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第二章 来訪、そして再会②

「さて、と。それじゃあ行ってくるか」



 クライン工房二階。自室にて鞄の中身をチェックしていたアッシュはそう呟いた。

 そしてポシェットのような鞄を手に、自室を出て廊下を進む。そして一階へと続く階段横の茶の間を覗き込み、



「んじゃあ、そろそろ行ってくるわ。ユーリィ、留守番頼んだぞ。それとメットさんも、アリシア嬢ちゃんもゆっくりしていってくれ」



 と、そこにいる三人の少女に声をかけた。



「……ん。分かった。アッシュ、行ってらっしゃい」


「あっ、はい。先生、行ってらっしゃい」


「は~い。アッシュさん、行ってらっしゃい~」



 卓袱台を囲んで談笑していた少女達――ユーリィ、サーシャ、そしてアリシアの三人が三者三様の返事をしてくる。アッシュはふふっと笑い、



「おう。じゃあ、行ってくるよ」



 そう告げて一階へと下りていった。アッシュはこれから月に一度行われる工房ギルドの定例会合のために街まで出向くところだった。工房ギルドとは、価格統合や特許の申請を管理する国営機関であり、この国の工房と工場のほとんどが所属する元締めのような組織だ。その会合に遅刻する訳にはいかない。



「……ちょっと、急ぐか」



 乗合馬車の時間を気にしながら、アッシュは足早に出かけて行った。

 そして、茶の間に残された三人の少女達。



「工房の職人ってのも大変なのね」



 卓袱台の中央に置かれたカップから、色々な根野菜を乾燥させたお菓子のスティックを一本取って、アリシアがそんなことを呟く。



「うん。私も先生を会って、初めて工房ギルドがあるなんて知ったよ」



 サーシャも手を伸ばして一本取り、言葉を続けた。



「……工房ギルドは大抵の国にある。名称はそれぞれ違うけど」



 ポリポリ、と小動物のように野菜スティックを齧りながら、多くの国を回ったことのあるユーリィが二人にそう答える。



「へえ、そうなんだ。まっ、それはともかく。ねえ、ユーリィちゃん」


「……なに?」



 アリシアに声をかけられ、ユーリィは視線を向けた。アリシアはサーシャと違ってアッシュの弟子ではないが、こうしてたまに遊びに来るので比較的仲の良い相手だ。

 ユーリィは、アリシアをじっと見つめる。

 すると、アリシアは一度サーシャの方も一瞥してからニマァと笑みを深めて、



「アッシュさんがいなくなったから訊くけど、ユーリィちゃんってアッシュさんと一緒に過ごして長いんでしょ?」


「……うん。長い。もうじき六年になる」


「ふ~ん、六年か。それは長いね。だったらアッシュさんのことには詳しいよね?」



 ユーリィは眉をひそめた。

 何を今更。自分よりアッシュに詳しい人間などいない。



「当然。アッシュのことなら何でも知っている」



 自信ありげに答えるユーリィに、アリシアはさらに笑みを深めた。その様子に隣に座るサーシャが首を傾げる。親友は一体何が言いたいのだろうか?

 が、その答えはあっさりと分かった。



「ふふっ、じゃあ、訊きたいんだけど……」



 アリシアが問う。



「アッシュさんってモテたでしょ。恋人とかいなかったの?」



 瞬間、ユーリィとサーシャが硬直した。

 しばし茶の間に静寂が訪れる。そして一秒、五秒、十秒と経ち、ようやくサーシャが卓袱台にバンッと身を乗り出して静寂を打ち破った。



「アアア、アリシアッ!? あなた何を訊いてるの!?」



 訊きたくても訊けなかったことを、こうもあっさり訊くとは何を考えているのか!

