第二章 そして第二の幕が上がる②
――《夜の女神杯》二日目。
今日もまた晴天。
闘技場は、初日以上の盛り上がりを見せていた。
前大会を遥かに上回る試合レベルの高さ。
それに加えて、美しい出場選手たちの艶姿が話題を呼んだのである。
闘技場の受付は、チケットのキャンセルがないかと問い合わせる客で溢れていた。
「二席! 第三列の端が空いているよ!」
「今ならビラル金貨一枚! たったそんだけで最前列の席が手に入るよ!」
いつもなら影に潜んでいる転売屋も、堂々と姿を現している。
第三騎士団の騎士たちが摘発しようとすると、観客がこっそり邪魔をして、転売屋の逃亡の手助けをするぐらいだ。
そんな混雑とした中で――。
「…………」
サーシャは、操手衣に着替え終えて待機室にいた。
片手を抑えるその表情は真剣そのもの。
琥珀色の眼差しが見つめるのは、室内に設置されたモニターだった。
「……サーシャお姉ちゃん」
と、声を掛けるのは、同じく操手衣を着たルカだった。
彼女も緊張した様子でモニターに目をやっていた。
この部屋は赤門専用の待機室。
この場にいるのは、ベスト8の内の四名だけだ。
すなわち、ここにいない残り四名はサーシャたちの対戦相手となる。
蛇足ではあるが、一回戦の敗者たちは別の特別観戦室で見物しているそうだ。
サーシャは、室内にも目をやった。
ここには、アリシアも、ミランシャも、レナの姿もない。
さらに言えば、前回の覇者であるシェーラ=フォクスの姿もなかった。
代わりに、ほぼ面識のない二人の女性操手がいた。
(ベスト8なら、こうなる可能性はあったけど……)
サーシャは、グッと肘を抑えて瞳を閉じた。
ここにアリシアたちがいない時点で分かっていたことだ。
4分の3という高確率で、彼女たちの誰かとぶつかるということは。
アリシアたちは、誰もが強敵だった。しかも、仮にそれを避けられたとしても、残っている相手は前回の覇者である。極めて厳しい状況だった。
言ってしまえば、ほとんどの優勝候補者が片方に偏ったような状況なのである。
サーシャたちが緊張するのも無理はない。
(……誰に当たっても格上……ううん、ルカだって私よりも強いか。けど……)
そこで、サーシャは少しだけ口元を綻ばせた。
そもそも、自分は格下相手と戦った経験がないような気がする。
一回戦も機体においては明らかに格上だった。
初めての実戦など、恒力値が十万ジンにも至るような鎧機兵だったぐらいだ。
相手は常に格上。
それが彼女の戦歴なのである。
――そう。自分は決して強くはない。
(私は弱者。カッコつけても仕方がない)
初心に帰って、サーシャは表情を引き締めた。
と、その時だった。
「っ! お姉ちゃん!」
ルカがモニターを指差した。
サーシャも、視線をそちらに向ける。
そこには、抽選で決まった対戦表が表示されていた。
そこに記載されていた名前は――。
「……サーシャお姉ちゃん」
ルカは心配そうな眼差しでサーシャの横顔を見つめた。
対し、サーシャは真っ直ぐな瞳で、自分の対戦者の名前を見据えていた。
「……アリシア」
ポツリ、とその名を呟く。
静寂が室内に訪れる。
――《夜の女神杯》第二回戦、第一試合。
アリシア=エイシス、対、サーシャ=フラム。
運命の悪戯か。
最も親しい幼馴染同士の対決だった。
◆
一方、静寂が訪れていたのは、赤門の待機室だけではなかった。
長い沈黙が続く。
(……そう。こう来たのね……)
青門の待機室にて。
サーシャたち同様にすでに操手衣に着替え終えているアリシアは、静かな眼差しでモニターを見つめていた。
対戦相手は完全な抽選だ。こうなることは可能性としては大いにあった。
(……サーシャ)
アリシアは、グッと拳を固めた。
アリシアの幼馴染であり、親友であり、同じ人を好きになった恋敵でもある。
紆余曲折の果てに、今や将来を共にすると決めた同志だった。
『アリシア! あそぼっ!』
幼き日の彼女の姿を思い出す。
どこに行くにも、彼女はいつも自分の後に付いてきていた。
紛れもなくアリシアにとって、最も親しい人物だった。
「……いきなりだったわね」
不意に、ポンと肩を叩かれた。
振り向くと、そこにはミランシャの姿があった。
身に纏うのは真紅の操手衣。
流石にもう意味がないと思ったのか、仮面は着けていない。
「……ミランシャさん」
「アタシとレナは、無難な相手っぽいわね」
アリシアの肩に手を置いたまま、モニターを見やる。
ミランシャとレナの対戦相手は、名前もほとんど知らない相手。
一回戦を見ていても、組み合わせの妙で勝ち上がった印象のある選手たちだった。
