第二章 そのお相手は➂
その時、彼女は悩んでいた。
赤い騎士服とサーコートを纏った女性だった。
年齢は二十歳。スレンダーな肢体を持つ美貌の女性だ。
瞳の色は紫色であり、髪の色も同色だ。腰まで届くほどに長く、前髪は斜めの角度で綺麗にカットされており、銀色の細い留め金で止めている。
彼女の名はシェーラ=フォクス。
フォクス侯爵家の令嬢であり、第一騎士団に所属する騎士でもあった。
「…………」
シェーラは王城ラスセーヌの三階廊下を無言で歩いていた。
その表情はやや険しい。
(……シェーラは……)
グッと唇を噛む。
(……卑怯者であります)
胸元に片手を置いた。
罪悪感で胸が痛む。
彼女がいま幸せかどうかと問われれば間違いなく幸せだろう。
遂に想い人と結ばれたのである。
逢瀬も何度も交わした。
彼の傍にいる時の幸福感は言い表しようもない。
先日。
その彼にプロポーズされた。
シェーラは一瞬呆けてしまったが気付けば承諾していた。
そんな自分を、彼は強く抱きしめてくれた。
だかしかし。
その時からシェーラの心の裡に強い不安と罪悪感が生まれてしまった。
――いや、そうではない。
自分でも気付いている。実際はもっと前からだ。
彼と迎えた初めての夜。
自分の想いが受け入れられて、彼を受け入れて。
そして激しく愛された夜。
正真正銘、シェーラが『女』になった夜からだ。
その痛みも激しい高揚も。
夢現ながらも、心と体が憶えている。
あれほどの幸せはなかった。
だが、あの夜の自分はあまりにも卑怯だったのだ。
それがシェーラの抱く罪悪感だった。
身も蓋もなく言えば、想いを遂げるためにお酒の力を借りたのである。
シェーラが持ち込んだお酒で二人とも酔っていたのである。
たかだか酒だと思う者もいるかも知れないが、シェーラと彼はとある理由から飲酒に対する耐性がほとんどなくなっているのである。
少量が限界だった。いや、アルコール度数が高ければ少量でもアウトだ。
それを踏まえた上で『ゴドーおじさま』は自分たちでも楽しめるアルコール度数が低いワインを持たせてくれたはずなのだが……。
(……いえ)
シェーラは歩きながら、かぶりを振った。
(ゴドーおじさまは気を利かせてくれただけであります)
恩人を悪く言うべきではない。
少なくともそこに悪意などなかった。まあ、あのチャーミングなおじさまのことだ。ちょっとした悪戯心はあったかもしれないが。
(……結局、シェーラがお酒の力に頼っただけなのであります)
まともに告白する勇気がなくて。
酔った勢いで告白したのだ。
少なからず彼が自分を大切に想っていることを知った上で。
彼が絶対に自分を傷つけることはないと確信した上で。
そこに女の武器まで使ってしまった。
激しく酔った状態で若い女に言い寄られて我慢できる男がいるのだろうか。
(……シェーラは……)
足を止める。
(本当に、アランおじさまに愛されているのでしょうか……)
それが不安だった。
次の日の朝。
ベッドの上で目が覚めた時、二人揃って激しく動揺してしまった。
羞恥で真っ赤になるシェーラを彼――アランは強く抱きしめてくれた。
あの時、アランの中に責任感が生まれたのではないか。
生真面目な彼ならあり得そうだった。
あの夜以降も、彼とは何度も肌を重ねている。
もちろん、お酒などはもう口にしていない。
アランは何度も愛を行為で示し、そして言葉にしてくれた。
だが、そこに責任感は本当にないのだろうか。
最悪の言い方をすれば――シェーラにとっては罪悪感で相当にへこむ言い方だが、アランにしてみれば酔った勢いで教え子の初めてを奪ってしまったのである。
世間一般的に見れば非難されてもおかしくない話である。
むしろ責任を感じない方がおかしい。
(……アランおじさま)
気付けば、シェーラはそこで膝を抱えていた。
あまりに考え込みすぎた結果、無意識の行動だった。
ここは廊下。
そこに誰がいるのかも気付かずに。
「……あ、あの?」
不意に声を掛けられる。
シェーラは「え?」と顔を上げた。
そこには、ルカ=アティス王女殿下がいらっしゃった。
オーバーオール姿。何故か大きなサックを背負う王女さまだ。
「で、殿下っ!」
シェーラは慌てて立ち上がって敬礼をする。
「も、申し訳ありません! お恥ずかしいところを!」
「い、いえ」
王女殿下――ルカはかぶりを振った。
「それより体調は大丈夫、ですか?」
ルカの目からは、シェーラが体調不調で膝を抱えたように見えていた。
「だ、大丈夫であります!」
シェーラは顔を真っ赤にして答える。
「ご心配をおかけして申し訳ありません! 考え事をしておりました! その、私事ですが、結婚することになりまして……」
「……え?」
ルカが目を見張る。
「ホ、ホント、ですか! おめでとうございます!」
パチパチパチ、と拍手までして姫君は祝福してくれた。
対する、シェーラは嬉しくもあるが同時に心をさらに痛める。
「いつご結婚されるの、ですか?」
「い、いえ、そこはまだ両家の家族への挨拶とかもありまして」
シェーラが視線を泳がせながら言うと、ルカはポンと手を叩き、
「そう、ですね。結婚にはハードルが多いです、から」
ニコニコと笑って告げる。
「私も色々と苦労しました」
「……え?」
シェーラがキョトンと目を瞬かせた。
「けど頑張って、やっとあの人に私のことを自分の女だって言わせ、ました」
「で、殿下っ!?」
おっとりとしたお姫さまから放たれた台詞にシェーラは目を剥いた。
「え? 何の話でありますか? 殿下のご婚約の話などはお聞きしたことはなくて……」
「市井の人、です。男爵位は持っています、けど」
ルカは言葉を続ける。
「私は、いずれ、その人のところに嫁ぎます」
「……………」
シェーラはパクパクと口を動かしていた。
「あの人がそう言ったから。それは絶対の未来なの、です」
両手を固めつつ、ルカは絶対の信頼を以てそう告げた。
そして、
「大丈夫、です」
ルカは言う。
「シェーラさんが上の空だったのは結婚前で不安なの、ですね。けど、あなたもあなたの愛した人を信じてあげて、ください」
そう告げて微笑む姿は、まるで聖女のようだった。
そして、それはシェーラ以上に『女』である笑みでもあった。
「で、殿下……っ」
その覚悟が違う力に強く打ちのめされる。
だからこそ、気付けばシェーラは動いていた。
「殿下! どうか!」
不敬と知りつつも、勢いのまま殿下の両肩を掴んで、
「どうか、どうか私の、シェーラの懺悔を聞いていただけないでありますか!」
そう告白した。
ルカが「え?」と呟き、目を丸くしたことは言うまでもない。




