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第二章 リゾート都市「ラッセル」①

 アティス王国・市街区。

 その一角にあるシンプルな木造宿にて。



「……はあ、困りましたね」



 その冴えない中年男は深い溜息をもらしていた。

 そしてふと窓に近付いて外を眺める。眼下の大通りには多くの人間と数台の馬車が行きかっていた。この国は田舎だと聞いていたが、中々の盛況ぶりだ。

 どこか懐かしささえ感じる景観に、男はふふっと笑う。


 彼の名は、ボルド=グレッグ。


 セラ大陸において最大規模の犯罪組織――《黒陽社》。その大幹部であり、《星神》の拉致を含めた人身売買部門を統括する第5支部の支部長を務めあげる辣腕の男だ。

 しかし、今の彼の姿を見てそんな肩書を思いつく人間などいないだろう。

 なにせ彼は今、普段の黒いスーツ姿ではなく、かなり派手な柄シャツに、茶系統のハーフパンツといった観光客の見本のような風体をしているのだから。



「……はあ、しかし、これからどうしましょうか」



 ボルドはそう呟いた後、疲れ果てたようにもう一度溜息をついた。

 そして二つ並んだベッドの一つの前に移動して、ドスンと腰を下ろす。



「まさか、クラインさんがご不在とは……」



 ボルドは現在、休暇中の身だった。

 彼の秘書・カテリーナは実に有能だった。手続きを頼んでからわずか三時間後には、ほぼすべての業務の引き継ぎと調整を済ませてしまったのだ。

 結果、彼はすぐにでも一ヶ月半近い長期休暇が取れるようになった。正直、こうもあっさり手続きされると逆に寂しいものなのだが、それは考えないことにした。

 まあ、ともかく、これでしばらくは自由の身。ボルドは菓子折りを片手に帆船へと乗り込み、旧交を温めるため、アティス王国に訪れたのだが――。



『誠に勝手ながら十五~十八日の期間。臨時休業させて頂きます』


 

 ……………………………。

 ………………………。

 …………はい?

 思わずボルドは、クライン工房前で立ちつくしてしまった。

 これは流石に想定外だ。しかし、呆然としたところで何も始まらない。

 ボルド()は一度市街区に戻ると、とりあえず宿をとり――今に至るのである。



(困りましたね。ご挨拶するだけですぐにお暇するつもりだったのですが……)



 眉をしかめて腕を組むボルド。相手が不在では挨拶しようもない。

 一応、それに関しては今席を外している同行人が行先を探ってくれているのだが、果たして上手く情報が掴めるのか。



(まあ、ここは信じて待つしかありませんね……)



 と、その時、ドアがノックされた。



「はい。どうぞ」



 そう告げてボルドが入室を許可すると、ドアはギィと音を立てて開かれる。

 そしてコツコツと足音を鳴らして、一人の女性が部屋に入ってきた。

 年齢は二十代半ば。腰まで伸ばした亜麻色の髪に、知的さを醸し出す赤縁眼鏡。そのスレンダーな身体には、白いブラウスと黒いタイトパンツを着こんでいる。美女と呼んでも差し支えない美貌を持った彼女は、ボルドの同行人だった。


 カテリーナ=ハリス。ボルドの秘書である。


 彼女は後ろ手にドアを閉めると、ボルドに対し一礼した。



「お待たせしました。支部長――いえ、あなた(・・・)


