第八章 目覚める本懐③
――ギィンッ!
鋭い剣戟音が鳴り響く。
オトハが、繰り出した小太刀の音だ。
連撃は繰り返される。
並みの者ならば、目で追うのも難しい速度だ。
しかし、そのことごとくを、ゴドーは平然と凌いでいた。
「フハハッ! どうした、オトハ!」
言って、ゴドーは、儀礼剣でオトハの斬撃を大きく弾いた。
オトハは、険しい表情で後方に跳んだ。
すると、ゴドーは一拍の間を空けた。
オトハは舌打ちしつつ、左腕を盾に身構えた。
直後、ゴドーの砲弾のような前蹴りが襲い掛かる!
「――ぐうッ!」
左腕に直撃!
オトハは、苦悶の表情を浮かべて吹き飛んだ。
ゴロゴロと後方で転がり、即座に立ち上がる。
「どうした? 斬撃が遅くなってきているぞ?」
一方、ゴドーは追撃もせずに、儀礼剣で肩を叩いている。
「……貴様」
オトハは、ギリと歯を鳴らした。
「どこまで私を侮辱する気だ……」
先程からの攻防。
ゴドーは、自分から仕掛けることは一度もなかった。
オトハの攻撃を受け続けて反撃の繰り返しだ。
しかも、反撃の際は、オトハが防御の姿勢を取るまで待つぐらいだ。
明らかに侮辱されている。
オトハの眼光に、殺意に満ちた光が灯る。
しかし、ゴドーは気軽なもので、
「そうは言ってもな」
肩を叩くのを止めずに語る。
「俺とてあまりお前を傷つけたくはないのだ。なにせ、お前は俺の女なのだしな」
「………」
オトハはもう戯言にも付き合わない。
全身の神経を研ぎ澄ませて、小太刀を正眼に構える。
それに対しても、ゴドーの態度は変わらない。
「しかし、オトハは思ったほど体力はないのだな。胸こそ大きいが、全身は華奢で少し小柄だからか。筋肉の質は良さそうだが、筋量自体が人並み程度といったところか」
ゴドーは顎髭を撫でた。
「う~ん、これでは恐らく俺の相手は一晩持たんな。抱き潰してしまうか。まあ、それならそれで、あえて焦らして、じっくりと仕込んでやればいいだけだか」
「………」
その不快な台詞にも、オトハは無言だ。
正直、付き合うだけの余裕もない。
悪戯の権化のような男だが、こいつは――。
(……強い)
静かに、オトハは喉を鳴らした。
オトハは、対人戦において自分が最強などと思ったことはない。
少なくとも数人は自分よりも強い者を知っている。
伝説の傭兵、父――オオクニ=タチバナは別格。
同じ《七星》の一人であるライアン=サウスエンドも、オトハよりも強いだろう。
彼女が愛するアッシュもその一人だ。
彼らは、誰もが対峙すると凄まじい圧を感じたものだ。
(……こいつは)
そして、眼前の男の圧もまた、彼らに比べても遜色がない。
明らかに、自分より格上の敵だった。
(一体、何者なのだ?)
ポトリと地面に零れ落ちる汗。
オトハは、動揺と緊張を隠せずにいた。
◆
一方、動揺する者がもう一柱。
オルドス=ゾーグもまた、困惑していた。
(〈……こいつは何者であるか?〉)
名は知っている。
アッシュ=クライン。《七星》の一人であり《双金葬守》の二つ名を持つ男。
オルドスのもう一人の花嫁の養父であるという情報も握っている。
(〈ガレックを殺すほどの強者であることも知っている。知ってはいるが……〉)
まだ少しふらつく頭を片手で押さえる。
オルドスの体重は成人男性の三倍近い。それほどの筋肉密度を持っているのだ。
(〈まさか、小生を蹴り飛ばすとは……〉)
人よりも、魔獣に近い体躯。
それを、目の前の平凡そうな男は、軽々と吹き飛ばした。
驚愕すべき膂力である。
しかし、それ以上に――。
(〈……何か、ヤバいのである〉)
オルドスの直感が、そう告げていた。
この男と直接対峙してはいけない。
様々な世界を観てきた長年の経験が、警鐘を鳴らしていた。
だが、ここで退く訳にもいかない。
人間相手に退いては、神の矜持に関わる――のは、どうでもいい。
誰が相手でも、神とて死ぬ時は死ぬのだ。
特に目の前の男は、神殺しさえもあっさりやってのけそうだ。
そんな嫌な予感がする。
――危険ならば、即座に撤退。
そうして、オルドスは今まで生き延びてきたのだ。
けれど、この局面では、逃げる訳にもいかなかった。
オルドスは、ちらりと花嫁に視線を向けた。
流れるような黒髪に、優しげな黒い眼差し。鼻梁に至っては至高の域だ。
そして、何よりも、情報通り、ゆっさゆさだった。
それも想像以上だ。しかも、ただ大きいだけではない。
重力に逆らうかのように、まるで形が崩れていないのだ。
今もわずかに身じろぎするだけで微かに揺れている。まさに眼福だ。
どれほどの張りを有しているか……。
それを確かめることを想像するだけで、今から心が躍ってくる。
