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第一章 遊びに行こう!②

「さて、と。そろそろ戸締りすっか」



 そう呟くと、その青年は長い棒を使ってシャッターを引っかけた。



「よっと」



 ガラガラガラ――ガシャン!


 と、シャッターが勢いよく下りる。

 そして鉄の扉で閉じられた工房の入口に、ペタリと一枚の紙を貼る。

 見ると、その紙にはこう記されていた。



『誠に勝手ながら十五~十八日の期間。臨時休業させて頂きます』



 青年はうんうんと頷き、



「おし。これでやり残しはもうないな」



 と、満足げに呟く。

 彼の名前は、アッシュ=クライン。

 そこそこ整った顔立ちに、黒曜石のような漆黒の瞳。特徴としては、毛先のみがわずかに黒い真っ白な髪が挙げられる、二十二歳の青年だ。そしてこの店舗――人間が搭乗する巨人兵器・鎧機兵を整備、及び修理するクライン工房の主人でもある。

 普段は白いつなぎを纏う彼であるが、今は肘まで覆う黒いシャツと同色のズボン。それに加え、頑丈そうな紅いベストを着ていた。非常に珍しい彼の私服姿である。

 アッシュとて休暇の旅行につなぎは着ていかないのだ。



「……アッシュ」



 と、不意に名を呼ばれ、アッシュは振り向いた。



「ん? どうかしたのか、ユーリィ」



 そこには一人の少女がいた。肩にかかる程度に伸ばした空色の髪と、翡翠色の瞳。

 華奢な身体に、白黒のツートンカラーのワンピースを纏い、背中には小さなサックを背負った、まるで人形のように綺麗な少女。

 ユーリィ=エマリア。アッシュの家族だ。つい最近十四歳になったばかりの彼女は、歳こそ近いが、アッシュにとっては愛娘も同然の少女だった。



「あっちを見て」



 と告げて、ユーリィは両脇に街路樹が並ぶ街道を指差した。

 指示されるがままにアッシュが視線を移すと、その先には土を固めただけの街道を進む一台の馬車の姿があった。

 馬は二頭。十人は乗れそうなぐらい大きな荷台を持つ幌馬車だ。

 そして、その御者台にはアッシュの友人が乗っていた。

 馬はいななきを上げて、工房前で停車する。



「おっ、結構デカイ馬車を借りられたんだな、オト」



 と、笑みを浮かべて尋ねるアッシュに、



「ああ、これなら全員乗れるだろう」



 そう答えたのは、御者台に乗った女性だった。

 年齢は二十一歳。紫紺色の短い髪と、同色の瞳。ただし、スカーフのような白い眼帯で右目の方を覆っている。やや鋭い感じはするが、凛とした顔立ちの美しい女性だ。

 その腰には小太刀と呼ばれる短剣を差している。

 彼女の名はオトハ=タチバナ。

 グレイシア皇国の誇る《七星》の一人であり、《天架麗人》の二つ名を持つ傭兵だ。

 しかし現在、傭兵稼業は休業中で、代わりにサーシャ達の騎士学校の臨時教官を務めているクライン工房の居候でもあった。



「ああ、それで充分だよ。けど、それよりオト」



 アッシュは呆れたように問う。



「お前さ。それ以外の服持ってねえのか?」



 これから旅行にも関わらず、オトハの恰好は普段とほとんど変わらなかった。

 サーシャにも劣らないスタイルを持つ彼女の身体を包むのは、漆黒のレザースーツ。

 彼女がこの国に来た時から変わらない姿だ。少し違うとしたらノースリーブになっていることか。実はアッシュもこの服の男物を着ていた頃があるので知っているのだが、このレザースーツ。袖が脱着可能なのだ。



