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第五章 「ドランの大樹海」①

 オトハがサーシャ達の上官となり、六日が経過していた。

 サーシャ達が今もなお夢にまで見る五日間の強化訓練。そして一日だけの休暇。

 それら日々を経て――いよいよ今日。

 出立の朝を迎えたのだ。

 チチチ、と小鳥のさえずりが聞こえる、午前八時。

 クライン工房二階の客室。現在は、オトハの私室にて。

 朝食を終え、まるで新妻のように洗い物まで済ませたオトハは、そろそろ出かけようと私室に戻ったのだが――。



「…………」



 部屋に入るなり、硬直してしまった。

 そして数秒後。



(……ううむ。これは)



 オトハは眉をしかめて、目の前の物体を凝視する。

 それは薄い土色の巨大なサックだった。今回の遠征に向けて準備した荷物である。その中身は保存がきく食料、簡易ランタン。テントやサバイバルの道具。半径五セージル範囲で魔獣が毛嫌いする匂いを出す反獣香。その他にも色々とある。


 しかし、それらを考慮しても目の前のサックは大きすぎた。恐らくオトハが両腕で抱えても左右の手が届かないぐらいに膨れ上がっていた。

 オトハはしばしサックをじいっと見つめた後、



(……本当に分かりやすいな)



 ふうと小さく息を吐き、サックに手をのばした。が、そこで唖然とする。



「えっ、ぐ、お、重い……」



 巨大なサックの帯を両手で掴んで持ち上げてみるが、恐ろしく重い。背負える高さにまで待っていけない。まさか、ここまで重量があろうとは。



(え? これって、まずくないか……)



 オトハは内心焦り出す。

 外には馬を用意してあるので、そこまでいけば後はどうにかなるのだが、正直そこまで辿り着ける気がしない。剣術では誰にも負けない自信がある彼女だが、腕力は平均そこそこ。この荷物は明らかに彼女の限界を超えていた。



「え、ええい、くそ! んっ! んんんんッ!?」 



 しかし、それでもオトハは歯を食いしばり、一歩一歩進み、


 ――ドスン。



「くはっ! はあはあはあ……」



 どうにかサックを廊下まで運ぶことに成功した。しかし、それだけでオトハの息は切れかかっていた。これは初っ端なからとんでもない試練だ。

 廊下の端――階段までの距離が凄まじく遠い。いや、そもそも、こんな重い荷物を抱えて階段を下りられるのだろうか……?



「こ、これはどうすれば……」



 自分が想定していたプランが、ガラガラと崩れ落ちていく音をオトハは聞いた。

 へなへなと腰をつき、内股の状態で脱力する。正直かなりまずい状況だった。



(どうしよう、どうしようどうしよう)



