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第三章 初めての……。①

「……ほう、では、この国には新婚旅行で?」



 ガタガタと揺れる乗合馬車の中。

 大きなサックを横に置く行商人風の男は、顎ひげに手を当てそう呟いた。

 対し、向かい側に座るボルドは、にこやかな笑みを浮かべて、



「ええ。ここは平和な国を聞いていましたし。妻にも見せてあげようと思いまして」


「ほほう。そうですか」



 と、呟いて、行商人の男はちらりとボルドの隣に座る女性の方を見やる。

 歳の頃は二十四、五歳か。かなりの美人だった。彼女は幸せそうにボルドの腕に手を絡めて肩を寄せていた。彼女がボルドに惚れているのは疑いようもないだろう。


 しかし、それでも――。



「失礼ながら、かなりお歳が違うようですな。お二人はどこでお知り合いに?」



 ボルドの見た目は四十代半ば。女性とは二十歳は違うように見える。

 正直なところ、新婚夫婦というより、不倫関係のようにしか思えなかった。

 と、そんな行商人の男の心情を察したのだろうか。ボルドが何を言い出す前に女性の方がムッとした表情を浮かべて口を開く。



「職場でですわ。私の方が主人に猛アタックしたのです。そうでしたわね、あなた(・・・)



 ググッと少々薄い胸を押し当てて、その女性――カテリーナはボルドにそう告げる。

 一方、ボルドは芝居にしてはやけに積極的な部下に困惑しつつ、



「え、ええ、そうでしたね。お恥ずかしながら、私はこの歳でまだ独身でしたので積極的な妻に押し切られまして……」



 と、頭の後ろをかきながら答えた。

 なお一部だけこの話には事実もあった。ボルドは独身。家族さえいなかった。素性を騙る時は事実を混ぜるとバレにくい。これは裏社会で生きる者の常識だった。

 しかし、そんな事など知る由もなく、行商人の男はポンと手を叩き、



「はは、なるほど。若い女性というのは恋をすると積極的になりますからな。かく言う私も妻とは十八も離れていまして。妻の勢いの前に押し切られたクチでした」



 これもまた「嘘から出たまこと」という奴なのだろうか。

 行商人の男の台詞に、ボルドは苦笑いを浮かべるしかなかった。

 カテリーナも口元を抑えてクスクスと笑う。


 こうして、馬車に揺られながら三人の談笑は続いた。

 特にカテリーナは何が琴線に触れたのか、行商人の男と彼の妻の馴れ初めや、その奥さんがいかにして男を攻略したのかを、微に入り細に渡って尋ねていた。



(ふふふっ、恋に興味を持つとは、カテリーナさんもやはり女の子なんですねえ)



