒い肌をした男。注釈には、CIA職員のウィリアム・クロフォードとあった。コードネームは、ハウンド。
「クロフォード……コードネーム・ハウンドは、フランス当局と合同でパリ市内に潜伏中の韓国人の傭兵、パク・ユイルを追っていた。パクは、先日のマレーシアでの要人暗殺に関わったものと考えられている。ハウンドの目的は、そのパクの捜索にあった。ハウンドは目標を確認後、処理をフランス当局に移行。現地の特殊部隊が突入するという手はずだった……しかし、そうはならなかった。
テロ発生前、ハウンドはある情報をつかむために、情報提供者と待ち合わせていた。場所はアンシェンヌ・コメディー通りにあるカフェだ。……事件はその直後に起きた。そのカフェを起点として爆発が起きた」
「つまり、何者かが我々の資産を殺害するために――」
「爆破テロに見せかけ、暗殺したと考えられる。犯人はパクか、パクに関係する組織の人間。あるいはその組織が雇った傭兵ではないかと考えられている。それから、現在この情報は伏せているが――十二ページを見てほしい」
エヴリンはさらにページをめくった。今度は、監視カメラの映像とおぼしき画像。不鮮明だが、そこには女の顔が映っていた。
「事件直後、通りから逃亡した怪しい女がいた。爆発の直後に警官が事情聴取をしようとしたところ、女はクルマに乗って逃走。カーチェイスを続けたのち、クルマは川に転落。……しかし遺体はあがってきていない」
「逃亡した、と?」
「そうだ。現在、CIAはこの女が犯人と見て捜査を進めている。おそらく、パクの協力者か。あるいは、雇った傭兵だろう」
「この事実を知っているのは?」
エヴリンが問うと、局長が小さく首を横に振った。
「我々の資産が殺されたと知っているのは、大統領と私、オコナー君、そして君。あとは彼とチームを組んでいたエージェントだけだ」
局長が続け、それから小さく息をついた。
「ヴィアライネン君、君にはこの女の捜索をしてもらいたい。ついては、君と同行するチームを編成。君には、パリに赴いて独自捜査をしてもらう」
「わたしが、ですか?」
「そうだ。君の噂は聞いている。そろそろ現場に出てもいい頃合いだ。……本件については、独自のチームを編成している。詳しいことは、ここに言って聞くといい」
そう言って局長は一枚のカードを手渡した。見たこともないセキュリティクリアランスのIDカードだった。
局長室を出てから、エヴリンはその足でエレベーターに飛び乗った。昼時で比較的騒がしかったが、彼女が乗り込んだエレベーターはまったく無人だった。
真っ赤なIDカードは、エヴリンも一度も目にしたことのないものだった。カードは、それぞれのセキュリティクリアランスに応じた権限を持つ。エヴリンが持つIDは、通常はレベル2の機密レベル。上司であるオコナーの指示により、3へのアクセスも可能になる。
だが、このカードはまったく目にしたことがない。最重要機密とでも言うのだろうか。エヴリンは訝りながらも、カードをエレベーターの操作盤に触れさせた。そのときから、エレベーターはまったく毛色の違う反応を見せるようになった。
「声紋認証を行います。名前と社会保障番号をお答えください」
天井のスピーカーから声。
仕方なくエヴリンは、名前と番号を答えた。するとまもなく、エレベーターは動き出した。どこへ向かうか、回数表示にはランプが点かぬまま。
正直なところ、このCIA庁舎が地下何階まであるのか、職員であるエヴリンにすら分からない。エレベーターの回数表示だけが正しいはずもなく、また階段の行き止まりが正しいとも限らない。ただ、いま彼女が感じている「落ちている」という感覚だけが正しかった。
ひとしきり落ちてから、エレベーターはまぬけなベルの音を鳴らして到着した。そのときも回数表示は消えたままだった。
そして扉が開いたときだ。
雷鳴のような音が聞こえたかと思うと、突然目の前が明るくなった。天井の蛍光灯が前へ前へと点いていく。広がっていたのは、コンクリート打ちっ放しの長い廊下だ。先は見えず、ただ光が走るように点いていくのが見えた。
「……この先でいいのよね」
エヴリンは確認するように声に出したが、応答する相手はいない。しかたなく彼女はエレベーターを出て、一歩先へと踏み出した。
どれぐらい歩き続けただろうか。延々と続くかのように思われた一本道も、やがて終わりを迎えた。しかしそこも行き止まりのような場所で、四壁をコンクリートに覆われただけの空間だった。ただ正面にIDをかざす端末だけがあり、薄暗闇のなかで妖しく輝いていた。
エヴリンは眠い目をこすりながら、IDをかざした。そしてまた声紋認証を求められたので、コーヒーくさい息で名前と社会保障番号《SSN》を答えた。
