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神の杖による攻撃のあとを後目に、チューズデイはジェット機を東へ向けて飛ばしていた。しばらくすると、Mのほうから無線がかかってきた。
「ミス・チューズデイ、これは――」
「言いたいことは私からも山ほどある。けれど、いまはお互い割り切りましょう、M。アンダーソンはおとりよ。フライデイは、初めから彼女を信用していなかったの。フライデイの目的は、米国に自作自演の報復攻撃を行わせること。いまの一撃は、北朝鮮からのミサイル攻撃という設定らしい。フライデイは、おそらく米国の本土防空網に通じている。あなたにももう情報はいってるんでしょう? あいつは、アメリカに核を撃つよう仕向けているのよ」
「では、ヤツはもうアラスカには」
「いなかったわ。私は命からがら脱出した。……M、もし私にフライデイを殺してほしいのなら、早くヤツを見つけだして。彼の計画は、おそらく最終段階に入っている。ヤツは、軍上層部と交渉に入っているはずよ。報復攻撃をするか、否かの」
「わかった。……僕のほうでお膳立てはしよう。ところでミス・チューズデイ、君はいまどこへ向かっている?」
「そうね……」
言って、チューズデイはメーター群に目を落とした。燃料はまだたっぷりある。東海岸までは飛べそうだ。
「東へ向けてフライト中。次は空港で会いましょう、M。吉報を期待してる、急いでね」
「了解した。僕も吉報を期待しているよ」
通信途絶。歪んだ音声はスピーカーから完全に消失した。
*
ドナルド・トルーマン合衆国大統領に北米大陸空軍総司令部からホットラインが入ったのは、その三十分前のことだった。大統領執務室で秘書官から受話器を受け取ったトルーマンに伝えられたのは、北朝鮮のミサイル発射の報せだった。
どうせまた日本海沖で墜落するはずだ。
大統領はそう高をくくっていたし、おそらく合衆国民の多くもまたそう考えていた。しかし、それから三十秒後に再びかかってきた電話は、墜落の報せではなかった。
「……こちらに向かってくるだと」
「はい。現在の予想進路では、ロシア上空を飛翔後、そのままアラスカに着弾する可能性が」
「ロシア側はそれを黙認したというのか」
「わかりません。ですが……我が国にミサイルが向かってきていることは事実です」
受話器の向こうでそう答えたのは、空軍総司令のマクドネル。彼の声色は、ひどく落ち着いていた。
「……万が一にも本土に着弾するようなことがあってはならない。いつでも迎撃できるようにするんだ。私もすぐに会議を開く」
「最善を尽くします」
マクドネル総司令が答えたのが、発射から二分後のことだった。発射から三分後には、すでに日本海沖を通り抜けようとしていた。
まもなくそれはICBMと断定され、米国本土をねらったモノであるという説が濃厚になり始めた。大統領府は、すべてを最高機密にしたまま、迎撃の用意を進めた。だが、迎撃についてはすべて「失敗」の二文字が着いてまわり、最終的には「弾着」ということばが終止符を打った。
それもそのはず。北朝鮮が発射したミサイルなど、はじめから存在しなかったのだから。すべてはシンジケートが――フライデイが仕掛けた罠だった。北米本土防空網さえも掌中に得たロビン・フライデイは、レーダー上に架空のミサイルを出現させて見せた。そして、同時に実在の攻撃兵器を誰にも分からない場所――すなわち宇宙に用意していた。
開戦前夜を予期させる緊張と恐怖で汗が止まらなくなったトルーマン大統領。発射から約二十五分後間後、彼に知らされたのは最悪の結果だった。
