第七章 勝利を掴め②
(さて。どう動くか)
牙の巨象を前にしてアッシュは双眸を細めた。
初戦にて、相手の手の内はある程度分かっている。
近距離、中距離、遠距離。
鈍重そうな姿からは想像しにくい万能タイプ。
ゆえに初手が読めない相手でもあった。
今もゆっくりと鼻を動かしつつ、こちらを窺っているようだ。
互いに動きにくい状況である。
とはいえ、
(考えていても仕方がねえか)
アッシュは決断する。
やはり睨み合いなど性に合わない。
アッシュの意志に呼応して、《朱天》が一歩前に踏み出した。
しかし、睨み合いが性に合っていなかったのは巨象も同様のようだった。
「――バオオオッ!」
全く同時に動き出したのである。
それも一歩踏み出すような動きではない。
ドンッ、ドンッ、ドンッ!
周囲の木々を震わせて、連続で地響きを立てる。
その場で巨象が弾み始めたのだ。
短い脚で跳ねるその姿は、山のような大きさからして馬鹿げている話なのだが、まるでボールのようだった。
それがリズムよく跳ねているのである。
「……おい。待て」
アッシュはそれを見て目を見開いた。
顔が引きつってくる。
……まさかとは思う。
だが、この巨大な魔獣が今していることとは――。
そう考えた瞬間だった。
突如、巨象が跳んできたのである。
それはとても軽やかに。
「マジか!? お前ッ!?」
アッシュは思わず叫んでいた。
――そう。まるで拳闘士のように。
この巨象はリズムを取り、軽快な足さばきを使ってきたのである。
しかし、軽快といっても巨大な体は重厚な壁のようだ。
アッシュは咄嗟に《朱天》を横に跳躍させて回避した。
巨象はそのまま通り過ぎるが、後方で地を蹴ると、跳ねるような足取りで弧を描き、軌道を変更してくる。
とても象の動きではない。
動きだけで言うのなら猫科を思わせるような軽やかさだ。
ただ、流石に無音とはいかず、一歩ごとに地響きを立てているが。
「――バオオオッ!」
巨象は跳躍で間合いを詰めつつ、拳の代わりに鼻を突き出してくる。
例えるならストレートの拳。
まるで槍のごとき一撃だ。
「……ギャワッ!」
後ろに積んだ荷物に掴まるオルタナが悲鳴を上げた。
「……カワセ! ヘンジン!」
「言われるまでもねえよ!」
アッシュは《朱天》を走らせる。
鼻は一瞬前まで《朱天》がいた場所を貫いた。
鼻は瞬時に戻る。
巨象も駆け出しながら、再び鼻を撃ち出した。
走り続ける《朱天》を追う形で軌道を変えてくる。
このままでは攻められる一方だ。
しかし、これを由とするアッシュではなかった。
「舐めんじゃねえよ!」
そう呟き、アッシュは《朱天》の足を止めさせた。
急停止に足が火線を引く。《朱天》はその場で身構えた。
そして襲い来る鼻を、機体を屈めさせて回避して即座に反転。両腕で鼻を掴んで肩に担ぐと、そのまま勢いで背負い投げに持ち込んだ。
「――バオォ!?」
山のような巨体が宙に浮かぶ。
巨象は目を見開いたまま、背中から地面に叩きつけられた。
――ズズゥンッ!
凄まじい衝撃が大樹海に響く。
その場には隕石が直撃したかのようにクレータ―が生まれた。
これだけでは致命傷には程遠い。
しかし、巨象は仰向けに倒れ込むことになった。
この巨体では立ち上がることも困難なはずだ。
その上、無防備な腹を剥き出しにすることになる。
千載一遇の好機。
ここで強力な一撃を喰らわせば、戦況は一気に有利になる。
そう考えた――のだが、
「……おい」
アッシュは眉間にしわを寄せた。
倒れた巨象が、いきなり体を大きく捩じり始めたのである。
そして、
――ギュルンッ!
まるでゴム毬のように。
全身の筋肉を使って回転したのだ。
巨躯で地を削って宙へと跳ぶ。回転は全身――すなわち鼻へも伝わり、それを掴んでいた《朱天》は弾き飛ばされることになった。
「……くそ」
アッシュは双眸を細める。
荷物は固定されているので、それを掴んでいるオルタナが飛ばされるようなことはなかったが、「……ギャワッ! ギャワッ!」と叫んでいた。
そんな同乗者の悲鳴をよそに《朱天》は空中で軽やかに体勢を整え、ズザザザッと両足で地面に着地した。
「……お前、もう象じゃねえだろ」
アッシュは思わずそう告げた。
巨象は、すでに四本の足でしっかりと立っていた。
信じ難いレベルの筋力と骨格だ。
固有種といえどもベースとなる生物の特徴は持っているモノだ。
例えば《業蛇》ならどれほど巨大でも『蛇』であるように。
しかし、この巨象は違う。
姿形こそ『象』ではあるが、その動きは別物だ。
桁違いの筋力と骨格を持った結果、自重をモノともしない動きを手にしている。
見た目は『象』だが、むしろ獅子や虎に近いのかもしれない。
(いずれにせよ、生半可な打撃は通じねえだろうな)
そう判断する。
まさしく筋肉の鎧――否、城砦だ。
打撃ではどれほど積み重ねても疲労にも至らないだろう。
例え、それが《朱天》の剛拳であってもだ。
(厄介だな。だが……)
アッシュは操縦棍を強く握り直した。
同時に《朱天》の双眸が紅く光る。
さらにはガパリと口を開き、大きく息を吸うように胸を張った。
数秒後、紅い四本角の内の前二本が鬼火のような輝きを放ち始めた。
外付けの《星導石》。《朱焔》を解放したのだ。
増大する《朱天》の恒力。
「相性が悪いなんて泣き言も言ってらんねえからな」
アッシュは不敵に笑う。
――ドゴンッ!
《朱天》は両の拳を胸元で叩きつけた。
一方、巨象もゆらりと鼻を揺らしていた。
ズズン、ズズン……。
最強の魔獣は巨体を震わせて歩き出す。
その覇気に一切の衰えはない。
緊迫感だけが増していく。
そして、
『さて。象さんよ』
アッシュはこう告げた。
『こっから先はもう一段階飛ばして行こうぜ』