 しかし、サーシャの悲鳴のような怒号もどこ吹く風で、



「え? だって気になるじゃない。良い機会でしょ? アッシュさんもいないし」



 あっけらかんとそう告げる。サーシャは言葉もなかった。

 一方、ユーリィは未だ硬直していた。

 彼女は困惑していた。こんな質問をされたのは初めてだ。どう返せばいいのかよく分からない。そもそも今までアッシュに恋人など……。



(……ううん。違う。一人だけ知っている)



 真っ先に思い浮かぶのは、自分と同じ金色の髪を持っていた少女のこと。

 しかし、《彼女》については安易に語るべきではないだろう。

 そしてユーリィはしばし悩んだ末、



「……私と出会う前はいた。今はいない」



 と、結局そんな当たり障りのないことを告げた。

 その返答にサーシャは安堵の息をもらし、アリシアはつまらなさそうな顔をする。



「へえ、そうなんだ? アッシュさんモテそうなのにね」


「……む。モテるモテないの話なら、アッシュは間違いなくモテた」


「へ? あっそっか。今がフリーなだけ?」



 そう言ってから、アリシアに自分の台詞に苦笑を浮かべた。よく考えれば今のこの場にはアッシュに想いを寄せる少女が二人もいるのだ。彼がモテない訳がない。

 そんなことを思っていると、ユーリィはこくんと頷き、



「アッシュは致命的なまでに鈍い。アプローチしても気付かない場合がほとんど」


「ははは、そうだよね……」



 虚ろな瞳で同意するサーシャ。それに関しては彼女にも心当たりがあった。



「だけど――」



 と、ユーリィはさらに言葉を続ける。



「稀に直球で『愛しています。結婚して下さい』という人達もいた」


「……え? そ、そんな人達がいたのッ!?」


「へえ……で、アッシュさんはそういう人達になんて答えたの?」



 呆然とするサーシャをよそに、アリシアが興味深げに問う。

 すると、何故かユーリィは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 何か言いにくいことなのだろうか。サーシャとアリシアは首を傾げた。