「迎撃に失敗。ミサイルは、本土に着弾しました」
空軍司令からかかってきたその言葉に、トルーマンは閉口せざるを得なかった。一人執務室で原稿に目を通していた彼は、深く、そして重いため息を漏らした。
「……どこに落ちた」
「アラスカ北部、我が軍のスクラップヤードです。すでに被害が報告されています。現時点で死者は確認されていませんが、しかし敵国の先制攻撃に変わりはありません」
「北朝鮮が、アメリカにミサイルを撃ち込んだ?」
トルーマンは、静かに嘲るように言った。
「間違いありません。……大統領、これは人工衛星の打ち上げなどではありません。正真正銘の軍事攻撃です。報復攻撃のご決断を」
「いますぐには判断できない。が、いつでも出動できるようにしておけ。……非常事態宣言を発令するのは、情報収集後、議会で承諾を得てからだ」
「了解しました、大統領」
受話器を秘書官に渡し、トルーマンは席に着いた。
秘書に顎で出て行くように命じ、彼は深くため息をつく。額ににじんだ脂汗が彼の苦悩を物語っている。
米国が、北朝鮮からの攻撃を受けた。それは何度も想定されたことだったが、よもや自分の代でそれが実現するとは。トルーマンは机に肘を突き、頭をもたげた。
しかし、彼の本当の悩みの種は北朝鮮による先制攻撃などではなかった。
「……これでいいのかね、ミスター・M」
トルーマンがそう言った先。机上のラップトップに映るのは、大鷲の紋章。CIAのロゴマークだ。そしてそれに呼応するようにして心電図のようなビジュアライザが動いた。
「ええ、結構です。名演技でしたよ。さすが、映画に出ていたというだけはある。『スタンドアロン』でしたっけ、ほら、クリスマスが舞台の、コメディ映画。主演の子役が最近になって薬物依存で死んだとかなんとか」
ラップトップから響く、男とも女ともつかない歪んだ声。Mだ。
「冗談は止してくれ。……それで、本当なのか。君の言う、これがすべて自作自演だというのは」
「間違いありません。北朝鮮のミサイルは確かに先ほど発射されました。しかし、飛翔体は成層圏を突破後、日本のはるか上空を通過。太平洋沖に墜落しました。アラスカには届いていません。アラスカに届いたミサイルは、本土防空網のレーダーにしか存在しない架空のものです。そして攻撃は、廃棄された衛星兵器によるものです。すべて我が国に自作自演の報復攻撃をしかけさせるための罠です」
「……本当なんだな」
「わたしの部下が突き止めました。現在、その首謀者であるロビン・フライデイを捜索中です。ヤツは軍上層部、あるいは企業と結託し、アメリカを――あなたを陥れようとしています。真犯人を見つけだすためには、大統領、あなたにひと芝居うってもらう必要があります」
「報復攻撃をしかけるフリをして、軍上層部に紛れ込んだ裏切り者を炙り出すか。これだからCIAは信用ならん」
「信用してもらわなくて結構です。ただ、あなたも第三次世界大戦勃発の黒幕として歴史の教科書には載りたくないでしょう?」
「わかっている。……あとは任せた、M」
「大統領のご命令とあれば」
通信途絶。
ビジュアライザは消え、ラップトップにはデスクトップ画面が映し出された。雑多なデスクトップアイコンたちがトルーマンの性格を物語る。
トルーマンは、しばらく机上に肘を突き、顔を覆って息を漏らした。
――第三次世界大戦勃発の黒幕として名を残したいか? もちろんノーに決まっている。
*
