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第三章 蠢く蛇①

 アティス王国・市街区。食料品店が立ち並ぶ大通りにて。



「よいっしょ。意外と大荷物になったな」



 アッシュは手に持つ大きな紙袋を持ち直した。中に入っているのは、主に香辛料を中心とした日常品だ。丁度少なくなってきていたので今日買い足したのだ。



「まったく。あいつらときたら、料理ばっか夢中にならず少しは手伝えよな」



 と、愚痴めいた台詞をこぼすアッシュ。しかし、その表情は嬉しそうだった。

 いや、実際嬉しいのだろう。なにせ、二年半ぶりに旧友と再会し、その元気な姿を見ることが出来たのだ。嬉しくない訳がない。

 アッシュは知らず知らずの内に、口元を綻ばせる。



(ははっ、変わってなかったな。オトの奴)



 あの劇的(?)な再会から、すでに三日が経っていた。

 結局、あの後、どうにかオトハが再起動し、カタコトながらも会話が成立するようになった。オトハいわく休暇でこの国に来たそうだ。



『へえ、休暇か。じゃあ、しばらくいるんだな。どれくらい滞在する予定なんだ?』


『えっ、滞在、き、期間は、特に、決めて、ない……』



 何故か目線を合わさず俯いて呟くオトハ。アッシュは訝しげに眉根を寄せた。やはりオトハの様子がおかしい。アッシュは少し考え込んでから決断した。



『うん、そうだな。オト。この国にいる間は俺の家に泊まれ』


『え? ……ななっ!? と、泊まるっ!?』



 一体何に驚いたのだろうか。オトハは愕然と目を見開いた。



『ん? 何だ? もう泊まる宿とか決めてんのか?』



 そう問うアッシュに、オトハはふるふると首を横に揺らす。

 彼女の返答に、アッシュはふっと笑い、



『おし。なら決まりだな』



 と、勝手に話を進めるのだが、これに猛反対した者がいた。

 それは同居人であるユーリィと、何故か無関係のはずのサーシャだった。

 理由は分からないが、とにかく二人は猛反対した。



『アッシュ! それはダメ! 絶対にダメ!』


『先生ッ! それは危険すぎます!』



 そして次から次へと出てくる反論の言葉。最終的にサーシャは、オトハを自分の家に泊めてもいいとまで言いだしたが、アッシュは頑として聞き入れなかった。

 オトハの調子がおかしいのは明白だ。こんな状態の彼女を放置することなどアッシュには出来なかった。結局、二人は揃ってリスのように頬を膨らませて拗ねたのだが、アッシュの要望を受け入れてくれた。

 こうしてオトハは今もクライン工房に滞在しているのである。



(まあ、効果があったかは分かんねえが、オトも調子を取り戻せたみてえだしな)



 アッシュはこの三日間を思い返し、苦笑する。

 一日目はまだぎこちなかったオトハの様子も、三日目となるとアッシュの知る凛とした彼女へと戻っていた。様子が変だったのは、きっと疲れが溜まっていたからだろう。そもそも当人も休暇に来たと言っていたぐらいだ。



「まあ、ちょっとホッとしたかな。もしオトに何かあったら団長に殺されるからな」



 と、呟きながら、アッシュは乗合馬車の停留場に辿り着いた。どしっと長椅子に座って静かに馬車を待つ。予定ではあと十分もすれば来るはずだった。

 停留場には他に人はいない。

 手持無沙汰になったアッシュは思い出に浸ることにした。



「……団長、か」



 傭兵団《黒蛇》の団長。オトハの実父。有無を言わせない迫力を持つ大男であり、アッシュにとってはもう一人の父と呼んでもいいほど尊敬する人物だ。



「はは、団長とも久しく会ってねえな」



 ちなみに娘のオトハには常に厳しく接しているように見せかけて、その実、誰よりも溺愛している、そんな親父だ。

 そして、ただ力だけを求めていた自分を何も聞かず受け入れてくれた恩人でもある。

 アッシュは少し反省する。新しい生活の忙しさにかまけてつい失念していたが、長年の目的をやり遂げ、こうして平穏な日々を過ごすようになったのだから、団長には一度会いに行って、きちんと挨拶すべきではないだろうか。



「……うん、そうだよな。いい機会か。今度、オトと一緒に挨拶に行くか」



 背もたれに重心をかけ、そんなことを呟くアッシュ。

 男が娘と一緒に挨拶に来るという意味にまでは考えが及ばない青年であった。

 ともあれアッシュが目を瞑り、より深く思い出を手繰ろうとした、その時だった。



「……おや? クライン殿?」



 不意に名前を呼ばれた。それも聞き覚えのある声だ。

 アッシュは瞳を開け、声のした方に首を傾げる。



「ん? あんたは……」


「こんな所で出会うとは珍しいですな。クライン殿」



 そう答えるのは、カイゼル髭をたくわえた壮年の男性。あしげの馬に乗り、黄色のサーコートを纏った大柄な騎士だ。

 アッシュは無礼と思いつつ、苦笑してしまった。



(いや、確かに「団長」に会いてえとは思っていたが……)



