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第六章 青き湖の地にて③

 ズシン……と。

 振動を響かせ、《朱天》はおもむろに足を止めた。

 そして、アッシュは空を見上げる。

 天蓋のように空を覆う木々の葉。しかし、ここにはわずかばかり隙間がある。



「……ふ~ん。ここはまだ、少しは星が見えるんだな」



 そう呟くと、アッシュは周囲を見渡した。

 そこは樹海の中。かなり見通しのよい開けた広場だった。

 大樹の葉の隙間から、少しだけ星明かりが差し込む、そんな場所だ。

 アッシュはコキンと首を鳴らして、



「ふう……『エルナス湖』までようやく半分ってとこか」



 時刻は午後十時ほど。やろうと思えばまだ強行できる時間帯ではあるが、そろそろ疲労も馬鹿にならない。今日はここで夜営した方がいいだろう。



「……まあ、夜営って言っても《朱天》の中で寝るだけだしな」



 アッシュは苦笑する。

 今回、アッシュは何一つ準備が出来なかった。携帯型のランタンはかろうじて持っていたが、食料も飲料水もなく、テントなど言わずもがなだ。

 正直、焦りすぎた。ほとんど着の身着のままで飛び出してしまったのだ。



「う~ん。流石に食いもんぐらいは何か持ってくるべきだったな」



 アッシュはポリポリと頬をかく。こればかりは苦笑するしかない。

 しかし、まあ、一日二日食事にありつけないなど、昔はよくあったことだ。

 経験上、こういう時は起きていても腹が減るだけだ。一度ストレッチでもしてから、さっさっと寝てしまう方がいい。

 そう考え、アッシュは《朱天》のハッチを開け、樹海に降りた。



「ふう……やっぱ長時間の搭乗は疲れんなあ……」



 と、愚痴をこぼしながら、アッシュは背筋を大きく伸ばす。

 そして、凝り固まった身体をある程度ほぐしてから、



(……しかし、「ドランの大樹海」、か)



 ふと思う。まさか、ガハルドから聞いたこの森に自分が赴くことになろうとは……。



「……この森のどっかに《業蛇》って奴がいる訳か」



 再び、空を見上げる。

 アッシュの脳裏によぎるのは《獅子の胃袋亭》での出来事。

 ガハルドから聞いた話の内容だった。



「…………」



 しばしの沈黙。そして、アッシュはぼそりと呟く。



「……《大暴走》と、エレナ=フラム、か」



      ◆



 その時、不意に風が吹いた。

 ――パタン。

 と、音が響き、ガハルドは本のページをめくる手を止める。



「……ん? 何の音だ?」



 ガハルドは本をパタンと閉じて棚に収めると、音がした執務机に近付く。

 そこは、市街区にある第三騎士団詰め所・団長室。

 事実上ガハルドの私室でもある部屋だ。



「……ふむ」



 執務机の前に立つと、ガハルドはすぐに音源に気付いた。



「ああ、何だ。写真立てが倒れた音か」



 見ると写真立てが倒れている。窓を開けていたため、風で倒れたのだろう。

 ガハルドは写真立てを手に取った。



「……懐かしいな」



 目を細め、ガハルドは写真を見る。

 そこには、並んで立つ二組の家族の姿があった。

 一組はガハルドの家族。ガハルドと、彼の妻。それに幼いアリシアだ。

 そして、もう一組はアランの家族。幼いサーシャを抱くアランと、彼の妻――エレナの姿がそこにある。もう十三年も前に撮った写真だ。



(……エレナさん)



 彼女のことを思い出す度に、ガハルドの胸中には、いつも感謝と後悔の念が渦巻く。

 それは、恐らくこの国のほとんどの上級騎士の抱く思いでもあるだろう。

 アランの妻。エレナ=フラム。旧姓・エレナ=グレイス。

 元々彼女はこの国の生まれではない。詳しく訊いたことはないが、西方の大陸・エルサガの出身らしい。それが、たまたま貿易関係でこの国に訪れていたところを、アランが一目惚れ。口説きに口説いた末、結ばれた女性だった。



