エピローグ
「……選別が始まったか」
大樹海の奥。
大樹の枝の上にて、深淵の魔術師は、左手に握る宝珠へと目をやった。
陽炎のように表面が揺れる宝珠。
数秒ほど経つと、そこには、激突する魔獣たちの姿があった。
ただの魔獣ではない。
共に三十セージルを超す巨躯を持つ大魔獣だ。
魔術師が厳選した固有種たちである。
「《猿羅》と《王馬》……」
アロンの魔の森にて猛威を振るった魔猿と、オズニアの大草原を統べた巨大なる猛馬は、すでに一昼夜戦い続けている。
その力は、拮抗していると言える。
流石は王の『器』たる者たちか。
「……ふむ」
魔術師の宝珠は、別の場所を映し出した。
そこには、大樹海を闊歩する巨大な獣の姿があった。
ただ歩くだけで地響きを立てる巨体だ。その巨躯は《猿羅》たちを凌ぐほどだった。近隣の魔獣たちは怯えて身を隠すか、脱兎のごとく逃げ出している。
「……こやつは未だ遭遇せずか」
再び、宝珠の場所が入れ替わる。
新たに映し出された場所は、廃都市の遺跡のようだった。
そこでは醜悪な大蜘蛛と、巨大すぎる怪蛇が対峙していた。
大蜘蛛は脚の一つを失っていた。
その周辺には、王たちの戦いに巻き込まれたか、鎧機兵の集団の姿もあった。
「エルサガの死樹海の王、《死蜘蛛》。そして――」
魔術師は、双眸を細めた。
その眼差しに映るのは、ゆらりと巨大な鎌首をもたげる怪蛇だ。
「《ドラン》の王。《業蛇》か」
ふん、と鼻を鳴らす。
「怠惰な蛇という話だが、流石に狭間を彷徨うのは堪えたか」
暴食と怠惰で知られる怪蛇は、今は眼光を赤く光らせて戦意を見せている。
もう殺されるのは御免だ。
言葉は発さずともそう語っているような気がした。
魔術師は、ふんと鼻を鳴らした。
「それでいい。その気にさえなれば、貴様は他の者たちにも劣らぬ」
カツン、と右手の樫の杖で枝を打ちつける。
「貴様には特別に手をかけたのだ。意地を見せよ」
その声が聞こえた訳ではないだろうが、《業蛇》は咆哮を上げた。
それに応じるように、《死蜘蛛》も前へと踏み出した。
脚の一つを奪われても戦意は充分のようだ。
蜘蛛と蛇。
種族としての不利はあるだろうが、同サイズならばそれも些細なことだ。
魔獣たちの勝敗は、未だ分からない。
「……さて」
魔術師はすっと宝珠を虚空に消すと、一歩踏み出した。
ここは大樹の枝の上。すなわち宙空に足を踏み出したのだ。
だが、驚くべきことに落下はしない。
ゆっくりと、地に向かって降り始めたのである。
ややあって、地面に到着した。
魔術師は歩き出す。
生身で歩くことは、自殺行為にも等しい大樹海を平然と進む。
近くには魔獣や獣の気配もあるが、どうしてか魔術師に襲い掛かる様子はない。
魔術師は黙々と進んだ。
そうして、しばらくして……。
「……ふむ」
顔を上げる。
そこは大樹の前だった。
樹齢は、数千年は超えるだろうか。
天を突き、神々しささえも宿す巨大樹である。
目の前に立てば、幹の端が見えないほどだ。
「これならば充分だな」
その壁の如き樹の幹に、魔術師はコツンと樫の杖を当てた。
すると、
――フオン、と。
奇妙な空間が幹に現れた。
まるで幹の内部へと導く扉のようだ。
「うむ」
人が充分に通れるほどの大きさのその空間に、魔術師は脚を踏み入れる。
一瞬の暗転。
次の瞬間には、世界が変わっていた。
暗い水面の世界。
中央には、水が溢れ出す銀色の杯がある。
人が両手でようやく抱えれそうな巨大な杯だ。
その杯の上には淡く輝く球体があった。
それが唯一の光源となって、この暗い世界を照らしているのである。
魔術師は湖面を揺らし、その杯の前まで移動した。
「中々に大地の精を吸い上げておる」
魔術師は、輝く球体を見やる。
「しかし、まだ足りぬな」
言って、左手を球体へと突き出す。
すると、ドプン、と杯の水がより多く溢れ出した。
それと同時に、球体はさらに輝き始めた。
「少々時間はかかるが、これでよい」
魔術師はふっと笑う。
そうして、くるりと球体に背を向け、
「勇猛なる御方さま!」
両腕を広げ、高々に声を張り上げた。
「永き、永き時をお待たせいたしました。臣として心苦しくございます。されど、ようやく時が満ちましたぞ」
カツンと樫の杖を突く。
「魔王の中の魔王。煉獄の覇竜! 我が偉大なる王よ! 御身が臣、西方天・ラクシャが御身を狭間の牢獄より解き放ちましょうぞ! おお!」
心が震えるのを抑えきれない。
魔術師は、世界へと告げた。
「――時は来たれり! 今こそご帰還の時! 偉大なる煉獄王よ!」
第16部〈了〉
読者のみなさま。
本作を第16部まで読んでいただき、誠にありがとうございます!
第16部以降も基本的に別作品の『骸鬼王と、幸福の花嫁たち』『悪竜の騎士とゴーレム姫』と執筆のローテーションを組んで続けたいと考えております。
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