第四章 居候、やる気出す①
晴れ渡った空。小鳥達がさえずる爽快な朝――。
クライン工房二階、茶の間にて、アッシュ、ユーリィ、オトハの朝食をとっていた。
「…………」
ユーリィは極めて不機嫌だった。目の前で繰り広げられる忌わしき光景を睨みつけながら、ただ黙々とオトハが用意した「和風」の料理を口に運んでいる。
「オトー、頼む」
「ん、分かった」
一体何を頼んで、何を頼まれたのか。
そういった確認の手順を一切飛ばし、オトハは卓袱台の端にある胡椒瓶を手に取るとアッシュに差し出す。アッシュは視線も向けず受け取ると、
「サンキュ。あ、オト、また頼む」
「ん、分かった」
アッシュが無造作に差し出した空の茶碗を手に取り、オトハは自分の近くに置いてあった木製のおひつから白いご飯をよそう。そして、再びアッシュに茶碗を手渡した。
「しっかし、よくアロン産の白米なんて手に入ったな」
「まあな。中々大変だったぞ。市街区を歩き回ったしな」
「ははっ、ごくろうさん。けど、オト、随分と料理の腕をあげたなあ」
と、アッシュが感想を述べると、オトハは少し視線を逸らして。
「そ、そうか? ま、まあ、私も女だし人並み程度には習得しておこうと思ってな」
「いや、これなら充分だろ。オトは良い嫁さんになれるぞ」
「よ、嫁ッ!? そ、そうか、私は……ンの、嫁になれるかな?」
しゃもじを両手で持ったまま、顔を赤くして俯くオトハ。
その光景を横で見ていたユーリィが、ますます不機嫌になる。
(…………むう)
オトハが滞在するようになってから五日間、ずっとこんな感じだ。
例えるなら、意志疎通が熟年の域にまで達している新婚夫婦。
ユーリィとしては、当然面白くない。元々、オトハが今していることはすべて自分の役目だったはずだ。アッシュの最有力嫁候補は自分のはずなのだ。
だというのに、オトハが来てからというもの――。
(……やっぱり黒毛女は危険すぎる)
ユーリィは改めてオトハの危険性を認識する。
そもそもこの女は非常にまずい相手なのだ。今の段階では、アッシュはまだオトハを妹分のような認識でいる。ユーリィの眼力はそう見抜いていた。
しかし、ユーリィはアッシュの女性の好みも見抜いているのだ。
(……だから、まずい)
思わず箸を握る手に力が入るユーリィ。
彼女の判断からすると、オトハはアッシュのストライクの女性であった。
よく心配りができる真面目な性格で、なおかつ気を許せる相手。少し鋭さはあるが、充分すぎるほど整った顔立ち。そして平均を軽く超える見事なプロポーション。
何より、あの艶やかな紫紺の髪は《彼女》の黒髪を彷彿させて――。
と、ユーリィはそこまで考え、
(……ダメ。最後のはなし)
不謹慎だったと少し反省する。
ともあれオトハは危険すぎる。いかにアッシュの鈍感さを以てしても、四六時中あんな「あなたが大好き」オーラを出し続けていれば、いつかは気付くかもしれない。
ここは何かしらの対策をうたなければ……。
ユーリィは熟考し、
「……ねえ、オトハさん。仕事はしないの?」
自然とそんな言葉が出てきた。
オトハ、そしてアッシュが、キョトンとした表情を浮かべる。
そしてしばしの沈黙の後、アッシュが苦笑をこぼして、
「おいおい、ユーリィ。オトは休暇で来てんだぜ。仕事なんて――」
「……アッシュは黙って」
「え? いや、けど……」
「……黙れ」
「…………お、おう」
有無を言わせないユーリィの迫力の前に、沈黙するアッシュだった。
そして女性二人が見つめ合う。
「……オトハさんは傭兵なんでしょう。いつまでも遊んでいたら勘が鈍る」
そう淡々と告げるユーリィに、
「……確かにお前の言うことはもっともだ。しかし、私はまだこの国に滞在するつもりなんだ。そうなると、この平和の国に傭兵の仕事はない」
これまた淡々とオトハが返す。
ユーリィは眉をしかめた。確かにその通りだ。実は、ほとんどの国にある傭兵ギルドがアティス王国にはない。他国ならば傭兵を行うような仕事――例えば魔獣の討伐などとかは、この国では第二騎士団が一手に引き受けているからだ。
そんな状況で、傭兵のオトハにこの国で仕事を探せというのは無茶な話だった。
(……だけど、まだ手はある)
だが、ユーリィはそれでも諦めない。何としてもオトハを引き離したかった。
彼女の危険性は言うに及ばず、何よりもアッシュとの大切で幸せな二人きりの時間を取り戻すのだ!
