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第八章 夜の女神と、星の騎士④

 胸を押さえ苦しむユーリィを、アッシュは慎重に観察していた。

 六年に渡り、《聖骸主》と幾度となく戦ってきたが、こんな反応は初めて見る。

 もしサーシャがジラールを倒したのなら、これは聖骸化が治まろうとする兆候のはず。

 アッシュは、すぐさま《万天図》を起動させた。《ホルン》の無事と《最強の鎧機兵》がまだ健在なのかを確認するためだ。

 円形図には二つの光点が重なるように映し出されていた。


 ――良し。探査範囲内にいる。


 片方の異常な恒力値からすると、これが《最強の鎧機兵》とやらなのだろう。

 しかし、確認も束の間。

 二つの光点の数字は凄い速さで減数し、遂には消えてしまった。


 アッシュの顔から血の気が引く。まさか、相討ちなのか――。

 動揺する心を抑え、今度は《星読み》で気配を探る。消えた光点と気配の位置を照らし合わせて――ホッと息をついた。

 消えた光点の位置に二つの気配があったのだ。

 どうやらサーシャは無事のようだ。心底どうでもいいが、ジラールも生きているらしい。恐らく二機の鎧機兵が、相討ちとなって大破したのだろう。



(大破しちまったか《ホルン》。けど、よくやったぞ。お前は主を守り通したんだな)



 《朱天》の兄弟機とも呼べる機体に賞賛を送る。

 そして。



(……ありがとな、サーシャ……)



 アッシュは笑みを浮かべ、心から愛弟子を誇りに思った。

 全くもって彼女は凄い。あの子は途轍もない困難を乗り越えて、やり遂げたのだ。

 今まさに、最大の障害は取り除かれた。

 これで推測が正しければ、ユーリィは元に戻れるはずなのだが……。

 アッシュは、訝しげに眉をひそめた。



(……おかしい。なんでまだ星霊が現れねえ……?)



 反応が消えた《最強の鎧機兵》。そして、何よりも眼前のユーリィの異変。

 リセット現象が起きたのは疑いようもない。普通ならば、行き場を失くした星霊達が主人たるユーリィの元へと帰還するはずだというのに――。

 何故か、一向に星霊達が現れる気配がない。



(何かが邪魔してんのか? だとしたらこの場合、原因になんのは――)



 アッシュは、苦しむユーリィに視線を向ける。



『やっぱり、聖骸化かよ……』



 と、その時、



「――――――――――――――――――――――――ッ!」



 ユーリィが、再び言葉ではない怒号を上げた。

 胸を押さえる右手から一気に闇が噴出し、淡い桜色のドレスは再び漆黒に染まった。明滅していた黄金の髪も、星の輝きを取り戻す。



『……結局、最初から無理だったってことなのかよ……』



 アッシュは一瞬、絶望に歯を軋ませるが、



『いや、これは――』



 再度ユーリィの姿を見る。

 確かにドレスは闇夜に戻り、黄金の髪は輝きを取り戻した。

 ――しかし、少女の顔には怒りが浮かんだままだった。

 本来感情のない《聖骸主》が怒りを抱いている。確実に変化は来ているのだ。

 後は、星霊達が戻って来てくれさえすれば、きっと――ッ!



『……ああ、そうかよ。いいぜ、《聖骸主》の力が邪魔するってんなら……』



 アッシュは決断した。ユーリィの力を可能な限り弱体化させる。それしかない。

 どのみちこのままでは埒があかないのだ。

 ならば、少しでも可能性のある方に賭ける!



『ユーリィ! 今からお前の中の力を全部吐き出させてやる。覚悟しろよ!』



 研ぎ澄まされた直感が告げる。ここが勝負時だ、と。

 ――もう余力などいらない!



『《朱天》ッ! 全力全開だ! すべての《朱焔》を開け!』



 主の決意に、《朱天》が応えた。

 両の拳を胸元で合わせるように叩きつける。響いた音はまるで号砲だ。

 そして遂に、最後の《朱焔》に、真紅の鬼火が灯る。


 同時にそれは、《朱天》の――最後の変貌の始まりでもあった。


 唐突に《朱天》の全身が震えた。まるで猛毒に耐えるかのように、天を仰ぎながら小刻みに震えている。だが、変化はそれだけでは終わらない。

 漆黒の機体の至る所から、わずかに発光する真紅の色が滲み出てきたのだ。

 真紅は侵食するように漆黒を塗り潰していき、瞬く間に《朱天》の全身を紅く染め上げた。


 グウオオオオオオオオオオッ――!!


