第四章 《夜の女神杯》④
「あっ、そう言えばさ」
その時、おもむろにエドワードが口を開いた。
場所は変わって、石造りの街並みが目立つ王城区の住宅街。
アティス王国騎士学校からの帰り道。
制服姿の彼らは、王城へと向かっていた。
メンバーは四人。
エドワードにロック。そしてアリシアとルカだ。
アリシアとルカは、少しそわそわしていた。
「そろそろ《夜の女神杯》の時期だよな」
続けてそう告げるエドワードに、全員の視線が集まる。
「ああ、そうか。今年だったな」
と、ロックが頷いた。
「……《夜の女神杯》、ですか?」
そわそわしながらも、ルカが尋ねてくる。ロックはルカに視線を向けた。
「ええ。王女殿下」
一呼吸入れて。
「二年に一度開催される十四歳から二十八歳までの女性操手限定の鎧機兵の大会です。数ある闘技場のイベントの中でもでも最大規模のイベントですね」
大会出場者は十六名。
三日に渡ってトーナメント形式で行わる武道大会だ。
予選大会もあり、大会期間中はちょっとしたお祭り騒ぎになる。
「俺は毎回、観戦しているな」
エドワードが言う。
「ちょいとミスコン的な側面もあってさ。選手は大体綺麗な姉ちゃんばっかなんだ。もう熱気が普段よりもずっとすげえんだよ」
「……要はミスコン気分で観てたってこと? あなたって昔からそうなのね」
アリシアが呆れた様子でツッコむ。が、すぐに皮肉気な顔を見せて。
「けど、確かに綺麗な人が多いわよね。前回の覇者は、アラン叔父さまの教え子だったそうよ。今は騎士になって叔父さまの部下になったらしいわ」
優勝した後にサーシャから聞いたのだが、サーシャの父は「あの娘は父さんの教え子で父さんが育てたんだぞ!」と自慢していたそうだ。
当時、若干十八歳だったという麗しき覇者。
彼女は今年も参加するのだろうか……?
「そう言えば、前回は、エイシスは出なかったんだな」
ロックがそう尋ねると、
「ミスコンみたいな感じが嫌だったのよ。けど、今回は……」
不意に、アリシアは苦笑を浮かべた。
「実は、私とサーシャに招待状が来たのよ。予選免除で出場権をくれるんだって」
「――え、マジか!」
エドワードが目を見開いた。ロックも目を丸くしている。
事前にその話を聞いていたルカだけは、少し困ったような顔をしていた。
「お姉ちゃん、たちには《業蛇》討伐の、功績があるから」
「ああ。なるほどな」
ロックが腕を組んで納得した。
アリシアとサーシャはアティス王国の有名人だ。実力も高い。主催側も、彼女たちには是非とも出場して欲しいのだろう。
「だからこその招待状と予選免除か」
一方、エドワードは、興味深そうにアリシアを見つめた。
「そんで、どうすんだよ。お前ら。出場すんのか?」
同級生の問いかけに、アリシアは悩むような顔で頬に指先を当てた。
「う~ん、それなんだけど、私はまだ悩んでいるんだけど、サーシャがやる気なのよ。あの子、前回は予選落ちして散々だったし」
そこで苦笑を零す。
「まあ、あの頃のあの子と《ホルン》じゃあ、仕方がない結果なんだけどね」
「そうだったのか」
ロックが、あごに手をやって呟いた。
「確かに、あの頃のフラムは並ぶ者がいないほどの最弱だったしな。なるほど。今日も師匠のところで講習を受けているのはそれに向けてか」
「うん。前回の雪辱に向けて張り切ってるわ。まあ、出場の方はともかく、今日は私たちもクライン工房には行きたいんだけどね」
アリシアは隣を歩くルカと顔を見合わせて、共に困惑の表情を見せた。
彼女たちが少しそわそわしているのは、そのためだ。
『……あのね。話があるの。アリシア、ルカ』
今日、学校で、サーシャはそう切り出してきた。
そうして語られたのは、レナの話だった。
『え? 何それ?』『あ、新しい人?』
唐突な登場人物に、アリシアとルカは驚いた。
すぐにクライン工房まで赴いて情報収集をしたいところだったが、講習予定のサーシャはともかく、アリシアとルカには、今日はメルティアたちと会う約束があった。
やむを得ず、二人はまず王城に出向いてからメルティアたちに事情を話し、クライン工房に向かうつもりだった。恐らくミランシャとシャルロットも王城にいるようなら、同行することになるだろうが。
「(まさか、ここに来て新しい参戦者なんて想定外だったわ)」
「(う、うん。驚いたね)」
と、アリシアとルカは、ひそひそと会話する。
「ふ~ん、そっか。フラムは出んのか。それならさ」
その時、エドワードが足を止めた。他のメンバーもつられるように歩みを止める。
「なあ、エイシス」
エドワードは、アリシアに言った。
「悩んでんなら、お前も出てみろよ。知ってか? 今回から《夜の女神杯》の優勝賞金額って大幅に上がってビラル金貨二百枚なんだぜ!」
「―――え」
ルカが目を丸くする。一方、アリシアは苦笑していた。