「……? 別に服なんて同じのが何着かあれば問題ないだろう?」



 と、オトハが首を傾げてそんなことを言う。

 アッシュは深々と嘆息した。



「いや、あのなオト。昔、俺がお前に眼帯を贈った時はあんなに喜んだのに、なんで服に関しては無頓着なんだよ」


「え? い、いや、だってあれはお前からの……その、プレゼントだったし……」



 アッシュの問いかけに対し、オトハは声を徐々に小さくしながらそう答えた。

 頬は少しばかり赤くなり、彼女の視線は宙を泳いでいた。

 そんなオトハの様子に、アッシュは怪訝な顔をして首を傾げるが、



「……アッシュ」



 やや不機嫌な声がアッシュを呼んだ。隣に立つユーリィの声だ。

 オトハにばかり構うな、と言わんばかりに無愛想になったユーリィは、無言のまま両手をアッシュに向けた。幼い子供がよくする「抱っこして欲しい」のポーズだ。

 アッシュは苦笑した。もう十四歳になったのに、最近のユーリィはかえって幼い頃に戻ったかのように甘えてくる。一体どういった心境なのだろうか。



「あのな、ユーリィ……お前さ、十四になったんだぞ?」



 一応アッシュはそんな風に苦言してみるが、ユーリィは何も答えない。ただ睨むような眼差しで両手を伸ばしている。

 根負けしたアッシュは溜息をつくと、片膝を軽く曲げた。

 そして、微かな笑みを浮かべて両手で首を掴んでくるユーリィの腿に左手を回し、そのまま彼女を抱き上げた。ギュッと密着してくる少女。昔よりは流石に重くなったが、同年代に比べればまだまだ軽い少女の頭をポンポンと叩いてやる。


「……ん」

 

 ユーリィは小さくそう呟き、アッシュに頬を寄せて幸せそうに微笑んだ。

 そんな二人の様子を、オトハはジト目で睨んでいた。



「(……おい、クライン)」



 ユーリィを気遣っているのか、何故か読唇術で話しかけてくるオトハ。



「(……何も言うなよオト。自分でも分かっているよ)」



 同じく読唇術で返すアッシュ。それに対し、オトハはふうと嘆息した。



「(いや、あえて言わせてもらうぞ。お前、ちょっとエマリアに甘すぎるぞ。何より見た目がもうほとんど犯罪者だ。また『ハイロさん』と呼ばれたいのか?)」


「(そ、それを言うな……。こんなの流石に人前だったら絶対にしねえよ。けどさ、なんで最近のユーリィはこんなに甘えてくるんだ?)」


「(う……それは……)」



 そこまで言いかけて、オトハは口をつぐんだ。

 アッシュには分からなくとも、オトハには原因が分かっていた。

 察するにユーリィは危機感を抱いているのだ。ここ最近次々と増えてきた、オトハ自身も含めた恋敵達の存在に。だからこそ、こうやって時々甘えることで心を安定させているのだろう。……まあ、これみよがしに見せつけてやる意図もあるかもしれないが。

 ともあれ、アッシュは嘆息しつつも、ユーリィを抱きしめてやった。

 そうしてしばらくしてから、少女を抱き上げたまま馬車の後ろに移動して、



「……ユーリィ。そろそろいいだろう?」



 言って、彼女を馬車の荷台の上に乗せた。

 ユーリィはまだ物足りないといった雰囲気だったが、



「うん。分かった。今回はこれぐらいでいい」



 そう告げて荷台の端に寄って座った。



「いや、今回は……って、出来ればこれでもう最後にしてくれよ」



 思わずアッシュはそう願うが、ユーリィは「……ダメ」と小さく返すだけだった。

 アッシュは力なく肩を落とした。どうやらこの件はしばらく解決しなさそうだ。



(……まあ、ユーリィもいずれは元に戻るか)



 とりあえずそう考えて棚上げし、アッシュは地面に置いてあった自分とオトハのサックを手に取り、トスンと荷台に乗せた。


 と、その時。



「せんせええー!」


「アッシュさ~ん!」



 聞き覚えのある少女達の声が聞こえてきた。

 声の方へ振り向くと、元気一杯に手を振る二人の少女と、ぺこりと頭を下げる大柄な少年の姿が見えた。まあ、もう一人今すぐ塵に変えたくなるような、へらへらと笑う小僧もいるが、ともあれ、どうやら全員が揃ったようだ。

