幕間一 夜の密談
その日の夜。
王城ラスセーヌ。
メルティアに用意された部屋にて。
「……え?」
アッシュの実弟であるコウタは、キョトンとした顔をした。
「ですので、私もお義兄さまのお手伝いをすることになりました」
「いや。それはいいけど……」
コウタは、軽く驚いた様子で目を瞬かせた。
「レナさんがこの国に来ているの?」
「はい。そうですが……」
ベッドの縁に座るメルティアは、コウタを見つめた。
「やはり、コウタもレナさんを知っているのですね」
「うん」コウタは頷いた。「昔、ボクの家に一週間ぐらい泊まった人なんだ」
確か、レナは採集系の依頼で、クライン村に訪れた傭兵の一人だった。
レナを含めて、たった五人の傭兵団。
しかし、その傭兵団が最悪で……。
「レナさんは、団に裏切られた人でね」
「どういうことですか?」
メルティアが、小首を傾げた。
コウタは少し……というよりも、かなり気まずげな顔をした。
「その、レナさんの当時の傭兵団って、レナさんの実力だけじゃなくて、容姿も含めて、彼女を入団させていたんだ。えっと、その……」
コウタは言葉を詰まらせた。
当時のレナの傭兵団は、彼女以外は全員が男だった。
身も蓋もなく言ってしまえば、当時のレナの傭兵団は、彼女を性処理も兼ねた仲間として入団させていたのだ。
当然だが、レナはそんな承諾はしていない。
傭兵団は、仕事を装ってレナに怪我をさせてから、無理やり彼女を手籠めにするつもりだったようだ。そのために、わざわざ森奥深いクライン村まで来たとのことだ。
もはや、完全なる犯罪行為である。
結句、その傭兵団は、最初から性奴隷を求めていたのだ。
その計画は、かなり危ういところまで進んだのだが、結果から言えば、その傭兵団は兄にあっさりと潰された。兄の怒りを買ったのだから当然の末路だ。
もちろん、レナの貞操も無事である。
コウタはその経緯を、出来るだけオブラートに包んでメルティアに伝えた。
「……と、まあ、そんなことがあったんだ」
「……最低の傭兵団ですね」
メルティアが、不快そうに呟く。
「……うん。ボクもそう思うよ。まあ、そんな非道なことを考えてるから、兄さんに潰されたんだけど」
当時はただの農民だった兄だが、その腕っぷしの強さはすでに破格だった。
まるで雑草でも引き抜くように、兄は現役の傭兵たちを、次々と殴り飛ばしていったのである。その光景は、たまたまその場に居合わせることになったコウタにとっては、衝撃的なものだった。きっと、当事者であるレナや、傭兵団の男たちはさらにだろう。
なにせ、人が拳で飛んでいくのだ。
傭兵団の男たちにとっては、魔獣と出くわしたような気分だったかもしれない。
その後、兄は足を怪我したレナを、ヒラサカ家まで連れ帰ったのである。
「ボクも、レナさんには可愛がってもらっていたよ」
彼女の人懐っこい笑顔は、コウタもよく憶えている。
行方知らずではあるが、コウタと同い年ぐらいの妹がいるという話も聞いた。
メルティアの話によると、その妹さんも無事見つかったようだが。
「レナさんかあ……」
コウタは、目を細めた。
「あれからもう八年も経つんだ。きっと、綺麗な人になっているだろうね。当時から凄く可愛い人だったし」
傭兵繋がりで、オトハのような凛々しい姿を思い浮かべる。
まさか、一切容姿が変わっていないとは、夢にも思わないコウタだった。
「そ、そうですね……」
レナの姿は、メルティアもこっそり確認しているので、少し頬を引きつらせた。
どう見ても、彼女は、自分と同世代にしか見えなかったからだ。
一方、コウタは無邪気に笑う。
「うん。折角だし、会ってみたいな」
「そ、そうですね。ですが」
メルティアは、あごに指先を当てた。
「レナさんとは、どんな人なのですか?」
レナが、アッシュに好意を抱いているのは一目瞭然だった。
恐らく彼女は参戦してくる。
相手こそ違うが、自分も同じ状況にあるメルティアの直感は、そう告げていた。