ユーリィはちらりとアッシュの方へと視線を向け、
「……アッシュ」
「お、おう。何だ? ユーリィ」
思わず居ずまいを正すアッシュ。ユーリィは感情のない声で問う。
「アッシュは第三騎士団長と知り合いだったでしょう? 何かオトハさん向きの仕事はないか聞けないの?」
「アリシア嬢ちゃんの親父さんにか? いや、何もそこまでして……」
「聞けないの?」
懇願するようなユーリィの声。しかし、アッシュは、
「…………いや、けどなあ……」
よほどアリシアの父に借りを作りたくないのだろう。なお渋るアッシュに、ユーリィは普段は滅多に使わない、本音を言えば使いたくもない『切り札』を思い浮かべた。
これを使った時の心的ダメージは凄まじいのだが、それも仕方がない。
ユーリィはキュッと下唇をかみしめてから、
「……アッシュ」
本当は誰よりも愛しい男性の名を呟き、『切り札』使用の覚悟を決める。
そして潤んだ眼差しでアッシュの顔をじいっと見つめ、
「……ん? どうした、ユーリィ?」
キョトンとするアッシュに、ユーリィは甘えるような声で囁くのだった。
「ねえ、お願い。『お父さん』」
一拍の間。
「――おうよ! まかせておけ!」
どんっと胸板を叩いて安請け合いするアッシュの姿がそこにあった。
「……相変わらずエマリアにはとことん甘いな、クライン……」
「いやいや! だってさオト! ユーリィが俺のこと『お父さん』って呼んだんだぞ! どんなことだって聞いてあげたくなるだろ! そうだろ!」
「いや、私に同意を求められても困るんだが……」
そんなやり取りをするアッシュとオトハの傍ら、ユーリィは内心でほくそ笑む。
どうにか上手くいった。アッシュを「お父さん」と呼ぶことによる彼女の心的ダメージは計り知れないが、それほどの代償を払っただけの価値はある。
(……これでアッシュとの時間が取り戻せる)
確かな手ごたえを感じ取り、ユーリィは正座した膝の上でグッと拳を握りしめる。
そして、自分がどれほど嬉しかったかを語るアッシュと、こればかりは霹靂するオトハを横目に、ユーリィがホッと安堵の息をついた時だった。
「……ごめんください」
とてもか細い声が一階から聞こえてきたのは。
アッシュ達は騒ぐのやめて互いの顔を見合わせた。
「……今の声、メットさんか?」
「うん。私にもそう聞こえた。けど、今の時間って騎士学校なんじゃ?」
「……何か用があるんじゃないか? とりあえず客人なら食事を片すぞ」
疑問符を浮かべるアッシュとユーリィをよそに、テキパキと卓袱台ごと食事をどけるオトハ。やはりよく気がきく真面目な女性だった。
アッシュは相変わらずなオトハの行動力に苦笑を浮かべつつ、
「ああ、オト。ユーリィ。片付けは頼むぞ」
「「ん。分かった」」
見事に声を唱和させた女性陣を背に、アッシュは階段を下りる。そして軽快な足取りで一階に辿り着くと、そこにはやはりよく知る少女が一人佇んでいた。
「……いらっしゃい。メットさん」
「お邪魔します。先生」
やや薄暗い工房内。
アッシュの歓迎に、サーシャはどこかぎこちない笑顔で返すのだった。
◆
茶の間は静寂に包まれていた。
人がいない訳ではない。アッシュ、ユーリィ、オトハ。そして客人たるサーシャ。卓袱台をどけて広くなった部屋に彼らは集まり、各々好きな場所で座っていた。
しかし、誰一人話さない。沈黙を守っている。皆サーシャの動向を窺っているのだ。
恐らくサーシャは何か大切な用事があって来たのだろう。いつものヘルムや鎧を持ってきていないところを見ると、かなり精神的にくるような案件かもしれない。
だが、どうも切り出すタイミングを計りかねているようだ。
サーシャは少し俯いたまま動く気配がない。
(……仕方がねえな)
アッシュは、ううんと喉を鳴らしてから、会話を切り出した。
「メットさん。今日はどうしたんだ? 今は学校の時間だろ?」
静寂を破ったアッシュの言葉に、サーシャはようやく顔を上げた。
「……はい。実は今日は臨時休校でして」
「臨時休校? なんでまた?」
首を傾げるアッシュに、サーシャは覚悟を決めたのか、語り始める。
