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クライン工房へようこそ!【第18部まで完結!】  作者: 雨宮ソウスケ
第12部 『羽ばたく翼』

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第七章 憩いの森③

「こ、これは……」



 ボルドは息を呑む。

 ――《黒陽社》・第五支部の支部長。

 誰もが恐れる《九妖星》の一角は今、レジャーシートの上で正座していた。

 そして愕然と、手に持つそれを見ていた。



「い、一体、何なのでしょうか?」


「……サンドイッチに決まってんだろうが」



 と、アッシュが言う。

 ただ、少し自信なさげなのは、仕方がないことか。

 ボルドの手には、紫色のトーストに灰色のレタス。さらには、鶏の頭らしき具が飛び出した一品だった。確かに見た目はサンドイッチである。

 加え、彼の目の前には、泡立つ黒い液体が注がれたコップがある。



「あの、クラインさん」



 ボルドは一度喉を鳴らしてから、アッシュを見据えた。



「もしかして、私を毒殺しようと考えていませんか?」


「おい。ふざけんな」



 アッシュは、剣呑な表情を見せた。

 それから、隣に座るユーリィの頭をくしゃくしゃと撫でた。



「うちの子の手料理を毒物扱いか?」



 言って、右手に持っていた自分のサンドイッチを頬張る。

 食べる瞬間、一度、躊躇うように手が止まってしまったのもやむなしか。

 しかし、食べたことには変わりない。



(……ふ~む)



 ボルドは、改めて、まじまじと自分の手の中のサンドイッチに目をやった。

 目の前で食べた以上、毒物とは考えにくいだろう。

 そもそも、ここまで分かりやすい毒物というもの珍しい。

 ボルドは、恐る恐るサンドイッチを口にする。



(こ、これは!)



 ――美味い。

 絶妙な焼き加減のトースト。作られてから時間が経っているというのに、鮮度が落ちていない瑞々しいレタス。歯応えが実に爽快だ。

 ボルドは、鶏らしきものにも食らいついてみた。



(……これは、芋のコロッケ、ですか?)



 見た目は焼いた鶏だが、味はコロッケだ。しかも冷えてなお絶妙に美味い。

 ただ、噛んだ時、鶏の頭が嘴を開けて「グゲッ」と鳴いたように聞こえたのは、きっと偶然なのだと思いたい。

 ともあれ、見た目はともかく、味は絶品だった。



「これをエマリアさんが作られたのですか?」


「……うん。そう」



 ユーリィは、ボルドを警戒しつつも頷いた。

 ボルドは「素晴らしいですね」と、破顔する。



「エマリアさんにこんな特技があったとは。エマリアさんの容姿。《金色の星神》の能力に加え、この特技ですか」



 ボルドは、にこやかな声で告げる。



「エマリアさんを購入されるお客さまも、さぞかしお喜びになられるでしょう」



 ユーリィは、ビクッと肩を震わせた。



「……おい。おっさん」



 アッシュが、表情を消して宣告する。



「早速、塵にされてえのか?」



 対し、ボルドは食べかけのサンドイッチを片手に、手を振った。



「いえいえ。今はご相伴を預かりますよ。それはこの後で」


「……ふん」



 アッシュは不機嫌を隠さず、鼻を鳴らした。

 それから、ちらりと周辺の森を一瞥した。



「ところで、今日はカテリーナ=ハリスは来ていないのか?」



 カテリーナ=ハリスは、ボルドの懐刀だ。

 伏兵として潜んでいる可能性もあるが、こうしてボルドが堂々と姿を現している以上、彼女だけ潜んでいるというのも不自然な気がする。

 ならば、別行動を取っていると考えるべきか。

 アッシュが、そんなことを考えていたら、



「……カテリーナさんですか」



 ボルドが、何とも気まずい表情を見せた。

 それから自嘲気味に肩を落として。



「……実は、彼女には嫌われてしまいまして」


「……はあ?」



 アッシュが、眉をひそめた。



「何だ? セクハラでもやらかしたのか?」



 皮肉も込めて、そう告げると、



「……はは、そうですね」



 ボルドは、乾いた笑みを零した。

 実際のところは、セクハラどころの話ではない。

 外道、ここに極まれし、だ。

 嫌われて落ち込むこと自体、図々しいとさえ言える。

 ただ、流石にそれを、アッシュやユーリィに教える必要性はなかった。



「まあ、ともかく」



 代わりに、ボルドは告げる。



「今日の私は一人ですよ。正真正銘、今日は一対一という訳です」


「……そうかよ」



 アッシュは、苦笑を浮かべつつ、コップを手に取り、飲み干した。

 ボルドもそれに倣うように、黒い液体の入ったコップを手に取る。

 これもまた、飲むには相当な覚悟のいる品だが、アッシュもユーリィも、普通に口をつけている。これも毒物ではないのだろう。

 ボルドはコップに口を付けて、液体を飲んでみた。



(……ほう! これは!)