「……カテリーナさん」


あなた(・・・)。私のことは『リーナ』と呼んで下さいと、お願いしたはずです」


「いえいえ、カテリーナさん。偽装を徹底するのは良い心構えですが、今は二人だけですし、何より任務という訳でもありません。そこまで警戒する必要もないでしょう」



 と、ボルドはパタパタと手を振って返答する。

 そして、どこまでも完璧主義な部下に、彼は思わず苦笑をもらした。


 ――そう。今回の彼の休暇には、何故かカテリーナまでついてきているのだ。


 本人いわく「支部長をお一人にすると不安ですので」だそうだ。まあ、結局ボルドの方も、彼女がいると何かと頼りになってありがたいので同行を許可したのだが。



「ところでカテリーナさん。でっち上げる関係は別に『夫婦』でなくてもよかったのではないのですか? 私とカテリーナさんなら『親娘』の方が自然だと思いますが……」



 ボルドは、どこか不機嫌そうに見えるカテリーナに尋ねる。

 宿をとる際に二人の関係を問われ、カテリーナが「新婚夫婦」と答えたのだ。

 そのせいで部屋は一つしか取れなかった。これはボルドとしては不本意な事だった。



「カテリーナさん。正直、上司とはいえ男と一緒の部屋に泊まるような状況を作るなど感心しませんね。倫理的に問題ですよ。あなたにしては珍しく軽率な判断です」



 いきなりそんなことを言い出すボルドに、カテリーナは目を丸くした。



「……いえ、支部長。私達は人身売買をするような外道な組織の人間ですよね? 今更そんな倫理など持ち出されても……」



 至極真っ当なことを言うカテリーナに、ボルドは呆れたように嘆息した。

 彼女はまだ《黒陽社》という組織を理解しきれていないようだ。



「まったく。何を言っているんですか、カテリーナさん。

 確かに我々は裏社会の外道な人間です。私自身、あなたより幼い少女を攫って売り払ったこともあります。ですが、あくまで《商品》は《商品》。そして社員は社員なのです。身内に対してまで外道な対応をしてどうするんですか」


「は、はあ……」



 困惑するカテリーナ。ボルドはふうと息を継いで言葉を続ける。



「我々の教義にして社訓は『欲望に素直であれ』です。しかし、これは単純に物欲だけを示している訳ではありません。もっと精神的なものも含めているのです。

 同僚を大切にしたい。それもまた欲望の一種であると憶えておきなさい」



 そしてボルドは真直ぐカテリーナの顔を見据えて、



「とにかく。こうなった以上、この国にいる間は『夫婦』で通しますが、以後は気をつけて下さい。いいですねカテリーナさん」



 と、忠告の言葉で最後を締めた。

 彼女の身を案じた上での台詞では、カテリーナもただ頷くしかなかった。



「まったく。カテリーナさんは美人なんですよ。私だから良かったものの、他の社員――例えば、好色で有名な第5支部(うち)の副部長などが相手でしたら大変なところでした」



 腕を組んでしみじみとそう語るボルドに、カテリーナは慌てて手のひらを向け、



「い、いえ、私も相手が支部長でしたから、ついあんなことを言った訳で……」


「む。それはどういう意味ですか。私ならば安全だとでも? やれやれ、私とていつ『狼』になるのか分かりませんよ?」



 言って、ボルドは「がおー」と両手を上げて威嚇して見せた。

 しかし、本人としてはかなり本気で脅しているようなのだが、小男かつ、くたびれた風貌なため、迫力がまるで足りない。コミカルにさえ見える姿だ。

 そんな上司をまじまじと見つめ、カテリーナは重い溜息をついた。

 全くもって、この「男」は――。



(支部長。私はこの休暇、すでに一線を越える覚悟で臨んでいるんですよ……)



 思わず愚痴までこぼれてしまいそうになるが、グッと堪える。

 行きの船旅では残念ながら何も起きなかったが、まだチャンスはいくらでもある。ここは前向きに考えるべきだろう。いずれにせよ、まずは――。



「それよりも支部長。ご報告があります」



 カテリーナは秘書の顔でボルドに伝える。

 張り詰めた雰囲気に変わった部下に、ボルドも面持ちを鋭くする。



「……ほう。クラインさんの居場所が分かったのですか?」


「はい。工房近くの何名かの住人に話を聞きました。どうやら《双金葬守》は一日ほど前に『ラッセル』という街に向かったそうです」


「……ラッセル、ですか?」



 カテリーナはこくんと頷く。



「この王都の東側。海岸沿いの街道を馬車で二時間ほど進んだ場所にある都市です。なんでも海水浴が盛んなリゾート地だそうです」


「リゾート地ですか……。ふふっ、なるほど。奇しくもクラインさんの方も休暇を取っていたということでしたか」



 言って、ボルドは笑みを深めた。

 すると、カテリーナが小首を傾げて尋ねてくる。



「支部長。では、これからどうなされますか? このまま放っておいても《双金葬守》は恐らく二日後には戻ってくると思われますが……」


「う~ん、そうですねえ……。それにしても、リゾート地ですか」



 ボルドはあごに手を当て、しばし熟考した。

 そして、不意にくつくつと笑い出し、



「よし。決めましたよ」



 と、宣告するなり、ボルドはおもむろにベッドから立ち上がった。そしてドアの近くで佇むカテリーナに詰め寄ると、困惑する彼女に手を差し伸べて――。



「ふふっ、折角です。私達も行ってみようじゃありませんか。そのリゾート地とやらに。なにせ私達は『新婚夫婦』なのですから。そうでしょう? リーナさん」



 唐突に愛称で呼ばれ、カテリーナはほんの少しだけ動揺する。

 しかし、そこは裏社会に生きる女傑。すぐさま冷静さを取り戻し、



「ええ、そうですね。あなた(・・・)。私をリゾート地に連れて行ってくれますか?」



 淑女のようにボルドの手に触れる。

 ボルドは細い瞳をさらに細くして笑った。



「ええ、もちろんですとも。私の愛しいリーナさん」

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