第二章 そのお相手は①
その頃。
アリシアの実父であるガハルド=エイシスは唖然としていた。
年の頃は四十半ば。見事なカイゼル髭をたくわえた大柄な騎士であり、アティス王国の第三騎士団の団長でもある彼は一言でいえば強面だ。
若き騎士たちの中には対峙するだけで緊張する者もいる。
しかし、そんな強面も今はキョトンとしていた。
ガハルドの執務室に訪れた親友の報告が、あまりにも突飛だったからだ。
「は? アラン? お前、いま何と言った?」
「い、いや。だからな」
訪れた親友は渋面を浮かべた。
サーシャの父にして、ガハルドと同世代の第一騎士団の上級騎士。
赤い騎士服の上に、今や骨董品のようなブレストプレートを装着し、右手にはヘルムを抱えたアラン=フラムである。
アランは空いた左手で頬をかいて、
「そのな。結婚することにしたんだ」
「い、いや? 誰がだ?」
思わずそう尋ね返す。
が、すぐにガハルドはハッとした。
「まさかサーシャがか! あの子が遂に――」
「ち、違う! つうか、誰がサーシャを嫁に出すかよ!」
アランは少し不快そうに言う。
かなり無下もない雰囲気だ。
サーシャを妻に迎えたいアッシュのハードルは中々に高そうだった。
ともあれ、今はアラン自身のことだった。
「俺が結婚するんだよ」
アランははっきりと告げた。
「お前がか!?」
ガハルドは再び目を見張る。
純粋に驚いた。
アランはサーシャの母である妻・エレナを亡くして久しい。
貴族であれば後継のために後妻を迎えるべきだが、アランは頑なに拒んでいた。
亡き妻を心から愛していたからだ。
後継なら娘であるサーシャもいるから大丈夫だというのが、アランの弁だが、娘である以上、他家に嫁ぐ可能性がある。
もし、そうなると、二百年続くフラム家はアランの代で絶えてしまうことになる。
アランは、いざとなれば養子を迎えるとも言うが、老年ならばいざ知らず、彼はまだ四十代だ。ここはやはり実子が望ましいと周辺は思っていた。
そのため、アランにはそれなりの見合い話が挙がっていたのである。
「あれだけ後妻を迎えることを拒んでいたお前がな……」
ガハルドは苦笑を浮かべた。
最初は驚いたが、すぐに祝福の気持ちが大きくなった。
「おめでとう。アラン」
ガハルドは執務席から立ち上がり、アランの前に立った。
手を差し出す。
アランは少し困った顔をしつつも、ガハルドの手を強く掴んだ。
「ありがとう。ガハルド」
感謝の言葉を返す。
ガハルドはふっと双眸を細めるが、不意にニカっと笑って、
「それで誰なんだ? 聞かせろよ」
アランの首に片腕を回した。
学生時代からの親友ゆえの気安さだ。
「お前のその気にさせるとはな。相手は誰だ? ダレンか? ゴドスか?」
ガハルドが口にしたのは第一騎士団所属の騎士たちの名前だった。
男性のような名前だがどちらも家名だ。
フルネームは、アンジェラ=ダレンと、キャロライン=ゴドス。
二人とも三十代手前ほどの上級騎士である。
二人は部隊長でもあるアランの直属の部下だった。
二人とも結構な美女であり、未婚でもあるので色々と噂されていた。
付き合いもすでに十年以上であって、公私ともにアランと仲が良いことも噂の一因だった。時折、食事にも行っているそうだ。
ただすでに男女の仲であるとまでは噂されていない。
彼女たちがアランと一回り以上世代が離れていることもあるが、何よりアランが亡き妻にベタ惚れであることは有名だったからだ。
しかし、それでもそんな堅物アランの心を射止めるとしたら、きっと、あの二人の内のどちらかだろうとガハルドを含めて多くの者は思っていたのだが……。
「いや。違うぞ」
アランはキョトンとした顔で言う。
「……? なんでそこでアンとキャロの名が出てくるんだ?」
「……いや。真顔で言うなよ」
ガハルドは何とも言えない顔をした。
学生時代は奥手であったせいか、アランは女心には鈍感だった。
あの二人の気持ちを確認した訳ではないが、もし少なからずアランを想っていたとしたら二人も荒れそうだった。
「まァいいが、じゃあ誰なんだ?」
ガハルドは眉根を寄せた。
他に思いつかない。まさか見合い相手とかなのだろうか?
すると、アランは、
「……ゴドーに謀られたんだ……」
そんなことを呟いた。
「……は?」
ガハルドは目を瞬かせる。
ゴドーとはアランとガハルドの学生時代からの友人だ。
破天荒な親友であり、不意に戻って来たと思えば、今はまた異国のどこかへと飛んで行ってしまったようだ。
「いや。どういうことだ? アラン」
「……………」
アランは視線を逸らすが、ややあって嘆息した。
そして、
「……あいつ、俺が酒に無茶くちゃ弱いこと知ってたからな」
「……は?」
「……あの酒のどこがアルコール度が低いだ。あの野郎……」
「……おい。待て」
ガハルドは徐々に表情を強張らせていった。
アランの首に回した腕を降ろす。
長い付き合いだ。
ゴドーの性格も、アランの性格もよく知っている。
「アラン。お前、まさか酔った勢いで……」
「……うぐっ!」
アランが数歩下がって呻いた。
ガハルドは、ヒクっと口角を上げた。
そうして、
「アランッ! お前ッ!」
アランの両肩を掴んで、ブンブンと親友の頭を前後に振る。
「やっちまったのか! ゴドーの悪ふざけで娼館にでも行ったのか! じゃあ、まさか相手は娼婦――」
「ち、違うぞ! 流石にそれは違う!」
アランはガハルドの腕を払った。
「酒の勢いがなかったとはとても言えないが、それでも俺はどれだけ酔っていても好きでもない女は抱かん」
「お、おう。そうだよな……」
少しホッとした様子で頷くガハルド。
確かにアランはそういう男だった。
「抱いたのは俺が惚れたからだ」
アランは言葉を続ける。
「愛しかったんだよ。一途すぎる彼女が……」
小さく息を吐いて、
「気付いた時にはもう抱きしめていた。必死に応えようとする彼女がまた愛しくてな。酒の影響がなくても抑えきれなかったと思う」
ボリボリと頭を掻く。
「その後もだ。何度か逢瀬も繰り返した。俺の気持ちが偽物や罪悪感、ましてや責任感ってモノじゃないってことはもう確信しているさ」
「……そうか」
ガハルドはふっと笑った。
それから親友の肩を叩き、
「おっさんが惚気やがって。まあ、ゴドーの名前が出てきて、しかも酒とか言われた時は流石に焦ったがな」
そこで苦笑を零す。
「酔った勢いの責任感とかじゃないんだな。お前が本気でその女性に惚れたんなら、俺はお前たちを祝福するさ」
「そ、そうか」
アランは、どこかホッとした顔をした。
一拍おいて、
「ありがとな。ガハルド。なら言うよ。彼女の名前は—―」
そうしてアランは彼女の名前を告げた。
生涯において二人目の伴侶として望んだ女性の名前を。
それを聞いた時、
「…………………」
ガハルドは、しばしキョトンとしていた。
そのまま、五秒、十秒と時間が過ぎる。
沈黙だけが続いた。
そうして、ようやく。
「……は? え? はあっ!?」
顔色を変えて、
「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――ッ!?」
ガハルドの驚愕の声が、執務室どころか廊下にまで響くのであった。