するとまもなく、行き止まりに思われた壁が開き、その向こうにまた無機質な空間が現れた。そこもまたコンクリート打ちっ放しの、小さな部屋だった。先ほどまでの廊下との違いをあげるなら、机とパイプイスが用意されていることと、天井にカメラとスピーカーが設置されていることだろう。
「大丈夫だ、かけたまえ」
突然、声がした。それもボイスチェンジャーによってねじ曲げられた、異質な声が。
エヴリンは驚き、飛び上がりそうになったが、まもなく聞こえてきた朗らかな笑い声で緊張もほどけた。
「怖がらないでくれ。僕の名前はM。初対面がこんな状況ですまないが、しかしこれは約束ごとなんだ。僕は君の前に姿を現すことができない。こんなスピーカー越しで非常に申し訳ない。ささ、かけてくれ」
「は、はい。失礼します」
エヴリンはしどろもどろしつつ、そのMと名乗る謎の人物の言われるがまま、パイプイスに腰掛けた。イスは、なぜだか少し湿っているように思われた。
「局長から聞いているだろうが、君にはこれから『ある女』を探してもらう。僕がその指揮を執っているということだ。理解できるかね?」
エヴリンはうなずく。するとカメラ越しにこちらを見ているのだろう。Mは「結構」と答えた。
「しかし優れた経歴の持ち主だね。ミス……あー、ヴィ、ヴィア……」
「ヴィアライネン。エヴリンで結構です」
「ミス・エヴリン。君は一昨年、合衆国内で起きた過激派組織、ASISによる銃乱射事件、ならびに自爆テロの情報をリーク。彼らの情報伝達手段であるオンラインゲームを特定し、テロの危機を最小限に防いだ。そして昨年、君はロンドンでのテロ事件捜査のバックアップに参加。ラヒーム・イブラヒム、サマド・サドルディンの情報をかき集めた……もっとも君は、いったい誰を追っていたか知らないだろうが」
「ニード・トゥ・ノウの法則です。知らない方が捗る仕事もあります」
「そうだね。……フムン、ますます君に惚れ込みそうだ。だが、ミス・エヴリン、これから君が担当する任務にあたっては、これらのことをすべて忘れてほしい。代わりに、今まで君が何の仕事をしてきたのか。それを知る必要がある」
「どういうことですか?」
「君は、いままでずっと僕の手駒として動いていたということだ。局長やオコナー君などを通してね」
Mがそう言ったとき、突然コンクリート壁に光が点った。プロジェクターが白い光を描き出していた。
「こらから君に見てもらうのは、まだ大統領と僕、そして局長しか知らない情報だ」
光が映像に変わる。
しかしそこに写されたのは、映像というにはほど遠いものだった。焼け付くような空の光。ひび割れ、砂嵐のかかった路面。煉瓦づくりの壁は、昆虫の複眼を通して見ているようだった。
まもなく声も聞こえてきたが、しかしそれも判然としないモノだった。マイクがハウリングするような、耳をハンマーで叩きつけられたような雑音が響く。
『……ウンド……こちら……ハウ……ド……まもなく……接触……記録……こす……。目標は……カプチーノ……メルシー……。……接触……る……』
そして、次の瞬間だった。
鼓膜を突き破るような爆音。
視界が一気にブラック・アウト。映像はそこで途切れた。
「これは、現地に潜入していた工作員・ハウンドが残した最後の映像だ。彼は単独の傭兵で、目標である傭兵『パク・ユイル』を発見し次第、仕事はフランス当局に委任される予定だった。彼は情報をつかむため、ある人物との接触を図った。しかし、その人物が誰なのか。何の情報を得たのか。ハウンドはなにもこちらに伝えぬまま、殺された。この映像と音声は、彼が最後に送信してきたものだ。しかしデータは破損しており、可能な限り復元してはみたが、これが限界だった。これ以上の解析は望めないだろう。……さて、続いての映像だが。正直、こちらの方が重要だと思うのだがね」
プロジェクターがまた白い光を写す。それから信号を受け、今度は鮮明な映像を描き出した。
それは、パリ市街地の映像だった。それも、警察車両のドライブレコーダーによるものだ。フロントガラス越しに見えるのは、一台の真っ赤な自動車。BMC製のミニ・クーパーだった。ミニは雑木林を突っ切って、そのまま庭園へと飛び込んでいった。どう見てもオーバースピード。生け垣を踏み倒し、芝生に轍を作りながら、ミニは疾駆する。カメラからミニの姿が遠ざかっていく。
ドライバーの警官は「クソが!」と叫ぶと、ブレーキをかけて急停車。ステアリングを切って、生け垣をさけて進んだ。ドラレコには、何とかミニの車体が写っているか、という程度だった。
それからしばらく、パトカーはミニから引き離されていた。贔屓目に見ても、ロートルのミニ・クーパーとルノーRSでは性能差がある。いくらフランス警察が無能だと言われようが、ミニに逃げ切られることは考えにくい。だが、事実そうなっていたのだ。
やがて上空を飛ぶヘリがミニを発見すると、全車両にその位置を無線で連絡。数の暴力で押さえ込むことを始めた。
そしてついに、ミニは追い込まれた、だが――