ジョン・F・ケネディ国際空港は、混沌と喧噪のなかにあった。突如としてすべての発着便が決行となり、税関は締め切り。ターミナル内に取り残された人は数万人に及んだが、空港スタッフの誰もがクレームに応対することはできなかった。なぜなら彼らも「どうして空港を閉鎖しなければならないのか」聞かされていないからだ。突如として下された命令は、彼らの上司を通じて、大統領府より発布されたもの。それだけが、彼らに与えられた情報だった。誰もミサイルのことなど知らされていなかった。
メインターミナルに鎮座する巨大なスクリーン。発着便の情報表示が次々と欠航に変わっていく。見上げる渡航客たち。奇声をあげる者もいれば、携帯電話片手に会社に謝罪の連絡を入れる者もいた。
時刻は午前零時過ぎ。JFK空港は未だ混乱のなかにあったが、しかし彼にはまったくの無関係だった。彼――ロビン・フライデイにしてみれば。
彼に必要とされたのは、トランジットだけだった。米国政府が夜通しで北朝鮮への報復の是非に頭を悩ましていたころ、ロンドンより飛び立ったプライヴェート・ジェットがJFK国際空港に到着。フライデイを乗せた機はタキシングを続け、本来は閉鎖中の第六ターミナルへと向かった。
第六ターミナルは、事実上存在しない、廃棄されたターミナルである。そこへ向かっても、何も存在しない。しかし、彼にかかれば違った。
プライヴェート・ジェットが駐機されたのは、第六ターミナルの格納庫。その隣には、同じような黒塗りのジェット機が停められていた。
フライデイはスマートフォン片手に機から降りた。通話の相手は、マクドネル空軍司令。彼もフライデイの口車に乗せられ、仕事に荷担した一人だった。孫の為に、老後前の最後の大仕事をこなしたわけだ。
「大統領は報復攻撃を示唆しています。まもなく会議があります。そこでの決定ののち、B-2スピリットを出撃させる予定です」
「実に心躍る作戦ですね。吉報をお待ちしております」
通話を切る。それから彼はタラップを降り、ジェット機の運転席に目をやった。そこには制帽を被った律儀そうなパイロットが座っていた。
「快適な空の旅をどうも。あとで報酬をたっぷりもらってください」
礼儀正しくフライデイは言葉をかけ、軽く会釈する。しかしその誠実感ある態度の裏には、底知れぬ闇のようなものが感ぜられた。
それから機を降りたフライデイは、向かい側に鎮座する機に向かった。黒塗りのプライヴェート・ジェット。そのドアが開き、タラップを降りて一人の男性が現れた。五十代ぐらいの、背広姿の紳士。彼はネクタイとカフスを直してから、軽く手を挙げてフライデイに挨拶した。
「長旅ご苦労さまです、ミスタ・フライデイ」
「いやいや、快適な旅でしたよ。笑いの止まらない、すてきな旅でした。ミスタ・パタースン。これで邪魔者はすべて消え、計画も最終段階に入ったのですから」
「神の杖の発射と、ルビー・チューズデイの抹殺ですか。途中でアクシデントは起こりましたが、すべては順調にいきましたね」
「いやいや。それもすべてあなたがた企業のお力添えのおかげです。そうでなければ、神の杖も架空のミサイル攻撃もなかった。そうでしょう、パタースン社長? さっそくビジネスの話をしようじゃありませんか」
フライデイはそう言ってほほえみかけた。
暗がりの中、彼の歪んだ笑みが、筋肉のいびつな反復運動が恐怖を増長させる。だが、恐怖に変わったのは、彼の表情のほうだった。
暗がりの格納庫。
一瞬、フライデイは何が起きたのか分からなかった。だが、すぐに判明した。タラップを下ってきたパタースンが、突如として倒れたのだ。彼は頭からどす黒い液体を流し、階段から体を落とした。脳天からコンクリートに着地し、その頭蓋骨は粉々に砕け散った。
「クッ……敵の攻撃です!」
フライデイが叫んだ。
その声に呼応し、後ろに控えていた彼のボディガード四名が展開。肩から提げていたHK416を構えると、四方に向かって進行。クリアリングを始めた。