「う~ん、ちょいと残念だぜ」
と、そこへ緋色の操手衣を着たレナがやって来る。
後頭部に両手を置くレナ。歩くたびに、ゆさりっ、と存在感を大いにアピールする彼女のお胸さまに、ミランシャとアリシアは少しムッとした。
「オレは、出来ればサーシャとルカ。どっちかとは戦ってみたかったんだけどな」
一方、レナは気にせずにニカっと笑う。
「二人とも光るもんがあるからな。試す機会があんなら試したかったんだ」
「……確かにそうかもね」
ミランシャは苦笑した。
「あの子たちに光るものがあるのは事実ね。アタシも一度ぐらいは戦ってみたかったわ。けど、それなら――」
そこで視線を部屋の一角に向ける。
「フォクスさん。あなたはどう思ってるのかしら?」
一人、両肘に手をやってモニターを見上げていたシェーラに声をかけた。
彼女の対戦相手はルカだった。
「……そうですね」
紫色の操手衣を纏ったシェーラは、ミランシャを一瞥した。
「王女殿下は、とてもお強いお方です」
シェーラは鋭い視線で対戦表を見据える。
「不敬ではありますが相手にとって不足はありません。全力を尽くすだけであります」
「……そう」
ミランシャは目を細めた。
「アリシアちゃん。あなたはどうなの?」
「私もですよ」
アリシアは笑った。
「昔のサーシャは本当に弱かった。けど、アッシュさんと出会って強くなった」
サーシャは同じ騎士学校の同級生だ。
講習でも放課後でも、何度も立ちあっていた。
サーシャがどれほど強くなっているのか。
それは誰よりも――それこそ師であるアッシュよりも、自分の方がよく知っていた。
サーシャは、十傑の称号を持つ自分に迫るほどの相手だ。
三回生に上がる頃には、十傑の一人になっているかもしれない。
だが、それでも……。
「対人戦におけるあの子は別格です。けど、鎧機兵戦においてなら、私はサーシャに一度も負けたことはありません」
アリシアは矜持を以て告げる。
「サーシャは優しい子ですから、詰めが甘いというか、ここぞというところで、うっかりミスをすることも多いですし」
「ははっ、実にサーシャちゃんらしいけど、それって弱点よね」
ミランシャは苦笑を浮かべた。
「確かにそうですよね」
アリシアも苦笑いをして見せた。
「けど、今回はご褒美がありますから」
「うん。この大会に優勝したら、アシュ君にお願い事が出来るあれね」
ミランシャは頬に指先を当てて微笑んだ。
それに対し、レナが「……むむむ」と唸る。
「それって、元々はオレとサーシャに対してだけの話だったはずだぞ。なんで、お前らにまで適用されてるんだよ」
「いいじゃない。サーシャちゃんは受け入れてくれたわよ」
と、ミランシャが言う。レナは少し納得いかないようだったが、
「ま、いっか。どうせオレが勝つんだし!」
陽気に笑って承諾した。
実のところ、アッシュ当人だけには承諾を得ていない話だった。
「……いいえ。そうはいきませんよ。レナさん」
アリシアは、自信満々なレナに告げた。
「私だって、今回のご褒美では本気のデートを考えているんです。具体的に言えば、賞金の一部を使って二人きりで小旅行。ラッセルのホテルでニ泊はするぐらいの」
「………え」
ミランシャが驚いた顔する。
「二泊するような旅行? しかも二人きりの? それって完全に最後まで……。アリシアちゃん、そこまで攻めに入る気なの……?」
「もう色々と吹っ切れましたから。それにミランシャさんほどじゃありませんよ。何なんですか、一回戦のあの発言は」
アリシアは、ジト目をミランシャに向けた。
ミランシャは流石に「……う」と呻いた。
アリシアは、さらに言葉を続ける。
「年少組だからって、いつまでも侮らないでください。ルカでさえ過激なことを考えているんですから。サーシャだって今回はきっと同じような計画を立ててますよ」
「そ、そうなんだ……」
ミランシャは、少し頬を引きつらせた。
確かに、彼女たちに対しては少々侮っていたかもしれない。
思い返せば、最年少のユーリィが、すでに彼とキスまで済ませているのだ。その点においては、ミランシャよりもずっと先に進んでいる訳だ。
「あの子も、今回だけは本気になるはずです」
アリシアは、再び視線をモニターに向けた。
次いで、親友の名前を瞳に刻みつける。
「……今回だけはあの子も完全に火が点く。私は強くなったあの子を見て、ずっと思っていたんです」
ポツリ、と呟く。
「……そう。私は……」
そうして、アリシアは長い髪をかきあげて微笑んだ。
「ずっと、本気のあの子と戦ってみたかったんです」