(〈……うむ。素晴らしいのである〉)
オルドスは、花嫁に心からの賛辞を贈った。
想像を遥かに超えて美しく、素晴らしい花嫁である。
これは何としてでも、手中に収めたい。
しかし、眼前の男をどうにかしなければ、彼女と愛を営むことが出来ないのだ。
(〈仕方あるまい〉)
オルドスは、覚悟を決めた。
次いで、タキシードの懐から、一振りの儀礼剣を取り出した。
「……あン?」
アッシュが不快そうに眉根を寄せた。
「てめえ。そのガタイで鎧機兵戦に逃げんのかよ?」
ボキボキと拳を鳴らす。
「女を奪いてえのなら、自分の拳で来いよ」
「〈……そなたは〉」
オルドスは、神妙な声で告げる。
「〈危険である。少なくとも無手で挑みたくはないのである。ゆえに、小生はこの世界で得た力で挑むことにするのである〉」
言って、儀礼剣の鞘に片手を当てた。
「〈来たれ。《冥妖星》よ〉」
途端、オルドスの後方の空間が割れた。通常の転移陣ではない。星が瞬くような異空間がそこに現れた。
そしてそこから現れたのは――。
「……そいつが《冥妖星》か」
自身も腰のハンマーに触れて、愛機を喚びつつ、アッシュが呟く。
四本の赤い角を持つ、《煉獄の鬼》のごとき異形の鎧機兵――《朱天》を傍らに、アッシュは《冥妖星》に目をやった。
――《九妖星》の一角。それも本部長格の鎧機兵。
初めて見るそれは、《九妖星》にしては、珍しく人型に近かった。
全高は、四セージル半ほどか。
全身の装甲は深い紫色。人型ではあるが両腕は長く、関節も一つ多い。大腿部は太く両足はひしゃげている。背中に竜尾はなく、代わりに甲羅のごとく膨れ上がっている。そこから、蟲の四肢を思わせるような、細く長い四本の腕が伸びていた。
頭部に関しても歪だ。円筒状で上から並ぶように八つの眼を持っているのである。アッシュからは見えなかったが、後方にも同じ数の眼があった。
静かに佇むその姿は、よくよく見ると、オルドスに似ていた。
すると、アッシュの目の前で《冥妖星》が胸部装甲を開いた。
――いや、胸部だけではない。
メインである両腕と、大腿部も割れるように開いたのだ。
「……ああ。なるほど」
アッシュは目を細める。
「メルティア嬢ちゃんの着装型鎧機兵と同じタイプか」
あの巨体だ。通常タイプの鎧機兵にはまず乗れない。
要は乗り込む鎧ではなく、正真正銘の着込む鎧ということなのだろう。
機体サイズが小さいのも円筒魔神の体格に合わせてか。
と、考えている間に、オルドスは吸い込まれるように《冥妖星》の中に納まった。
「……じゃあ、俺も用意するか」
アッシュは、隣に膝を曲げて佇む《朱天》の操縦席に乗り込んだ。
そして操縦席の中から、サクヤに呼びかける。
「サク。お前も来い」
「え? け、けど……」
サクヤは少し躊躇った。
「い、いいの? その鎧機兵は、本来は私を……」
「……気にすんな」
アッシュは苦笑を浮かべた。
「確かに、お前を乗せる日が来るなんて思いもしてなかったが、《朱天》だって受け入れてくれるさ。何よりこの状況でお前を外に放置できねえよ」
と、告げるアッシュに、
「……大丈夫だよ」
サクヤは、微苦笑で返した。
「コウちゃんから聞いているんでしょう? 私には《聖骸主》の力が――」
「……そんなものは使わせねえよ」
サクヤの台詞を遮って、アッシュが言い放つ。
サクヤは「え?」と目を剥いた。
「そんな力はもう二度と使わせねえ。それより来い。サクヤ」
アッシュは、優しく笑って問うた。
「お前の居場所はどこなんだ?」
「……あ」
サクヤは、口元を押さえて立ち尽くす。
が、すぐに、くしゃくしゃと表情を崩して。
「うん……うん。分かった」
言って、《朱天》の元へ駆け寄った。
そして、アッシュの手を掴んで引き上げてもらう。
「……サク」
アッシュは、サクヤを抱きしめた。
「少し狭いが我慢してくれよな」
「……うん。大丈夫だよ。トウヤ」
そうして二人は《朱天》の中に乗り込んだ。
アッシュが前に。サクヤが彼の背中にしがみつく状態だ。
《朱天》の胸部装甲が閉じられる。
同時に、胸部装甲の内側に外の光景が映し出されてクリアになる操縦席。
アッシュは前を見やった。
そこには、ダラリと両腕を下げて、わずかに宙に浮く《冥妖星》の姿があった。
どうやら、あの機体には不可解な飛行能力があるようだ。
「また厄介そうだな。だが」
アッシュは、操縦棍を強く握りしめた。
相棒の脈動が伝わってくる気がした。
背中には、愛しい女の鼓動も感じ取れる。
「さて。相棒」
アッシュは不敵に笑って宣言した。
「これから色々とやることがあるんだ。さっさと片付けることにしようぜ」