「……あの実は、明日から一週間、いえ、もしかすると、その後もしばらくはここに来られなくなるかもしれないんです」
「そりゃあ、どういうことだ? 臨時休校と何か関係あるのか?」
アッシュは眉根を寄せる。友達の言葉に、ユーリィも顔をしかめていた。
サーシャはこくんと頷き、
「はい。実は昨日――」
そう切り出して、昨日、教官から告げられた内容を話す。
目覚めたらしい《業蛇》のこと。それにより《大暴走》が起きる可能性があること。
そして、《業蛇》の存在確認と、騎士候補生達に《大暴走》に備えての実戦演習を行うため、一週間の強化訓練を実施したのち、「ドランの大樹海」へと遠征すること。
その話にユーリィは心配そうに眉をひそめ、オトハはただサーシャを見つめていた。
そしてアッシュは、おもむろに口を開く。
「……なるほど。《業蛇》か。エイシス団長からは聞いていたが……」
「……? ガハルドおじ様ですか? おじ様から《業蛇》のことを?」
意外な名前にサーシャは首を傾げる。
「ん? ああ、以前ふとした切っ掛けで聞いたのさ」
と、一部の事実だけを告げて、アッシュはサーシャに問う。
「しかし、メットさん。その《業蛇》ってのは手あたり次第、魔獣を襲いまくってんだろ? そんな奴がいる樹海で演習なんて出来んのか?」
もっともな意見を言うアッシュに、サーシャは答える。
「……その辺は大丈夫だそうです。何でも過去の資料によると、一般の魔獣達と違い、何故か《業蛇》はこちらから攻撃しない限り鎧機兵を襲わないそうです」
サーシャの台詞に、アッシュはポンと手を打った。
「「あー……なるほど」」
そして、何故か声を揃えて納得するアッシュとオトハ。
サーシャは目を剥き、ユーリィは不思議そうに首を傾げる。
「……どういうこと? どうして『なるほど』なの?」
ユーリィの疑問にアッシュは苦笑を浮かべつつ、オトハと顔を合わせる。
「これってあれだよな。『大喰らいのスカガニ説』」
「うん。私もそう思った。話を聞く限り《業蛇》とやらにも当てはまる」
ここでも息を合わせる二人に、ユーリィが不機嫌そうに頬を膨らませる。
「……二人だけで納得しないで。早く教えて」
「ははっ、悪りい。そうだな、ユーリィ。メットさん。『スカガニ』って知ってるか?」
と尋ねてくるアッシュに、二人の少女はまるで心当たりがなかったのか「知らない」「すいません。知らないです」と即答する。
「エマリア達が知らなくても無理もない。『スカガニ』というのは、セラ大陸の北方海岸に生息する珍しい蟹のことなんだ」
アッシュの代わりにオトハがそう答える。
「かなりでかい蟹でな。しかも凶暴なんだよ」
アッシュがそう付け加えた。
「……どうして蟹の話が出てくるの?」
小首を傾げるユーリィに、アッシュはあごに手を当て、
「この蟹な。中身がスカスカ……っていうか、甲羅ばっかで身が全然ないんだよ」
食べたことがあるのか、しみじみとアッシュはそう語るのだが、ユーリィとサーシャには疑問しか残らない。すると、オトハがくすくすと笑みを浮かべ、
「要は私達傭兵の間での噂みたいなものなんだ。大喰らいの魔獣はいつも腹を空かせている。でも、鎧機兵はそこそこ大きいくせに喰えば金属ばかり。中身がない。スカガニみたいに喰う価値がないって魔獣達は思っているんだろうって。そんな噂だ」
「けど、これ結構信憑性のある噂なんだぜ。事実、大喰らいの魔獣が自分から鎧機兵に襲い掛かったって話は聞いたことがねえし」
「「へえー……」」
おかしな話もあるものだと、感嘆の声を返すユーリィとサーシャ。
「ちょっと、話が脱線しちまったな。さてメットさん」
「あ、はい」
名前を呼ばれ、サーシャが居ずまいを正した。
アッシュは腕を組み、改めて本題を確認する。
「話は分かったよ。要するにしばらくの間、講習は中断ってことでいいんだな?」
「……はい。ごめんなさい」
「いや、謝る必要なんてねえよ。それよりも……」
そう呟くと、アッシュはサーシャの琥珀色の瞳をじいっと見つめる。
「……アッシュ?」
いきなり沈黙したアッシュにユーリィが首を傾げる。と、
「……エマリア。静かに」
