第八章 かくして舞台は整った④
彼女の白き姿は、とても月夜に映える。
夜を吸い込むような白のイブニングドレス。
大きく開かれた背中からは、負けずと白い白磁の肌が見えていた。
まさに純白の乙女だった。
唯一、赤い唇が、なお彼女の美しさを際立てていた。
――キャロライン=ゴドス。
普段の彼女は男装を好む。私服でもだ。そのため、付き合いの長いアランでさえ、こうして着飾った彼女の姿は初めて見た。
驚きつつも、アランは思わず魅入っていた。
すると、
「そ、その、アランさん……」
キャロラインが少し頬を赤らめて視線を逸らした。
「まじまじと見つめられると、少し照れるかな?」
「あ、ああ。すまない」
アランは謝罪した。
「少し驚いたんだ。とても綺麗だぞ。キャロ」
「……そ、そう」
キャロラインは視線を逸らしたまま、口元を片手で抑えた。
その首筋も耳も朱を帯びていた。
「それは良かった。ぼくは普段ドレスアップなんてしないから不安だったんだ。本気で着飾ったらアンの方がスタイルいいし、ぼくは貧相な感じがするかなって思って」
「いや、そんなことはないだろ」
良くも悪くも、根が真っ直ぐなアランは言う。
「確かにアンがドレスアップすれば綺麗なのは間違いないだろうが、だからといってキャロが劣るものか。ただタイプが違うだけだ。アンが太陽ならキャロは月だ。正直、今の君は《夜の女神》かと思うほどだったぞ」
「……そ、そう……」
キャロラインは、思わず背中を向けた。
頭から湯気でも出そうなほどに白い肌が火照っている。
「も、もう。アランさんはそういったところは直球だなあ」
大きく息を吐き出して、再びアランの方に振り返る。
そして、
「アランさん」
彼女は微笑んで願う。
「ぼくと踊ってくれますか?」
「……私は……」
アランは一瞬言葉を詰まらすが、
「……ああ。喜んで」
そう返して、彼女に手を差し伸べた。
奇しくも、戦火の中で初めて出会ったあの日のように。
そしてあの日と同じく、キャロラインは彼の手を取った。
アランは彼女を抱き寄せてダンスを始める。
音楽もない。
夜を天蓋とした静かなダンス。
二人は互いを見つめて踊り続けた。
ややあって、それも終わりを迎える。
互いの手を掴んだまま、二人はダンスを終えた。
夜の公園に沈黙が降りる。
そして、
「キャロ。私は……」
アランは双眸を細めた。
キャロライン=ゴドス。ゴドス伯爵家の令嬢。
その性格は冷静沈着で知られている。ある意味で非情であるとも騎士団内では噂されることもあるが、そんなことはない。
仲間の負担を減らすためにこそ、彼女は常に冷静でいるのだ。
本当の彼女は冗談が好きでよく笑う女性だった。
アランはその笑顔を何度も見てきたものだ。ただ、その笑顔を見せる相手が、アランとアンジェラだけであると知らなかっただけだ。
全く気付いていなかっただけだ。
「……アランさん」
キャロラインは微笑んだ。
「ぼくの気持ちはもう知っているんでしょう?」
「……ああ」
アランは渋面を浮かべつつ、首肯した。
「すまない。私はつくづく愚鈍だな」
「そこはぼくも――ぼくとアンも悪かったと思うよ」
キャロラインは、アランの手を強く握り直して、苦笑を浮かべた。
「二人してとことん臆病者だったから。戦う勇気がなかったんだ。だけど」
彼女は真っ直ぐアランの顔を見据えた。
「……もう逃げないよ。ぼくは戦う。そして勝つ」
一拍おいて、
「シェーラ=フォクスにも。エレナ=フラムにもだ」
「……キャロ」
「今夜はその決意表明だよ」
キャロラインは再び微笑んだ。
「ぼくにとっても、アンにとってもね」
「キャロ……」
アランは渋面のままだ。
「私はそんな大層な男ではない。特別なところなど一つもない。それこそどこにでもいるような男だ。君やアンにそこまで想われるほど……」
「ダメだよ。自分を卑下するのはやめて」
キャロラインは、少し怒ったような表情を見せた。
「それはあなたを選んだエレナさんやシェーラさんにも失礼だよ。もっと自覚して。ぼくたちにとって、あなたは誰よりも大切で特別な人なのさ」
「……キャロ」
アランは言葉を詰まらせた。
キャロラインは彼の手を離して、少しずつ下がっていく。
「ぼくは勝つよ。あなたの妻の座を諦めない」
月光の下で、彼女はドレスを翻した。
「ぼくの全身全霊を見せてあげる。覚悟しててね。アランさん」
そう告げて、キャロラインは去っていった。
アランは一人、高台の公園に残った。
(……俺は……)
夜空を見上げる。
(……どうすればいいんだ)
アンジャラとキャロライン。
彼女たちの覚悟を。
想いの強さを、まじまじと見せつけられた。
――彼女たちを傷つけたくない。
アランが抱くそんな感情など、むしろ非礼に当たるほどだ。
(俺はシェーラを愛している)
その想いに嘘偽りはない。
すでにシェーラがいるから、彼女たちの想いに応えられない。
それは美徳ではある。
しかし、それは彼女たちの想いを拒否する理由にはなりえないのだ。
ある意味で非情であり、彼女たちのことを何も見ていないと宣言するものだ。
断るのならば、倫理や美徳などではない。
一人の男として、彼女たちの想いを断ることが筋なのである。
「……だが……」
アランは呻く。
彼女たちを否定するところなど、どこにあるというのか。
「……教えてくれ。俺は、どうすればいいんだ」
アランは空を見つめて問う。
しかし、満天の星空が答えてくれることはなかった――。
いずれにせよ。
舞台は整い、決戦の時は近づいていた。