 轟く《朱天》の咆哮。

 それに呼応して真紅に染まった全身が、紅く紅く輝き始める。

 業火の如き赤光を纏う――この姿こそが《朱天》の最後の変貌だった。

 だが、これは《朱天》の機能などではない。これは欠陥なのだ。機体が内包する恒力に耐えきれなくなり、赤熱発光しているのである。


 鎧機兵の動力源・恒力。それは恒星――すなわち、太陽の力だ。

 限界を迎えた太陽は、赤く赤く燃えあがり、最後には灰になるという。

 今の《朱天》の状態は、それに酷似していた。

 極限に至った恒力は、《朱天》の身体を紅く紅く灼きつくし、最後には溜めこんだ恒力を爆発させるかのように放出する。そして、機体を自壊させるのだ。


 それは、わずか一時だけの最強の力。


 すでに《朱天》の機体には微細な亀裂が走り、その内部――操縦席は、加速的に気温が上昇している。破滅の足音は刻々と聞こえ始めていた。

 恐らく、もって三分――。

 それまでに決着をつけなければならない。


 しかし、残された時間が少ないはずの《朱天》は何故かユーリィの元には向かわず、ただ静かに空を見上げていた。何かを考え込んでいるのか、微動だにしない。

 不可解な《朱天》の態度に、ユーリィは警戒の表情を浮かべる。

 そんな少女の様子に気付き、アッシュはふと微笑んだ。

 不謹慎かもしれないが、感情を取り戻しつつあるユーリィの姿に嬉しくなったのだ。

 ああ、願わくはあの子の笑顔も見たい。

 だからこそ――。

 アッシュはもう一度、空を仰ぎ見た。



『……安心しな、ユーリィ。俺はもうお前を傷つけたりなんかしねえよ。お前の力をそぎ落とすんなら、もっと分かりやすい物があるからな』



 雲一つない晴れ渡った夜空。

 そこには、ユーリィが創り出した満月が輝いていた。



『……お前の力の象徴。悪りいが――ぶっ壊させてもらうぞ!』



 そう言うとアッシュ――《朱天》は大きく左足を踏み出し、右の拳を握りしめた。

 全身の人工筋肉が軋みを上げ、真紅の機体はさらに紅く発光する。

 今の《朱天》の恒力値は、七万ジンをも超える。

 ――威力は充分。必ず届くはずだ。

 そして《朱天》の両眼が光り、アッシュは静かに呟いた。



『――《大穿風(だいせんぷう)》――』




 静寂の中、ユーリィは、新たに驚愕の感情を取り戻した。

 両目を大きく見開いたまま、自らの力の象徴である満月を見上げる。

 ――そこには、巨大な掌の跡が、深く刻みつけられていた。

 まるで伝説の魔竜が現れ、握り潰そうとしたかのような裂傷。たった今《朱天》が放った恒力の掌低により打ちつけられた傷跡だ。

 あまりの威力に、もはや息を呑むしかない。

 傷つけられた月は、緩やかに自壊を始めていた。ユーリィは苦々しく表情を歪めて、唇を強くかむ。あの状態ではもう長くはもたない。

 ――だったら。

 ユーリィは後方に数度跳躍し、《朱天》から大きく間合いをとる。

 これからやることに巻き込まれないための間合いだ。

 彼女は《朱天》を指差し、滅びゆく月に最後の命を下す。

 ――標的はあれだ。



 巨大な影に遮られた天を見上げ、アッシュは思う。

 ――ああ、やはりそうくるか。



『壊れた月を直接ぶつける、か。……そうだな、ならこっちは――』



 鳴り響く雷音。《朱天》が後方に間合いをとる。

 月の落下軌道から外れた場所で、真紅の巨人は再び天を見上げた。

 ユーリィが目を細めて嗤う。――逃がしはしない。

 少女はすぐさま月の軌道を変更しようと、天に右手をかざす。


 ――が、その直前、二度目の雷音が轟いた。


 ユーリィは、思わず息を呑んだ。

 さっきまで地上にいたはずの《朱天》が、いきなり月の上に現れたのだ。

 地表に接近していたとはいえ、その高さはまだ五十セージルはあるというのに。

 恐らく《雷歩》で跳躍したのだろうが速度も移動距離も先程までとは段違いだ。


 まさに、真紅の《朱天》だからこそ出来る荒技だった。


 ユーリィが舌打ちする。唯一攻撃出来ない場所に移動されてしまった。

 一瞬、対応に迷う――が、すぐに次案を思いついた。

 月の上にいるのなら、重力の渦で圧縮してしまえばいい。壊れた月が暴走する可能性もあるが、むしろ好都合だ。月ごとまとめて葬りさってくれる!