 これは何の因果か偶然か。

 そこにいたのは「団長」は「団長」でもアティス王国第三騎士団の「団長」だった。



       ◆



 《獅子の胃袋亭》――。

 以前、サーシャに教えてもらったその店で、アッシュと騎士団長は一服していた。

 比較的この店が停留所に近い路地にあったのと、騎士団長が一杯奢ってくれるということで二人してこの店までやって来たのだ。

 頼んだコーヒーの香りが鼻孔をくすぐる中、団長がおもむろに口を開く。



「ふふっ、こんな場所で出会うとは偶然とは面白いものですな」


「……まあ、そうだな」



 アッシュは苦笑いを浮かべて答える。

 この騎士団長とは、とある事件で知り合いになった間柄だった。しかし、普段はあまり会うこともなく直接会うのは、かれこれ一ヶ月ぶりぐらいだ。


 正直言ってアッシュはこの団長が苦手だった。どうにも底が見えない。まるでかつて自分が所属していた騎士団の、あの腹黒い副団長を思わせる男だ。


 と、そんなことを考えていたら、



「ところでクライン殿」



 コーヒーに一口つけて、団長が会話を切り出してきた。



「最近、娘がよくお邪魔しているようで」


「ん? ああ、アリシア嬢ちゃんか。ああ、よくメットさんと一緒に遊びに来るよ」


「はは、ガサツな娘で申し訳ありません」



 自嘲のような笑みを浮かべて、団長がそう告げる。

 ――そう。彼の名はガハルド=エイシス。

 サーシャの親友・アリシア=エイシスの実父であった。まあ、アッシュがそれを知ったのは、彼と出会って三日後のことだったが。

 そのことについても、アッシュがガハルドに苦手意識を持つ要因の一つだ。



(……まったく。喰えないおっさんだ)



 コーヒーの香りを嗅ぎながら、アッシュは思う。

 アリシアはサーシャの幼馴染だ。当然、ガハルドはサーシャと面識がある。いや、それどころかアリシアの話では、ガハルドはサーシャを娘同然に溺愛しているらしい。

 だというのに、初めて出会った日。

 サーシャが攫われるという緊急事態において、眼前の男はサーシャに対して見知らぬ他人だと言わんばかりの平然とした態度をとっていた。見方によっては公私混同をしないというスタンスにも見れるが、むしろあれは――。



(結局、あの時の態度は全部挑発か。体よく俺を動かすための)



 まんまと掌の中で踊らされ、アッシュとしては、してやられたといったところだ。

 まあ、事件後は色々と便宜を図ってくれたので、ありがたいとも思っているのだが。



「はは、アリシア嬢ちゃんは良い子だよ。友達思いだし」


「ふふ、そう言って頂けるとありがたい」



 と、笑みを浮かべて返した後、ガハルドはわずかに眉間にしわを寄せて小声で呟く。



「(……まあ、私としては最近やたらと『アッシュさんは』とか『アッシュさんが』を連呼するので別の意味で心配なのだが……)」


「ん? 何か言ったか?」


「……いえ、ああ、そうだ。一つ連絡したいことがありました」


「……連絡? 俺にか?」



 前述した通り、ガハルドとはそれほど縁がある訳ではない。一体何の話だろうか。

 アッシュが訝しげに眉根を寄せていると、ガハルドは机の上で両手を組み、慎重な口調で切り出してきた。



「……アンディ=ジラールの処遇についてです」


「ッ! ……どうなったんだ、あの野郎は?」



 アッシュの眼光が鋭くなる。

 アンディ=ジラール。かつて、サーシャ、そしてユーリィまで誘拐した男。アッシュにとっては問答無用で塵に変えてやりたいと願うほど許しがたい男だ。

 なにせ、この男のせいで軽かったとはいえサーシャは怪我を負い、ユーリィに至っては一度命を落としている。幸いにもサーシャの活躍のおかげでユーリィは助かったが、危うくアッシュは愛娘を永遠に失うところだったのだ。許せるはずもない。



「王立裁判所の裁定は、二十年の禁固刑。執行猶予はなしです」



 淡々と語るガハルドに、アッシュは目を見開いた。



「……二十年か。ザマァみろとは思うが、予想よりかなり重いな」



 確かアンディ=ジラールの表向きの罪状は、未成年者略取及び、「ラフィルの森」の大規模破壊活動だったはず。禁固刑二十年は重すぎる。



「あの野郎が実際にやったことは、はっきり言えば国家存亡クラスの大暴挙だ。けどそれは裏事情だろ? 表向きの罪状でそこまで重い罪は周りが納得すんのか?」



 アッシュの疑問に、ガハルドは頷いて答える。



「ええ。今回だけは通ります。まあ、父親であるゴードン=ジラールは上告すると訴えていますが、まず無駄でしょうな。なにせ、あの事件は各騎士団の上級騎士達、そして何よりも国王陛下の逆鱗に触れたものでしたから」