 そしてしばらくしてから、ユーリィは極めて不本意そうに口を開くのだった。



「アッシュはそんな時、決まってこう言う。『ユーリィを嫁に出す日まで俺のことは後回しだ。ましてや身を固めるつもりはない』って」


「「…………」」



 完全に「お父さん」の思考だ。まさか、そんな理由で恋人がいなかったとは。

 絶句するサーシャに、アリシアが小声で話しかける。



「(ま、まあ、良かったじゃないサーシャ)」


「(……何が?)」


「(これって裏を返せば、まだしばらくの間、アッシュさんはフリーってことよ。あなたにだって充分チャンスはあるわ)」


「(……うう、そうかなあ、そうだといいんだけど)」



 アッシュの鉄壁の鈍感さを思い出すと、どうしてもネガティブになってしまうサーシャだった。と、その時。



「……けど、それでもなお厄介な連中がいる」



 ぼそり、とそんな物騒なことをユーリィが語り始めた。

 サーシャ達は眉根を寄せる。それは一体――。



「私が警戒する人間が二人いる。一人は赤毛女。無神経で私の一番嫌いな女。アッシュの大親友を自称する癖に、虎視眈々とアッシュの恋人の座を狙っている」


「「は、はあ……」」


「もう一人は黒毛女。厳密には紫がかった紺に近い黒――要は紫紺色らしいんだけど、めんどくさいからそう呼んでる」



 思い出して警戒度が増したのか、ユーリィの瞳が鋭くなる。



「むかつくことにこの女は、私よりもアッシュとの付き合いが長い。しかも私や赤毛女にはない強力な武器まで持っていて……」



 と、そこでユーリィは歯を軋ませた。その武器が何なのかは分からないが、よほど不満なのだろう。サーシャとアリシアはただ沈黙するだけだ。

 ユーリィの言葉はさらに続く。



「とにかく。この二人だけは別格。多分この二人にプロポーズされたらアッシュはさっきみたいな返答はしない。真剣に考えると思う。それぐらい親しい」


「……そ、そうなの?」



 サーシャが喉を鳴らしながら尋ねる。正直、聞き捨てならない話だ。まさか、アッシュにそこまで親しい女性達がいようとは――。

 しかし、サーシャの緊張をよそに、ユーリィはふっと笑みをこぼして、



「大丈夫メットさん。昔の話。今あの二人は皇国にいる。もう会うことなんて滅多にないだろうし、私達の方がずっと有利」



 と、サーシャに励ましのような言葉を送る。まあ、ユーリィの本音としては遠くにいるあの二人よりも目の前にいる少女の方がよほど難敵なのだが。


 と、その時だった。



「えっと、ここで合ってんだよな?」


「ああ、一応、ここがクライン工房のはずだが……」



 何やら一階から声が聞こえてくる。



「……お客様?」



 そう呟き、首を傾げるユーリィ。サーシャとアリシアは目を見合わせていた。



「……あれ? アリシア、この声って」


「うん。多分、あいつらの声よね」


「知っているの?」



 ユーリィが問うと、サーシャ達はこくんと頷き、



「うん。多分私達の同級生だと思う」



 と、サーシャが告げた時、一階から一際大きな声が響いてきた。



「たのもう! 工房のご主人はおられるか!」



 少し時代がかった呼び掛け。サーシャとアリシアの同級生、ロック=ハルトの声だ。

 三人の少女は立ち上がった。続けて階段に近い者――アリシア、サーシャ、ユーリィの順番で階段を下りていく。



「ちょっと、うるさいわね。何の用よハルト」



 そして階段の先、一階の作業場に着くなり、アリシアはそう宣った。



「は? エ、エイシス? なんでここにいるんだ?」


「遊びに来てたのよ。それより何の用?」



 思いがけない人物の登場に唖然とするロックに対し、アリシアが簡潔に答える。と、そこへ遅れて作業場に着いたサーシャも会話に加わる。



「あ、やっぱりハルトだったんだ。先生に何か用なの?」


「えっ? フラムまで……いや、フラムは弟子だからいてもおかしくないのか」



 と、ロックが呟いた時、この工房の店員であるユーリィがようやく下りてきた。



「アリシアさん、メットさんも下りるの早い……」



 と、そこで押し黙る。ユーリィは唖然としているロックとサーシャ達の様子を見て、すぐさま状況を理解した。そして誰にも気付かれないほど小さく嘆息した後、ロックの前へと進み出て深々と頭を下げる。



「どうやら友人達がご迷惑をお掛けしたようで申し訳ありません。お客様。私は当工房の店員でございます。あいにくただ今、当工房の主人は留守にしており、ご用件でしたら私の方でお伺い致します」