しかし、また暗がりの中で悲劇は起きた。
物音、そして嗚咽、悲鳴。
連続する奇怪な音。そして途絶する無線。ボディガードのリーダーが状況を問うが、応答はない。闇が光を飲み込むように、何かが人を喰らいにきている。
フライデイの表情は、ついに恐怖に変わった。彼は白のジャケットの影から、リボルバー拳銃を取り出した。チアッパ・ライノ、二インチのコンシールド・キャリー・ガン。六角形のシリンダーをスイングアウトさせると、彼は九ミリ弾が六発装填されていることを確認。撃鉄を起こし、発射状態にした。
「そこにいるのは誰ですか!」フライデイはまた叫んだ。「お話ししましょう、襲撃者さん。わたしはロビン・フライデイ。あなたのような凄腕の殺し屋に充分以上の報酬をお支払いする余裕があります。カネだけじゃない、特権や自由さえもです。どうかここは穏便に解決できませんか?」
しかし、応答はない。代わりに聞こえてくるのは、奇怪な物音と嗚咽の応酬。一人、また一人の部下が死んでいくのがわかった。もう、ボディガードは残されていない。
指先がふるえているのが分かった。
フライデイは、天井から落とされるかすかな照明を頼りに、その見えざる敵の位置を探した。それが誰なのか。よもやチューズデイであるはずはない。ヤツは、神の杖とともに燃え尽きたはずだ。では、Mの刺客か? まさか。Mがまだ追ってきているとでも言うのか?
情報が頭の中で錯綜し、判断を鈍らせる。
そして、フライデイよりも早く、その見えざる敵が獲物に爪を立てた。
冷たい感触が耳に伝わる。ガンメタルの冷たさ。死の静けさ。それがいま、フライデイのこめかみに突きつけられていた。それ《﹅﹅》は、真後ろにいたのだ。
「お断りするわ。だって私、あなたの姉だから」
囁かれる言葉は、確かにあの女――ルビー・チューズデイの声だった。
*
Mの采配は完璧だった。報復攻撃の審議が問われるなか、彼はCIAの監視網を用いて、軍上層部と軍事企業上層部に的を絞って盗聴開始。よもや自軍の通信傍受システム・エシュロンに狙われているとは思わなかっただろう。フライデイは、最後にミスをした。勝利を確信したとき、人は否応なく油断し、ほころびを見せる。Mの狙いはそこだった。Mはついにフライデイの携帯電話の盗聴に成功したのだ。そして黒幕の面が割れた。
それからまもなくチューズデイに装備が手配され、彼女はフライデイの居場所であるJFK空港に着陸。ターミナルは完全に閉鎖されていたが、だからこそ装備を運び込むのは容易だった。乗客輸送用のバスに偽装すれば、空港内に輸送車両が走っていても不審ではない。
そうして解体された第三ターミナルの跡地に着陸すると、チューズデイは機を降りて、銃を受け取った。
愛銃――スターム・ルガーMkⅢ。そしてワルサーP99を腰に差し、最後にクリス・ヴェクターへロングマガジンを差し込んで、彼女の支度は終わった。フライデイを殺す用意が整ったのだ。
*
閉鎖されたはずの第六ターミナルに駐機された、二つのプライヴェートジェット。零時過ぎに行われた密会に、亡霊は姿を現した。その手に消音拳銃を持った、黒衣の女。燃えさかるような赤い髪をした女殺し屋。彼女は闇から現れ、そして闇とともに四人の兵士、そして二人の民間人を葬り去った。一瞬のことだ。
そして再び闇に紛れた彼女は、憎き弟――あるいは妹――の背後からまた姿を現した。その手に、漆黒の消音拳銃を手にして。サイレンサーを内蔵した銃口は、ボルトが引かれ、発射状態でこめかみに当てられていた。トリガーを絞れば、ただちに脳梁をかき混ぜ、即死させられる。
「……だって私、あなたの姉だから」
