06
資料を読みふけって、気がつくと日付が変わり、朝日どころか太陽は真上に来ていた。
シャワーしか取り付けられていない、まるで学校のプールにあるような風呂場で身体を洗い、洗濯が終わるまでバスタオル1枚で過ごしていた。いや、まさか1日中ここにいるとは思わなかったため、着替えの用意をしていなかったのだ。
暖房とストーブ(他の部署は知らないが、この部屋のストーブは僕のポケットマネーで買った電気ストーブだ。地球に優しいだろ?)で暖を取る。アレの帽子も仕方がないから洗ってやろうかと思ったが、洗濯表示が複雑な上に一般の家庭で使われている洗濯機で洗うにはとてもじゃないが恐れ多いブランドのタグが目に飛び込んで来たので、手荒いもする事無く机の上に置いてある。置いてあるあると言うよりは、祀ってある。
「譲さん?もうお昼だと言いますのに、まだ寝ていらっしゃいますの?」
目の下に隈を付けた袴がノックもせずに入ってきた。
この部屋の所有権は僕と袴の2人に有るため僕は基本的ノックはしないが、袴がしないと言うことはほとんど無かった。隈からも解るように、余程疲れているのだろう。
「……………………」
「……おはよう、袴」
バスタオル1枚しか身にまとっていない僕は、結果として左右の頬に綺麗な紅葉を残す事になった。彼女は顔を赤くするわけでもなく、まるで汚らわしいものを見るかの様な視線を浴びせてきた。一通りビンタを張り終わると、1度部屋から出る。戻ってきたその手には僕の制服が握られていた。若干握力で皺がよっているものの、このままでは風邪をひくか、また袴の制裁を喰らうかなので、有りがたく頂戴する。
流石に彼女の前で着替えるほど、僕の根性は据わってないので再びシャワー室へ戻る。蒸気の暖かさは残っておらず、逆に寒いくらいなのでガタガタ震えながらの着替えになった。
「改めて、おはようございます、譲さん。良く眠れましたか?」
「あぁ、おはよう。残念ながら、今の今までお前がまとめてくれた資料を読んでたから、一睡もしてないんだ」
「そうなのですか……」
「て言うか、お前、昨日僕や保真よりも先に帰ってたじゃないか。なんでそんなに隈ができてるんだよ」
「いえ……譲さんが気にすることではありませんわ」
目を伏せ、寄り添うように隣に腰を降ろす。
数分もしない内に、微かに寝息が聞こえてくる。相当眠かったのだろう。
このまま立ったりすれば、折角の彼女の睡眠を邪魔してしまうので、暫くは寝顔でも観察することにしよう。
「……相変わらず整った顔立ちしてるよな」
白い肌に真っ赤な唇。睫毛は下睫毛の方が長いみたいだ。何故か麿眉に手入れされているそれは、妙にマッチしている。僕には絶対に似合わないスタイルだ。
「……ん?僕の携帯……」
仕事用に支給されている携帯が震える。ディスプレイには登録されていない番号が表示されている。メールではなく、電話である。
「はい、こちら特殊警察の伊能 譲です」
『あ……あの、私、彌生です……』
「屏風浦さん?」
『はい……。お伺いしたいことがありまして……そちらへ行っても……っ、よろしいでしょうか?』
電話越しにも解るほど、体調が悪そうな女性をこちらへ来させる訳にはいかない。しかも、彼女の子供が狙われているかもしれないのだ。家に置いてこちらに来ることも、一緒に連れて来ることも危険だと判断し、僕達が彼女の自宅へと行くことにした。
ついさっき眠りについたばかりの袴を起こすことはとても心苦しいが、ここは心を鬼にするしかない。
「袴、起きろ。今から彌生さんの所に行くぞ」
「……あと五時間」
この……っ、いつまで寝ているつもりだっ?!
いや、彼女の寝起きが悪いことは充分承知していた。以前、無理矢理起こそうとして多少乱暴に身体を揺すったら、寝ている状態から僕の腕を掴み、そのまま的確に出口の方向へ投げ飛ばされてしまった。流石に扉を壊すことは無かったが、かなりの勢いで投げられたらしく、その日1日は背筋を伸ばすことができなかった。
やれ、後で怒られる事になるが、強行手段で起こすこととしよう。
なんでも、これは彼女の中でも1位2位を争うほどトラウマになっているらしい。
耳元に唇を寄せ、囁く。
「……保真がお前のカップ使ってコーヒー飲んでるぞ」
ーーそれも、お前の好きなブランドのコーヒーを……な。
超音波に近い悲鳴……と言うか、金切り声すら出せないほどの驚き様を見せた袴。さながらコミカルなギャクアニメのように飛び起きると、威嚇するように辺りを見渡す。しかし、威嚇対象は何処にもいない。
当たり前だ。僕のついた嘘なのだから。
「は……あら?」
「やっと起きたか。ほら、出掛けるぞ。彌生さんが僕達に聞きたいことがあるそうだ」
「彌生さん……あぁ」
彌生さんの名前を出すと、自身の携帯を確認する。そこには3回分程、彼女からの連絡があった。
「迂闊でしたわ……。麻季が出ることができなかったばかりに……」
「と言うか、なんで彼女が僕の携帯の番号を知っているんだ?」
「麻季の物と一緒にお伝えしましたわ」
しれっと、何の悪気もなくいい放つ。
勝手に伝えるのは構わないが、せめて僕に一言言ってくれ……。事後でいいから。