 オトハは必死に打開策を考える。まず荷物を減らすのは論外だ。根本的にサックを開くことさえしてはいけない。要はこのまま運ぶことが大前提になる。

 しかし、機転の良さから、戦場においては「戦乙女」とさえ称えられる彼女も日常のハプニングにはとんと弱く、これといった打開策がまるで思いつかなかった。

 途方に暮れ、少し涙目になってくる。と、



「ん? オト? どうしたんだ?」



 不意に背後から声が聞こえてきた。クライン工房の主人、アッシュだ。

 オトハは、呆然とした顔のまま振り返る。



「……クライン?」


「おう……って、お前どうしたんだ!? ちょっと涙目になってんぞ!?」



 ギョッとして声を上げるアッシュに対し、オトハはおよそ彼にしか見せたことがない情けない表情を浮かべて、現状を伝える。



「……うう、どうしよう、クライン。荷物が運べないんだ」


「はあ?」



 アッシュはキョトンとする。見るとオトハは巨大なサックの前で座り込んでいた。



「……何だ? その巨大なサックは?」


「……どうしても必要なものなんだ。けど、私には運べなくて……」



 しゅん、とするオトハにアッシュは苦笑する。



「まあ、お前が必要って言うんなら仕方がないが、もう少し計画的にしろよな」


「………ううぅ」



 呻き声しか上げなくなったオトハを、アッシュは両肩を掴んで立たせてやる。

 そしてポカンとするオトハの前で、巨大なサックを抱きかかえるように持ち上げた。



「……クライン?」


「っと。本当に重いな。何が入ってんだ? なんかすっげえ柔らかい感触とかあるし」


「え? あ、そ、それはまあ、色々とだ」



 何故か少し口ごもるオトハを特に不思議には思わず、アッシュはそのままサックを抱えて廊下を進んでいった。



「え? ク、クライン……?」


「一階まで運んでやるよ。下には馬がいんだろ?」


「ううぅ、クライン~~」


「こ、こら、後ろから抱きつくな! 荷物が落ちるぞ!」



 と、まるでじゃれあうように、アッシュとオトハは一階に辿り着く。

 そして、工房の外に繋いでいた馬に荷物を括りつけると、



「さて、と。これでもう大丈夫だな」


「うん。ありがとう。クライン」



 オトハは感謝の言葉を述べると、馬に跨り騎乗の人となった。

 アッシュはそれを、腕を組んで見守っていたが、



「なあ、オト」



 不意に声をかける。



「? 何だクライン?」



 そろそろ馬を進ませようとしていたオトハが、視線をアッシュに向ける。

 アッシュは、オトハの瞳を真直ぐ見据え、



「……サーシャ達のこと。頼んだぜ」


「ああ、分かっている。私の誇りにかけてあいつらは誰一人死なせない」



 期待通りの返答をしてくれるオトハに、アッシュは笑みをこぼす。



「サンキュ。お前ならそう言ってくれると思ったよ。けどな」


「……何だ? 何か不満か?」



 ヒヒン、と嘶く馬を宥めつつ、オトハは眉根を寄せる。



「いや、不満じゃねえよ。オト。気をつけろよな」


「? だから、言っただろう。あいつらは誰一人――」


「いや、そうじゃねえよ。お前の方だよ」


「……私?」



 アッシュの言葉の意図が掴めず、オトハはますます眉をしかめた。

 すると、アッシュは苦笑を浮かべ、



「自覚がねえみたいだから言っとくが、今回お前には守るべき者がいる。それだけでお前は不利な立場に立たされるんだ。お前は普段より危険な状態になってんだよ」



 力量差を鑑みれば、オトハにとってサーシャ達は足手まとい以外何者でもない。

 それは、どうしようもない明確な事実だった。



「だから、普段以上に気をつけろ。いくらサーシャ達が無事でも、お前が怪我するなんて論外だかんな」



 アッシュの眼差しはどこまでも真剣だった。

 オトハもまた真剣な瞳でアッシュを見据え、



「……ああ、分かったよ。私も怪我なんてする気はない。心配するな」



 そう答えると、オトハは手綱を握りしめた。

 そして馬を進ませ始めて、アッシュに告げる。



「では、行ってくる」


「ああ、行ってらっしゃい」



 アッシュは手を軽く振ってオトハを見送った。

 そしてオトハの背中が完全に見えなくなってから、ふと思い出す。



「ん? そういやユーリィの奴は?」



 そう言えば朝食以降、あの子の姿を見ていない。



「そんなにオトハを見送んのが嫌だったのか?」



 どうもオトハとユーリィはあまり仲がよくないような気がする。この一件が無事終息したら、少し関係改善の方法を考えるべきかもしれない。



「ま、それもいずれ、だな。それよりも今は仕事だ」



 なにせ、納期を破る訳にはいかない。

 そう意気込み、早速仕事に取りかかるアッシュだった。



       ◆



 ――「ドランの大樹海」への遠征。

 《業蛇》の存在確認。そして、騎士候補生達に魔獣との実戦を経験させることを目的とするそれは、三騎士団合同で行う重要な任務である。後に起きる《大暴走》に備えた国家存亡に関わる任務と言っても差支えないだろう。


 しかし、その重要性に反し、その出立は地味なものであった。


 騎士団が足並みを揃えて出陣――という訳ではなく、五人編成の各部隊が日時をずらして王都を出立し、「ドランの大樹海」の近くで陣を張る後方支援部隊に馬を預け、各自に指定されたポイントから樹海に侵入する、というのがこの任務の骨子だ。