冗談混じりの台詞。殺す間際の捨て台詞――そのつもりだった。
「よもや生きていたとは、お姉さま。てっきり神の業火に焼かれたものかと」
「それはあなたよ、フライデイ。いまからあなたは地獄に堕ちる。そこで存分に神の炎とやらを見なさい」
「それはお断りしますね」
言って、フライデイはゆがんだ顔をひくつかせた。特徴的な笑み。出っ張った頬骨が肉を抉るように動く。ひきつった、あざ笑うような笑い。それは余裕から出たものか、それとも狂ったか。
刹那、チューズデイの視界に赤い閃光が飛び込んできた。直径一センチもない赤い光の円は、かすかなブレを見せながら、チューズデイの額あたりに滞留した。色白い彼女の顔に、そばかすのように赤い斑点模様ができていた。
「……スナイパーか」
「まさか、わたしが丸腰でいたと思いますか? むろん襲撃も予想していましたよ。あなたが来るとは考えていなかったですが」
「だったら、これからもっと楽しいことになるわね」
チューズデイはスーツの襟を強引に引っ張り、フライデイを強引に引き寄せた。フライデイのドロドロの顔が、チューズデイの顔のすぐそばへ。吐息がふれるような距離だった。腕が首に入る。しかし、彼女の目的は窒息死させることではなかった。左腕の腕時計を近づかせることだ。
「私の報復はこれからよ、フライデイ」
囁く。
そしてチューズデイは、腕時計型端末にまた囁いた。ルミノックス・ネイビーシールズ、時計盤のまばゆい光に彼女は言った。
「自動運転、モード・援護」
腕時計がその声に呼応。文字盤にさらに光の点滅が始まった。真っ赤な光が激しく明滅し、その命令を受理したことを告げる。
そして点滅は、あるときを境に終了した。それは、到着の報せだった。
V型十二気筒、八〇〇馬力の爆音。突如として現れた鈍色のハイパーカー。巨大なリアウィングで空気をつかんで、タイヤで滑走路を噛み、疾駆する。それはチューズデイたちの前で停車した。
アストンマーティン・ヴァルカン。それがMの用意した装備だった。
ヴァルカンは、二人の前に停車するや遮蔽物として狙撃を遮った。節操のない狙撃手がヴァルカンに向けて弾丸を放ったが、それは無残にも弾き返された。電磁反応装甲だ。ヴァルカンの外装は電磁気を帯び、向かってくる弾丸すべてを反射していた。スナイパーが放つフルメタルジャケットなど、ヴァルカンの敵ではない。弾かれた銃弾は滑走路の誘導灯にさらされ、黄金色に輝きながら散っていく。
「殺れ」
再びチューズデイは腕時計に囁いた。
文字盤が点滅。命令を受託した。ヴァルカンに信号発信。受信したヴァルカンは、ただちに戦闘態勢へ移行。
ボンネットが開き、内部よりミサイル展開。左右二発ずつ、ウェポンラックに備えられた熱誘導ロケット。それは狙撃手たちがレーザーサイトを放つターミナルビルに向けられていた。
異変に気づいた狙撃手たちが、ただちにライフルを納めてビルから降りようとした。だが、ヴァルカンがミサイルを放つほうが早かった。
闇夜に軌跡を描き、閃光が四つ直進した。それは着弾の寸前で軌道を上空に向け、トップアタック。熱源を放つ狙撃手たちを確実に殺しにかかった。
爆音は空港じゅうに響いただろう。しかし、チューズデイにはもはや関係のないことだった。
「これで終わりよ、フライデイ。もう私たちは必要ない」
「それはどうでしょう? あなたが希望するにせよ、しないにせよ、いずれ戦火の息吹が世界じゅうを包み、我々のような存在が誕生する。ほぼ、確実に。……だったら好きなように生きようじゃありませんか。わたしは不適格の烙印を押された失敗作。だからこそ、できることがある」
そのときだ。
