第八章 太陽の王と悠久の乙女⑥
『……西方天だと?』
アッシュは眉根を寄せた。
『聞かねえ名だな。何モンだ?』
そう問い質すが、闇から現れた男は無言だった。
ただ、静かな眼差しで《朱天》を見据えている。
その傍らで、何故かウォルターが苦笑いを浮かべていた。
それがさらに十数秒ほど続く。
『……おい』
流石にしびれを切らせてアッシュが表情を険しくすると、
「……その絡繰り人形」
おもむろに男――ラクシャが口を開いた。
「……神気、いや、強大な魔気を帯びているな」
『……は?』
ますます眉をしかめるアッシュ。
『何を言ってんだ?』
「そして」
ラクシャは構わず《朱天》を指差した。
その胸部装甲に刻まれた紋章を――。
「悠月と共にある黒き太陽の紋章。その絡繰り人形があの御方の魔王具であることは確かなようだな。だが……」
そこで瞳を細める。
「貴方自身があの御方であるかはまだ分からぬ。やはり試す必要があるか」
『お前、さっきから何言ってんだよ?』
流石にアッシュも困惑してくる。
「……いやはや」
すると、唐突にウォルターが肩を竦めた。
「すまないな。青年。どうも我が師はコミュニケーションが下手でな」
そんなことを言う。
「まあ、真理に辿り着いた者の言葉は常人には理解しがたいものだと思ってくれ」
『……そうかよ』
アッシュはウォルターを一瞥した。
同時に《朱天》が、ギシリと鋼の拳を固める。
『何にせよ、そいつが今回の黒幕なんだろ? だったら、てめえと一緒にここで塵にすりゃあいいってことだな』
そう宣告するアッシュに、
「ははっ、それは困るな。私も巻き込まれただけだぞ」
そう軽く返して、ウォルターは再び肩を竦めた。
この老紳士の神経も、相も変わらず太々しかった。
「……ふむ」
一方、その師であるラクシャは、
「そうか。それは都合がいいな。貴方もやる気のようだ」
そう呟いて、カツンと樫の木の杖を大樹の枝に打ちつけた。
直後、どこか遠くで巨大な何かが降り立ったような轟音が響いた。
轟音はそのまま途切れることなく、徐々に大きくなっていく。
大樹の森を切り拓いて、をこちらに近づいてくる音だった。
「か、仮面さん……」
アッシュの背中を掴むルカが肩を震わせた。
アッシュは「大丈夫だ」と、ルカの腕に片手で触れる。
ここに来てこの轟音。
何が向かって来ているのかは容易に想像できた。
『……固有種を喚んだか』
恐らくは転移陣。
以前、対峙した《冥妖星》と同じ能力だろう。
それにより固有種を近くに転移させたのだ。
「うむ」
ラクシャは肯定する。
「勝ち残った最後の王獣だ。貴方が倒した《泰君》の力は、貴方を倒すことによって委譲されることになるだろう。蟲毒の儀式は完了だ。しかしだ……」
深淵の魔術師は、改めて《朱天》――その中にいるアッシュを見据えた。
「勝てずともよい。むしろ器の完成よりも、御身の存在証明の方が重要と考える」
『……お前の話はマジで分かんねえな』
アッシュは小さく嘆息した。
もはや意志疎通は不可能なのかと考え始める。
「いずれにせよだ」
ラクシャは続ける。
「これが最後の決戦となる。願わくば――」
――すうっと。
ラクシャの背後に闇が広がった。
「貴方が存在証明してくださることを期待する」
そう告げて。
ラクシャは闇の中へと吸い込まれていった。
「ふむ。では」
続けて、ウォルターも半身を闇の中に沈めた。
「私もお暇することにしよう。我が師と共に君の活躍を見せてもらうよ」
『おい! 待て! クソジジイッ!』
アッシュが《朱天》を跳躍させるが、拳を突き出した瞬間には、ウォルターの姿は闇と共に消えてしまっていた。
『チィ。逃がしたか……』
アッシュが渋面を浮かべると、
「か、仮面さん!」
ルカが声を上げた。
「何か、来ます!」
「ッ!」
アッシュは表情を険しくした。
同時に《朱天》を跳躍させて、大樹の枝から跳び下りた。
直後、
――ゴウッッ!
膨大な濁流が大樹に直撃した!
白い煙が吹き荒れて、直撃した部位から大樹がゆっくりと倒れていく。
凄まじい勢いで遠ざかるその光景を目に焼きつけつつ、アッシュは《朱天》を反転、ズズンッと両足で大地に着地した。
そして――。
『……よう』
《朱天》は顔を上げて、アッシュは不敵に笑った。
『また遭えて嬉しいぜ』
およそ二十セージルほど先。
そこには巨獣がいた。
紅い眼光に、矢じりで覆ったような土色の鱗。無数の牙を持つ巨大なアギトからは赤い舌がのぞいている。鎌首をもたげるその蛇体は、確か三十セージルほどだったはずなのだが、今や五十セージルにも届く大きさになっている。
大樹を薙ぎ払ったのは《強酸の息》だろう。
『勝ち残ったのはお前ってことか』
アッシュは、ポツリと呟く。
――最後の王獣。
それは因縁深き《業蛇》であった。
『あのジジイどもを逃がしたのは痛恨だが』
アッシュの呟きと共に《朱天》は胸板の前で両の拳を打ちつけた。
『せめて、てめえだけはここで始末させてもらうぜ』
言って、《朱天》は拳を構えた。
それを見て《業蛇》は紅い双眸を細める。
ズズズ……と巨体を動かして鎌首をさらに上げる。
臨戦態勢。
問答無用の先手も含めて、すでに《朱天》を強敵だと睨み据えているようだ。
鋼の鬼と、もはや竜のように見える蛇は対峙する。
そうして――。
「シャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッッ!」
最後の王獣の咆哮が、大樹海に轟くのであった。