 そして、黄金の少女は右手を再び月にかざして、



『なあ、ユーリィ。お前、この月を地面に落としてえんだろ?』



 青年の声に、ピタリと指の動きが止まり、



『せっかくだから、おとーさんが手伝ってやるよ』



 ユーリィは完全に硬直してしまった。

 ――手伝うって、一体何を……?

 と、困惑している内にも、《朱天》は動き出す。

 真紅の巨人は、ゆっくりと、右足を高く持ち上げて――。

 

 そして、三度目の雷音が、天を切り裂いた。


 小刻みに鳴動する大地。全方位に吹き荒れる突風。

 濛々と砂塵が舞う中、少女はただ唖然としていた。

 目を瞠り、前だけを見つめている。

 彼女の前方――。そこには、無残に砕けた月が、地表にめり込んでいた。

 衝撃で斜めに割れた月は、巨大なクレーターの中から二割ほど顔を出している。

 まるで隕石の跡地のような光景に、ようやくユーリィは状況を理解した。


 ――《雷歩》による震脚。


 あの真紅の巨人は右足の一撃で、月を地表に叩き落としたのだ。

 直径二十セージルはある月の巨体を、それこそまるでビリヤードの玉のように。

 冗談としか思えない惨状に、少女は茫然自失となっていた。

 その時、ズドンッという轟音が空気を揺らした。

 ビクンッとユーリィの身体が震える。

 恐る恐る音のした方に視線を向けると……。

 そこには、月という足場を失ったため、落下してきた真紅の巨人がいた。

 クレーターのほぼ中央に落ちた巨人は、月の残骸を踏み潰しながら少女に近付いてくる。その姿は、まるで《煉獄》から這い出る亡者のようで……。


 ――否、亡者などではない。

 灼熱に身を焼かれ、それでも闘い続けるその姿は、まさしく!


 ――《煉獄の鬼》――

 

 少女は今、完全に恐怖の感情を取り戻す。

 ――何なんだッ! このでたらめな怪物はッ! 

 恐怖から、一歩、二歩と少女の足が後ろへと下がっていく。

 そんな彼女とは対照的に、《朱天》は悠然と歩を進めていた。 

 ユーリィは、ギリと歯を食いしばる。

 取り戻しつつある心が告げていた。このままでは自分は消されてしまう。

 喪失の感情を取り戻したユーリィは、最後の賭けに出た。

 その小さな唇から大量の空気を吸い込む。


 もはや、あの《鬼》に生半可な攻撃は通じない。強力な武器がいるのだ。

 ――そう。天にたゆたう雲さえも貫く伝説の武器が。

 それを創るには全力を注ぎ込むしかない。

 少女の意志に応え、半径五百セージル内の大気に宿るすべての星霊が、ユーリィの元へと集結する。その莫大な力を以て、彼女は想い描く――最強の武器を。

 そして、少女の口から《願い》を込めた音が解き放たれた。



『……どうやら最後の賭けに出たようだな。思い切りの良さは、お前らしいか』



 間合いを詰めていた《朱天》の足取りが、ピタリと止まる。

 少女の眼前で集束する光は、徐々にその輪郭を見せ始め――。



『……なるほど。《夜の女神》の神槍か。それもお前らしいな』



 それは、《悪竜》さえも葬りさりし黄金の神槍――クラウドザッパー。

 神話を蘇らせたユーリィは、無言で神槍を構えて《朱天》を睨み据える。

 しかし、彼女は動かない。

 恐らく星霊が安定するまでの十数秒間を待っているのだろう。

 アッシュが双眸を鋭くする。――ならば、こちらも万全の態勢で臨むまでだ。

 《朱天》が泰然と身構える。左足を前に、右足は後ろへと大樹の如く踏み下ろす。尾はしなり大地を打ちつけ、左腕はその掌を前へと突き出した。

 腰だめに構えた右の拳が、景色を歪めるほどの高温を放つ。


 《虚空(こくう)》――。それが、この闘技の名前。


 全恒力の七割を拳一つに集束させ、自壊寸前にまで圧縮させた破壊の剛拳。

 一戦につき、ただ一度限りの《朱天》の切り札だった。

 張り詰めた静寂が二人を包み込む。

 そして――ユーリィが、遂に動き出す。

 いきなり彼女は、黄金の神槍を空へと放り投げた。


 天高く上昇した神槍は、くるくると回転しながら落下してくる。

 そして石突がユーリィを、穂先が《朱天》を直線で結んだ時、少女は神速の回し蹴りを石突に叩きつけたのだ。


 ――神槍クラウドザッパーが、恐るべき速度で撃ち出される!