「……はは、今思えば、あの奥手なアランがよくあそこまで頑張れたものだ」



 写真の中のデレきった親友の顔を見やり、ガハルドは苦笑を浮かべる。

 ガハルドの目から見ても、本当にアランはエレナを愛していた。サーシャが生まれ、初めて彼女が《星神》であったことを知っても、その愛に揺らぎはなかった。

 本来ならば、今もきっと幸せな家庭を築いているはずだった。



「……そう。あの《大暴走》さえなければ……」



 ガハルドは、グッと下唇をかみしめる。

 あれは、今から約九年前のこと。


 ――そう。過去最悪と呼ばれる《大暴走》のことだ。


 各町村、そして王都にまで押し寄せる数百の魔獣の群れは、毎回尋常ではない被害を及ぼす。建築物の損害はもちろん、やはりどうしても死傷者は出る。

 しかし、確かに厄介な現象ではあるが、全く絶望的という訳ではない。過去、常に対処には成功していた。アティス王国が今なお健在なのがその証拠だ。

 数百の魔獣に対し、二千の鎧機兵を以て殲滅する。

 数で圧倒する単純明快な図式。それは今までずっと有効だった。

 だからこそ、盲点だった。まさか、その図式が反転するなど誰も思わなかった。



「……よもや魔獣の大繁殖した時期に、《業蛇》が目覚めるとはな……」



 ガハルドは吐き捨てるように呟いた。

 あの時の《大暴走》は従来のものと違っていた。数年に渡って気候が安定していたのが不運を招いたのか、押し寄せる魔獣の数は五千を超えていたのだ。

 あまりの規模の違いに、王国は騒然となった。

 かつてないこの危機的状況に各町村は即時破棄。全国民が最も堅牢な王都ラズンに移動し籠城した。そして、「ラフィルの森」を決戦の地とし、国王自らが陣頭に立ち、三騎士団の総力を以て魔獣の群れを迎え撃ったのだ。


 ガハルドやアランも含めた、すべての騎士達が勇敢に戦った。しかし、それでも戦況は極めて深刻だった。数の力を改めて思い知る過酷な戦いだった。

 騎士団は全滅寸前にまで追い込まれ、やむをえず王都へ一時撤退。魔獣の大群は「ラフィルの森」を抜け、王都前の草原にまで迫って来ていた。


 誰もが絶望した。が、そんな中、現れたのが――エレナ=フラムだったのだ。

 彼女は自分が《星神》であることを明かした上で、ある提案を騎士団に持ちかけた。



『私の《最後の祈り》で、すべての魔獣を駆逐します』



 《最後の祈り》――。それは《星神》が自分の命と引き換えにあらゆる《願い》を叶える最後の手段だ。しかし、これにはとんでもないリスクがある。

 傷ついた騎士の一人が言う。



『ば、馬鹿な……そんなの可能なのか? いや、そもそも聖骸化はどうするんだ!』



 ――そう。聖骸化。それが《最後の祈り》のリスクだった。


 《最後の祈り》を使った《星神》は理性なき殺戮者――《聖骸主》と化す。

 たとえ魔獣を駆逐できたとしても、ただ別の脅威が生まれるだけだ。

 しかし、それに対し、エレナは皆にこう告げる。



『いえ、その聖骸化を逆に利用しようと思います。要は、私を《魔獣のみを殺す聖骸主》にして欲しいと願うんです』



 騎士達はざわめき始める。確かにそれならば……と、端々で声が上がる。が、



『――ふざけるな!』



 この言葉に猛反対したのは、当然、夫であるアランだった。



『何を考えているんだ! 考え直せエレナ!』



 アランはエレナの肩を掴み、必死に説得するが、彼女はかぶりを振るだけだった。

 そして、ぽつりと呟いたエレナの一言が、アランの胸を貫く。



『……ここで魔獣を喰い止めないとサーシャも死ぬのよ』



 アランは愕然とした。そう。現実はあまりにも非情であった。

 すでに三騎士団はほぼ壊滅状態。もはや迎撃など不可能だ。

 もう、他に選択肢などなかったのだ――。



『~~~~~ッッ!』



 声にならない絶叫を上げるアラン。

 そして最終的に彼は、エレナの提案を承諾した。が、その後に、



『だが、せめて《最後の祈り》は、俺の《願い》にしてくれ……』



 アランは深く視線を伏せ、妻にそう告げた。



(……アラン)