何かを察したのか、オトハがユーリィを窘める。
ユーリィは少しムッとするが、アッシュの様子が真剣なのは明白だ。彼女は沈黙した。
そして静寂の中、困惑するサーシャに対し、ようやくアッシュは口を開く。
「サーシャ。師として言うぞ。絶対に無理はするな」
「……え?」
サーシャは自分の心情を見抜かれたようで唖然とした声を上げた。
アッシュは淡々と続ける。
「その《業蛇》ってのに限らず、固有種ってのは例外なく強い。充分な数と地の利を得てなお勝てるかどうか分からない相手だ」
「……先生」
「絶対に《業蛇》に手は出すな。これは師としての命令だ。破れば破門だからな」
アッシュはサーシャの瞳から目を離さずにそう告げた。
(……先生)
サーシャはしばし呆然としていた。実はサーシャは機会があれば《業蛇》に挑もうと考えていた。なにせ、《業蛇》は間接的ではあるが母の仇とも呼ぶべき存在だ。
――隙あらば殺す。そんな暗い情念を抱いていた。
しかし、それをアッシュは簡単に見抜いてしまった。
何故自分の考えがばれたのだろうか。その理由は分からない。
けれど――。
「サーシャ……」
自分を呼ぶ優しい声。
アッシュが心の底から自分を心配してくれていると感じ取れた。
さらに彼は告げる。
「サーシャ。俺はお前が死んだら哀しいぞ」
「……先生」
サーシャはくしゃくしゃと顔を歪める。それでも、それでもなお迷うが、結局サーシャにはアッシュの気持ちを無下にすることなど出来なかった。
彼女はグッと唇をかみしめ、断腸の思いで決心する。
「……分かりました。破門は嫌ですし」
「……そうか」
アッシュは再び、サーシャの琥珀色の瞳を見つめる。
一秒、二秒と瞬きもせず見つめ続け、
(……うん。どうやら大丈夫そうだな)
サーシャの瞳から暗い炎が消えたことを確認し、内心で安堵の息をもらす。
すると、ずっと顔をまじまじと見られ続けて恥ずかしくなったのか、不意にサーシャがそそくさと立ち上がり、
「え、えっと、それじゃあ私そろそろお暇しますね。明日からの準備もありますし」
「おう。そうか」
アッシュも彼女を見送るため立ち上がる。
これまで二人の様子を見守っていたユーリィ、オトハも同様だ。
「それじゃあ失礼します。先生、オトハさん。じゃあまたね。ユーリィちゃん」
「おう。気をつけてな」「ああ、またな」「うん。メットさんまたね」
三者三様に返事をする三人。サーシャは笑みを浮かべて最後に一礼した後、階段の方へと向かう。が、ふと立ち止まった。
「……あの、先生」
おずおずと振り返るサーシャ。
「ん? どうした?」
アッシュが問うと、彼女はもじもじと手を動かし始めた。視線も忙しく動いている。
その仕草に、アッシュはキョトンとした表情で首を傾げるが、ユーリィ、オトハは何やら嫌な予感でもするのか、頬を引きつらせていた。
サーシャは頬を染めてアッシュに言う。
「あ、あの、あのですね、私……実は少し怖いんです」
「……怖い?」
「はい。《業蛇》の件は別にしても、魔獣との戦闘は今回初めてですし。だから、その……緊張して、怖くて……だ、だから!」
サーシャは消え入りそうな声を、奮い立たせて張り上げる。
「ギュ、ギュッと! 少しだけでいいから、ギュッとしてくれませんか!」
と、言い放ってから、恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、サーシャは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
アッシュはそんな少女の様子に、苦笑を浮かべて頬をかき、
「ははっ、まぁ初陣なら誰もがそうなるもんだもな」
「「…………」」
ボケた台詞を吐くアッシュを、ユーリィとオトハは無言で睨みつけた。
しかし、同時に彼女達は内心で舌を巻いていた。
(……流石メットさん。甘えるタイミングを見逃さない。やっぱり侮れない人)
ユーリィは相も変わらない恋敵の手腕に、感嘆を覚え、
(……くっ、そうか。そんな手があったのか……。私にも似たような状況ならいくらでもあったのにッ!)
