第六章 鬼才再び③
――ガラララッ、と。
クライン工房のシャッターが閉じられる。
閉じたのは、工房の主人であるアッシュ自身だ。
黒いズボン、黒いシャツ。赤いベストという珍しい私服姿の彼は、シャッターに『本日臨時休業』の紙を張った。
パンパン、と手を払うアッシュ。
その時、声を掛けられた。
「そろそろ出かけるのか? クライン」
オトハの声だ。
アッシュは振り向く。そこには片手を腰に当てるオトハの姿があった。
「おう。ユーリィも準備が出来たって話だからな。ララザもいつでも出せる」
「そうか。じゃあ楽しんで来い」
オトハは笑う。
「おう。それとオト」
アッシュは真剣な顔で告げる。
「ボルドの方、頼んだぜ」
「ああ、分かっている」
オトハは頷いた。
「すでにハウルにも、第三騎士団にも協力を申し出ている。見つけ次第、捕らえるか、倒すつもりではいるが……」
そこでオトハは少し眉根を寄せた。
「あの男はお前に固執している。恐らくお前の元に現れる可能性が一番高いと思うぞ」
「そん時はそん時さ」
アッシュは肩を竦めた。
「今度こそぶちのめすだけさ。まあ、俺として気になるのはもう一人」
「……もう一人?」
オトハは眉をひそめた。
「誰のことだ?」
「ん? ああ、そっか。オトは出会ってなかったな」
アッシュは、ポリポリと頬をかいた。
「昨日、コウタと同い年ぐらいの『リノ』って女の子がうちにやって来たんだよ。出会い頭に『コウタの正妻』を名乗る凄げェ子だった」
「……何だ、そのイタイ娘は」
「まあ、発言の方はともかくさ」
アッシュは真剣な声色で続ける。
「立ち姿が、本当に見事なもんだったよ。ありゃあ、コウタやアルフクラスだな。年齢からすると、考えられねえレベルだ」
「……なに」
オトハの顔つきが真剣になる。
あの少年達に並ぶ実力の少女など、聞き捨てならない相手だ。
「正直、真っ当な人間には見えなかった」
アッシュは、言葉を続けた。
「多分、裏の人間なんだろうな。シャルはあの子のことを何か知ってるみてえだったが、コウタに頼まれたのか、あんまり喋りたくねえみたいだしな。それでも出来れば素性ぐらいは確認しておきてえんだが」
「……その娘も捜索しておくか?」
そう提案するオトハに、アッシュは少し考えてからかぶりを振った。
「いや、いいよ」
「……? 何故だ。危険な匂いがする娘なのだろう?」
「いや、なんつうかさ」
アッシュは、苦笑した。
「あの子のことは、コウタがどうにかするような気がすんだよ」
「……コウタ君が?」
「おう」とアッシュは答える。
「俺の直感だと、コウタの本命はメルティア嬢ちゃんだと思うんだが……」
そこで、「う~ん」と唸ってボリボリと頭をかく。
「ともあれ、そのリノって子さ。話したのはほんの少しだけなんだが、マジでコウタが好きなんだなってのは伝わって来たよ。そんで、きっと、コウタもあの子をメルティア嬢ちゃん並みに大切に思っている」
「………」
オトハは無言だ。
「俺達の親父の教えってさ。『大切な人は自分の手で守れ』なんだよ。だから、コウタはきっとあの子を守る。どうにかする。そんな気がするんだ」
そう語るアッシュに、オトハは未だ無言だった。
「まあ、けどよ」
アッシュは皮肉気に笑った。
「自分の女さえ守れなかった俺が、言えるような台詞じゃねえか」
数瞬の静寂。
オトハは、じいっとアッシュを見つめていた。
そして――。
「……クライン」
オトハは、呆れるように笑った。
「お前な」
そして前屈みになって、アッシュに語り掛ける。
「初めて出会った時から、お前は何度私を守った? 何度助けた?」
アッシュはキョトンとする。
「へ? そりゃあ」
「数えきれないだろ? 最近では《ディノ=バロウス教団》からも助けてくれたか」
オトハは、トン、とアッシュの胸板に拳を当てた。
「忘れてないか? 今や私もお前の女なんだぞ」
彼女は、ふふんと鼻を鳴らした。
「ちゃんと守れているじゃないか。確かに昔のお前は弱くて、沢山のものを失ったのだろう。けど、それはもう過去のことだ。今のお前は誰よりも強い」
そう告げるオトハは、どこか誇らしげだった。
そして腰に両手を当て、たゆんっと大きな胸を反らした。
「大切な者をすべて守れるぐらいにな。自信を持て。お前は強いんだ。何せ、お前は私を女にした男なのだからな」
「……オト」
アッシュは少し呆気に取られていた。
が、すぐに苦笑を浮かべて。
「ありがとよ。励ましてくれて。けど、お前が俺の女だって言うんなら、一つ聞きたいことがあるんだが……」
「ん? 何だ?」
オトハが純朴な顔で首を傾げた。
アッシュは少し嘆息しつつ、
「こないだ、シャルから聞いたんだが」
と、前置きしつつ、コホンと喉を鳴らす。
「まあ、その、何だ。『そろそろ本気で行くぞ。いいな』なんて台詞、お前と、サクぐらいにしか言ったことがねえのに、なんでシャルが知ってんだよ?」
……………………………。
………………………。
……十数秒の間。
「――あいつ!? それを喋ったのか!?」