トリガーを絞ろうとしていたチューズデイのわき腹に、フライデイの肘打ちが入った。思わずのけぞるチューズデイ。フライデイはすぐさま拘束から脱すると、何かを大声で叫んだ。少なくとも英語ではなかった。
すると直後、示し合わせたようなタイミングでハンヴィーが一台やってきたのだ。荷台からはライフルを持った男が顔を出し、銃座にはミニガンが備え付けられていた。
「やれ、消し炭にしろ」
言って、フライデイはハンヴィーの後部座席に乗り込んだ。
刹那、低くうなるような轟音とともに銃弾の嵐が放たれた。痛みも無く殺す絶対の殺戮兵器。まともに喰らったら、まず死は間違いない。
チューズデイはすぐさま腕時計につぶやいた。「モード・護衛」と。しかしそうしてヴァルカンが動き出したのと、ミニガンが放たれたのは、ほぼ同じ時だった。
わずか数秒の間にまき散らされた何千発という銃弾。それは硝煙をあたりにまき散らし、視界を阻んだ。白煙はチューズデイとヴァルカンをも無きものにしたのだ。
「死んだでしょう。出しなさい。ここから脱出します」
フライデイが冷めた声で言った。
まもなく、ハンヴィーはゆっくりとその車体を滑り出させた。
*
フライデイは平常心を装っていたが、それでも焦りは隠しきれなかった。護身用のチアッパ・ライノ。その残弾を確認しようとしたが、手が震えて弾を落としてしまったぐらいだ。
やはり自分は、手を汚して殺すのは似合わない。彼はそう判断すると、すぐさまハンヴィーの乗組員に尋ねた。彼らは全員、フライデイが所有する持株会社の子会社所属の傭兵《PMC》だった。
「状況はどうなっていますか。マクドネル氏との通信はできますか?」
マクドネル。NORADを指揮する空軍総司令のことだ。すでに彼は懐柔しているはずだった。だから架空のミサイルも、神の杖の再生もアメリカ政府からは黙認の状況にあった。彼なら、何か策を講じてくれるはず。助けてくれるはずだ。輸送機の一台や二台ぐらいなら、貸してくれるはず――
「わかりました。空軍総司令の携帯につなぎます」
助手席に座る傭兵がそう言って、スマートフォンを取り出した。何回かコールして、すぐにつながった。携帯はそのままフライデイの手に。彼はひったくるようにして強引に携帯を奪った。
「もしもし、わたしです。フライデイです! 総司令、いったいこの事態は――」
「こんにちは。お話できてうれしいですよ」
ゾクリ、と背筋が凍るのがわかった。
スピーカーのむこうから聞こえてきた声。それはマクドネルではなかった。その声は大きくゆがめられ、男とも女ともつかないほど合成させられた声だったからだ。
「……ミスタ・M、ですか」
「Mで結構ですよ。ぜひともお話したかったんですよ、ミスタ・フライデイ。いや、ミス・フライデイと呼ぶべきかな?」
「軽々しくわたしの名を呼ぶな!」
「これは失礼。ですが、しかし残念ですね。あなたの悪事は白日の下に晒されましたよ。それもこれも、チューズデイを殺し損ねたせいだ。パク・ユイルは簡単に吐いたそうですよ。確かに戦争は金になるが、指揮や信頼関係といったものは金ですべてが構築できるわけではない。あなたは、自分の能力を見誤ったようですね。現在、合衆国政府はあなたと、あなたに協力した企業を共謀罪、および国家反逆罪として逮捕あるいは抹殺するとの指令を出しました。久々の大統領令ですよ。あなたの企みは終わりです。それでは、後はお姉さんとのお戯れを楽しんで。アディオス」
そこで通信は切れた。
そして、その刹那のことだ。