 アッシュはふっと笑う。今回の旅行。ユーリィはもちろん、彼らにとっても良い思い出になってくれるといいのだが――。

 そんなことを考えながら、アッシュは再び笑い、



「そんじゃあ、そろそろ行こうか」



 と、出発を宣言したのだった。



       ◆



 蒼い海が見える海岸沿いの街道。

 突き刺すような日差しの中、潮風が届くそんな道を一台の幌馬車が進んでいた。

 目的地である「ラッセル」は、王都ラズンの東門から続く海外沿いの街道を、馬車の速度で二時間ほど進んだ先にあった。

 そして現在、馬車に乗って約一時間。道程的には丁度半分といったところだった。

 荷台に座るアッシュは朗らかに笑って言う。



「ははっ、やっぱオトの授業はきついか」


「それはもう。タチバナ教官の厳しさは校内では名物になっています」



 そう答えるのは、アッシュの向かい側に座るロックだ。

 彼は意外なほどにアッシュと仲が良かった。



「あははっ、確かに。初めての授業なんて泣いちゃう女の子続出だったもの」


「うん。あれは凄かったよね。阿鼻叫喚と言うか……」



 と、会話に加わるのは、アリシアとサーシャだ。

 彼女達はロックの隣に並んで座っていた。

 アッシュは彼女達の方を見やると、ニヤリと笑い、



「おいおい、アリシア嬢ちゃんやメットさんだって大泣きしてたんじゃなかったっけ? ほら、こないだの樹海に行く前の特別訓練で」


「うん。あの時は本当に驚いた。二人ともいきなり真夜中にやってくるなり、アッシュの名前を呼びながら抱きついて二時間ぐらい離れなかった」



 と、ユーリィがしみじみと語る。彼女はアッシュの左隣に座っていた。

 かつての醜態を語られ、アリシアとサーシャの頬が赤く染まる。



「ちょ、ちょっと、ユーリィちゃん!? そんな昔のことを!?」


「だ、だって先生……いきなりあれはちょっと……」



 と、言い訳じみた声を上げる二人に、



「ああ、なるほど。あの日、お前達はクラインの所に逃げ込んでいたのか。どうりで実家に行ってもいないはずだ」



 アッシュの右隣に座るオトハが、ジト目で二人を睨みつけた。

 そんな友人にアッシュは苦笑して、



「まあ、もういいじゃねえかオト。もう時効ということで」


「む。だがなクライン……」


「大体、お前は昔から他人にも自分にも厳しすぎんだよ」


「むむ。しかし、甘やかしては訓練には……」



 と、腕を組み唸るオトハに対し、アッシュはふっと笑った。



「ったく。お前は変わんねえな」



 そして、そう呟くなり彼は――。



「えっ、せ、先生!?」


「アッシュさん!? な、何を!?」


「ア、アッシュ!?」



 三者三様の声を上げる少女達。彼女達は唖然としていた。

 突如、アッシュがオトハの髪に手を伸ばしたのだ。しかも、まるでオトハを宥めるように優しく撫で始めるではないか。

 当人であるオトハは、いきなりのことで目を丸くしていた。

 と、そこでようやくアッシュは自分のしたことに気付く。



「あっ、悪りいオト! ついユーリィにするような感覚で撫でちまった」


「い、いや、少し驚いたが、些細なことだ……」



 流石に動揺しつつ、しどろもどろに答えるオトハ。

 すると、アッシュは心底申し訳なさそうに眉をハの字にして、



「あ~マジですまん。こりゃあ、どうも変な癖がついてんな俺……」


「ま、まあ、気にするな。この程度のこと。人前では気恥ずかしいが、二人だけの時とかだったら、髪に触れるぐらい構わないぞ」


「ん? そうなのか? ははっ、ありがとなオト」



 言って、アッシュは再びオトハの髪を撫で始めた。



「や、やめろ馬鹿! 面白がって触るな! 二人だけの時と言っただろ!」



 カアアァと赤くなったオトハは、アッシュの手を振り払った。

 そんな年長者達の様子を、三人の少女と一人の少年はじいっと見つめていた。

 そして隣同士のアリシアとサーシャが、こそこそと語り合う。



「(……やっぱりオトハさんは強敵よね)」


「(……うん。本当に些細な切っ掛けで一気に進展しそう。凄くまずいと思う)」



 と、危機感を募らせる少女達。

 一方、ユーリィはぶすっとした顔でアッシュを睨みつけていた。

 しかし、その傍ら、唯一の少年であるロックの方は、



(……流石は師匠。意識もせずあんなことをして、しかも許されるのか……)