オトハは自分には思いつかなかった手段をとる少女に、憧憬を覚えていた。
何にせよ、これは見事な好手だ。この状況なら間違いなくアッシュは――。
「はは、ほらメットさん。おいで」
まさに予想通り。優しい声でサーシャを誘う。
「せ、先生ぇ……」
サーシャは顔を上げると、アッシュの胸の中へ飛び込んだ。
アッシュは再び苦笑を浮かべつつ、サーシャの銀の髪を撫でてやる。
「ったく。実戦ならジラールで経験しただろ」
「ジ、ジラールと魔獣とじゃ全然違いますよぉ」
と言いながら、サーシャは子猫のように目を細めて今の状況を堪能した。
そうして三分ほど経ち、サーシャはアッシュから離れた。その顔には何やら充足感に満ちていた。きっとアッシュからでしか補充できない成分を補充したのだろう。
そしてアッシュの後ろに立つ鬼神めいた殺気を放つユーリィとオトハを一瞥した後、
「そ、それじゃあ! 今度こそ失礼します!」
そう元気に告げて、サーシャは階段を飛ぶように下りて去っていった。
見事な撤退ぶりだ。恐らくここにいると危険だと判断したのだろう。
「……天然そうに見えて侮れないな、あの少女」
「……メットさんは基本天然だけど、時々腹黒くなる」
逃げ去った少女を、改めて警戒するオトハとユーリィだった。
まあ、それはさておき。
「ねえ、アッシュ」
ユーリィがアッシュの服を掴んで声をかける。
「……ん? 何だ、ユーリィ」
「あのね、今回の件、アッシュならどうにか出来るんじゃないの?」
「……《業蛇》を倒すってことか?」
こくんと頷くユーリィ。
「……正直、やってみないと分からないな。まず出くわす可能性も分からんし、密林での戦いがどう転ぶかも分かんねえ。固有種とは何度かやりあったことはあったが、どいつも倒すまでには至らなかったからな。それに……」
「……それに?」
反芻するユーリィの頭に、アッシュは手をポンと置き、
「……今の俺は工房の職人だ。騎士じゃない。簡単に命懸けの戦いには出れねえよ」
アッシュには大切な者がいる。ユーリィを再び一人ぼっちにさせないためにも、勝てるかどうか分からないような戦いは極力避けなければならない。
アッシュのそんな真意を感じ取ったのだろう。ユーリィは何も言わなくなった。
「まあ、メットさんとアリシア嬢ちゃんのことは心配ではあるけれど、それは信じるしかないしな」
アッシュはそう言って、幼い子供のように自分にしがみつくユーリィの頭を撫でた。
一方。その傍らで。
オトハが静かにその様子を見つめていた。特にユーリィの様子を。
(……あのエマリアがな)
オトハは少し驚いていた。彼女が知るユーリィ=エマリアという少女は、ほとんど他人には関心を示さず、いつもアッシュの後ろだけを追っているようなイメージだったのだが、どうやらこの国で大分心境が変わったらしい。
(……これは使えるかもしれないな)
ふと、一つのプランが思いつく。が、かなり運任せ。細かいところに至っては穴だらけのプランだ。しかし、使えなくもない。
(よし。やってみるか)
どちらにしろ、そろそろ動くつもりだったのだ。
決断し、傭兵の顔となったオトハは、ぼそりとアッシュに声をかける。
「ところでクライン。少しいいか」
「ん? 何だよオト。改まって」
「食事の時の話だ。お前、この国の騎士団長の一人にコネがあるのは本当か?」
オトハの問いかけに、アッシュは眉をしかめる。
「コネっていうほどじゃねえけどな。それがどうしたんだよ」
「……いや、そうだな。おいエマリア」
今度はユーリィに声をかけるオトハ。
未だアッシュの腰に掴まって離れないユーリィが、オトハに視線を向ける。
「……なに?」
「喜べ。お前の望み通りにしてやるぞ」
いきなりそんなことを告げるオトハに、ユーリィは眉根を寄せた。
「……何が望み通りなの?」
「お前、さっき言っていただろう? 私は決めたぞ。そう――」
不敵な笑みを浮かべたオトハは、堂々と腰に手を当てると、
「私は、働こうと思う!」
たゆんっと豊かな胸を張ってそう宣言した。