 基本的に騎士団内のみに知らされた極秘任務。今回の任務で《業蛇》の存在がはっきり確認されるまで、国民に無用な心配をさせないための配慮である。


 誰にも見送られない、たった五人での出立。

 しかし、だからこそ、見知ったメンバーのみで構成される彼らに、緊張感というものはまるでなく、どこか余裕さえあった。


 そう。例えばこんな風に――。



「しっかし、『ラフィルの森』って広くて危ないイメージだったけど、魔獣と全然遭遇しなかったよなあ」



 馬に跨り街道を進むエドワードが、呑気にそんな声を上げた。

 同じく馬に乗って並んで進むロックが、ははっと笑い、



「『ラフィルの森』と言っても安全な街道を通っただけだろ。あそこも奥地にはそこそこデカイ魔獣がいるそうだぞ」



 そして、ザッと周囲を見渡し、



「この広い草原だってそうだ。少し街道から外れれば、二、三セージル級の魔獣が群れをなしている。だからなエド――」


「ああ~分かってるって。油断すんなってことだろ?」



 手綱を握ったまま器用に肩をすくめるエドワード。



「まったく。オニキスって本当にいつもお気楽ね」



 二人の前を進むアリシアが振り向き、呆れた口調でそう告げる。彼女の横に並ぶサーシャも、馬の背を撫でながら苦笑を浮かべた。



「まあ、戦場に着く前から下手に気を張るより、それぐらい緩い方がいいぞ」



 先頭を進むオトハが後ろに視線を向け、そう助言する。

 と、エドワードがぱあっと表情を輝かせて、



「そうっすよね! さっすが姐さんは分かっている!」



 オトハの後押しに嬉しくなったのか、鬼の首でも獲ったかのように上機嫌になった。

 が、それに対し、オトハの方は逆に不機嫌になる。



「……オニキス。何度も言っているが、姐さんはやめろ。隊長と呼べ」


「いえ! それだけはNOっす! 姐さんは姐さんっす!」


「…………」



 オトハは無言でエドワードを見据え、ふうっと溜息をついた。

 他の三人は「隊長」もしくは「オトハ隊長」と呼ぶのに、エドワードだけはどんな過酷な――凶悪とも呼ぶ――訓練を与えようが、頑として「姐さん」と呼ぶ姿勢を崩さない。何かこだわりでもあるのだろうか。



「……ああ、もう好きに呼べばいいさ」


「あざーす!」



 とうとう妥協したオトハは疲れ切ったような表情を浮かべ、視線を戻した。

 そして、五人は黙々と馬を歩かせた。


 青い空。白い雲。そして見渡す限りの大草原。

 これからピクニックに行きます、と言ってもいいぐらいの閑静とした風景だ。

 が、そんな緩い空気の中、アリシアは真剣な眼差しでオトハの背中を見つめていた。



(……《天架麗人》、か)



 心の中でオトハの二つ名を呟く。

 アリシアとて騎士を目指す者。当然、セラ大陸の大国・グレイシア皇国の《七星》の勇名は知っていた。いわく一人ひとりが一軍にさえ匹敵するとか。

 正直な気持ちを言えば、所詮は噂。眉唾な話だと思っていたのだが、この一週間に見たオトハの強さは想像絶するものだった。これほどの強さなら噂の内容も納得できる。

 しかし、アリシアには同時に気になることもあった。恐らく後ろの二人、エドワードの方は分からないが、勘の鋭いロックの方は、自分と同じことを疑っているはずだ。


 馬の背で揺られながら、アリシアは思う。

 これから実戦だというのに、こんなもやもやとした思いを抱えているのはよくない。


 うん。絶対によくないのだ。



(そう。だから仕方がないのよ。これはやっぱり訊いてみるべきよね)