 と、憧憬の眼差しでアッシュを見つめていた。

 すると、そんな時だった。



「ちくしょう! 楽しそうだなお前ら! いい加減俺も幌の中に入れてくれよ!」



 御者台の方から、今までの会話で一度も出てこなかった少年の声が上がった。

 エドワード=オニキス。

 旅が始まってからずっと御者を務めている少年だ。



「いや、エド。入れるも何もお前は御者だろ? 馬はどうするんだ?」


「お前が代わってくれよロック! 後で飯奢るからさ!」



 そう懇願するエドワードに対し、ロックは視線をアッシュの方へ移した。

 と、同時に全員の視線もまたアッシュに集中する。

 アッシュは腕を組み、厳かに告げた。



「ダメだ」


「し、師匠! お願いしますよ!」



 懇願する相手をアッシュに変えて、エドワードは涙目で叫んだ。



「ダメだと言っている。忘れたのかエロ僧」



 エロ僧とは、アッシュが名付けたエドワードの別称だった。

 アッシュは淡々と言葉を続ける。



「今回の旅行。お前はユーリィの半径三セージル以内に入らない。そう約束したからこそ同行を許可してやったんだぞ」


「け、けどさ師匠……」


「けどさもくそもねえ。この狭い馬車の中、三セージル以上離れるには御者になるしかねえんだよ。お前がそこにいるのは必然なんだ。それとも何か? てめえはうちのユーリィに御者をやらせようってえのか……」



 最後に告げた台詞には、恐ろしいほどの殺気が込もっていた。

 青ざめたロックは慌ててエドワードの制止に入る。



「エ、エド! ここはもう諦めろ! 約束は約束だ!」


「け、けどよお、ロック……」


「今は耐えるんだ! 生きてさえいればいつかは希望もある!」



 何やら撤退する亡国の王子のような台詞を吐きつつ、ロックはエドワードを説得した。

 友人の真摯な言葉に、エドワードは渋々ながらも頷く。

 そしてそのまま御者に専念し始める。ロックは危機を乗り越えホッとした。

 一方、アッシュはエドワードを塵にし損ねて舌打ちした。

 その光景の前に、アリシアとサーシャが再びこそこそと。



「(うわあ……。アッシュさん、オニキスの奴を心底嫌ってるわね)」


「(仕方がないよ。先生にしてみれば、オニキスは愛娘に近付く害虫だし)」


「(まあ、そうよね。むしろまだ生きている方が奇跡なのかしら?)」



 と、かなり酷いことを(のたま)う。

 するとその時、ユーリィがくいくいとアッシュの腕を引いた。



「ん? どうしたユーリィ?」


「アッシュ。私、あの人が怖い……」



 と言って、ユーリィはアッシュの左腕にギュッとしがみついた。



「そっか……。けど、大丈夫だぞユーリィ。あの野郎がお前に近付いたら俺に言え。すぐに塵にしてやるからな」



 アッシュはそう告げると、右手でユーリィの頭を愛しげに撫でた。



「「…………」」



 サーシャとアリシアは無言になった。

 そしてしばらくしてから三度目のこそこそ話を始める。



「(……ユーリィちゃん。ホントは怖いなんて思ってないんでしょうね)」


「(うん。ユーリィちゃんはユーリィちゃんで、どうも最近、愛娘の立場をフル活用しているみたいなの。甘えられる時はとことん甘えているみたい)」



 少女達は溜息をついた。オトハにしろユーリィにしろ、長い付き合いの気安さがなせる業だ。年月のハンデはやはり重い。こればかりはサーシャ達にはどうしようもなかった。


 だがしかし――。



「(けど! 今回の旅行で!)」


「(うん! 必ず進展してみせる!)」



 そんなハンデも何のその。

 互いもライバルであることも忘れて、幼馴染の少女達は闘志を燃やしていた。

 そして色々な思惑を乗せた馬車は、街道をどんどん進んでいく。


 こうして、休暇でありながら、波乱万丈となる三日間の幕が上がったのである。

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