第七章 その覚悟の程は④
アラン=フラムはその日、遅くに帰宅した。
時刻にして夜の九時過ぎだ。
いつもならここまで遅くはならないが、今日は報告書対応に追われていたのだ。
「おかえりなさいませ。旦那さま」
数少ない使用人の一人である執事が出迎えてくれた。
父の代から仕えてくれる老執事だ。
「ああ。ただいま」
そう返すアランにはあまり覇気がない。
それも仕方ないことだった。
今日はとても気になることがあったのに、仕事の忙しさからその件を確認することが出来なかったのだ。
(……シェーラは)
ヘルムを腰にアランは老執事を連れ、自室に戻りながら思う。
(サーシャと仲良く出来ただろうか……)
それが気になる件だった。
今日、自分の婚約者と愛娘が学校で会っているはずだった。
果たして二人の間でどんな会話がされたのか。
まだ正式にはシェーラをサーシャに紹介していないアランとしては、実に気になることであった。
(元々面識はある。いきなり険悪になったりはしないはずだが……)
歩きながら「むゥ……」と唸る。
恐らく、今回は学校の先輩後輩として挨拶している程度のはずだ。
そんなに心配するほどの事態にはなっていないはず。
そう思っていてもどうにも落ち着かない。
と、その時、
「旦那さま」
アランに追従していた老執事が声を掛けて来た。
「ん? どうした?」
アランは足を止めて振り返る。
老執事は「実は」と切り出して、
「サーシャお嬢さまが旦那さまをお待ちにしております」
「サーシャが?」
アランは少し目を丸くした。
「私の帰りを待っていたのか?」
「はい」
老執事は恭しく頷く。
「奥さまのお部屋で」
「なんだって」
アランは大きく目を見張った。
――奥さまのお部屋。
それはシェーラのための部屋ではない。
亡き妻・エレナが生前に使用していた部屋だ。
アランはその部屋を妻が亡くなってからもそのままにしていた。
アランにとってもサーシャにとっても特別な部屋だった。
(……ぬう)
愛娘が亡き妻の部屋で待つ。
流石にアランも只事ではないと察した。
「……分かった。すぐに行く」
老執事にはそう告げて、アランは自室に向かった。
部屋に到着するなり、鎧を外して私服に袖を入れ始めた。
(……サーシャは)
着替えつつ、アランの心情は複雑だった。
(シェーラから何か聞いたのかも知れないな)
想定外のタイミングではあるが、これは遅かれ早かれだ。
まだ気まずさはあれども、いざという時の覚悟はすでに出来ている。
シェーラを妻に迎えるために、サーシャを説得する覚悟だ。
(……よし)
着替え終えたアランは部屋を出た。
廊下を歩く。向かう先は当然、エレナの部屋だ。
そして五分後。
アランはエレナの部屋の前に到着した。
一拍の間を空ける。
アランは大きく息を吐き、コンコンとドアをノックした。
『……どうぞ』
部屋の中からサーシャの声がする。
アランは部屋を開けた。
部屋の中はベッドと家具だけの質素な内装ではあるが清潔感があった。
妻が亡くなってからも掃除を欠かさなかったからだ。
アランは少し緊張しつつ、部屋の中に入る。
そして、
「………ッ」
思わず息を呑んだ。
部屋の中には窓辺で立つ愛娘がいた。
白いドレスを纏うサーシャである。
アランは言葉を発せなかった。
そのドレスは、亡き妻が愛用していたドレスだった。
それを纏う愛娘は、まるで亡き妻がその場にいるようだった。
(……エレナ……)
心の中で亡き妻の名を呟く。
「……お父さま」
銀色の髪をなびかせて、サーシャがアランに近づいてくる。
「お帰りなさい」
「あ、ああ」
アランは息を呑みつつ頷いた。
「すまない。その、待たせたみたいだな。サーシャ」
「いえ。大して待っていません」
サーシャは微笑む。
その笑みも亡き妻にそっくりだった。
懐かしく、愛しく。
思わず愛娘を強く抱きしめたい想いも湧き出てくる。
しかし、今はそれどころではない。
サーシャが妻のドレスを纏う理由は明白だった。
間違いなく、サーシャは今日、シェーラのことを知ったのだ。
(……覚悟の時だぞ。アラン=フラム)
娘の心情はアランにも劣らないほど複雑だろう。
いや、分かりやすく怒って嫌悪しているかも知れない。
後妻を迎えるだけでも娘としては複雑だというのに、その上、シェーラはサーシャとわずか三歳差だ。ほぼ同世代と言ってもいい相手だった。
だが、それでも成し遂げなければならない。
ここで愛娘を説得できなければ、シェーラも笑って未来を迎え入れられないのだ。
「……お父さま」
サーシャはアランの前で足を止めた。
琥珀色の眼差しに憂いを帯びる。
「シェーラさんのお話は聞きました」
「……そうか」
アランは大きく息を吐いた。
「すまない。サーシャ。私の口から紹介すべきだったのだが……」
「確かに驚きました」
サーシャは苦笑を浮かべた。
「けれど、それは元々予想していたことでしたし」
「……は?」
アランは眉根を寄せた。
「いや、どういう意味だ? サーシャ?」
「色々あったんです。けど」
サーシャは少し困った顔でかぶりを振った。
「今日、私が知ったことは多分お父さまにとっても初めて知ることだと思います」
「は? いや、本当にどういうことだ?」
アランはますます眉をひそめた。
「シェーラのことだろう? 彼女のことを聞いたんだよな?」
「……はい」
サーシャは頷く。
「ただ、それ以上のことも。お父さま」
そうして一拍おいて、
「どうか覚悟してください。私はあなたと、エレナ=フラムの娘として、これから彼女たちの事情とその想い。そして、ある提案を告げますから」
愛娘は父にそう切り出すのであった。