「……え?」「ユ、ユーリィちゃん?」



 いきなりの丁寧な対応に、サーシャとアリシアは目を丸くした。

 が、次の瞬間には二人揃って反省する。来店者は知り合いであってもお客様だ。ユーリィの応対はこの上なく正しい。それに比べて自分達ときたら――。



「(うわあ……、私って、もしかしてもの凄く常識ない行動した?)」


「(ううぅ、私もだよ。先生に合わせる顔がないよぉ)」



 彼女達は店員ではないのだが、何となく落ち込むアリシアとサーシャだった。

 しかし、驚いたのはロックの方もだ。



「て、店員? こんな小さな子が? いや、そう言えば、流れ星師匠には妹がいるとか噂で聞いたような……」


「……厳密に申し上げれば妹ではございません。ですが、私は当工房の主人より留守を預かっております。何なりとお申し付けください」



 ユーリィは淡々とした口調で言葉を続けた。

 ロックはポリポリと頬をかく。



「あ、ああ、そうか。しかし、実は用があるのは俺ではないんだ」



 言って、ロックは工房の外へ視線を向けた。ユーリィ、サーシャ達もロックの視線につられ、陽光が差し込む門扉近くに目をやった。

 と、そこにはブラウンの髪の少年――エドワードが気まずそうに立っていた。



「あちらの方が、当工房にご用件を?」



 問うユーリィに、ロックは首を横に振る。



「いや違う。この工房、というよりも、アッシュ=クラインさんに用があるのはエド……あそこに立っている男の後ろにいる女性の方だ」


「……女性、ですか?」



 言われ、ユーリィは目を凝らした。位置的に、丁度逆光になっていたため見えにくいのだが、確かに女性と思しき姿が確認できる。

 すると、その女性の影は隣の少年を引き連れ、コツコツと工房内へと進みだした。ユーリィは再び深々と頭を下げて歓迎の言葉を口にする。



「いらっしゃいませ。お客様――」


「――ふふ。お前でもそういう言葉遣いは出来るんだな。エマリア」



 不意に名前を呼ばれ、ユーリィは硬直した。頭を下げた状態で目を大きく見開く。名前を呼ばれたことにも驚いたが、それ以上に驚いたのは今の声だ。

 聞き覚えのある声。まさか、そんな馬鹿な――。

 ユーリィは愕然とした表情で、ガバッと上体を起こす。

 そして、目にした光景に再び目を剥いた。



「く、黒毛お……オ、オトハ、さん?」



 見知った女性の姿に、ユーリィはわなわなと震えた。



「……お前、今、私のことを『黒毛女』と呼ぼうとしなかったか?」



 ジト目になってユーリィを睨む女性――オトハ=タチバナ。その眼光の前に、ユーリィはいきなり天敵と出くわした小動物のように硬直する。



「……まあ、いいさ。それよりお前と会うのも二年半ぶりか」



 そう呟くと、オトハはあごに手をやりまじまじとユーリィの姿を見つめた。が、その視線は知り合いの成長ぶりを見ると言うより、何やら観察するような眼差しだ。

 そんな二人の様子に、サーシャ達は困惑するばかりだった。

 そしてしばらくしてからオトハは、ふっと笑い、



「……まあ、元気そうで何よりだ。さて、エマリアよ」


「……な、なに?」



 ようやく声を絞り出すユーリィ。オトハはそこで初めて不敵な笑みを消した。

 そして「あの、な」と口ごもりながら、頬には微かな朱が入る。両手の指をもじもじと動かし、視線は忙しく泳ぎ始めた。先程までの凛とした雰囲気はどこにもない。

 その姿は、さながら告白を躊躇う恋する乙女のようだった。

 ユーリィの表情に険しさが浮き出る。



「……だから、なに?」



 動揺のあった先程の声とは違う、敵意に満ちた少女の声。

 だが、それが先へと進む切っ掛けとなった。促され、ようやく覚悟を決めたオトハは、威厳も迫力も全くない、か細い声でこう尋ねるのだった。



「何だ、その、ク、クラインの奴は、その、御在宅なのかな?」

 


