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第七章 双つの《星》②

 アッシュ=クラインの朝は遅い。

 ただ、それは平時においてのみだ。非常時における彼はユーリィよりも早かった。

 日の出と共に起床したアッシュは、すぐさま移動を開始しておよそ二時間。

 その間《朱天》は黙々と歩を進めていた。



「やれやれ、この調子ならもうじき『エルナス湖』に着きそうだな」



 アッシュはホッと息をつく。一時間ほど前に《星読み》を使った時には、ユーリィは昨日の位置から移動していなかった。きっとまだ「エルナス湖」にいるはず。

 ならば、あと三十分もしない内に合流できるはずだ。



「ったく。ユーリィのお馬鹿ときたら……」



 と、アッシュは文句を言いつつも、つい笑みをこぼしてしまう。こんな危険な場所にいてもあの子は無事だったのだ。オトハとサーシャ達には感謝の言葉もない。



「あいつ絶対、家に帰ったらお説教だかんな……っと」



 アッシュは眼光を鋭くする。

 やはりここは樹海。すんなりとは進ませてくれないようだ。



「グフゥ、グフゥ……」



 独特な呼吸をするそいつの名は《尖角》。岩のような外殻と大きな角を持つ魔獣だ。

 十セージル級の巨体を有するその魔獣が《朱天》の行く手に立ち塞がっていた。

 アッシュはやれやれと呟くと、



『一応言っておくが、邪魔すんなら容赦しねえぞ』



 拡声器を通じて《尖角》に忠告する。

 まあ、魔獣に言葉を理解するほど知能はないので無駄なのだが。



「グフゥ!」



 すると忠告を挑発と捉えたのか、《尖角》が前足で土をかき、突進の構えを見せる。

 ……やはり、ここは一戦交えるしかなさそうだ。



『はあ、できれば無駄な喧嘩はしたくねえんだが、しゃあねえな。来な』



 アッシュの意志に従い、《朱天》が手をクイクイと動かし挑発した。

 途端、《尖角》の眼光が変わった。忠告の言葉は分からずとも、挑発の仕種は理解できるらしい。怒気を放つ魔獣は、自らの角を《朱天》に向ける。


 そして、


 ――ドドドドドドドドドッ!


 大地が振動した。《尖角》は砂煙を上げ、猛烈な勢いで突進してくる!

 対し、《朱天》の動きは俊敏かつ豪快だった。

 破城鎚のような《尖角》の角を右手一本で掴みとる。そして、倍以上の体格差であるのにも関わらず、一セージルほど地を削るだけで《尖角》の突進を止めてしまった。とんでもない膂力だ。もし《尖角》が人ならば目を剥いていただろう。



『悪りいな。まあ、今は機嫌がいいから死なねえ程度には加減してやるよ』



 アッシュがそう嘯くのと同時に、《朱天》が左の拳を握りしめる。

 そして、ズドンッと轟音が樹海に響く。

 《朱天》の左拳が、《尖角》の横っ面に炸裂したのだ。

 さらにその直後、《尖角》の巨体は軽々と吹き飛び、背中から大樹に叩きつけられる。《尖角》は鳴き声一つさえ上げられず、ズズゥンと大地に横たわった。

 その後はもう微動だにしない。完全に失神したのだろう。



『まっ、しばらくはおねんねしときな』



 言って、アッシュは《朱天》を前進させる。

 大したロスではないが、早く合流するに越したことはない。

 そう思い、アッシュが《朱天》の足を速めようとした――その時だった。


 ――ゾクリッ。



「……ッ!」



 いきなり背筋に悪寒が走る。アッシュは反射的に《朱天》を横に跳ばせた。

 直後、先程まで《朱天》が立っていた場所に斬線が奔る!

 大地に一筋の亀裂が刻まれた。

 それを見て《朱天》の中でアッシュは唖然とする。



(なん、だと……)



