第八章 かくして舞台は整った➂
十五分後。
アランはガハルドとオオクニを残してバーを出た。
ただし、一人ではない。
彼の隣には一人の女性がいた。
アンジェラ=ダレンである。
彼女は私服姿だった。黒いタイトパンツに白いブラウスだ。どちらかと言えば男物に近い服装だが、それが却って彼女のスタイルの良さを際立てている。
彼女はアランと腕を組んでいた。
腕から伝わる豊かな双丘の感触に、アランとしては何とも気まずい。
「……いや、アン。少し近すぎやしないか?」
思わずそう告げると、
「アランさんはもうサーシャちゃんから聞いたんだろ?」
アランの腕を離さずにアンジェラは言う。
「あたしの気持ちも、キャロの気持ちも」
「……それは……」
アランは渋面を浮かべた。
「すまない。まったく気付いていなかった。私の不徳といたすところだ」
「あはは」アンジェラは笑う。「アランさんらしいよ。けど、あたしらだってバレないように必死に取り繕ってたしな。けど」
アンジャラはアランの肩に頭を預けた。
「こうしてようやくカミングアウトした以上、言い訳……芝居も終わりさ」
「……いや、アン……」
アランは言葉を詰まらせる。
アンジェラ=ダレンとは、アランにとってどういった人物なのか。
性格は男勝り。勝気と言うよりは豪胆な性格だ。
大胆な行動力を持ち、即断即決を旨とする。実力もとても高く、上級騎士の称号に恥じない人物だ。その雄々しさゆえに獅子王と恐れられることもあるそうだが、気さくで陽気な一面もあるため、友人は多いと知っていた。
騎士団内では、特に女性人気が高いと聞いていた。
アランにとっては一、二を争うほどに信頼できる騎士だった。
(そんなアンが)
アランは内心で呻く。
まさか自分などに想いを寄せてくれていたとは思いもしなかった。
では、彼女は女性としてはどうなのか。
オオクニの問いかけを思い出す。
一言でいえば、女性としてもとても魅力的だった。
プライベートにおいても、彼女は男勝りな性格をしている。
それが素なのだから当然である。ただ、プライベートでは、騎士である時ほどの苛烈さや荒々しさはなく、代わりに繊細さが強く前面で出ている印象だった。
弟がいることや、平民に近い男爵家の娘でもあってか、誰に対しても面倒見がいい。
また騎士団内で同僚に話すと誰も信じてくれなかったことのだが、実は、彼女はとても料理上手なのである。その手料理は絶品だった。
意外にも獅子王と呼ばれる騎士は、将来の良妻賢母を思わせる女性だった。
あと、少し奥手で恥ずかしがり屋であることも知っている。
(……アン)
アランは横目で隣を歩くアンジェラの顔を見やる。
大胆に身を寄せているように見えるアンジェラだが、実のところ、その耳は赤みを帯びていた。アランの腕を掴む手も微かに震えていた。
彼女はきっと緊張している。
付き合いの長いアランでなければ気付けないことだろう。
(いや。それならもっと彼女の気持ちに早く気づけってことだよな)
自分自身に呆れてしまうアラン。
「……アランさん」
その時、アンジャラがアランの方に顔を向けた。
たまたまアランと視線が重なる。アンジェラは「あ」と息を呑み、視線を逸らして明らかに顔を赤くした。
が、すぐに「……ふう」と息を吐き、
「悪いと思ってるんだ」
そんなことを呟いた。
「アランさんが今回の再婚をどんな想いで決めたのか。生半可な気持ちじゃないことも。エレナさんの最期を見届けたあたしらはよく知っている」
「……………」
アランは無言だ。
ただ静かに、真剣に、真摯にアンジェラの言葉を受け止める。
「けど、相手があいつだと知って、あたしらは不満を抱いた。どんな経緯かはともかく切っ掛けが酒だったことも」
アランは少し内心で呻いた。
どこから漏れたのかは分からないが、まさかそれが知られているとは。
「……その、一つだけ言っておくが……」
アランは微妙な気持ちで告げる。
「私は酒の勢いで女性を抱くことはしない。どれほど酔っていてもだ」
「それは知ってる」アンジェラは即答した。「昔、あたしもキャロもこっそり一度だけ試したことがあるから」
「………………え?」
何かとんでもない話をされた気がするが、アンジェラは構わず続ける。
「ともかく、アランさんがあいつに本気なのだけは分かっているんだ。けど、それでも」
一呼吸入れて、
「あたしらは我慢できなかった。だからあいつに難癖をつけたんだ。花嫁として見極めるとかまた言い訳してさ。結局のところ、ただの嫌がらせだ」
アンジャラはギュッと強くアランの腕を掴んだ。
「最後の悪足掻きすぎなかった。あいつの心に突き刺す細やかな棘だ。それであたしらは全部忘れるつもりだった。どこにも行けなくなったこの想いも。けど、けどさ」
獅子王と呼ばれる女性は、潤んだ眼差しをアランに向ける。
「王女殿下が言ったんだ。言ってくれたんだ。あたしらの想いもまだ行ける場所があるって。その可能性があるって」
「………アン」
アランは彼女を見据えた。
「……私は……」
「ダメ。いま答えるのはやめて」
アンジャラは、アランの口元に人差し指を立てた。
「それはあたしがあいつに勝ってからだ。あいつに勝って半年後に聞きたい」
「………………」
喋るのを封じられているのもあるが、それ以前にアランは無言になる。
今なおアンジェラが怖くて震えているのが分かる。
彼女が、どれほどの覚悟と勇気を振り絞っているのか。
腕を通してそれが伝わってくる。
(……アン)
初めて彼女と出会った時は戦場だった。
仲間が全滅し、魔獣の群れの中に取り残されていた少女。
その泣き顔は今でも憶えている。
部下となり、彼女が陽気に笑う姿を見るたびに優しい気持ちになれた。
彼女の命を救えて、本当に良かったと思った。
「……アランさん」
そんな彼女が言う。
「あたしはアランさんが好きだ。愛している」
どこまでも真っ直ぐな告白だった。
「それを証明してみせる」
そう告げて微笑むと、より強くアランの腕を抱きしめてきた。
二人は歩く。
バーのあった市街区を抜けて、王城区へと入る。石造りの夜の街並みを抜けて二人は街を一望できる高台の公園にやって来た。
そこには待ち人がいた。
真っ白いイブニングドレスを着た女性だ。
「楽しめたかい? アン」
彼女は微笑んで問う。
「ああ。存分にね」
アンジャラも微笑んで返した。
「伝えたいことは伝えたよ。悪いね。先にしてもらって」
「まあ、そこは公平にジャンケンだったしね」
イブニングドレスの彼女は言う。
「それじゃあ、あたしは少し席を外すよ」
そう告げて、アンジャラはアランの腕を離した。
少し名残惜しそうだったが、「じゃあアランさん。また」と言って、アンジャラは公園から立ち去って行った。
最後に一度だけ振り返り、
「あんたも頑張れ」
アンジャラは彼女にエールを贈った。
イブニングドレスの女性は「うん」と頷き、アランを見つめて、
「ここから先は、ぼくのターンだからね」
そう言って、彼女――キャロライン=ゴドスは笑った。