       ◆



 ――竜虎相うつ。

 この世界において竜とは伝説の《悪竜》しかおらず、そんな化け物に匹敵する虎など存在しないのだが、実力が伯仲した者同士が相対した状況をそんな言葉で表すそうだ。

 そしてクライン工房の二階。普段は和やかなはずの茶の間は、今まさに『竜虎相うつ』と呼ぶに相応しい状況だった。



「……久しぶりオトハさん」


「ああ、久しいな。エマリア」



 今、茶の間には六人の人間が座っていた。卓袱台を挟んで片側にユーリィ。その向かい側には、オトハがピンと背筋を伸ばして正座している。

 ちなみに騎士候補生達――サーシャ、アリシア、エドワード、ロックの四人はあまりの緊迫感に卓袱台に近付くこともままならず、部屋の片隅に並んで正座していた。



「しかし、この部屋は落ち着くな。東方の大陸アロンの様式か」


「……アロンの様式かは知らない。アッシュは『和』とか言ってた」


「ん? ああ、そうとも言うな。ふふ、クラインの先祖は私と同じくアロンの血を引いているらしいからな。自然とこうなったのだろう」



 ピリピリした空気の中、オトハが得意げに口を開く。

 自分も知らないアッシュの話を聞かされ、ユーリィは眉間にしわを寄せた。

 その様子を、部屋の片隅からアリシアはこそこそと窺う。



「(うわあ、なんかユーリィちゃん、ご機嫌斜めね)」


「(……うん。けど)」



 サーシャは居心地悪そうに隣に座るロックに問う。



「(ねえハルト。この状況って何なの? あのオトハっていう人は誰なの?)」


「(い、いや、すまんがフラム。俺も知らんのだ。ただ案内を頼まれただけで)」



 ロックの要領の得ない返答に、サーシャは眉をしかめた。そわそわと気分が落ち着かないのに、情報がまるで入らないことに苛立ちを覚える。

 すると、そんな親友の心情を慮ってか、不意にアリシアが手を上げた。



「あの、オトハさんでしたっけ。あなたはアッシュさんのお知り合いなんですか?」



 不意に声をかけられ、オトハは振り向くと、



「ん? ああ、すまない」



 そう告げて、四人の騎士候補生の方を向いて居ずまいを正し、



「自己紹介がまだだったな。私の名はオトハ=タチバナ。セラ大陸で活動している《黒蛇》という傭兵団の副団長を務める者だ。クラインとは古い友人同士といった所だな」



 と、オトハは名乗る。



「え? 傭兵なんですか?」



 今度はサーシャが声を上げた。



「ああ、まあ、今は修行のため一旦団を離れ、一人で行動しているがな」



 そう補足するオトハを見つめ、サーシャは少し驚いていた。

 平和の国として有名なアティス国には傭兵はほとんどいない。だから、傭兵を見たのはこれが初めてだった。正直、こんな美人ではなく、もっとゴツくて目に傷を持つような厳つい大男をイメージしていたのだが……。



(あ、いや、もしかして、あの右目の眼帯って……)



 ふと、そんなことを思いつくが、それはさておき。



「あ、すいません。私の名前はサーシャ=フラムと言います」



 まずはこちらも自己紹介するべきだろう。最初にサーシャが名乗り、それに続いてアリシア。ついでとばかりにロック、エドワードも続いた。

 そうして全員が自己紹介を終えた後、



「……ほう。君がサーシャ=フラムなのか?」



 何故か、サーシャを見つめて彼女の名を反芻するオトハ。何やら含みのある呟きにサーシャは不思議そうに首を傾げるが、それを尋ねる前に、



「ところでオトハさん。ホントに今日は何しに来たの?」



 ユーリィが刺々しい口調で問う。その言葉の端々には「早く帰れ」という意志がありありと込められていた。



「……エマリア。お前は相変わらず分かりやすい態度をとる奴だな」



 明らかに攻撃的なユーリィに、オトハは溜息をつく。



「まったく。お前はもうじき十四歳になるのだろう? 皇国であれば成人も近い歳だ。客の前だけではなく、もう少し態度を改めたらどうだ? お前だっていずれ独り立ちする。いつまでもクラインと一緒にいられる訳ではないんだぞ」



 その言い草に、ユーリィはカチンときた。



「……無用な心配。だって私はいつまでもアッシュの傍にいるから」


「……ほほう、そうか」



 今度はオトハの方がカチンときたのだろう。

 紫紺の髪の女性はそう呟き、空色の髪の少女と睨み合う。

 再び訪れた一触即発の空気。視線の間には、バチバチと火花まで見えそうだ。

 思わず息を呑むサーシャ達。と、その時だった。

 この緊迫感に耐えきれなくなったのか、エドワードが唐突にこんな事を言い出した。



「と、ところで、姐さんってずっと眼帯してるっすね。怪我でもしたんすか?」



 サーシャ達は絶句した。いきなり直球でなんてことを聞くのかこいつは。

 傭兵が眼帯をするということは、その下には何かしらの傷が在る可能性が高い。

 ましてやオトハは女性だ。きっと人には見られたくないものが在るのだろう。

 急激に気まずくなる空気。しかし、事態は意外と穏やかに進んだ。



「ん? この目か? これは生まれつき見えなくてな。それで隠しているんだ」



 もしかしたら、普段からよく問われているのだろうか。

 オトハはあっさりとした感じでそう答えたのだ。

 対し、エドワードは「へえ~」と呟き、



「けど、姐さんの眼帯って縁取りの銀の刺繍とか随分と凝ってるっすよね。すっげえ似合っててカッコイイっすよ!」


「……そうか? ふふっ、だが、それも当然だな」



 と、オトハが上機嫌な口調でそう語る。

 そして、再びふふっと笑い、



「この眼帯はな。私の十五の誕生日にクラインの奴がプレゼントしてくれたものなんだ。ふふ、あの時は『よく似合うぞ』と直接私に巻いてくれて……そう! 他にも白いのもあるんだ。私は二つもいらないって言ったんだけど、あいつときたら『こっちも似合う』と言って無理やり……まったく。ふふ、やはり他人が見ても似合うと思うかぁ」



