第八章 太陽の王と悠久の乙女②
時間は三時間ほど遡る。
すでに日が沈んだ森の中で。
「……どうにかなったな」
アッシュは工具箱を片手にホッとした表情を見せていた。
傍らには両膝をつく《朱天》の姿がある。
「……ナオッタカ! ヘンジン!」
上空を旋回していたオルタナがアッシュの肩に止まった。
「ああ」
アッシュは苦笑を浮かべつつ答える。
「人工筋肉が断裂しかけていたり、予想していたよりも損耗は激しかったが、いくつか予備パーツに変えてどうにかなったよ」
「……ウム! ソウカ!」
嬉しそうにオルタナは翼を広げた。
「……コレデ、マタ、タタカエルカ!」
「ああ」
アッシュは頷く。
「少なくとももう一戦は可能だな」
そう言って、相棒に目をやった。
巨象との戦いには、やはり相当なダメージを受けていた。
内部はもちろんのこと、装甲にも幾つもの傷がある。
五体こそ健在ではあるが、とても万全と呼べる状態ではない。
「出来ることなら一度、工房に連れて行ってやりてえところだが……」
流石にそうもいかない。
「もうひと頑張り、頼むぜ。相棒」
アッシュは《朱天》の装甲をコツンと拳で叩いた。
これぐらいの危機は今まで何度もあったものだ。
この程度で参るような相棒ではない。
「さて」
アッシュは工具箱を《朱天》のバックパックにしまうと、肩に止まるオルタナを連れて操縦席に乗り込んだ。
操縦シートに座り、胸部装甲を閉じて《朱天》を起動させる。
胸部装甲の内面に外の映像が映し出された。
「……ルカヲ、サガスノカ?」
「出来ればそうしてえんだが……」
アッシュは小さく嘆息する。
「流石にこの大樹海の中じゃあ見つけられねえよ。固有種の方の気配を探る。残り何体かも確認しておきてえしな」
そう告げて、アッシュは《朱天》を跳躍させた。
もう少し開けた場所で《星読み》を使うつもりだった。
大樹の枝から枝へと跳躍し続ける。
そうして、大樹の間からやや大きな広場が見えてきたその時だった。
「……ギャワッ!」
突然、オルタナが声を上げた。
耳元で大声を上げられ、アッシュは眉をひそめた。
「おいおい。いきなり大声出すなよ」
と、オルタナに文句を言おうとしたら、
「……ミツケタ!」
オルタナは翼まで広げてさらに叫んだ。
「……ルカ、ミツケタ!」
「――なに!」
アッシュは目を瞠った。
同時に《朱天》が大樹の枝に着地して制止する。
視線をオルタナに向ける。
「どういうことだ? オルタナ!」
「……ジュシン、シタ! ジュシン、シタ!」
オルタナはそう叫ぶ。
「ジュ、シン……?」
眉根を寄せるアッシュ。
が、すぐにハッとする。
「まさか発信機か! ルカ嬢ちゃん、そんなものまで用意してたのか!」
「……ソウダ!」
オルタナが肯定する。
「……ルカカラノ、ハッシンヲヒロッタ! チカクニイル!」
「マジかよ……」
アッシュは目を見開くほどに驚いた。
これは望外の事態である。
正直、自分とは思えない幸運である。
「残りの人生の運でも使い切っちまったのか?」
思わずそんな台詞を口にする。
が、すぐに思い直した。
仮に自分の運をすべて使ったとしてもこんな幸運は訪れない。
それぐらいに自分の不運は理解している。
だとしたら、これは――。
(……ルカ嬢ちゃんの方の運か)
ほんわか王女さまのことを思い浮かべる。
自分と違って、あの子は天に愛されていそうだ。
まさしく幸運の女神である。
「……ははっ」
つい笑みも零れてくる。
が、すぐに、
「よし」
アッシュは表情を引き締め直した。
まさに千載一遇の好機だ。ここを逃す手はない。
「オルタナ」
肩のオルタナを一瞥して声を掛ける。
「ルカ嬢ちゃんのところまで案内できるか?」
「……ウム! マカセテオケ!」
オルタナは自信満々に答えた。
◆
十分前。
夜となった大樹の枝の上でルカは一人震えていた。
両肩を押さえて、しゃがみ込んでいる。
寒い訳ではない。
彼女の纏う操手衣は防寒性にも優れている。
おかげで夜になってもそこまで寒さを感じることはないが、ルカが震えているのは、緊張と恐怖からだった。
あの老紳士にいつ見つかるかもしれないという緊張。
そして、あまりにも高い場所に居続けるという恐怖だった。
時折、強い突風も吹くため、ルカの恐怖は刻一刻と強くなっていた。
「………ううゥ」
ずっと我慢している涙もそろそろ限界だった。
高所の恐怖に加え、心細さで体の震えが止まらなかった。
「……仮面さん」
強く唇を噛んで呟く。
「………うううゥ」
名を口にした時、我慢の限界が来たのだろう。
ボロボロと涙が零れてきた。
「……仮面さん、アッシュさん……」
ヒック、ヒックと嗚咽も漏れる。
「アッシュさん、助けて、アッシュさん……」
と、助けを求めたその時だった。
黒い何かが彼女の視界の端に映った。
「え?」
ルカは目を見開いて顔を上げた。
直後。
音もなく。
ルカから少し離れた場所に巨人が現れた。
紅い四本角に白い鋼髪。
漆黒の竜尾を揺らす《煉獄の鬼》を彷彿させる巨人だ。
ルカにとっては見覚えのある巨人だった。
「…………あ」
ルカは立ち上がり、ふらふらと巨人に近づいていった。
すると、
……プシュウ、と。
黒い巨人――鎧機兵の胸部装甲が開かれた。
その中から白いつなぎを着た青年が跳び降りていく。
「………うあ」
ルカは誘われるように駆け出した。
今にも倒れてしまいそうな頼りなさだ。
事実、彼女は樹皮に足元を掬われ、前のめりに倒れそうになった。
その時。
「――ルカ!」
力強い腕に体を支えられる。
ルカは「あ」と顔を上げた。
そこにいたのは――。
「……ルカ」
安堵した表情を見せる青年だった。
「……アッシュさん……」
青年の腕を掴み、ルカの瞳からポロポロと涙が零れ落ちる。
「……ルカ」
アッシュはそんな少女の頬に触れて親指で涙を拭った。
「本当に、無事で良かった」
そうして、強く抱きしめるのだった。