親友であるユーリィや、愛弟子のルカのためにも情報は探っておきたい。
「う~ん、そうだなあ」
コウタは記憶を探った。
天真爛漫で、小さなことは気にしない大らかな性格。
行動力はあるが、考える前に動いている。
好き嫌いがはっきりしている。
子犬のような人懐っこさで好きなものに対しては、極めて積極的だった。
特に兄に対しては、溢れんばかりの好意をぶつけていた。
コウタは、苦笑を浮かべた。
レナにとって、人前で抱きつくことなど当然の行為だった。
その様子に冷たい眼差しを向ける義姉の姿は、今でも脳裏に焼きついていた。
他人事であるコウタでさえ、恐れる義姉の表情。
しかし、レナは一切気にしないのだ。
むしろ義姉の視線に、兄の方の顔が強張っていたぐらいだ。
コウタは、十数秒ほど考え込む。
そして、
「その……レナさんは」
アッシュの弟は、言葉を詰まらせながらも、告げた。
「……いわゆる『アホの子』だったかな?」
――と、コウタが率直な意見を告げていた頃。
市街区にある、とある宿屋にて。
「んふふ~、んふふ~」
かつて弟のように可愛がっていたコウタに、『アホの子』認定されているなど露とも知らずに、レナは、ベッドの上でゴロゴロと転がっていた。
風呂上がりのレナは、ご機嫌だった
ここにチェックインした時とは、別人のようなテンションである。
今は、上はノースリーブの革服。下は黒のスパッツだけという大胆な格好で、ベッドの上を蹂躙している。
「トウヤあぁ、トウヤあぁあ」
ボフボフッと頭を枕に叩きつける。
――生きていた! やっぱり生きていた!
頭の中はそれでいっぱいだ。
しかも少年だった頃よりも、カッコよくなっている。
「トウヤああぁ」
レナは、ぎゅうと枕を抱きしめた。
トウヤが死んだと聞かされ、深く落ち込み。
トウヤが生きていたと知って、心が弾んだ。
(やっぱ、オレって)
もはや疑うまでもない。
あの日から、自分はトウヤにずっと惚れているのだ。
(というより、これってもう運命だよな)
レナは枕に顔を押し付けた。はみ出た耳が赤くなっている。
こんな全く縁のない異国の地で再会したのだ。
自分はトウヤの腕の中に納まるのが、運命なのだと感じずにはいられなかった。
いずれにせよ、今は喜びが抑えきれない。
仮に犬のような尻尾があったなら、ブンブンと振っていたことだろう。
ただ、幾つか気になることもあった。
「……う~ん」
レナは、顔を上げた。
一つはサクヤのことだ。
当時、トウヤの恋人だった少女。
長らく離れ離れになったそうだが、今はこの国にいるらしい。
結局、トウヤは彼女と今も付き合っているのだろうか?
一つは街で聞いた噂。
どうも、トウヤはハーレムを築いているらしい。
実のところ、レナには、ハーレムに対する忌避感や嫌悪感はない。
というより、レナの育った貧民街では、むしろ一夫一妻の夫婦というのが珍しく、女は体を売り、裕福な男が気まぐれで女を買う。一夜限りの逢瀬もあれば、気に入ったのなら妾にする。そんなことが当たり前の世界だった。
ちなみに傭兵の世界も少し似ている。
強い傭兵には、数人の女がいることが多かった。
中には、自分以外は全員が女で愛人という傭兵団もあるぐらいだ。
レナにとって、複数の女を囲う男というのは、さほど珍しくもないのだ。とは言え、流石に女を奴隷のように扱っている連中だけは許容できないが。
閑話休題。
いずれにせよ、トウヤは強い。
会うのは久しぶりだったが、間近で触れて、改めて彼の力強さを感じた。
レナを乗せても全く揺らがない体幹に、無駄なく鍛え上げられた筋肉。最初に見た時に予想した通りだった。こっそり触れた上腕筋や腹筋は本当に凄かった。次は直で触らせてもらおうと思っている。
恐らく、トウヤは傭兵としても、相当に名を馳せていたのだろう。
強い男の周りに女が集まるのは自然なことだ。
だから、彼がハーレムを築いていても不思議ではない。
「う~ん、けど」
あごに手をやり、レナは考える。
ならば、ハーレムメンバーとはどんな女たちなのだろうか。
