第七章 不変の湖②
「……ふむ」
場所は変わって、大樹海の一角。
大樹の中でも、一際巨大な樹の枝の上。
大樹海を見渡せる場所にて、ウォルター=ロッセンは目を細めた。
「師を手伝うのはいいとして……」
首を傾げる。
「いささか以上に騒がしくはないかね?」
広大な大樹海。
この場を監視して、気付いたことがある。
朝から、この森に相当な数の鎧機兵が踏み込んでいるのだ。
森とは資源の宝庫だ。
従って、人が入り込むのは当然ではあるが、この数はどうにも異様だ。
しかも、少数のチームに分かれて行動しているようである。
「……ふむ」
ウォルターは、師より預かった宝珠を取り出した。
そこには、大樹海の各地が次々と映し出された。
「やはり多いな」
映像には、かなりの高確率で鎧機兵の姿が映り込んでいた。
中には、ベースキャンプを設置している光景もある。
「見たところ、調査隊のようだが……」
ここまで大規模の調査とは一体……。
疑問には思うが、ウォルターは苦笑を浮かべた。
「まあ、別に構わないか。我らの目的には影響もない」
師より命じられたのは観測だ。
そのためにこの『遠見の宝珠』も授けられた。
そして、これを使うのは予定外の乱入者たちにではない。
今、この大樹海にて、主役を張る者たちを観測するためだ。
いや、正確に言うならば、主役をもぎ取ろうとしている者たちか。
ウォルターは、宝珠に目をやる。
再び映像は次々と切り替わる。
日差しも入り込まないほどに深い森。
獣たちが喉を潤す澄んだ湖。
樹海を分断する大きな川。
そして、
「……ほう」
ウォルターは双眸を細めた。
そこに映るのは、大樹海の一角だった。
しかし、他の光景とは明らかに違う。
多くの獣や魔獣たちが、われ先と逃げ出しているのだ。
ウォルターは知る由もないが、それは、かつての大暴走を彷彿させるものだった。
そんな中を、
――ズズゥン、ズズゥン……。
途方もない巨体が進んでいく。
木々を片手でへし折り、邪魔をするモノをすべて排除していく。
それは、巨大すぎる猿だった。
漆黒の毛並みに、真紅の双眸。
異様に太い両腕の筋肉は、まるで鋼のようだった。
かつて、とある小国にて。
その鋼の怪腕で百の鎧機兵を潰したと言われる暴虐の魔猿だった。
「……固有種・《猿羅》」
ウォルターは、その名を呟いた。
すると、今度は別の方角から、重い足音が響いた。
《猿羅》にも劣らない超重量級の足音だ。
加え、《猿羅》よりも、歩く速度が速い。
そうして、
「……ブルゥゥ」
暴風のような鼻息と共に、それは姿を現す。
邪魔な木々を頭突きだけで根こそぎ吹き飛ばす膂力。
それは、三十セージルを超す《猿羅》にも匹敵する巨大な馬だった。
紫色に妖しく輝く皮膚。
鬣と尾は黒く、蹄も黒い。
ズシンッと一派踏み出すことに、蹄の後を深く大地に刻みつけていた。
遥かなるセラ大陸の西方にある大草原。
その地の覇者として君臨していた怪馬である。
「……固有種・《王馬》か」
ウォルターは、双眸を細めた。
どちらも、恐るべき固有種だった。
「やはり恐ろしいな、我が師は……」
悪魔を志すウォルターであっても、冷たい汗を流さずにはいられない。
全くもって、師の手腕には恐れ入る。
あのような怪物たちを、どうやって捕縛したのやら……。
しかも、あの信じ難き秘術。
ウォルターは、青き湖の地で見せつけられた師の秘術に、表情を消した。
あればかりは本当に恐ろしい。
「深淵はどこまでも深いという訳か。私もまだまだだな」
と、そうこうしている内に、二大魔獣は大樹海にて対峙した。
元々、固有種は縄張り意識が非常に強い。
互いの縄張りにこのような魔獣がいれば、対峙するのは当然の成り行きだった。
……ズンッ!
魔猿・《猿羅》が、巨拳を地に打ち付けた。
……ヒヒイィィンッ!
怪馬・《王馬》が、雄々しきいななきを上げる。
そして――。
二大魔獣は、同時に駆け出した。
《猿羅》は巨拳を振り上げて。
《王馬》はその巨剣を頭突きに迎え撃つ。
かくして、別格の二体の魔獣は激突した。
ただ、それだけで周辺の木々が震える衝撃だ。
遠見の宝珠を通して、ウォルターは、その様子を観察する。
「……ふむ」
激突は、凄まじいものだ。
狙いを外した巨拳や、蹄が気に掠っただけで抉れ、吹き飛ぶほどだ。
だが、この壮絶さも当然だ。
なにせ、二体とも、騎士団が総出でなければ対処できない魔獣なのだから。
「これが『王』同士の戦いか」
ウォルターは、興味深く観察した。
元より、ウォルターは傍観者であらんとする男だ。
従って、眼は肥えていたつもりだが、それでもこれには流石に魅入る。
「……ふふ」
思わず笑みを零した。
「愛憎劇も素晴らしいものだが、たまには純粋なる戦いというものもいいな。これは師に感謝すべきか」
面倒な仕事かと思ったが、これはこれで楽しめそうだ。
魔獣たちの戦いは、周囲を巻き込んで激しさを増していく。
その様子を見やり、
「……ふむ」
ウォルターは、ふっと笑う。
「いいだろう」
そして、悪魔を自称する男は肩を竦めて呟いた。
「折角だ。師の命に従い、見届けようではないか。この王たちの戦いの行方をな」