 と、ある意味ボルドが呑気に構えていたら、



「おや、どうやらラッセルが見えてきたようですぞ」



 不意に、行商人の男が前方を指差してそう告げた。

 ボルド、そしてカテリーナも前を見やる。

 この乗合馬車は幌馬車の一種なのだが、キャビンは木製の箱型。四方に窓を取り付けた頑丈かつ上質な馬車だった。前を見れば窓から御者視点の光景が確認できる。

 ボルドは目を細めて呟いた。



「ほう。あれがラッセルですか」



 そこには、王都ラズンによく似た城砦都市の姿があった。



「ええ、うちのお得意先ですよ。まあ、最近は少しだけならず者も増えて門のところで検問とかしていますが、基本的には賑やかで平和な街ですよ。ですから……奥さん」



 行商人の男はカテリーナを見据えて、にまにまと笑い、



「折角の新婚旅行。旦那さんにたっぷり甘えるといいですよ」



 と、そんなことを言い出す。

 カテリーナは少女のように頬を染めて俯き、こくんと頷いた。



「ははっ、初々しく可愛らしい奥さんではありませんか」


「は、はあ、いやお恥ずかしい」



 ボリボリと頭をかくボルド。しかし、内心では少し驚いていた。

 まさか、彼女がこれほどの演技派だったとは。カテリーナの演技力には脱帽だ。

 と、そうこうしている内にも乗合馬車はラッセルの門へと順調に辿り着き、簡単な手続きをして通門。そして近くの停留所にて停車した。



「それではお二人とも。良い旅を」


「ええ、色々とお話を聞かせて頂き、ありがとうございました」



 ボルドは馬車から降りると、同じく下車した行商人の男にそう別れを告げた。

 背中を向けて街中へと消えていく男に、ボルドは軽く手を振り続け、彼の隣に立つカテリーナは深々とお辞儀していた。

 そうして行商人の姿が見えなくなってから、ボルドはふうっと嘆息した。



「カテリーナさん。見事な演技力でしたが、少しやりすぎだったのでは?」


「そうでしょうか? 念には念を入れた方がよいかと思いましたので」



 しれっと答えるカテリーナ。

 先程までの少女のような恥じらいはどこにもない。



「……まあ、確かにそうなんですが……」



 どうにも腑に落ちない感じはするが、カテリーナの言葉にも一理ある。

 少しばかり眉根を寄せつつも、ボルドはそう呟いた。

 すると、カテリーナは力強く頷き、



「ええ、そうですとも。では演技を続けましょう支部長。少し失礼いたします」



 そう告げるなり、カテリーナはボルトの無骨な手に、彼女の細い指を絡めてきた。



「カ、カテリーナさん……?」



 いきなりのことにボルドは少し目を丸くするが、カテリーナの方は微かに口元を綻ばせていた。掌から伝わる愛しい人の温もりに、彼女は喜びを感じていた。

 まあ、本音を言えば先程のように腕を組みたいのだが、自分の方がボルドより背が高いのでそれをすると歩きにくい。仕方なしの妥協だが、これはこれでいいものだ。

 カテリーナは、ふふっと小さく笑う。

 そんな彼女の様子に、ボルドはますます眉をしかめて、



「えっと、カテリーナさん? いくら新婚でもわざわざ手を繋がなくてもいいのでは?」


「何を仰いますか、支部長。偽装とは常にしておかねば、いざという時についボロが出てしまうものです。これはやむをえない対処とお考えください」


「は、はあ……」


「ふふっ、では参りましょうか、あなた(・・・)



 カテリーナに促されることで二人は歩き出した。

 そうしてしばらく二人で広い大通りを進み続ける。中々変わったカップルなので奇異な視線を集めたが、二人ともごく自然な足取りだったため、すぐに大衆に紛れ込めた。

 そして、ボルドがおもむろに口を開く。



「ふむ。これは思いのほか整った街並みですね。リゾート地と聞いていたので、もっと雑多したものをイメージしていたのですが」



 石造りの白を主体にした建築物に、煉瓦造りの石畳。大通りには馬車と歩行者を分ける意図もあるのか、街路樹と木製ベンチが設置されている。

 リゾート地らしく人通りも盛んで、大通りの両脇に並ぶ店舗も多種多様で賑わっているようだが、どこか全体的に上品な雰囲気を持つ街だ。



「ええ、確かに上品な街並みですね。これではリゾート地というより……」



 まるで街すべてが巨大なデートスポットのようだ。

 そう言いかけて、カテリーナは慌てて口を結び、頬を赤く染めた。



「カテ……いえ、リーナさん。どうかしましたか?」


「い、いえ。大したことはありませんわ、あなた(・・・)


「……? そうですか? まあいいでしょう。それよりも……」



 ボルドは再び大通りを見渡した。



「とりあえず宿を探しますか。どこか空いているといいんですが……」



 独白するように呟かれたボルドの台詞に、カテリーナはハッとする。

 ――しまった。そんな基本的な事を失念していたとは。

 そして、すぐさま新妻(仮)から秘書の顔に戻り、



「申し訳ありません。支部長。すぐに手配して参ります。しばらくお待ち下さい」


「え? カテリーナさん?」



 ポカンとするボルドをよそに、彼女はスタスタと一人早足で去っていった。

 完全に普段の――優秀な秘書であるカテリーナの姿だった。



「えっと、手配も何も、宿ぐらい一緒に探せばいいのでは?」



 ぼそりとそう呟くが、相手はもうどこにもいない。

 ボルドはやれやれと苦笑を浮かべた。恐らくカテリーナはいつもの癖で反射的に動いたのだろう。なんだかんだ言っても、彼女も大概ワーカーホリックだ。

 ともあれ、いきなり新妻に置いてけぼりをくらったボルドは、近くのベンチに歩み寄ると、「よっこらせ」と年寄り臭い台詞を吐いて腰を下ろした。

 そして、トントンと肩を叩いてから空を見上げる。


 白い雲に蒼い空。今日も実に良い天気だ。

 この空の下。果たして彼は今、何をしているのだろうか。

 そんなことを考えながら、ボルドはふふっと笑った。



「さて。クラインさんはどこにいらっしゃるのでしょうかねえ」

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