「へ? 国王って……なんでだ?」



 いきなりこの国の最高権力者の名が出てきてアッシュは唖然とした。いや、確かに国家存亡クラスの大ごとなら、国王が出張ってきてもおかしくはないのだが……。

 アッシュは神妙な声でガハルドに問う。



「……あんた、国王陛下に真相をどこまで報告したんだ?」



 あの事件の解決の際、アッシュは自分とユーリィの素性だけは隠して欲しいとガハルドに依頼した。この男が約束を違えるとは思えないが、もしかしたら主君に対してだけは真相を伝えているのかもしれない。そう考え、尋ねたのだが……。



「……何も。不忠ではありますが、陛下は表向きの事情しかご存じありません」


「はあ? それでなんで逆鱗に触れんだ?」



 ますます分からない。すると、ガハルドには苦笑を浮かべて、



「多くの上級騎士達。そして陛下がお怒りになられたのは、アンディ=ジラールが、あの子を――サーシャを傷つけたからです」


「へ? メットさん? なんでメットさんの名前がそこに出てくんだ?」



 アッシュが首を傾げると、ガハルドは昔を懐かしむように目を細めた。



「正確に言えば、エレナ=フラムの娘に手を出したからです。サーシャは成長するにつれどんどんエレナさんに似てきている。あの子の姿を見てエレナさんを思い出す騎士達も多いでしょう。そんなサーシャを傷けるなど言語道断。あの温厚な陛下でさえ、今回の罰はまだ温いと仰るほどです」



 アッシュは呆然とした。何だそれは? サーシャはこの国の偶像(アイドル)なのだろうか。

 いや、今の話だと、むしろ偶像なのは彼女の母親のように聞こえる。

 と、その時、訝しむアッシュに、ガハルドは告げた。



「……クライン殿。あなたはサーシャの師であり、恐らく彼女が最も信頼を寄せている男性だ。だからこそ、話しておきましょう。彼女の母――エレナ=フラムについて」



 シンとした静寂が訪れる。



「……どうやら、真面目な話みたいだな」



 アッシュは居ずまいを正した。サーシャはアッシュの大切な愛弟子。ユーリィにも劣らない彼にとっての守るべき者だ。ならば、真摯な態度で返さなければならない。



「分かった。エイシス団長。教えてくれ。サーシャのお袋さんについてを」


「……分かりました」



 そうしてガハルドは語り始めた。

 十年前に起きたとある事件を。訥々と。

 ほとんど客がいない店内に、店主のグラスを磨く音だけが響く。

 そして、



「……そう、か」



 すべてを聞き終えて、アッシュは嘆息する。



「ええ。だからこそ、この国の騎士達にとってエレナさんは特別な存在なのです」


「……気持ちは分かるよ。特にサーシャの親父さんの気持ちは痛いほどにな」



 アッシュは無意識の内に下唇を強くかんでいた。

 それを見たガハルドは、ぼそりと呟く。



「……《双金葬守》、ですか……」


「…………」



 流石は海千山千の騎士団長。あっさりとアッシュの心情を見抜いたのだろう。自分の騎士時代の二つ名を口にするガハルドに、アッシュは苦笑を浮かべる。



「……まあ、その辺は俺の事情だな。とにかく話してくれてありがとな。サーシャの夢とか、今回の裁定とか、色々と得心がいったよ」


「ふふ、お役に立てて光栄ですな」



 と、ガハルドが笑みを返した、その時だった。



「――団長!」



 一人の騎士が店の中に飛び込んできたのは。

 第三騎士団の制服・黄色い騎士服を着たその男は恐らくガハルドの部下なのだろう。

 ガハルドはアッシュに「失礼」と告げると、部下の傍に立ち寄った。



「……どうした? 何かあったのか?」


「そ、それが――」



 そう切り出して、二人で何やら会話をし始める。

 アッシュはすっかり冷めたコーヒーを一口含み、その様子を見守っていた。



(……こりゃあ、何かあったな)



 二人の会話が進むにつれて、あの豪胆なガハルドの顔に険しさが増していく。

 どう見ても、ただ事ではない雰囲気だ。

 そしてアッシュがコーヒーを完全に呑み終えた時、



「……申し訳ない。クライン殿。少し用が出来たのでこれで失礼する」


「……ああ、今日は本当にありがとな。有意義な時間だったよ」


「そう言ってもらえるとありがたい。では、失礼する」



 そう告げるなり、ガハルドは部下を引き連れ去っていった。

 アッシュは見えなくなるまで彼の後姿を見送った。

 そして、コーヒーカップをコツンと置き、



「……大したことでなきゃ、いいんだけどな」



 誰ともなしにそう呟くのだった。

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