まず脳裏に浮かんだのは、ユーリィだ。
トウヤの養女という彼女は、サクヤにも劣らないほどに綺麗な子ではあったが、レナから見ればまだまだ子供だった。なにせ――。
「……ふふん」
レナは、自分の豊かなおっぱいを左右から挟んで鼻を鳴らす。
戦闘では邪魔で仕方がないが、やはりこれは強力な武器にもなるようだ。
多分、ユーリィは違う。まだまだお子さま過ぎる。
しかし、ユーリィと一緒に現れたサーシャという少女は違っていた。
彼女もまた、もの凄いレベルの美少女だった。
しかも、そのプロポーションときたら、素晴らしいの一言である。
すらりとした四肢に、キュッと引き締まった腰。何故か、ブレストプレートを着ていたため、確証はないが、おっぱいも相当大きいだろう。
「……むむむ」
恐らく、サーシャの方は、ハーレムメンバーの一人なのかもしれない。
「あのレベルかあ……。トウヤは相変わらずモテるんだなあ……」
ボフンっと枕に突っ伏した。
と、その時だった。ドアがノックされたのは。
「団長。ぼくだよ」
聞き覚えのある声が聞こえてくる。キャスリンの声だ。
「――おう! 来たか!」
レナは、ガバッと跳ね起きた。
続けて、その場で胡坐をかくと、ドアに向かって「入っていいぞ」と声を掛けた。
数瞬の間を空けて、ドアはゆっくりと開かれた。
まず入って来たのは《フィスト》の副団長であるキャスリンだ。
しかし、
「………レナ」
入るなり、レナの親友は溜息をついた。
「ん? どうした?」
レナは小首を傾げる。と、キャスリンは、ドアの外にいるホークスとダインに、「すまないが、少しだけ待っていてくれないか」と告げて、ドアを閉めた。
レナは、キョトンした。
それに対し、キャスリンは嘆息した。
「……レナ。流石にその恰好はないよ。せめてパンツぐらいは履いてくれ」
そう言って、床に落ちていたホットパンツを、レナの方に放り投げた。
レナは、ホットパンツを両手でぱしっと受け取った。
レナは目を瞬かせた。
「え? なんでだ? 部屋の中だし、こっちの方が楽じゃねえか?」
「……レナ」
そう言うと、キャスリンは額に手を当てて、かぶりを振った。
「君は本当に無防備だね。もう少し女性として警戒したらどうだい」
そう告げても、レナはキョトンとしたままだ。
今のレナの姿は、女性的なラインが丸出しだった。
たとえ相手が仲間だけだとしても、これは流石に煽情的過ぎる。
少なくとも、キャスリンとしては、恋人には見せなくない姿だった。まあ、自分と比べるとヘコんでくるのも事実だが。
「まったく、君ってやつは……」
キャスリンは、疲れ果てたように肩を竦めた。
「アホの子ぶりが復活したのはいいことだけど、少しは気を遣いなよ。危うく手籠めにされかけたことだってあるんだろう?」
「ふんっ、それはオレが未熟だった頃の話だ!」
レナは、ホットパンツをとりあえず履いてから、シュッと拳を突き出した。
空気を弾くような鋭い突きだ。それを数度繰り返す。
「――ふっ!」
さらには、見事な弧を描いた蹴撃を披露した。
重心が全くブレていない。ベッドの上とは思えない身のこなしだった。
レナは、不敵に笑う。
「今のオレなら、どんな野郎でもぶっ飛ばせるぜ」
「……いや、レナ。そういう問題じゃないんだけど……まあ、いいよ」
キャスリンは色々と諦めた。
というより、丸投げすることにした。
「そこら辺の教育は、アッシュ君にお願いすることにするよ。彼の腕の中で恥じらいでも覚えたまえ。ともあれ今は」
キャスリンは、ドアに向かって告げる。
「もう入っていいよ。ホークス。ダイン君」
「ああ……分かった」
ドアが再び開く。そうしてホークスとダインが入室してきた。
ホークスはいつも通りの表情を。ダインはどこか不機嫌そうだった。
「おう。全員揃ったな」
再びベッドの上で胡坐をかいて、レナは言う。
ある意味、全員が予想していたこの台詞を。
「あのな。オレ、新しい仲間を入れようと思っているんだ」




