第一章 旅立ちと、日常➂
――パンっ。
その時、軽快な音が響いた。
洗濯したタオルを勢いよく開いた音だ。
そこは、クライン工房の裏側。物干し竿が設置された裏庭である。
洗濯物を手にした彼女は、それを物干し竿に干した。
年の頃は二十代半ば。
サクヤやサーシャにも、そうそう劣らない抜群のプロポーションと、美しい顔立ち。藍色の髪と、深い蒼色の瞳が印象的な女性。
クライン工房専属のメイドさん。シャルロット=スコラである。
彼女はいつものメイド服を着て、洗濯物の対応をしていた。
ただ、一人ではない。
「……はい」
と、おもむろに、少女が次の洗濯物をシャルロットに渡してきた。
年齢は十五歳。見た目はもう少し幼く見える。
翡翠色の瞳に、肩にかからない程度まで伸ばした空色の髪。毛先の部位のみ緩やかなウェーブがかかっている。驚くほどに整った綺麗な顔立ちの少女だ。
最近、女性的な成長が見られるその体には、白いつなぎを纏っていた。
ユーリィ=エマリアだ。
彼女は洗濯物の籠の傍らに立ち、シャルロットの手伝いをしていた。
一見すると、姉を手伝う妹。仲の良い姉妹のように見える。
しかし、ユーリィの表情は、かなり不機嫌そうだった。
「……まだ怒っておられるのですか?」
シャルロットが手を止めて、ユーリィの方に目をやった。
次いで、苦笑を浮かべて。
「レナさんに関しては、遅かれ早かれだったと思うのですが……」
「……むむむ」
ユーリィは、シャルロットに目をやった。
それは、昨日のことだった。
サクヤとレナが旅立つ日。
しかし、直前になって、出発が延期されたのである。
理由はアッシュにあった。
その話を聞いた時、ユーリィもシャルロットも目を丸くした。
まさか、ここでアッシュがこんな行動に出るとは思っていなかったのだ。
「レナさまは、しばらくは帰ってこられません」
シャルロットが言う。
「共に旅立つというのに、サクヤさまばかりに構っていては不公平とも言えます。今回の旅はクライン君が踏み出す切っ掛けだったのでしょう」
すでに確約されている余裕は大きい。
シャルロットは、穏やかな顔でそう告げる。
しかし、ユーリィとしては実に不満だった。思わず本音を零す。
「……私とルカは、相当不利な立場にある」
ユーリィは、洗濯物の一つをシャルロットに差し出した。
シャルロットは、それを受け取る。
「そもそも今の段階だと、女の子として見てもらえていない可能性もある。だから、ミランシャさん、レナさん、サクヤさんが離れてチャンスだと思っていたのに……」
ユーリィは、少し頬を膨らませた。
「ミランシャさんは、なんかトンボ返りしてきそうだったし、あわよくば、レナさんは最後になるかもって期待していたのに、土壇場で先を越されるとは思ってなかった」
「確かに、そこは私も驚きましたが……」
シャルロットが受け取った洗濯物を干しながら呟く。
「きっと、クライン君にも思うところがあったのでしょう。ただ……」
そこで、シャルロットは苦笑を浮かべた。
「ユーリィちゃんとルカさまが、他の方々より早くクライン君と結ばれる可能性はかなり低いかと思いますが」
「……む」
ユーリィはシャルロットを睨みつけた。
「ルカはともかく、私の方はすでに告白済み。確約もしてもらっている。十六歳になったらアッシュに貰ってもらえるって。それに最近は体だって成長してる。いつかはシャルロットさんぐらいに……」
と、言いかけたところで、シャルロットのスタイルを見やり、言葉を詰まらせる。
「……アリシアさんぐらいにはなれる」
言い直した。
「……ふふ。そうですね」
シャルロットは微笑む。そこにはやはり心の余裕があった。
ユーリィは「むむ!」と唸った。
「初めての夜は……」
ユーリィは、自分のまだ慎ましい胸に片手を当てて言葉を続ける。
「今までの思い出を語りながら、いっぱい優しくしてもらうの。そして抱っことかもしてもらって、いっぱい甘えるから」
「ふふ。そうですか」
やはり、シャルロットの笑みは崩れない。
「ですが、それも私の方が早く迎えるでしょう。ふふ、私も思い出を語るつもりです。彼の腕の中で」
堂々とそう返す。
ユーリィが「むむっ」と、ますます頬を膨らませた時だった。
「さっきから何の話をしているのだ?」
不意に、声を掛けられた。
ユーリィとシャルロットが振り向くと、そこには一人の女性がいた。
年の頃は二十代前半。黒い革服に身を包んだ女性。
紫紺色の髪に、同色の瞳。片方は眼帯で覆っている。
しかし、彼女の美貌までは覆い切れていなかった。革服で強調される群を抜いたスタイルの存在感もまた圧倒的だった。
名うての傭兵であり、アティス王国騎士学校の臨時教官でもある女性。
オトハ=タチバナである。
そして、シャルロットたちが想いを寄せる彼と結ばれた女性の一人でもあった。
ユーリィとシャルロットは、顔を見合わせた。
「「いずれ来る夜の話を」」
声を揃えて答えた。オトハは「え?」と目を丸くする。
「うん。そう。いずれアッシュと迎える夜の話」
そう切り出して、ユーリィは熱く語る。
それを静かに聞いていたオトハだったが、おもむろに嘆息した。
「いや、お前らな」
指先を額に当ててかぶりを振る。
「それは、昼間から語るような内容か?」
「むむ」「まあ、確かにそうですが」
ユーリィは呻き、シャルロットは苦笑を零した。
「それに二人揃って少し夢見がちだな」
「……それはどういうこと?」
ユーリィが眉をひそめて尋ねる。シャルロットもオトハを見やる。
オトハは一瞬、「う」と言葉を詰まらせた。
それから、やや頬を赤く染めて視線を逸らすと、
「そ、その、だな」
コツコツ、と指先同士をつつく。
「あいつは優しい。それは間違いない。だけど……」
一拍おいて、経験者は告げる。
何だかんだで、幾度も迎えている夜を思い出して。
「夜のあいつは優しいけど、その、ほんの少しだけ意地悪なのだ」