 そう自分を納得させたアリシアは、少しだけ馬の速度を落とした。



「……ん? アリシア?」



 サーシャが不意に速度を落としたアリシアに首を傾げつつ、自分の馬も速度を落とさせて並んだ。必然的に後ろに続いていたエドワード達も速度を落とす。

 結果、オトハだけが気付かず先行した形になった。



「おい。エイシス。どうしたんだよ?」



 急に鈍行になった一行に、エドワードが文句を言う。

 アリシアはムッとした表情を浮かべ、エドワードの方へと振り返って告げる。



「オトハ隊長には内緒の話がしたかったのよ。隊長に訊いてもはぐらかされるような気がするし。……さてと。ねぇサーシャ。ちょっといい?」


「え? なに?」



 キョトンとした表情を浮かべるサーシャ。

 それに対し、アリシアはやや緊張した面持ちで尋ねる。



「あのね。オトハ隊長って《七星》なのよね?」


「? うん。それは間違いないと思うよ。あのコートも本物だったし」


「うん。それよそれ」



 と、相づちを打ちながら、アリシアは言葉を続ける。



「あなた、どうしてあのコートが本物って分かるの?」


「……え? いや、だってそれは以前本物を見たから――」



 そう口走った途中で、サーシャはアリシアが言わんとしていることに気付いた。



「……なるほど。エイシスの言いたいことが分かったぞ。要は師匠のことだな」


「うん。そういうこと」



 どうやらロックも気付いたようだ。しかし、エドワードだけは状況が掴めず、



「ん? どういうことだ? 師匠がどうかしたのか?」


「ったく。あなたは本当に鈍いわね。オニキス。要するに私こう思うのよ」



 アリシアは視線をサーシャに移し、



「ねぇサーシャ。はっきり聞くわよ。アッシュさんって《七星》じゃないの?」



 その台詞と共に、場が静寂に包まれる。

 ロックは無言でサーシャを見つめ、エドワードはポカンとしていた。



(……う、うう、やっぱりこの質問がきた……)



 サーシャは唐突な問いに動揺していた。が、内容そのものは予想していたもの。だから大丈夫。平穏を望むアッシュのため、事前にベストな返答を考えていたのだ。


 そう。大丈夫だ。自分はこの危機を乗り越えられる。

 そしてサーシャは大きく深呼吸して、用意していた言葉を紡いだ。



「ア、アハハ、ソンナコトアルワケナイヨ」


「「ビンゴか」」



 声を揃えるアリシアとロック。エドワードも状況を理解したようだ。



「え? マジか! 師匠まで《七星》なのか!」


「ちょっと! 声大きいわよオニキス! オトハ隊長に気付かれるでしょう!」



 と、騒ぐエドワードを黙らせ、アリシアは真直ぐサーシャの瞳を見つめた。

 対して、サーシャは一発で見抜かれて涙目だ。



「……サーシャ。あなた、アッシュさんのこと、いつから知ってたの?」



 淡々とした声のアリシア。ジト目が少し怖かった。

 サーシャはあわわと震えながら、



「え、えっと、ジラールの事件の時……」


「……それって、随分前じゃない。はあ……まあいいわ。それよりも」



 アリシアは不意に蒼い瞳を輝かせる。

 そして祈るように、手綱を握る両手を胸の前に持ってきて、



「そっかあ、やっぱりアッシュさんは……ねぇサーシャ! それでアッシュさん――ううん、アッシュ様は《七星》の誰なの! 《穿輝神槍(せんきしんそう)》? それとも《鬼喰夜叉(おにくいやしゃ)》? あっ、もしかして《双金葬守》とか! ねぇサーシャ! 一体誰なの!」



 と、馬上であることも忘れたかのような勢いでサーシャに尋ねてくる。

 そんな親友に、サーシャは頬を引きつらせた。



「アッシュ……様? えっ? えええ!? ア、アリシア、あなたまさか……」


「う、うそだろう、エイシス……。そんな、まさかお前まで……」



 愕然とした声をもらすロック。



「ん? どういうことだ?」



 一人、ポカンとするエドワード。

 すると、周囲の視線に気付いたアリシアが、カアァと顔を赤く染めて、



「へ? ち、違うわよ!? ちょ、ちょっとミーハーな気分になっただけよ!?」



 慌てて言い訳するが、すでに遅かった。



「そ、そんな、ユーリィちゃんやオトハさんだけでも大変なのに……」


「……ぐうぅ。よりにもよってか……」


「ん? だから、どういうことなんだ?」



 と、三者三様の反応を見せるサーシャ達。

 アリシアの頬はますます赤くなった。



「う、うあああ、ち、違う! だから、違うってば――」



 と、その時。



「……お前達、何を騒いでいるんだ?」



 不意にその声が割り込んできた。四人はギョッとして一斉に前を見やる。



「まったく。はしゃぎすぎだぞお前達」



 不機嫌そうにそう呟くのは、オトハだ。一人先行していることに気付き、速度を落としたのだろう。彼女はやれやれと溜息をつき、言葉を続ける。



「何をおしゃべりしていたかは知らないが、談笑はここまでだ」



 そして、オトハは「あれを見ろ」と前を指差す。

 全員が彼女の示す方向へと目をやった。



「……あっ」「……これが」



 サーシャ、アリシアが緊張した声をもらす。



「……とうとう着いたか」「おおお、想像よりでっけえ!」



 ロックは戦士の声で呟き、エドワードは興奮した面持ちで歓声を上げた。

 彼らの遥か視線の先にあるのは、広大かつ巨大な森。

 草原に横たわる、まるで闇そのものを内包したような大森林。


 ――「ドランの大樹海」が、そこに鎮座していた。

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