真っ赤なミニは、セーヌ川へ真っ逆様。メインストリートを突っ切って、水面の中へと飛去っていったのだ。
「これが一部始終だ。フランス当局は、すでにこの車両を引き上げたらしい。だが、車に乗って逃走したという女は、依然として見つかっていない。死体としてもね。さて、その女の情報だが……いま、フランス当局がつかんでいるのが、以下の情報だ」
映像がスライドへ切り替わる。監視カメラの不鮮明な白黒映像と、モンタージュ写真のようなCGイラストだった。白い髪に、ケープに覆われた顔。杖を突き、その容貌はどう見ても老婆にしか見えない。
「まさか、この老婆がテロの首謀者だと?」
「目撃者がそう言っているのだから、そうなのだろう。目撃した警官が言うには、爆心地で救護活動中、老婆を発見。声をかけたところ、突然走り出し、車を奪って逃走したとのことだ。しかしその脚力は、とても老婆のそれではなかったらしい」
「……では、我々がつかんでいる情報はどこまででしょうか? 私が知ることができるのは?」
「そうだね。そこを答えねばならない。……先ほども言ったが、ミス・エヴリン。君には、以前の任務でのことは忘れてもらいたい。というよりも、君にはより真実に近づいてもらう必要がある。というのも、君は以前から僕の仕事に関わっていたからだ。元CIAエージェント・サタンと、それに荷担したASIS兵士の捜索、及び抹殺。MI6に潜伏していたモサドのダブルクロスと、その部下の捜索。君が行った調査は、すべてそれら僕の仕事の一翼を担っていた。そして今回、君はその仕事の、より真実に近い部分を担ってもらう。
……君が追ってもらうこの老婆だが。もちろん、本当に老婆などではない。彼女の名は『ルビー・チューズデイ』フリーランスの傭兵であり、どの国家にも属さない金で雇われるスパイだ。今回、我々の資産を殺害したのは、そのチューズデイなんだよ」
その女の資料を渡されたとき、エヴリンは情報量の少なさに驚きを隠せなかった。
ルビー・チューズデイと呼ばれる傭兵。彼女に関する記述は、たかだかコピー用紙二枚半に収まっている。顔写真もなく、あるのはコードネームと偽名のみ。ルビー・チューズデイというのはコードネームであり、普段彼女が使っているという偽名はジェイミー・ボンドというらしかった。どちらにせよ、その名前に該当する人物は、この世界に何千、何万人といるだろう。その中からたった一人を絞り出すのは不可能だ。
「これだけの情報で、この女を捜せと?」
エヴリンは思わず言葉を漏らしてしまった。そして言った直後に、撤回すべき言葉であると分かった。
「そうだ。無理は承知で言っているよ。しかし、これも彼女との規定でね。ルビー・チューズデイのコードネームを持つ傭兵は、表向きこの世に存在しないということになっているんだ。その資料があること事態、正直なところ規約違反でね。チューズデイという女暗殺者は、どこにでも存在するし、どこにも存在しない。そういう存在なんだ」
「おっしゃることの意味がわかりません」
「まあ、平たく言えば彼女はどの国家に対してもフラットな関係を結んでいる。金さえ積めば、彼女はどんな汚れ仕事だってやるし、そこでトカゲの尻尾切りに利用されたってかまわない……。そこまではふつうの殺し屋と変わらない。だが問題は、彼女が一国家の揺るがすような事件に多く関わっていること。国際問題に発展するような事件に、彼女が殺し屋として一枚も二枚も噛んでいるということだ。無差別爆破テロ、核開発、新型大量破壊兵器、それの裏に暗躍する組織たち……。そのどれも彼女は関わっている。
チューズデイは、どの組織にとっても最終兵器になりうる存在だ。だが同時、彼女の存在によって国家が脅かされることも事実。その女は、歩く核抑止理論とでも言うべき存在なのだよ」
「……だから、情報が無い、と?」
「彼女の情報を開示すれば、こちらもなにをされるか分からないからね。だから我々も、実にフラットな関係を持ち続けている。……だが今回、彼女は我々に牙を剥いた。どの組織が金を積んだか分からないが。しかし、チューズデイの裏には、我々に敵対する組織があることに間違いない。
さて、ミス・エヴリン。そこで君の使命だが、ただちにパリに飛び、ルビー・チューズデイのあとを追ってもらいたい。君の仕事は、チューズデイと、その裏に暗躍する組織の特定。ならびに殺害された工作員、ハウンドが掴んでいた情報を得ることだ。この任務は、CIAの公式なモノではあるが、しかし書面には残らない裏の仕事だと考えてもらってかまわない。すでにシャルル・ドゴール空港行きの便と、君の新たな身分証へ手配済みだ。君はこのまま現地入りし、インターポールの捜査官として調査を開始。表向きは殺害された在外米国人の身元調査を称し、チューズデイの足跡を追ってもらう。いいかね?」
「……承知しました」
「結構。フライトは四時間後だ。さっそくだが、荷物の支度をしてくれ」