 と言って、オトハは赤い眼帯を愛しげに触れて微笑んだ。それは見た者を蕩けさすような、もしくは本人自身が蕩けているような満面の笑顔だった。

 その笑顔の前に、少年達はただ呆然と見惚れ、少女達はすべてを悟った。

 なるほど。要するにこの人は――。



「(……納得。ユーリィちゃんが警戒する訳だわ)」


「(……うん。多分、この人が『黒毛女』なんだ……)」



 よく見れば、オトハの髪の色は先程ユーリィが語った要警戒人物と一致する。

 もはや疑いようもない。彼女こそが、ユーリィが別格と称した『敵』の一人なのだ。



(……そっか。この人がそうなんだ……)



 サーシャの眼差しも自然と険しくなる。これは自分にとっても由々しき事態だ。

 この目の前の女性はとんでもない美人だ。そんな美人が明らかにアッシュに好意を抱いていて、しかも海を越えてまで会いに来たのだ。危機感を抱かない方がおかしい。



(……確かにこれは強敵かも)



 と、警戒心を抱く少女が一人増えたことも気付かず、



「うふふ、他にもクラインからもらった物はまだあるんだぞ! そう! あれは初めて二人で仕事をした帰りに――」



 と、ますます頬を緩め、軽快に語り出すオトハ。完全にご機嫌モードだ。さっきからユーリィが盛んに「うるさい」「黙れ」と歯に衣も着せない怒号を飛ばしているのだが、歯牙にもかけない。もはやこの惚気話(?)は止められないだろう。

 誰もがそう思った――その時だった。



「うおっ! 何だこりゃあ?」



 一階から、その声が聞こえてきたのは。

 途端、オトハの顔が硬直する。いや、顔だけではない。彼女の身体全体が石像のように固まっていた。今聞こえてきた声は、彼女のよく知る人物のものだったのだ。

 ――そう。待ち人来たる。

 この工房の主人が、ようやく帰宅したのである。

 


       ◆



「……何だこのブーツの数は? なんで二倍に増えてんだ?」



 クライン工房一階の奥。二階へと続く階段の前で、アッシュは唖然としていた。

 ほぼ連絡事項だけだった会合もすぐに終わり、あっさりと帰宅したアッシュだったが、何故か戻ってくると玄関先にはブーツの山。驚くのも無理はない。



「……来客か?」



 と呟き、アッシュもブーツを脱ぐ。

 そして、トットット、と軽快な足取りで階段を上がり、茶の間を覗き込んだ。

 もし来客ならここにいるはず。そう思った通り、そこには大勢の人間がいた。



「おう。こりゃあ、随分と千客万来だな」



 部屋の中にはいるのは六人。その内、三人はユーリィ、サーシャ、アリシアだ。

 そして残り三人の内、二人は少年。知らない顔……いや、どこかで見たような気もするが、思い出せない。騎士候補生の制服からしてサーシャ達の友人だろうか。



(ああ、なるほど。友達を呼んだのか)



 アッシュはそこまで考えてから、最後の一人に目をやった。

 最後の一人は女性だ。黒いレザースーツを着た彼女は背中を向けて座っている。艶やかな紫紺色の髪を持つ、多分サーシャよりも少しだけ背の低い女性だ。



(へえ、こりゃあ、きっと美人だな……って、え?)



 アッシュは目を瞠った。彼女の後姿があまりにも見知ったものだったからだ。

 そしてアッシュは呆然と呟く。



「え? お前……オト、なのか?」



       ◆



 オトハは未だ硬直していた。

 真直ぐ前を見たまま動けない。しかし、それでも確信する。

 間違いない。今後ろにいるのは彼だ。

 オト。自分をそう呼ぶ人間は父と彼しかいない。



(ああ、今、私の後ろにクラインがいる……)



 そう考えると、鼓動が跳ね上がった。そわそわとして気分が落ち着かない。

 グレイシア皇国から七日間の船旅。その間、オトハは色々考えていた。

 例えば、再会の言葉。


『久しぶりだなクライン。息災か』とか。

『まったくお前は。勝手に騎士を辞めるなど何を考えているのだ』とか。


 あっさりとした挨拶から愚痴めいたものまで、何パターンも考えていた。

 すべては二年半ぶりの再会を演出するため。

 そして今こそ、それを実践すべき時……なのだが、



(――え?)