突然、ハンヴィーは横殴りにされたような衝撃を受けたのだ。咄嗟に車外を見やると、そこには白煙をあげるスーパーカーがあった。ダークグレイのアストンマーティン・ヴァルカン。それは白煙と電磁気を帯びながら、リアウィングを忙しく動かしていた。右ハンドルの座席には、赤髪の女が。出血でさらに赤みを帯びた髪は、彼女に鬼神のごとき迫力をもたらしていた。
「くそっ、ゴキブリか。何をしている、撃て! やつを殺すんですよ!」
もう一度、ヴァルカンが激突してくる。
ハンヴィーは車体を大きくよろめかした。銃座に上ろうとした傭兵がバランスを崩し、車外へと放り出される。タイヤが何かを踏みつけた。おそらく彼の頭蓋だ。
ヴァルカンの猛攻は止まらなかった。
三度、車体がハンヴィーにぶつけられた。しかも、今度はさらにボンネットより機関銃二門が展開。銃撃まで加わったのだ。弾丸はハンヴィーのタイヤを壊し、走行不能に追いやった。
まもなく、衝突の衝撃とタイヤの破損でコントロールを失った。ハンヴィーはそのまま横転。フライデイの視界は何百度にも回転した。
何がなんだかわからなかった。
自分が失敗作だからか。だから姉には勝てないというのか。
そんなはずはない。
横転した車内では、傭兵たちがうめき声を上げていた。運転手は生きているようだが、衝突のショックで脳震盪を起こしている。助手席の男はひしゃげた鉄骨か何かが太股に刺さっていた。流血が止まらず、うめき声だけが聞こえる。そしてもう一人は、銃座に上ったきりどこにもいない。
――くそったれめ。
ものの数秒で護衛が全滅。これが成功作の実力だとでも言うのか。
――笑わせるな。
フライデイは内心毒づいてから、ドアを蹴破って外へ出た。護身用のチアッパ・ライノは、先ほど弾丸を落としてしまった。もう身を守るモノは、拳しかない。
ドアを蹴って出た先、暗がりの滑走路に一人ぽつんと立つ女がいた。ベコベコに凹んだスーパーカーを停車させ、女は眼前に立ちすくんでいた。真紅の髪に、額からの出血がさらに赤を添えている。髪も瞳も唇さえも赤く染め、黒の戦闘服も赤黒く滲んでいる。そのスーツはナノマシンと形状記憶繊維できつく結ばれて止血帯の役目も担っていたが、それでも朱に染まり続けていた。
「……お姉さま……。いや、ルビー・チューズデイ……。まさか生きているなんて思いませんでしたよ。計画は順調に進んでいたはずだ……なのに、よくもまあ生き残りましたね」
「あなたは一つだけ計算違いをしたのよ」
チューズデイの右手が――スターム・ルガーがフライデイの眼球をねらった。
一発。サプレッサーに沈められた銃声。しかし弾丸は大きく軌道を逸れて、フライデイの後方、横転したハンヴィーに着弾した。チューズデイも充分負傷している。出血し続ける体では、二十二口径のリコイルショックさえもいなせなかった。
それを勝機と見たフライデイは、一気に距離を詰めた。残弾のないリボルバーをチューズデイに投げつけると、それに続いて拳をふるった。
すんでのところでリボルバーを手ではじいたチューズデイ。しかし、その次の攻撃には対応しきれなかった。鳩尾に向けての右アッパー。それは痛烈にも彼女の五臓六腑を打ち砕き、一時の活動停止へ追い込んだ。
「どうしました、お姉さま。傷が痛みますか。わたしのような不良品に、肉弾戦ですら負けるのですか? ほら、お姉さま!」
もう一度。
出血と右アッパーの衝撃で動けぬチューズデイに、蹴りが入る。右手に衝撃。思わずルガーを落とす。
フライデイは止まらない。もう一度鳩尾に膝蹴り。首をつかんで拘束したまま、何度も、何度も膝蹴りを喰らわせる。一度喰らう度にチューズデイは血と痰の混じった液体を口から吐き出した。
何発目の膝蹴りだったか。とうとうチューズデイは、全身が脱力し始めた。瞳孔は定まらず、体の感覚は希薄。出血による冷たさと暖かさが肉体を支配し始めていた。
