第七章 虎が吠える③
早朝。深い森の中。少し開けた広場にて――。
(……どうにか朝を迎えたか)
長剣を持つ騎士型の愛機・《スカーレット》のモニター越しに朝日を見つめる。
ジェーンは眩い日差しを片手で遮りつつ、小さな息を零した。
どうにか次の日を迎えることが出来たようだ。
(しかし、一体どうすれば……)
渋面を浮かべる。
――昨晩。ジェーン達は無事バルカスと合流できた。
流石は団長といったところか、バルカスはすでに子供を保護していた。
だが、再会に安堵している暇などなかったのだ。
――不意に《奴》が現れたからだ。
銀色に輝く髪に、水晶の魔眼。闇を吸い込んだような漆黒の服を纏った少女。
全員が凍り付いた。
その存在が何なのかは誰もが気付いたからだ。
それは出会えば死ぬ。人の形をした『災厄』であった。
『セ、セレン……?』
不意にそんな呟きが零れた。
バルカスはハッとする。それは肩に担いだ少女の声だった。
『――逃げろおおッ! 逃げるんだてめえらッ! 散開だあああッ!』
次いで、バルカスの怒号が森に響いた。
団長の指示に全員が即座に動いた。ジェーンが愛機でバルカスと少女を拾い上げる。傭兵達はすでに散開しようとしていた。
――が、その直後だった。
人の形をした『災厄』が両手を前に上げた。
すると水晶の槍が宙空に次々と生まれ、四方八方に放たれたのだ。
その初撃で二機がやられた。とは言え、その攻撃自体はまだ致命傷ではなかった。装甲を貫いて一人は左腕。もう一人は足をやられていたぐらいだ。軽傷ではないがすぐに手当てをすれば助かるレベルの負傷だ。しかし、直後に自身に起きた現象を目の当たりにした二人は、自分はすでに手遅れなんだと悟った。
一瞬二人の顔が絶望に染まるが、
『――くそったれがッ! みんな逃げてくれ! ここは俺が食い止める!』
一人が恐怖を振り払ってそう叫び、
『くそッ! お前もかよ!』もう一人も声を上げた。『団長、行ってくれ! 俺らはもうダメなんだ! せめてこいつを少しでも長く足止めしてやらあッ!』
損傷した機体が、ズンと地面を蹴り付ける。
そうして二機は、それぞれの武器を手に『災厄』へと挑みかかった。
ジェーンは唇を深く嚙むも振り向かずに逃走した。他の機体も同じだ。ここで逃げなければ盾になってくれた二人に申し訳が立たない。
こうして《猛虎団》は団員を二名も失うことでその場の危機を回避した。
(ごめん。だけどありがとう。トロイ。テリー)
二人の犠牲を悼むと同時に、彼らの勇気に心から感謝する。
――が、依然、危機的な状況であることには違いない。
どうにかこの広場まで逃げてきたが、この森には未だあの化け物が自分達を追って徘徊しているだ。次も逃げ切れる保証などどこにもなかった。
ジェーンは自然と広場の端、大樹の幹で待機する機体に目を向けていた。
全高は大型に分類される四セージル。武装は両腕に手甲に付けられた四本のかぎ爪。装甲の塗装は全身が虎模様という派手な機体だ。
――機体名は《ティガ》。バルカスの愛機だった。
バルカスは今、あの機体の中で休んでいた。
粗暴でお馬鹿な男ではあるが、バルカスは《猛虎団》の中で最も強い。それも《常餓猛虎》という二つ名まで持つ猛者だ。《猛虎団》の団長にして最強戦力である。
だからこそ、バルカスだけは寝ずの番から外し、あの化け物の襲撃に備えて仮眠をとってもらっていた。
(……バルカス)
果たして、自分の男はこの状況をどう打開するつもりなのか……。
何だかんだでバルカスを頼りにしている自分にジェーンは溜息をついた。いずれにせよ今後の作戦を決めるために、そろそろバルカスを起こさなければならない。
彼女は愛機の胸部装甲を開くと地面に降りた。
と、そこへ、
『……ん? 副団長。どうかしたんですか?』
同じく寝ずの番をしていたルクスが愛機の中から声を掛けてきた。
「ああ、そろそろバルカスの奴を起こそうと思ってね。作戦会議をするよ。あんたも他の連中を起こしといて」
『了解しました。あ、けど団長ならじき起きてきますよ。自分もそろそろ作戦会議だと思って、さっきキャシーちゃんに起こしてきて欲しいって頼んだんで』
「………………え」
その台詞にジェーンは凍り付いた。
「キャ、キャシー? それって昨日保護した小娘だよね?」
「はい。そうッスよ……って口調がうつったかな? よく眠れなかったようでもう起きてたんですよ。手持ち無沙汰にも見えたんでお願いしたんですけど……」
ジェーンは愕然と目を見開いていた。
そして数秒後には青ざめて、
「あ、あんた、なんてことをッ!」
『へ? ど、どうかしたんですか? 副団長?』
「これだから新人は! ああ、もういい! このお馬鹿!」
そう言い捨てて、ジェーンは説明もせずに走り出した。
◆
――バルカスはとても優秀な傭兵だった。
粗暴。お馬鹿。脳筋。蛮族。エロ親父。デリカシーなし。人としてダメなところは暇もないが、傭兵としては一流以上の実力を持っていた。
しかし一方、バルカスには傭兵にあるまじき大きな欠点も一つあった。
それは寝起きが非常に悪いことである。
とは言え低血圧ではない。普通に目を覚ます分には何の問題もなかった。
だが、誰かが起こすとなると極めて凶暴になるのだ。
迂闊に起こそうとすると拳が飛んでくることなど当たり前で、眠りを邪魔する者には全く容赦がない。非常時には睡眠中でも即座に動かねばならない傭兵にとっては、とんでもなく厄介な欠点だった。青あざや時にはあごを砕かれた者もいる。《猛虎団》の古参メンバーは団長の欠点に本当に手を焼いていた。
――が、そんな時、救世主が現れたのだ。
唯一バルカスが絶対に暴力を振るわない者が現れたのである。
その人物こそが五年前入団したジェーンだった。
古参メンバー達はこれぞ愛の奇跡だと喜んだものだった。
以降、《猛虎団》では眠るバルカスを起こすことは自然とジェーンの役目になっていた。そう。自然すぎて新人では気付かないほどに当たり前になっていたのだ。
――それが今回の悲劇を招いてしまった。
いま新たなる犠牲者が何も知らないまま眠れる虎に近付いていた。
「……ッス、…………るッス……」
ふと耳元に聞こえてくる声。
愛機の中で仮眠を取っていたバルカスは、不機嫌そうに眉を動かした。
……何やらうるさい。一体誰だ?