 愕然とした。

 どうしてか、何も思いつかない。



(な、何故だ!? あれだけ考えたのに何故一つも思い出せない!?)



 何か考えようとすると思考が急激に鈍る事態に、オトハはひたすら困惑した。

 と、そうこうしている内に、



「おおっ! マジでオトか! 久しぶりだな!」



 しびれを切らしたのか、アッシュの方からオトハの前へと移動してきた。

 そして嬉しそうに笑うアッシュ。オトハは呆然と彼の顔を見つめていた。



(うわあぁ、本当にクラインだぁ……)



 精悍な顔つきも、優しげな黒い瞳もまるで変わらない。

 二年半ぶりに会うアッシュに、オトハは涙が出そうになった。

 しかし、それでもどうしてか言葉だけは出てこない。



「ん? どうかしたのかオト? さっきから黙り込んで」



 いつまで経っても一言も話さない……どころか、ピクリとも動かないオトハを不思議に思ったのだろう。アッシュは片膝をついて顔を近付けてきた。

 オトハの鼓動が再び跳ね上がる。途端、あの言葉が脳裏に蘇った。



『久しぶりに、ゆっくりと彼に甘えてくるといい』



 何故今あの男の言葉を思い出すのか。

 カアアアァと頬が熱くなる。首筋からは湯気が出そうだ。

 身体が限界まで硬直する。もはや緊張感が爆発する寸前だった。



「え? オ、オト? お前なんかすっげえ顔が赤いぞ!?」



 と、その様子に反応したのはアッシュだった。彼はごく自然な仕種でオトハの額に手を当てる。が、それが引き金となった。



「~~~~ッッ!?」



 音にもならない声を上げるオトハ。

 思い起こせば二年半。会いたくても会う機会に恵まれず、積もり積もった強い想い。

 それが一気に爆発し、オトハの思考と身体を完全に停止させた。まさに感情の過剰負荷の状態だ。ぷしゅう……という音が出そうなぐらい、オトハは脱力する。

 アッシュはそんな彼女の異常には気付かず、自分の額にも手を当て、



「う~ん、えらい熱があるような……って、え? ど、どうした? オト!?」



 途中で仰天した。慌てたアッシュはより正確に体温を測るため、オトハの額から柔らかな頬、そして細い首筋へと手を当てる。もはやオトハはされるがままだ。



「うわッ!? なんかすげえ熱出してんぞ!? オト、オトッ! くそッ!」



 アッシュは舌打ちすると、オトハの肩と腿を掴んで横に抱き上げた。

 それを見て動揺したのは、今までその光景を呆然と見守っていたサーシャだ。



「せ、先生ッ!? なんでオトハさんを抱き上げてるんですか!?」


「はあ? そんなのオトを病院に連れていくため……って、オト!? うわ、顔がやべえぐらい赤くなって!?」


「アッシュ、アッシュ。黒毛女を降ろして。それは逆効果」



 動揺するアッシュ達と違い、ユーリィが冷静な声で言い放ち、



「あははっ、オトハさんってすっごい純情」



 と、アリシアはケラケラと笑いながら、その様子を見ていた。



「いや、お前ら少しは心配しろよ!? オト、おい、オト――ッ!?」



 アッシュの絶叫がクライン工房内に響く。


 こうして、たった一言の会話さえすることもなく、アッシュ=クラインとオトハ=タチバナはおよそ二年半ぶりの再会を果たしたのであった。



 ちなみに。


「う~ん、やはり凄いな師匠は。あれも掌底一発で倒したことになるのか?」


「……まあ、そうなるんじゃねえの……んなことより、ううぅ」


「ん? どうしたエド?」


「……ううぅ、また俺の恋が終わっちまった……」


「……あれだけの事をして、まだ脈があると思っているお前の思考も大抵凄いな」



 と、少年達が語っていたのだが、それはまた別の話。

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