 思わず目を見開いた。

 そして、一気に飲み干して「ぷはあ」と大きく息を吐いた。

 これは、本当に驚きの逸品だ。



「これは素晴らしいですね!」



 ボルドが、柏手を打つ。



「酒と割ると、何とも合いそうな品ですよ」


「ああ、確かにそうかもな」



 これに対してだけは、アッシュも同意した。

 それから、黙々と食事をとるユーリィを傍らに、アッシュとボルドは些細な話に見せかけながら、互いの腹の内を探るような会話をした。

 それは一種の情報戦だった。

 表向きだけは、和やかな空気が続く。

 そうして、十分ほど経ち……。



「では、私はそろそろ」


「おう。そうか」



 ゆっくりと立ち上がるボルドに対し、アッシュが頷く。



「ご相伴ありがとうございました。そしてクラインさん」



 ボルドは、にこやかな笑顔で告げる。



「開戦は一時間後。この森の奥でよろしいでしょうか」


「おう。いいぜ」



 アッシュは、コップに口を付けながら答える。



「そこら辺なら、人もいねえだろうしな」


「そうですね。今度こそ勝たせてもらいますよ。そして」



 そこで、ボルドはユーリィに視線を向けた。

 ユーリィの体が微かに震える。



「今日こそは」



 細い目がわずかに開かれる。



「エマリアさんを、確保させていただきますから」


「やれるものならやってみな」



 アッシュは吐き捨てた。

 それに対し、ボルドは笑みを浮かべるだけで答えない。



「では、失礼します」



 そう告げて、ボルド=グレッグは森の中に消えていった。

 残されたのは、アッシュとユーリィだ。

 しばしの沈黙の後、アッシュは立ち上がった。

 そして、



「ユーリィ」



 愛娘に声をかける。

 ユーリィは、ゆっくりとアッシュに視線を向けた。

 アッシュは、優しく笑って。



「おいで」


「……ん」



 ユーリィは立ち上がって、アッシュの傍まで寄った。

 アッシュは正面から彼女を抱き上げた。

 ユーリィの両足が宙に浮く。



「怖いか?」



 耳元で尋ねると、ユーリィは空色の髪を揺らしてかぶりを振った。



「アッシュが守ってくれるから」


「そっか」



 アッシュは目を細める。

 そして――。



「お前は誰にも渡さねえ。お前を奪おうとする奴は……」



 アッシュは、ユーリィを抱きしめる腕に、わずかに力を込めた。



「誰であろうと容赦する気はねえ」


「……うん」



 アッシュの力強さと、愛情の深さの前に微かな笑みを零す。

 ユーリィは、宙に足が浮くこの抱っこが一番好きだった。

 何故なら、彼女を支えるのは彼の両腕のみ。

 まさしく、自分のすべてを彼に委ねているからだ。

 十数秒ほどの抱擁。

 ややあって、アッシュはユーリィを降ろした。

 それから、紅いベストの裏にあるハンマーに触れる。

 すると、転移陣が展開されて、ゆっくりとアッシュの相棒が姿を現した。

 漆黒の鎧に、鬼の風貌。四つの紅い角に、白い鋼髪。

 まるで《煉獄の鬼》を彷彿させる鎧機兵。


 ――《朱天》。


 かつて、愛する《彼女》に殺すために。

 大切なユーリィを守るために、進化をし続けたアッシュの愛機である。

 アッシュは、ユーリィをその場に置いて、相棒の前に立った。



「今日も頼むぜ。相棒」



 続けて、コツンと、《朱天》の装甲に拳を付けた。

 相棒は、何も答えない。

 いつものように泰然とした存在感を放っていた。

 そんなこと当然だと言わんばかりに。

 アッシュは、しばし苦笑を浮かべていたが、



「さぁて、と」



 苦笑を不敵な笑みへと変えて、呟くのであった。



「いい加減、決着と行くか。ボルド=グレッグ」

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