「凄いわよね。その額。前回の十倍でしょう? けど、そこまで高額だと私は逆に腰が引けちゃって――」
「ホ、ホント、なんですか!」
アリシアの台詞を遮って、エドワードの前に立ったのはルカだった。
「ビ、ビラル金貨二百枚って……」
「お、おう。マジだぜ。ビラでも見たし」
王女さまの予想外な食いつきぶりに、エドワードは面を食らった。
ロックもアリシアも驚いた顔をしている。
「ビラル金貨、二百枚……」
一方、王女さまは指を組んで、ポヤポヤとした表情を見せていた。
別に、ルカはお金にがめつい訳ではない。
趣味の鎧機兵いじりで何かと入用ではあるが、そこは計画的に切り盛りしている。
母が市井の出身ゆえか、王女さまは意外と倹約家なのである。
しかし、今は違う。彼女には大金が必要なのだ。
――まあ、正確には、彼女たちにはだが。
ビラル金貨二百枚。
男爵位を購入するのに充分な額だ。
「あ、そういうこと……」
ルカの表情から、アリシアが察する。
「そっか……そういうことなら……」
アリシアは、片肘を抱えて考え込む。
その傍らで、ルカは賞金を手に入れた未来を想像していた。
それだけあれば、男爵位が購入できる。
全員分としては足りないかもしれないが、各自の結婚式の資金にもなるだろう。
ルカこそがハーレムの最初の提案者ではあるのだが、結婚式だけは各自別々に行いたいと考えていた。その時だけは引っ込み思案のルカも主役になりたいのだ。
(そ、それに、ユーリィちゃんや、お姉ちゃんたちの花嫁姿もよく見たいから……)
同時に行ってしまっては、きっと自分のことだけでテンパってしまう。
彼女たちの折角の晴れ姿は、記憶から薄れてしまうに違いない。
だから、結婚式だけは別々に行いたかった。
それが彼女の願いの一つだった。
そして、もう一つ。
きっと、彼女の愛する青年は、安直にお金を受け取ることをよしとしない。
彼女たち全員で押し切ればどうにかなるかもしれないが、それでも、お金を出した相手にはいずれ返すか、代わりに何か我儘を聞くといったことを提案してくると思う。
そこで、彼女は願うのだ。
二人だけの夜。
彼の元に嫁ぐ日に。
すでにシャワーも浴びた後、この日のために購入した寝間着姿でルカは願う。
『あ、赤ちゃんが欲しいです』
数瞬の間を空けて。
『ん、そっか……』
彼女の旦那さまは、優しく受け入れてくれるに違いない。
『そんじゃあ、頑張ろっか』
そう言って、彼はルカの前髪を片手でかき上げた。
そして――。
「――は、はい! 私、頑張ります!」
両手を、胸元の前でグッと固めて宣言するルカ。
「へ? な、何をだ?」
「お、王女殿下?」
突然、頑張ります宣言をした王女さまに、エドワードとロックはギョッとした。
しかし、王女さまは、爛々と水色の瞳を輝かせるだけで何も答えない。
その傍らで、アリシアだけは何となく察していた。
「……ルカ」
ジト目で妹分に告げる。
「あなた、ここで活躍することで、後でアッシュさんに特別な我儘を聞いてもらう気なんでしょう?」
「え」
ルカは、ギョッとした顔で姉貴分の方に振り返った。
その顔は、かなり赤い。
「けど、あなたの場合は予選からなのよ」
と、アシリアが指摘するが、ルカの決意は固かった。
「が、頑張ります!」
ただ、そう告げる。アリシアは肩を竦めた。
「分かったわ。だったら、私も出場することにするわ」
「……え」
ルカは目を丸くする。アリシアは苦笑を浮かべて語り始めた。
「男爵位もそうだけど、これからは何かと入用になるでしょうしね。相当な大所帯にもなるんだし、お金はあった方がいいわ。ならこの機会を逃す手はないわよね」
そこで、アリシアは不敵に笑った。
「悪いけど、優勝は私が頂くわ。アッシュさんへの我儘権もね」
「お、お姉ちゃん! ズルい!」
ルカは珍しく、ぷくうっと頬を膨らませた。
そんな少女たちに、エドワードとロックは困惑しっぱなしだった。
「結局、お前ら三人とも出場するってことか?」
エドワードが率直に聞くと、アリシアたちは「そうよ」「は、はい」と答えた。
ロックが「そうか」と呟き、
「しかし、王女殿下は少々厳しくないか? 予選は闘技場で五連勝をし、さらにエントリー資格を持つ者を倒さねばらないと聞くぞ」
「け、けど、頑張ります」
ルカは、いつになく闘志を見せて答えた。
事実、彼女は早速、闘技場で五連勝を果たし、獅子奮迅の戦いぶりでエントリー資格者も倒して、無事、本選への切符を手に入れた。
恋する乙女は強いのである。
かくして、出場を決めた、アリシアとルカ。
技量を磨き続けるサーシャ。
さらにはまだ見ぬ強豪たち。またはよく知る強豪たちが入り交じり、その上、とんでもないサプライズまで起きて、今回の《夜の女神杯》は、かつてないほどの盛り上がりを見せることになるのだが、それはまだ誰も知らないことだった。




