第一章 日々これ好日②
クライン工房は街外れにあった。
馬車で市街区を抜けて、外壁が視認できるほどに進んでようやく見える。
周辺に農家以外の建屋もない店舗。
それがクライン工房だ。
クライン工房は比較的に小さな店舗だった。
少なくとも市街区にある店舗に比べるのなら確実に小規模と言える。
一階は開かれた作業場。二階は住居。人が乗り込む機械仕掛けの巨人――鎧機兵の修理やメンテナンスを主な業務にしている個人経営の店舗だった。
その店には、現在、四人の人物が住んでいた。
まあ、店舗に住みながらも、店員はその内の二人だけなのだが。
「………」
その時。
彼女は洗濯籠を抱えて、黙々と室内を歩いていた。
年の頃は二十代半ばほど。
藍色の髪と、深い蒼色の瞳が特徴的な女性だ。
顔立ちは美しく、抜群のプロポーションだった。ただ、特に印象的なのはメイド服を見事に着こなしているところだった。
彼女の名前はシャルロット=スコラ。
クライン工房専属のメイドさんである。
シャルロットは家事全般を一手に引き受けていた。
今の彼女の目的地は裏庭だった。洗濯モノの回収をするためである。
裏庭には作業場を経由して外に出るか、裏口階段から降りることが出来る。
現在の時刻は四時ごろ。
作業場の方はまだ営業中なので、彼女は裏口階段から向かっていた。
ややあって廊下の奥の裏口に到着。
裏口にも置いてある予備の靴を履き、金属製の階段を降りていく。
(良い天気です)
シャルロットは少し空を見上げて目を細めた。
今日は晴天だった。
時節も『八の月』の上旬。洗濯モノも充分に乾いているだろう。
階段を降りたシャルロットは、そのまま工房横の裏には向かった。
そこには物干し竿と、小さな馬舎があり、そこには二頭の馬がいる。
そして紫色の小さな騎士が人参を与えていた。
腰に大きなスパナを装着した自律型鎧機兵――ゴーレムの九号である。
「……シカト、クエ!」
そんなことを言っている九号に、シャルロットはふっと笑った。
足を進める。
すると、そこにも先客が一人いた。
女性である。
年の頃は、シャルロットより少し年下で二十代前半。
紫紺色の髪に同色の瞳と持ち、右眼の方は眼帯で覆っている美貌の女性だ。
黒い革服に身を包んでいるのだが、今は上半身のみ開けている。そのため、今はアウターでもある黒のタンクトップ姿だった。首筋には汗も流れ落ちているため、抜群のスタイルも相まって、何とも艶めかしい姿でもある。
クライン工房の同居人の一人。
オトハ=タチバナである。
彼女は店の壁沿いに置かれた椅子代わりの丸太に腰を掛けており、ゴクゴクと喉を動かして、ボトルの水を飲んでいた。
「オトハさま」
シャルロットは彼女に声を掛けた。
「自主トレーニングでしょうか?」
「ん? ああ」
オトハは、近づいてくるシャルロットに気付き、ボトルを地面に置いた。
「今日は休暇だったしな」
そう言って、シャルロットに視線を向ける。
オトハは名うての傭兵であり、アティス王国騎士学校の臨時教官も務めていた。
ただ、現状、実質的に傭兵稼業は休職中だった。そのため、今は教官職が本職になっているので、休暇というのはそちらの方だった。
「今日は少し気合いを入れてみた」
立ち上がり、オトハは両腕を腰に当てた。
その仕草だけで豊かな胸が揺れる。
「オトハさま」
シャルロットは少し嘆息した。
「自主トレーニングの重要さは私も理解していますが……」
一拍おいて、オトハにジト目を向ける。
「もう少し人目を気にされてはいかがでしょうか。ここは人通りが少ないとはいえ、道沿いの庭。そのようなお姿は目の毒です」
「ん? そうか?」
オトハはキョトンとした顔をする。
「これぐらい別に構わないだろう?」
「……オトハさま」
シャルロットは、ますますジト目になった。
「あるじさまからお聞きしましたが、傭兵団におられた十代だった頃のオトハさまのあだ名は『迂闊姫』だったとか」
「……う」
オトハは声を詰まらせる。
「ところ構わずに、そのようなお姿でよく歩き回っていたとか。悪癖はまだ直っておられないのですか?」
「い、いや! 今回は気にしてたぞ! 周囲に人がいないことぐらい!」
そう言い訳するオトハに、シャルロットは深々と溜息をついた。
「人がいなければよいという話ではないと思います」
一拍おいて、
「どうも、オトハさまはご自身の魅力に対する自覚と、恥じらいが足りておられないように感じます。そこら辺を強く自覚されるように徹底して欲しいと、後であるじさまにお願いしておきましょう」
「―――え」
オトハは目を丸くした。
が、すぐに顔を赤くして、
「い、いや待て!? お前、何を言う気だ!?」
シャルロットに詰め寄って両腕を取る。
「あいつが意外と意地悪なことはお前だって知ってるだろう!?」
「……ええ」
両手を掴まれたまま、シャルロットは視線を逸らした。
その両頬を微かに朱に染めて、
「それはもう存分に」
そう呟く。
「ですが、これはもう仕方がなく」
シャルロットはわざとらしく溜息をつき、
「ここは、あるじさまにオトハさまの悪癖を直していただかないと」
「ちゃんと直すから! それでいいだろ!」
そう叫んで、慌てて革服の上を着直すオトハだった。
そして半眼になって睨むオトハに、シャルロットはクスクスと笑みを零し、
「仕方ありませんね。ですが本当にお気をつけください」
「……分かった」
完全に主導権を握られてしまったオトハは嘆息した。
それから、コホンと喉を鳴らし、
「それよりシャルロット」
オトハは、シャルロットの持つ洗濯籠に目をやった。
「洗濯モノの回収に来たのか?」
「はい」
シャルロットは首肯する。
「もう乾いているでしょうから」
「そうか。なら私も手伝おう」
傭兵でありながら、何気に家事全般が得意なオトハが言う。
「では、お願いしますね」
シャルロットはそう答えた。
そうして洗濯籠を物干し竿の下に置き、二人は洗濯モノを回収していく。
シャルロット=スコラと、オトハ=タチバナ。
サーシャと同じ花嫁たち。
すでに同居している彼女たちは何だかんだで仲が良かった。
「しかし、やはり少しぐらいは進言した方が良いかも知れませんね」
「だからやめてくれ。多分、あいつ、私には一番意地悪だと思うんだ」
「それはそれで特別なようで羨ましくなるのですが……」
晴れ渡った空の下。
そんな声が裏庭で響くのであった。




