第五章 ロマン・チェイサー・リターンズ!③
場所は変わり、とある宿の一室。
そこには今、黒い服を身に纏う二人の人物がいた。
――いや、片方は、とても人とは呼べないか。
「……お恥ずかしいところをお見せしました。オルドス」
椅子に座って、黒服の一人――ボルドが言う。
「〈気にする必要はないのである。ボルド〉」
テーブルを挟んで、ボルドの前に座るもう一人の黒服――オルドスが答える。
次いで、長い腕でテーブルの上のコーヒーカップを掴む。
ゆっくりと頭に近づけると、熱いコーヒーがふわりとカップから浮き、流れるように動いて円筒の頭に吸い込まれていった。
「〈うむ。中々の美味である〉」
オルドスは満足げに言った。
「〈それにボルド。そもそも恥じることでもないのである〉」
空になったカップをテーブルに置き、オルドスは告げる。
「〈《黒陽社》の幹部たるもの、ましてや《九妖星》ならば、部下が美女なら手籠めにするのは当然の嗜みである〉」
「いや、そんなことを嗜みにしないでください」
説得力がないと自分でも理解しつつ、ボルドは言い返す。
すると、オルドスは「〈……ん?〉」と、頭を横に揺らした。
「〈何を言っているのであるか? ガレックは当然のように手を出していたである〉」
「……いや、特に破天荒な男を引き合いに出されても……」
ボルドは溜息をついた。
「〈それに小生の金糸雀は全員部下である。シーラに至っては、あの子を拾った時から金糸雀にすると決めていたぐらいである〉」
「……忘れていました。あなたの方が破天荒でしたね」
ボルドは、さらに深い溜息をついた。
が、そこで表情を改める。
「ところでオルドス」
支部長として、本部長に尋ねる。
「差し支えなければお教え願えますか? どうしてあなたがここに居るのです? そもそも何故、彼女を探しているのです? 社長の密命ですか?」
「〈……ん? んん? 社、長……?〉」
すると、オルドスはあご辺りに手を当てた。
「〈……あ〉」
不意に声を零す。
ボルドは眉をひそめた。
「……オルドス? どうしました?」
「〈……しまった。忘れていたのである〉」
オルドスは、長い腕で円筒の頬辺りをかいた。
「〈そう言えば、ゴドーもこの国に連れてきていたのである〉」
「え? 社長を?」
ボルドは目を丸くした。
「どうしてこの国に社長が?」
「〈分からないのである〉」
連れてきた当人であるオルドスが、堂々とそんなことを言う。
「〈ただ、ゴドーは我が金糸雀の歌を読んで、急にこの国に行くと言い出したのである〉」
「……歌、ですか?」
ボルドは、指を組んでオルドスの言葉を反芻する。
――《冥妖星》が愛する金糸雀達の歌。
未来視の異能については、当然、ボルドも知っている。
「一体、どんな歌だったのですか?」
ボルドがそう尋ねると、オルドスは「〈そうであるな〉」と首を左右に揺らした。
そして、おもむろにゴドーが興味を持った金糸雀の詩を詠んだ。
オルドスの歌に、ボルドは眉根を寄せる。
「その歌は……」
「〈うむ。内容からしてゴドーに関係する歌ではあるな〉」
「確かにそうですが……」
ボルドは、ますます眉をひそめた。
「正直、状況が分かりません。その歌が切っ掛けだったとしても、どうして社長はこの国に来たのでしょうか?」
「〈まあ、この国に用でもあったのではないか?〉」
オルドスは、大して興味もない様子でそう返した。
ボルドは、肩を落として嘆息する。
「それで社長は今、どこにおられるのですか?」
「〈知らないのである〉」
「……え?」
ボルドは目を瞬かせた。
「え? ですが、あなたが社長を連れてきたのでしょう?」
オルドスは滅多に他人を同行させないが、非常に便利な転移能力を有している。