 突如、放たれた斬撃。この攻撃は魔獣のものではない。

 今のは恒力を刃の形で放出したもの。《黄道法》の闘技・《飛刃(ひじん)》だ。


 しかも、大地をやすやすと切り裂くこの威力は、アッシュでもそうそうお目にかかったことはない。彼が知る限りこれほどの威力の《飛刃》を放てる者は――。



『……流石だな』



 不意に響いた声にアッシュは息を呑む。それは彼がよく知る女性の声だった。

 続けて、ズシン、と森の奥から巨人の足音が聞こえてくる。

 アッシュは呆然として闇に閉ざされた森の奥を見据えた。

 そして――。



『まあ、お前ならたやすく躱すと思ったから放ったのだがな』



 そう呟き、暗闇の中からその鎧機兵は現れた。盾のような肩当てと、円輪の飾りを付けた兜が特徴的な紫紺色の機体。これもまた、アッシュのよく知る鎧機兵であった。



『……一体、何のつもりだよ』



 険しい表情でアッシュは問う。

 すると、紫紺の鎧機兵――《鬼刃》はすうっと刀を横に薙ぐ。

 アッシュの顔に険しさが増した。一見何気ない動きだが、あれは彼女が強敵と戦う時にたまにする癖だ。それが意味することは……。

 主の緊張を感じ取り、《朱天》が拳を握りしめる。



『……おい、答えろよ。何のつもりなんだ』



 再度問うアッシュ。それに対し、《鬼刃》は切っ先を《朱天》へと向けた。

 紫紺の鎧機兵の構えに一切の隙はない。

 そして、彼女――オトハ=タチバナは、笑みを浮かべてこう言った。



『なに。少々お前と死合おうと思ってな』



       ◆



『おいおい、何なんだよこれ……』



 緑色の鎧機兵・《アルゴス》に乗ったエドワードが、呆然とした口調で呟く。

 一応槍を構えているが、その穂先は震えていた。



『むむう……状況から鑑みるに、隊長が仕留めたということか?』



 それに対し、青い鎧機兵・《シアン》に乗ったロックが自信なさげに答えた。

 いつでも打ちこめるよう斧槍を構えているが、明らかに戸惑いが窺える。



『……たった一機でこの化け物を? この広い樹海の魔獣すべてを恐慌に陥れるような怪物なのよ。こいつは』



 そう言って、横たわる魔獣にジリジリと近付くのは、アリシアの乗る菫色の鎧機兵・《ユニコス》だ。その手には油断なく双剣を構えている。



『……けど、アリシア。そうとしか考えられないよ』


『うん。オトハさんならやりかねない』



 と、アリシアの疑問に答えたのは白い鎧機兵・《ホルン》に乗ったサーシャと、彼女の腰に掴まって《ホルン》に同乗しているユーリィだった。


 サーシャ達四人は今、それぞれの愛機に乗り、「エルナス湖」の前で横たわる魔獣の傍らに立っていた。全機が武器を構え、魔獣――《業蛇》の様子を窺っている。


 朝起きた時、サーシャ達は完全にパニック状態だった。

 なにせ、目覚めたら一番会いたくない魔獣がすぐ近くで横たわっているのだ。

 サーシャ達はすぐさま鎧機兵に乗り込み、逃走を図ろうとしたが、



『……? ねえ、あいつ、様子がおかしくない?』



 隊長代理であるアリシアが、そう呟いた。

 言われてみればそうだった。こんな近くでこれだけ騒いでいるというのに《業蛇》にはまるで反応がない。明らかにおかしな状況だった。

 サーシャ達は、恐る恐る《業蛇》に近付き――そして、唖然とした。


 間近で確認した《業蛇》の姿が血まみれだったからだ。

 湖まであと数セージルの場所で横たわる大蛇は、全く動こうとしない。


 巨大な蛇体は半分ほど森の中に隠れているので全身は確認できないが、見える範囲には至る所に裂傷――いや、刀傷が刻まれており、喉元近くには折れた刀身が突き刺さっている。それらの傷口からは血が溢れ出し、大地を紅く染め上げていた。



『これは……水辺を目指したが、その直前で力尽きた、といったところか』



 と、ロックが言う。



『……うん。そう考えるのが妥当そうね』



 アリシアの《ユニコス》がこくんと頷く。

 恐らくその判断は正しいのだろう。先程から《業蛇》に反応はない。紛れもない瀕死の重傷。もしかしたら、すでに絶命している可能性もある。



『けど、そうなるとロックが言った通り、姐さんが一人で倒したってことだよな』


『『『…………』』』



 エドワードの台詞に全員が無言になる。

 これは、あんまりと言えばあんまりな結果だ。個人の力でこんなことをされては今回の演習など本気で意味がない。特にサーシャは複雑な想いを抱いていた。

 彼女の今の心境は、分かりやすく記せばこうなる。


 いつの日か、必ず倒してみせる!

 そう誓った仇は、翌朝には倒されていました。



(……あはは、はあ……私が昨日掲げた誓いって何だったんだろう……)



