第八章 太陽の王と悠久の乙女⑦
「始まりましたな」
と、ウォルターが呟く。
そこは暗い水面の世界。中央に、水が際限なく溢れ出す銀色の杯があり、その上にこの世界の光源でもある淡く輝く球体があった。
「…………」
そこにはラクシャの姿もあった。
だが、彼は遠見の宝珠を見据えたまま無言だった。
今は静かに、鋼の鬼の姿に注目している。
どうやら弟子には興味もないようだ。
(……やれやれ)
ウォルターは肩を竦めて、自身も遠見の宝珠を取り出した。
そうして、
(さて)
双眸を細める。
(君が何者なのか。見極めさせてもらおうか。青年)
強く宝珠を握る。
遠見の宝珠が、世界を映し出した――。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッッ!」
咆哮が轟く。
先に動いたのは《業蛇》の方だった。
鎌首を後方に仰け反らせて力を溜め、砲弾のような勢いでアギトを撃ち出す!
間合い的には二十セージル程あったのだが、《業蛇》の巨躯には意味がない。
咄嗟に《朱天》は横に跳躍した。
突進は回避できたが、《業蛇》の攻撃はそれで終わらない。
……ズザザザッ!
巨躯を唸らせて疾走。回避した《朱天》を全身で囲う。このまま、とぐろを巻いて圧し潰す気のようだ。
『……チイ』
再び《朱天》は跳躍する。
唯一の出口である上空へとだ。
しかし、《業蛇》はそれを読んでいた……というよりもそう追い込んだようだ。
跳躍した《朱天》の先には、巨大なアギトが待ち構えていた。
「シャアアアアアアアアアア―――ッ!」
無数の牙を剥き出しに《業蛇》が咆哮を上げる。
だが、それはアッシュも読んでいた。
これぐらいの戦略は、固有種ならば当然だ。
牙が襲い掛かる前に《朱天》は右手を突き出した。
放たれるのは膨大な恒力。《大穿風》だ。
《泰君》の巨躯さえも跳ね上げる恒力の大奔流にさしもの王獣も首を大きく仰け反らせることになった。
その隙に《朱天》は宙空で反転、《業蛇》の蛇体を足場に地面へ向けて跳躍!
落下の勢いも乗せた鋼の拳を地面にてとぐろを巻く蛇体に叩きつけた!
土色の蛇体に衝撃の波紋が広がる。
しかし――。
『……クッ』
アッシュは舌打ちした。
蛇体に打ち付けた《朱天》の拳が押し戻されたからだ。
蛇の筋肉が膨れ上がり、《朱天》はそのまま弾き飛ばされた。
すぐさま宙空でバランスを取り、両足で着地して難を逃れるが、操縦棍を握るアッシュの表情は険しかった。
今の攻撃は、落下の勢いまで加えた渾身の一撃だ。
それを容易く押し返されてしまった。
(……固有種は)
どいつもこいつも筋肉の化け物だ。
なにせ、鎧機兵の数倍はある巨体を自在に動かすのだ。
生半可な筋肉や骨格ではない。
あの巨象もそうだったが、どうにも相性が悪い相手だった。
「……仮面さん」
それは、同乗するルカも感じ取っていた。
「どうします、か? 剣とかの武器がないと、効かないみたい、です」
「……いや」
アッシュはかぶりを振った。
「鎧機兵の武器はどっちかっつうと刃物より鈍器に近いからな。並みの武器じゃあ殴るのと変わんねえよ。まあ、オトの『屠竜』でもありゃあ話は違うだろうが……」
かの伝説の魔竜の尾の骨から造られたという刀。
タチバナ家秘伝の大太刀なら、あの蛇体も斬り裂けたかもしれない。
事実、かつて《業蛇》に止めを刺したのはあの大太刀だった。
しかし、ここでは無いものねだりに過ぎなかった。
「まあ、生半可な武器や打撃は効かねえってことだろうな」
そうなると、巨象同様に内部から破壊というのが効きそうだが……。
(あの跳ねまわる象さんに比べると、相手は這いずる蛇だからな)
衝撃をそのまま跳ね返すという手段は、なかなか厳しい状況だった。
だが、ゆっくり思案に耽る余裕もない。そうこうしている内にも《業蛇》は蛇体を動かして、徐々に間合いを詰めようとしているからだ。
今は警戒しているようだが、いつ攻撃に移るかは分からない。
緊迫した空気が大樹海に満ちる。
そんな中――。
「……しゃあねえな」
アッシュは苦笑を零した。
武器もない。
拳は効かない。
技も通じない。
なかなかの苦境だ。
だが、
「この際、小細工はなしだ」
――ゴウンッ!
アッシュの呟きと共に、《朱天》が両の拳を叩きつけた。
それだけで大気が震える。
対し、
「……シャアアア」
双眸を細める《業蛇》。
同時にゆっくりと鎌首をもたげた。
そして、
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッッ!」
天へと顔を上げて咆哮を上げる。
その声もまた大気を震わせた。
それどころか、木々も大地さえも震えさせた。
勝ち残りし、最強の王獣。
それはまさしく王者の咆哮だった。
だがしかし。
――ズシンッッ!
対峙する鋼の鬼は、雄々しく震脚を打ち下ろした。
そして静かに拳を構える。
王獣を前にしても怯む様子は一切ない。
『これが最後の決戦だ』
アッシュは告げる。
言葉は通じなくとも意志は通じると感じて。
『派手に行こうじゃねえか。《業蛇》』
すると、《業蛇》は、
「……シャアアア」
楽しそうに双眸を細めた。
『はは。乗り気ってか』
アッシュは笑う。
『そんじゃあ始めようぜ!』
そう宣言する。
《朱天》が、ガパリとアギトを開いたのはその直後だった。




