第四章 決意の旅➂
ガラガラガラッ、と。
軽快な車輪の音と共に、旅は続く。
御者台の上で、アッシュは周辺の景色に目をやった。
『ラフィルの森』を通り抜け、およそ一時間。
光景としては、ずっと草原が続いていた。
街道沿いに見えるのは、地平線のみ。
この位置では、島国であっても海岸は見えない。
草原には、時々牛の群れなどが草を食べている姿が見せる。
陽気な天候もあって、実に牧歌的な風景だった。
(むしろ、忙しいのは街道の方だな)
アッシュは、視線を前に向けた。
アッシュが手綱を握る王家御用達の豪華な馬車。
大きな存在感を放つ馬車だが、今、街道を進むのはこの馬車だけではなかった。
少なくとも、視界内には、三台の馬車の姿が確認できる。
少し前に並ぶ二台。少し先行する一台だ。
どれも、かなり大きな馬車だ。恐らく目的地は一緒なのだろう。
「……今回のライバルって訳か」
アッシュは苦笑を浮かべる。
目的地には、もっと多くの馬車の姿があるに違いない。
「やれやれ」
アッシュは嘆息した。
「今回も、かなり苦労しそうだな」
アッシュがこの手のイベントに参加しないのは、大抵トラブルに巻き込まれるからだ。
皇国の誕生祭に参列すれば、テロに出くわした。
鉱山都市グランゾの『星導石ラッシュ』の時は、暗躍に巻き込まれた。
こないだの《夜の女神杯》など、ただ見物していただけだというのに、スペシャルマッチとやらに参加させられたぐらいだ。
とにかく自分は、気付けば、トラブルに巻き込まれていることが多い。
よって、大規模なイベントには参加したくないのが、アッシュの心情だった。
だが、今回ばかりはそうもいかない。
すでに嫁にすると決めた女性が五人。
もしユーリィも嫁にするとしたら、自分には六人の妻が出来ることになるのだ。
惚れた女に対しては、自分でも驚くほどに強欲なのだと気付いた今では、さらに増える可能性も否定できない。特に、すでに告白されているミランシャに関しては。
ただ、仮に増えなかったとしても、別の意味では増えて欲しいと思っている。
――そう。子供だ。
自分の愛する嫁さんたちは、みんな綺麗だった。
自分には、勿体ないほどの奥さんたちだ。
運悪く、アッシュに特別に似ない限り、男の子であっても美男。女の子ならば、美人になるのは確実だった。
亡くなった両親にも、可愛い孫が生まれた報告をしたい。
遠くで暮らす弟も、きっと喜んでくれるに違いない。
だが、可愛い子供が生まれても、貧困であっては申し訳ない。
健やかに育てるためにも、お金は絶対に必要だった。
(そのためには、この機会を絶対にモノにしねえとな)
手綱を強く握りしめて、アッシュは決意を固める。
と、その時だった。
――コンコン、と。
車内へと続くドアがノックされた。
アッシュは視線を向けて「ん? どうした?」と尋ねると、ドアが開けられた。
「師匠」
そう言って、ドアから出て来たのは一人の青年だった。
赤い騎士服を着た、精悍な風貌の青年。
サンク=ハシブルという名の騎士だ。
王さまが愛娘の護衛につけた、若手の中でも最強の騎士らしい。
「ああ。ハシブルさんか」
アッシュは破顔した。
今回の旅では、どうも女性が多いので彼には親近感を抱いていた。
サンクも、人懐っこい笑みを見せた。
「サンクでいいですよ。師匠。年齢も近いですから」
「おう。そっか」
アッシュは笑う。
「じゃあ、俺もアッシュでいいよ」
「いえ。自分にとって師匠は師匠ですから」
「……そっか」
どうにも、この国ではアッシュを名前で呼んでくれる人間が少ない。
というより、この国で出会った友人で、自分を名前で呼ぶ者は一人もいなかった。
(それにしても、初対面の相手にまで、なんで師匠なんだよ)
アッシュは小さく嘆息しつつ、
「何か用かい?」
「ええ。そろそろ、御者を代わろうかと思いまして」
「おう。そうか」
アッシュはふっと笑った。
「ボレストンまで、あと二時間ぐらいか」
前方を見やる。微かにだが、遠くに巨大な森の影が見えた。
――『ドランの大樹海』だ。
「そうだな……」
大樹海の影を一瞥して、あごに手をやる。
「それぐらいなら、最後まで俺がしてもいいよ」
そう返すと、サンクは「そうですか」と呟き、
「なら、少し話し相手にでもなりましょうか?」
「おう。そうだな」
アッシュは頷く。
牧歌的な光景にも少し飽きてきた頃だ。
話し相手がいれば、二時間も早いだろう。
「では」
言って、サンクはアッシュの隣に座った。
サンクは前に目をやった。視界に映るのは三台の馬車だ。
「やはり、今回は参加者が多そうですね」
「確かにな」
「騎士団からも、長期休暇を取って参加する奴もいますよ。けど」
サンクは、アッシュの方に目をやった。
「師匠はどうして参加を?」
「う~ん、まあ、それは……」
流石に言葉を詰まらせるアッシュ。
すると、サンクは、
「……未来の奥方さまたちのためですか?」
ズバリを指摘してきた。
アッシュは、「うぐ」と再び言葉を詰まらせた。
どういう訳か、自分に嫁が多いことは、かなり世間に浸透しているらしい。
「ま、まあ、そう言っちまえば、そうなんだが……」
真実だけに否定も出来ない。
「そうですか……」
一方、サンクは神妙な声で呟く。
そして、
「実は師匠」
顔を上げて、アッシュに尋ねる。
「相談事があるのですが……」
「? 相談だって?」
唐突な話に、アッシュは目を瞬かせた。
サンクは頷く。
「はい。経験豊富な師匠に、是非とも相談したいんです。これは、師匠にしか相談できないことなんです」
「いや、俺にしか相談できないことって?」
アッシュは、困惑しつつも視線をサンクに向けた。
青年は真剣……というより、深刻そうな顔をしていた。
何か、深い悩みがあるようだ。
「まあ、聞くぐらい別にいいが……」
「ありがとうございます。実はオレ……」
と、サンクが、話を切り出そうとした時だった。
「……いや。待て。サンク」
不意に、アッシュは言葉を遮った。
真剣な面持ちで上空を見やる。
数瞬ほど遅れて、サンクも表情を改めて天を仰いだ。
「――師匠」
「……ああ」
アッシュは馬車を停車させた。
その直後のことだった。
「クアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッ!」
咆哮が轟く。
同時に、馬車が黒い影で覆われた。
サンクは、騎士として黒い影に鋭い眼差しを向ける。
すでに手は腰の短剣に触れていた。
「まさか、街道に現れるとは……」
「珍しいな。まあ、ここは『ドラン』の近くといえば近くなんだが」
アッシュは皮肉気に笑う。
そして、
「クアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――ッ!」
再び咆哮を轟かせて。
その黒い影は、アッシュたちの馬車の前に降り立った。