 あの時の光景を、ガハルドは先日のように鮮明に覚えている。

 彼の親友・アランの苦悩は涙を呑むどころではなかった。

 双眸は血走り、喉は裂けるまで絶叫を上げ、爪がはがれるほど皮膚をかきむしった上で、アランは愛する妻に、死の告知に等しい《願い》を告げたのだ。


 かくして、《魔獣のみを殺す聖骸主》という異例の存在が生まれた。


 《白銀の聖骸主》と化したエレナは草原を覆い尽くす魔獣の群れへと挑みかかった。

 本能的に放置できない敵と察したのか、エレナに次々と襲い掛かる魔獣達。彼女は絶え間なく傷つきながらも、徐々に敵の数を減らしていった。

 そして、戦闘開始から三度目の太陽が昇ったその日。

 最後の十セージル級の魔獣と相打つ形で、彼女もまた力尽きるのだった。



『――エレナッ!』



 魔獣の屍で埋め尽くされた草原を、アランが走る。

 傷だらけの騎士達も身体を引きずりながら、アランの後を追った。



『エレナ! しっかりしろエレナッ!』



 ふらつく足取りでエレナの元へ辿り着いたアランは倒れて動かない妻を抱き上げた。

 エレナの髪は銀色から、本来の色である亜麻色に戻っていた。

 しかし、エレナは瞳を閉じたまま何も反応しない。


 ――いや、それどころか……。



『エレ……ナ……ああああああああアァ、エレナあああアァ!』



 エレナの身体が、少しずつ光と化していく。

 それはもう留まらず、エレナは愛する夫の腕の中で光となって消えていった。



『あああァ、うあああアァうああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアァ―――ッ!!』



 両膝をつき、ただただ慟哭を上げ続けるアラン。

 ガハルドを始め、騎士達は声さえかけられなかった。

 生き残った騎士達に出来たのは、その哀しき情景を胸に刻みつけることだけだった。



「……結局、俺達は守られるだけで何も出来なかった……」



 ガハルドはコツンと写真立てを机の上に置くと、窓辺にまで寄る。

 そこから見える夜空は美しかった。

 恐らく今この空の下で、アランとサーシャ、そしてアリシアの三人が夜営をしている頃だろう。王都の守備のため留守居を任された身としては、何とももどかしい気分だ。

 ガハルドは再び夜空を見上げる。



「……無事で帰って来るんだぞ三人とも」



 留守居といえど、星に祈るぐらいは自由だろう。

 ガハルドはそう思い、ふっと笑った。



       ◆



 そして、満天の星の下。



「――……それがお母様の最後だったの」



 サーシャは静かな口調で語り終えた。


 九年前の《大暴走》。建物に立て籠もる者。船で逃げようとする者。混乱にまぎれて犯罪に走る者。騒然としていた当時の王都の様子や、母の死に至るまで。


 サーシャは包み隠さずユーリィに語った。

 青い湖が静寂に包まれる。それは数十秒か、数分か。

 短いようで長い時間を経て、ようやくユーリィが静寂を破った。



「……メットさん」



 サーシャは微かに笑う。



「……ははっ、そんな顔をしないでユーリィちゃん」



 そして、彼女は心配そうな瞳をするユーリィの頭を撫でた。



「結局、私が《業蛇》に抱いている感情って、八つ当たりみたいなものなの」



 サーシャはさらに言葉を続ける。



「もし、《大暴走》がなければ……さらに遡れば《業蛇》さえいなければ、今でもお母様は生きていたんじゃないかって……」


「…………」



 ユーリィは無言だった。傍に立つアリシアも沈黙を守っている。

 サーシャはキュッとユーリィを抱きしめた。



「……私の夢である『聖骸主を救いたい』っていうのも結局同じことなの。魔獣達を殲滅した時、もしお母様に余力が残っていて、もし聖骸化を解く方法があったのなら……ふふ、何だか『もし』がいっぱいだね」