微睡みの心地よさを邪魔されて苛立ってくる。拳がグッと固まってくる。が、ふと思い直した。鼻孔をくすぐる何やら甘い匂い。男ではない。女の匂いだ。
(ああ、なんだ。ジェーンの奴か)
バルカスは半分以上眠ったままそう判断した。
ジェーンはダメだ。他の野郎どもはいいがジェーンだけは殴れない。あの気丈だが可愛くて愛しい女はとても殴れない。
しかしあと少しぐらいは眠りたかった。
(仕方がねえな)
ジェーンは殴れないが代わりの方法ならある。
バルカスはほぼ目を閉じているにも関わらずに腕を伸ばして彼女を捕まえた。
そして力任せに抱き寄せる。
「ッ!? ッ!?」
――ああ、やっぱ暴れ始めたか。
ジェーンはいつもこうだ。
だがそこがいい。気性の荒い猫を愛でるために捕まえたような気分になる。
ただ気のせいか普段よりもやけに腰が細い気がした。胸板から感じるおっぱいなどいつもの弾力がない。まるで柔らかいゼリーでも押しつけられているようだ。少し不思議に思ったが、ジェーンも女だ。きっとダイエットでもしているのだろう。
(しかし、今日は随分と暴れるな?)
彼女は何やら声まで荒らげて暴れていた。ご機嫌斜めなのだろうか?
バルカスは宥めるように手を動かし、その際、彼女の臀部に触れた。すると、ジェーンはビクッと体を震わせて少し大人しくなった。
――はて? ジェーンにこんな弱点があったか?
まぁいいか。いずれにせよチャンスだ。
バルカスはいつものように次の段階に移った。
「――ッ!?」
強引に唇を塞いだ。
ジェーンは一瞬硬直したようだが、すぐにまた暴れ始めた。
が、十数秒も続けると大人しくなる。
そうして一分後、バルカスはゆっくりと唇を離した。腕の中の彼女がぐったりしているのを感じた。
よし。これでいい。相変わらずジェーンはキスに弱い。
これをするとジェーンは五分ぐらい大人しくなるのだ。
その間だけはゆっくりと眠れて――。
「――このおおぉオォ、クズ野郎があああああァアァッッ!」
――ズドンッ!
いきなり顔面に強烈な衝撃が走った。
「ッ!? な、何だっ!? 一体何だっ!?」
ようやくバルカスは完全に目を覚ました。
すると眼前には悪鬼のような顔をするジェーンがいた。何故か小脇には少女――昨日バルカスが助けてやったキャシーを抱えている。
「……ひっ、ひうっ、ひっ、ま、またしても弄ばれたッスゥ……」
一体何があったのか、キャシーはうなじまで真っ赤にして茹で上がっていた。
バルカスとしては状況がまるで分からない。
「あんたって奴は……ッ」
ジェーンはかつてないほど激怒してた。バルカスが震え上がるほどに。
「ど、どどどうした? ジェーン?」
「――うるさい! 黙れっ!」
言って、ジェーンは再びバルカスの顔面に蹴りを入れた。
首が大きく仰け反る。常人なら死んでもおかしくない蹴りだが、バルカスにとってのふらふらと頭を揺らす程度だった。
「な、何すんだよ? ジェーン」
「うるさい! うるさいうるさいっ! とっとと起きろ! このクズ野郎!」
ジェーンはただそれだけを叫ぶと、キャシーを脇に抱えて去って行った。
何があったかは分からないが、とんでもなく怒らせてしまったようだ。
「一体何なんだ?」
バルカスは痛む自分の鼻を押さえた。
と、そこで開かれた胸部装甲の隙間から朝日が差し込んだ。
思わず笑みが零れ落ちてしまいそうな暖かい光。
しかしそんな陽光の中、バルカスの表情はどこか暗かった。
(……朝が来たのか)
朝の光に目を細める。
いよいよ団長として決断しなければいけない時が来たようだ。