 剛風で地を削りながら襲い来る黄金の神槍を、《朱天》は真直ぐに見据えた。

 そして、真紅の拳が、螺旋を描くように動いて……。


 ――激突の瞬間、音が消えた。


 無音の衝撃波が地表を破砕し、大気を走り抜けた――直後、轟音が蘇る。

 いよいよ、最後の攻防が始まった。

 魔竜の咆哮のような轟音が響く中、黄金の神槍と真紅の剛拳は拮抗する。

 だが、それも長くは続かない。

 最強の一撃による真っ向勝負で力負けしたのは――《朱天》の方だった。

 両足が勢いよく火線を引き、その巨体ごと後方に押しやられる。その上、女神の槍が、巨人の拳に亀裂を刻みつけ始めていた。

 明らかな劣勢に、アッシュが歯を軋ませる。このままでは終われない。

 サーシャのおかげで、ユーリィを取り戻せるかもしれない所まで辿りつけたのだ。

 ――ここは何としてでも負けられない!

 しかし、劣勢を覆そうにも切り札はすべて使い切っていた。

 一体どうすれば、と気持ちばかりが焦っていく――。

 そんな時だった。



(――大丈夫だよ、諦めないで。あなたなら、きっとあの子を助けられるよ――)



 その愛しい声に、ドクンッと鼓動が跳ね上がった。

 まさかと思い、後ろへ振り向く。求めるものは――黒髪の少女の姿。

 


(――だから、頑張って。トウヤ――)



 ……しかし、そこには誰もいなかった。

 ほんの一瞬だけ聞こえた、懐かしい少女の声。

 それは、きっと極限時におけるただ幻聴だったのだろう。

 自分が作り出した、あまりにも都合のいい幻だ。

 けれど――。



(……ああ、サクヤ……)



 それが、たとえ一瞬の幻だったとしても。

 《彼女》の声は、サクヤのエールは、アッシュの心に大きな力を与えてくれた。



『ははっ、そうだよな。こんな所で諦める訳にはいかねえよなッ!』



 そしてアッシュは雷を呼ぶ。地表を削る両足、さらには尾からも雷音が轟き、黄金の神槍を真紅の拳が押し返す。――が、これでもまだ足りない。



『まだだッ! 力を――振り絞れ《朱天》ッ!!』



 アッシュは再び渾身の力で雷を呼んだ。それは月を葬った《雷歩》の震脚だった。

 大気を弾く衝撃は《朱天》の左足に亀裂を一気に刻みつける。しかし、その犠牲により生まれた雷の力は身体を通し、《虚空》の拳を更なる高みへと押し上げる!


 そして――神槍クラウドザッパーは、完全に停止した。

 

 ビキビキビキビキビキビキッ――


 黄金の神槍に亀裂が入る。その傷は穂先から石突へと、瞬く間に走り抜け、


 ――パキィィィン。


 天に澄み渡る破砕音。遂に砕ける黄金の神槍――。

 神槍の欠片は粉雪のように舞い、そして、風の中へと散っていった。

 勝敗が決した瞬間だった。それを見届けたユーリィは、苦悶の表情を浮かべる。

 黄金の髪はすでに輝きを失っていた。

 闇夜のドレスも九割以上、元の桜色に戻っている。

 虚ろになりつつあるユーリィの瞳は、ただ真紅の巨人だけを映していた。

 無言のまま、向かい合う二人。

 すると、不意に《朱天》が天を仰いだ。つられてユーリィも空を見上げる。


 少女は目を瞠った。


 そこには夜空を埋め尽くすほどの光――百万にも届きそうな数の星霊がいたのだ。

 それは《最強の鎧機兵》の《創造》に使われた星霊達。

 主人たる黄金の少女の元へと還るため、この場に現れたのである。



『……本当に、お前の友達は凄い子だよ、ユーリィ……』



 感無量にアッシュは呟く。ユーリィはもはや呆然とするだけだった。

 そして、訪れる終焉の時――。

 夜空に舞う星霊達が遂に動き出す。すべての光が螺旋の軌道を描きながら一点に収束し、ユーリィへと一気に降り注いだ。眩いほどの輝きが地表を照らす。


 かくして、黄金の少女は影だけを残して、光の中へ消えていった――……。

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