その能力で、ゴドーをこの国にまで連れてきたと思っていたのだが……。
「〈うむ。どうやら、どこかで落としてしまったようである〉」
「落としたって……」
ボルドは、細い目を愕然と見開いた。
「〈大丈夫である。次元の狭間には落ちてはいないのである。きっと〉」
「いや、きっとって……」
ボルドは、疲れ果てた様子で椅子の背もたれに体重を預けた。
どうやらボルドの主君は、この国のどこかに放置されたらしい。
「〈まあ、ゴドーなら大丈夫なのである〉」
と、落とした本人が言う。
ボルドは、眉間を指先で強く押さえた。
「オルドス。あなたは……」
一応、《九妖星》の一人として文句を言おうとした、その時だった。
――コンコン、と。
静かに、ドアがノックされる。
外からは「ボルドさま。私です」と声がした。カテリーナの声だ。
「……入ってください」
そう告げると、「失礼します」と言って、カテリーナが入室してきた。
当然ながら浴衣姿ではない。彼女も黒服だ。赤い眼鏡こそしていないが、頭頂部で髪を団子状で纏め、唇には紅い口紅を引いている。
凛とした表情。まさしく、仕事時のカテリーナの姿だ。
カテリーナは支部長と本部長に一礼をすると、
「ゾーグ本部長のご依頼の件、調べ終わりました」
そう報告した。
「〈おお! そうであるか!〉」
オルドスが喜色満面に立ち上がる。
カテリーナはオルドスの前にまで移動すると、一枚の紙きれを差し出した。
「メモで申し訳ありませんが、彼女の居場所です」
「〈おおお……〉」
オルドスは、そのメモを丁重に両手で受け取った。
ボルドはその様子を一瞥しつつ、カテリーナに告げる。
「よくこの短期間で見つけられましたね」
「彼女の容姿は目立ちますから」
と、いつものごとく事務的に答えるカテリーナ。
公私混同はしない。流石は《黒陽社》が誇る才媛の一人だった。
ボルドは苦笑する。が、すぐに表情を改めて。
「それにしてもオルドス」
ボルドは、メモを神器のように両手で掲げるオルドスに尋ねた。
「どうして彼女の居場所を?」
「〈うむ! そうであるな!〉」
オルドスは、そわそわと窓辺に向かいながら答える。
「〈小生の子を産む花嫁は多い方がいいのである! ましてや、彼女の方は待たずともよいであるゆえに!〉」
「……え?」
ボルドは目を丸くした。
「え? 子? 花嫁? どういう意味です? オルドス?」
続けてそう尋ねるが、興奮気味のオルドスは聞いていない。
窓辺に足をかけると、黒い翼を広げた。
「〈感謝する! ボルド! そしてボルドの金糸雀よ!〉」
オルドスはボルドとカテリーナに、片手で敬礼して告げた。
「〈休暇の邪魔をしたのである! 後半戦、頑張るのである!〉」
そうして、オルドスは羽ばたいて行った。
後に残されたボルドは、未だ唖然としていたが、
「ボルドさま」
カテリーナの声にハッとする。
「カ、カテリーナさん?」
ボルドは、恐る恐る彼女の方に振り向いた。
けれど、彼女は仕事時の顔だった。
「では、予定通りボーダー支部長の所に参られますか」
「え? あ、そうですね」
ボルドは頷く。それに対し、カテリーナは「承知しました」と答える。
「では、宿の女将に出かけることを告げてきます」
言って、ボルドに一礼するが、そこでポツリと言葉を添える。
「後半戦は……今夜にということで」
「え……?」
ボルドは唖然とするが、カテリーナはツカツカと歩き去ってしまった。
パタン、とカテリーナによって、部屋のドアが締められる。
一人残されたボルドは、しばし茫然としていたが、
「……やれやれですね」
ようやく思考が復帰し、ボルドは嘆息して呟いた。
「どうやら、ボーダー支部長達に話さなければいけないことが増えてしまったようです」