オトハは、愕然とした。
「俺はその台詞をお前に言いたいぞ。はぁ……」
アッシュは、深々と溜息をついた。
ジロリ、と半眼でオトハを見据える。
オトハは、ビクッと震えて「そ、その」と縮こまった。
指先を腰の前で組んで、もじもじと動かしている。
まるで怒られることに怯えている子供のようだ。
アッシュは「やれやれ」と嘆息した。
そして、すっと手を動かして。
「――ひうっ」
息を呑むオトハ。
アッシュの手の平は、オトハの頬に優しく触れていた。
いつもの凛々しさはなく、彼女は微かに震えていた。
アッシュは小さく苦笑して。
「そんな緊張すんなって。そこまでは怒ってねえからさ」
「ほ、本当かっ!」
オトハは、ぱあっと表情を輝かせた。
「そ、そうだなっ! 私は、その、ちょっと女子トークをしただけなんだ!」
次いで、そんなことを宣う。
「……オト」
アッシュは、再び半眼になった。
「な、何だ、クライン?」
おどおどと尋ねるオトハ。
「今回の件、片付けたら、きちんと話をするからな」
「あ、う、うん。そうだな。ゆっくり話し合おう」
オトハは、コクコクと頷いた。
それに対し、アッシュは額に片手を当てた。
「……額面通りに受け取んなよ。今度、休暇の調整をしといてくれ。あと、その日は市街区辺りで宿を取るつもりだからな」
「え? なんで?」
キョトンとしてそう返すオトハに、アッシュは嘆息した。
「……『そろそろ本気で行くぞ。いいな』」
「……え?」
「もう気遣いもなしだ。そんで、その際に今回の件も色々と聞くからな」
言って、アッシュはオトハの頬から手を離した。
オトハは数秒ほど沈黙していたが、すぐに、かあああっと赤くなった。
すると、アッシュは、少しだけ双眸を細めた。
そして――。
「ようやくさ」
ボリボリ、と頭をかく。
「自分の強欲さぶりに、少し気付いてきたよ」
自嘲気味に告げる。
「お前を抱いた夜に思ったんだ。特に大切な者についてはさ。結局、欲しいと思ったら何がなんでも手に入れる。きっと、俺はそういう男なんだよ」
忌まわしいが、あの男の指摘通りなのだろう。
『俺の直感で語るぞ。貴様は誰に対しても本当の顔を隠しているのではないか? その人外の実力に見合うだけの強欲で傲慢な魂の炎を胸に宿しながら、その炎に他者を巻き込んでしまうことを恐れ、無理やり抑え込んでいる印象だ』
恐らく、あの炎の日だ。
すべてを失ってしまったあの日。
あの日に生まれた強欲なる願望と、心のタガ。
それがあの男に指摘され、挑発されたことで強く発露してしまった。
そして、オトハを愛しいと想うあまり、それが外れてしまった。
(……多分、俺は……)
アッシュは、渋面を浮かべた。
自分でも最悪だと思う。
恐らく、今の自分は愛しい者に対しては容赦できない。
――欲しい。
そう思ったら、全く自制が利かなくなってしまう気がする。
オトハしかり。そしてシャルロットに対してもだ。
他のことならば、そんなことはない。
ただ、愛しい者に対してだけは違った。
誰にも、奪われたくなかった。
彼女達をこの手で守りたいと強く思った。
だからこそ――……。
「………はァ」
アッシュは、溜息をついた。
「シャルとお前との間で、どんな話があったのかも聞かせてもらうからな。けど、その前に一つだけ宣言させてもらうぞ」
「な、何だ?」
オトハが緊張した様子で尋ねる。
アッシュは、一拍の間を空けて告げた。
「責任は俺にある」
「…………え」
「お前らがどんな密談をしててもな。結局のところ、俺が一番悪いんだよ」
ただ、そん時は、お前らを何がなんでも守るつもりだけどな。
小さな声で、そう続ける。
「……クライン?」
オトハは、訝しげに眉根を寄せた。
一方、アッシュは、ボリボリと頭をかく。
「まあ、未来のことなんてまだ分かんねえよな。一度外れたタガだって、もしかすっと締め直せるかもしんねえし。けど」
アッシュは、そこでオトハのあご先に指を置いた。
「オト」
「……ク、クライン?」
少し潤んだ瞳で、オトハはアッシュを見つめた。
アッシュは彼女の頬へと手を移し、くすぐるように耳に触れる。
そうして、はあっと小さく息を吐いた後に告げる。
「……覚悟しとけよ」
「……え」
「シャルの方はともかく、お前の方はもう俺の女なんだ。そこだけは変わんねえからな。そんで、恥ずかしさで死にたくなるような台詞だが、あえてこれも言っとくぞ」
一拍おいて、
「次は、二度とお前を離さねえぐらいのつもりで行くからな」
「……え」
それだけを告げて、アッシュは歩き出した。
すぐに視線を背けたのは、アッシュも自分の台詞に結構動揺しているからだ。
それを隠すように、今は片手を、プラプラと振っている。
このまま愛馬の元に向かうつもりだった。
オトハはしばし、青年の後ろ姿を見つめていたが、
――かあああっ。
首筋から頭頂部まで。
一気に肌の色が赤く染まっていった。
「ひゃっ」
そして、
「ひゃあああああああああっ!?」
真っ赤な顔を両手で押さえて座り込み、絶叫するオトハであった。