 これでは脱力しても仕方がない。思わず遠い眼をするサーシャだった。

 しかし、ふと思い直す。違う。そうじゃない。この考え方は間違っている。

 この状況は喜ばしいことなのだ。



『……そっか、これでもう《大暴走》は起きないんだ』



 サーシャがぽつりとこぼした呟きに、全員がハッとする。

 確かにその通りだ。《大暴走》の元凶たる《業蛇》は死んだ。

 すなわち今回はおろか、これからも《大暴走》は二度と起きないということだった。



『……そうだな。これで二度と《大暴走》は起こらない』



 ロックがあごに手を当て、サーシャの言葉を反芻する。



『ちょ、それって凄くね!? 俺達ってもしかして凄げえことしたの!?』



 と、はしゃぎ出すエドワードに、



『いや、お前な。さりげなく俺達の手柄にするなよ。凄いことをしたのは隊長であって俺達じゃないからな』



 と、ロックは反射的にツッコんだ。

 そんな少年達に、サーシャとアリシアは苦笑する。



『……まったくあなた達は。ま、けどさサーシャ。おば様の仇打ちは残念だったけど、それでも目的は果たせてよかったじゃない』



 そう告げるアリシアに、サーシャは笑みを浮かべる。



『うん。そだね! そっかあ、これでもうみんな《大暴走》に怯えなくてもいいんだ』



 そうして、にわかに騒ぎ始める少年少女達。

 鎧機兵越しではあるが、全員が笑みを浮かべていた。

 しかし、その喧噪の中で――。



「…………」



 ユーリィは一人考え込んでいた。何か嫌な予感がする。

 何かを見落としているような気がする。



(そもそも《業蛇》は何故ここに来たの? どうして水辺を目指したの? 深手を負ったのなら森に隠れて休めばいいのに)



 単純に、喉が渇いていたと考えてもいいのだろうか。

 ユーリィは眉をひそめた。固有種は知能が高く、治癒能力にも優れている。深手を負った時に動き回るような愚を犯すとはどうしても思えなかった。


 そして、ユーリィの予感は的中する。


 横たわる蛇がピクリと眉を動かしたのは、その時だったのだ。


 ――ズズズズッ。



『へ? う、うわ、うわあああああああああああッ!?』



 突如、エドワードの絶叫が湖面に響き渡る。



『えっ、な、なに!?』


『きゃあ!?』


『クッ! まだ生きていたのか!』



 ズオオオ、と鎌首を持ちあげる《業蛇》。

 そして、慌てふためく鎧機兵達の見下ろし、そのまま攻撃するかに思えたが、何故か《業蛇》はサーシャ達には関心を向けず、ただ真直ぐ湖の中へと進んでいった。

 盛大な水しぶきが上がり、続けて、ズズズと蛇体が追従し、《業蛇》の全身は水の中に消えていく。サーシャ達は突然のことに呆然とするだけだ。


 そしてわずかな沈黙の後、



『な、なんだったの今のは……』 



 アリシアが言葉を絞り出した。それを皮切りに、他のメンバーも声を上げる。



『まさか、死に場所に湖を選んだ、とかいうオチか?』


『は? 蛇ってそんな習性があんのか?』


『う~ん。それはあまり聞いたことはないけど、蛇と言っても魔獣だし。もしかしたらハルトの言う通りなのかも……』



 何にしても、あの重傷ではもう助かるとは思えない。

 事実、湖は《業蛇》の血で真っ赤に染まってきている。相当な出血量だ。



『……あの巨体でもこれだけ血を流せば流石に助からんな。やはり死に場所に湖を選んだと考えるべきか』



 ロックの呟きに誰もが同意しかけた――その時、



『しまった! そうじゃない!』



 唐突に、ユーリィが声を上げた。



『ユ、ユーリィちゃん? どうしたの?』



 困惑した声で自分の背にしがみつく少女に、サーシャは尋ねた。

 他の三人の機体も《ホルン》に注目する。

 すると、ユーリィは唇をかみしめ、呻くように呟いた。



『……迂闊だった。《業蛇》って、多分《永蛇(エイジャ)》の亜種だったんだ』



 そしてサーシャの脇から顔を覗かせ、湖を指差す。



『みんな、湖を見て』


『はあ? 湖って――はあ!? なんだありゃあ!?』



 エドワードが驚愕の声を上げる。



『な、なにあれ!?』


『ぬう……湖が……』



 アリシア、ロックが声を上げる中、サーシャは呆然とユーリィに再度尋ねた。



「ユ、ユーリィちゃん、あれ何なの? どうして湖が……」


「…………」



 ユーリィは何も答えない。彼女の瞳はただ前だけを見つめていた。澄んだ青から血の赤へ、そして今は粘着性のある銀色へと変貌した湖を凝視していた。



(本当に迂闊だった)



 心から悔やまれる。

 死んだと思い込まず、すぐに止めを刺すことを推奨すべきだった。

 しかし、後悔は先に立たない。

 ユーリィは、困惑するサーシャ達に考えうる現状を告げる。



『……これ、多分、胎盤変化だと思う』


『た、胎盤変化……?』



 聞いたこともない名称に、アリシアは眉根を寄せた。他の三人も同様だ。

 こんなレアな現象、知らなくても当然か。

 そう思い、ユーリィは説明しようと口を開くが、ふと思い留まる。長々と説明するよりもまずは結論から告げた方がいいと考えたからだ。

 そしてユーリィは四人の騎士候補生に、最も重要な事柄から告げた。



『気をつけて。もうじき《業蛇》は復活する』

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