 自分の台詞に自嘲の笑みを浮かべるサーシャ。



「……メットさん」



 ユーリィはサーシャの腰に手を回し、彼女の豊かな双丘に顔を埋めた。

 サーシャの気持ちは分かる。行き場のない憤りが《業蛇》に向いていることも。



「……メットさんは、今でも《業蛇》を倒したい?」


「……そうだね。出来れば倒したいよ。お母様の件もあるけど、《業蛇》がいなくなればアティス王国は《大暴走》を恐れる必要がなくなるしね。けど……」


「……けど、なに?」



 身体を少し離して、サーシャを見上げるユーリィに、



「今回はお預けかな。先生に釘も刺されたし、破門にされるのは嫌だから」



 サーシャは笑って言う。その笑顔に無理をした様子はなかった。

 《業蛇》は倒したい。その想いは今もある。しかし、心配してくれる目の前の少女や師の気持ちを無視してまで押し通すべきものではない。


 今はまだ奴に勝てないのはどうしようもない事実だ。だから心配もされる。ならば、勝てると確信できるまで強くなればいい。そして、その日こそ――。


 サーシャはそう結論付けた。

 と、そんな親友の心情を察したのだろう。今まで黙って成り行きを見守っていたアリシアがクスクスと笑いだした。



「いや、お預けも何もあんなの無理でしょ。流石にあれにはビビったわ」


「あはは、そうだね。いきなり出くわすなんて。……オトハさん無事だといいけど」



 ふと、あの場に残ったオトハのことを思い出す。

 彼女の実力を疑う訳ではないが、なにせ、相手はあの化け物。どうにか凌ぎ、上手く切り抜けてくれればいいのだが――。

 と、思っていると、



「……? そう言えばオトハさんはどうしたの?」


「「……え」」



 唖然とした声を上げるサーシャとアリシア。が、すぐに気付く。

 そう言えば、自分達の状況を未だユーリィには伝えていなかった。



「そっか、ユーリィちゃんの話は聞いたけど、私達の状況は言ってなかったわね」


「あはは、言い忘れてたね。あのね、ユーリィちゃん。実は私達今――」



 と、サーシャが現状を語り始めた。ユーリィはふんふんと耳を傾ける。

 湖面に響く少女達の声。

 どうやら、この水浴びはもうしばし長引きそうだった。



 ちなみに、その頃――。

 簡易ランタンが周囲を照らすテントの前にて。

 ガジガジガジ、と。

 何かにかみつくような異音が響く。ロックはちらりと横を見て溜息をついた。



「……なあ、エド。いい加減諦めないか?」


「ぷはっ、何言ってんだよロック! もう少し、もう少しなんだ!」



 そう言って、エドワードは自分を縛るロープに再びかみついた。

 そして懸命に歯を喰い込ませ、ロープをかみ切ろうとしている。



「……あのなエド。サバイバル用のロープってのは恐ろしく頑丈なんだぞ」


「ぷはっ、そんなの知ってるさ。けどな! 男には無理を承知でもやらなきゃいけない時があるんだよ! お前にも分かるだろう!」


「……それは分からなくもないが、お前がやろうとしているのはただのぞきだろ」



 エドワード同様、ロープで簀巻きにされたロックが溜息混じりに呟く。



「はあ? 何言ってんだよロック! のぞきこそ男の花道だろうが! あの場所には、あの先にはパラダイスが待ってんだぞ! 極上の美少女が三人、生まれたままの姿でキャッキャウフフしてんだぞ! これを見ずしてお前の目は何のためにあるんだよ!」


「いや、普通に生活するためにあるんだが……」



 と、至極当たり前のことを言ってのけるロックを無視して、再びガブリとロープにかみつくエドワード。しかし、ロープはビクともしない。



「――クソッ! なんでだ! なんで俺はこんなにも無力なんだよ!」


「いや、何かの主人公風に言われても」


「神よ! いや、悪魔でもいい! 誰か俺に力をくれ! この忌わしき封印を破る力をくれ! 力さえくれるのなら俺は……ッ!」


「まだ、続くのかその劇場」


「さあ、悪魔よ! このロープを食いちぎる歯と引き換えに、俺の魂を持っていけ!」


「そいつは入れ歯を授ける悪魔か? しっかし、お前の魂、安っすいなあ」



 エドワードの妄言に、いちいちツッコみを入れるロック。

 満天の星空の下、芋虫のように横たわる二人の少年。

 なんだかんだ言っても、こっちはこっちで仲の良いコンビであった。

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