フライデイは、そんな脱力したチューズデイを軽々持ち上げると、ヴァルカンのボンネットに叩きつけた。ひしゃげたスーパーカーには、もはやかつての絢爛豪華な外装はない。鈍色の鉄屑があるばかりだ。
ボンネットに叩きつけたところで、フライデイは滑走路に落とした銃を拾い上げた。先ほどチューズデイが落としたスターム・ルガーMkⅢだ。もはやチューズデイには、それに抵抗する余力すら残されていなかったのだ。
「さようなら、お姉さま。もうこれで終わりです。あとでMもあなたのところに送ってあげますから。もうちょっとだけ待っててくださいね」
サプレッサーの内蔵された銃口。その太く長い銃身が、いまチューズデイの右目に押し当てられた。
「グッバイ、ルビー・チューズデイ」
引き金に指をかけようとした、そのときだった。
――攻撃
それは静かな囁きだった。しかし、確かな命令だったのだ。瀕死のチューズデイが死の瀬戸際で放った言葉。それは、ヴァルカンの火器管制システムに対する攻撃指令だったのだ。その伝達速度は、人がトリガーを絞るよりも圧倒的に速い。電気回路を駆けめぐった信号は、やがてボンネットに装備された火器系統が受信。即座に命令を実行に移した。すなわち、標的を直ちにい抹殺したのである。
その間、わずか〇・五秒足らず。凹凸の激しいボンネットから突如現れた二門の機関銃。それはわずか〇・五秒のあいだに指令を受諾し、目標に照準を設定し、発砲を開始したのだ。
銃声が轟いた。散発的な銃声。
軍配は、ルビー・チューズデイに上がった。
ヴァルカンのFCSは、障害を取り除くまで銃撃をやめなかった。フライデイを蜂の巣にしたあとも、ハンヴィーめがけて一斉掃射。車体が爆発炎上するまで撃ち続けた。
チューズデイが重い腰を上げられるようになったのは、機銃の掃射が一段落したころのことだ。
ようやく身体がまともに言うことを聞き始めた。彼女はまずフライデイの遺体をどかすと、彼女の手から銃を奪った。そして何度も殴打されたわき腹を押さえながら、宛もなく滑走路を歩いた。架空のミサイルの影響で、離発着便が一つもなかったのは不幸中の幸いだ。
遠くからはサイレンが聞こえてきていた。おそらくこちらに向かっている。
チューズデイは任務をやり遂げた。自分の妹あるいは弟であるフライデイを抹殺。シンジケートの首領を暗殺したのだ。しかし、もう一度CIAに戻ることはできない。警察に事情を話し、Mを介して高飛びすることもできないだろう。もうチューズデイは知ってしまったのだから。このさき自分がどのような扱いを受けるか。Mは催眠療法とショック療法で記憶を消すはずだ。そしてまた正体不明の女スパイ”ルビー・チューズデイ”として野に放つのだ。責任の所在をもみ消し、極秘実験をももみ消して。
――そんなことはもうさせない。
わき腹を押さえ、足を引きずり、出血に耐えながら歩き続けた。どこかに逃亡用の足があるはず。車の一台ぐらいなら……。
やがて彼女は、格納庫の裏に一台の車を見つけた。それはフォードのSUVだった。おそらく空港の警備員が使っていたものだろう。窓ガラスに弾丸を何発か叩き込んでドアを開けると、すぐにキーを探した。残念ながらキーレスエントリー。しかたなく、エンジンを直結させる。これには時間を要したが、最終的にフォードはその生命を吹き返した。ガソリンの残量は心もとないが、ここから脱出するぶんには十分な量だった。
遠くからサイレンが聞こえる。もう捕まるわけにはいかない。
ギアをニュートラルよりファーストへ。軽やかに加速した車体は、そのまま空港のフェンスを突き破って脱出した。




