幕間二 雨の日の約束
グレイシア皇国・皇都ディノスの中心に位置するラスティアン宮殿――。
皇国の権威の象徴であり、天へと掲げた無数の槍を彷彿させる美しき巨城。皇都に訪れたのなら、一度は見ないと損をするとまで言われるほど有名な城だ。
そんな宮殿の七階。将官と上級騎士のみに与えられる個室の前にて。
白い法衣を着た少女――ユーリィは、躊躇うような表情を浮かべて佇んでいた。
迷うこと三分。彼女は意を決し目の前のドアをノックする。しかし、返事はない。ユーリィはしばし考え込んだ後、ドアノブを掴みドアを開いた。
部屋の中には一人の青年がいた。二十歳を迎えたばかりの白髪の青年。
その身体には白いサーコートを纏っている。彼はこちらに背を向け、大きな窓の外を眺めていた。
窓の外では、ぽつぽつと雨が降り始めている。
「……灰色さん……」
ユーリィの呼びかけに、彼――アッシュは振り向いた。
「……お前な。だから、灰色さんはやめろって。もうじき三年だぞ」
いつもの軽い口調だ。顔色もいい。しかし、それでもユーリィは尋ねた。
「そんなことより……体はもう大丈夫?」
「おい待て。そんなことよりはないだろ。それが転じて団内で俺のことを『ハイロさん』って呼ぶ奴らがいんだぞ。意味はハイエンドロリコンの略だそうだ。泣くぞオイ」
肩をすくめてそう抗議するアッシュ。
明らかにわざとおどけている。ユーリィは睨むような視線で青年を見据えた。
すると白い髪の青年は、ポリポリと頭をかいて、
「……まあ、体はもう大丈夫だよ。お前のお陰だ。ありがとな」
「…………そう」
「ああ、そうだよ。……しかし、怪我を治してもらったのは、ガキの頃以来だな」
ユーリィの眉がピクリと上がる。ガキの頃以来。この台詞が出てくるということは、どうやら自分の推測は当たっているようだ。
少しだけ逡巡してから、ユーリィは最も知りたいことを尋ねた。
「……ねえ、灰色さん。一つだけ教えて欲しい。三日前のあの日、あなたが戦ったあの人は――あの《黄金の聖骸主》は……」
あなたの知り合いなの……と言う前に、青年が口を開いた。
「《黄金死姫》」
「―――え」
「あいつの通り名だってさ。皇国はそう名付けたそうだ。物騒な名だろ。あいつには似合わねえよ」
「…………灰色さん」
「……大体、お前の想像通りだよ。あいつは俺の知り合いの成れの果て……いや」
アッシュはわずかに視線を落とし、
「俺の幼馴染で――恋人だった」
「――――――」
それは、ある程度予想していた返答だった。三日前、ボロボロになるまで《彼女》に挑み、そして敗れ、慟哭する彼の姿を鑑みれば当然の帰結だった。
しかし、予想していてもなお、少女の小さな胸はちくりと痛んだ。
「……もう五年近くも前のことだ。あいつを拉致しようと目論んだ《黒陽社》の連中に、俺の村――クライン村は襲撃された」
白い髪の青年は語る。
「俺はその時一度――死んだんだ」
「――――――え?」
アッシュは、自分の前髪を一房触り、
「俺の髪の色って変だろ? これは一度死んで生き返ったら変わってたんだ」
「……生き、返るって……それって……」
死者の蘇生。そんな事が出来るとしたらただ一つ――《最後の祈り》しかない。
そして、その場には《星神》が一人いたはず。
だとしたら――。
「あなたの家族が、その、《彼女》に、あなたの蘇生を願ったの?」
アッシュは首を横に振る。
「……違う。その時にはもうみんな死んでいる。俺の蘇生を願ったのは俺自身だ」
「…………?」
意味が分からずユーリィが眉を寄せると、アッシュは肩をすくめて告げた。
「奴らに殺されそうになった時、俺はブルっちまってな。思わず口走ったんだよ」
すうっと目を細め、
「『イヤだ。死にたくない』ってな」
「……………」
「それをあいつが聞き届けちまって、今に至るってことだ」
……ユーリィは、何も言えなかった。
「馬鹿だよな、あいつ。俺なんかのためにあんな姿になって、今もどこかで人を殺して……」
「……だから、《彼女》を止めるの? たとえ殺してでも……」
ユーリィの問いに、アッシュは皮肉気に笑った。
「せめてそれぐらいはな。もう、してやれることなんて何もないから……」
再び、窓の外を見つめるアッシュ。雨は大分きつくなっていた。
そんな景色を、青年は無表情に眺めながら、
「……なあ、ユーリィ」
「……なに?」
「……お前は大丈夫だよな? お前まで《最後の祈り》を使ったりしねえよな?」
それは、出会ってから初めて聞く、あまりにも弱々しい声だった。
その声を聞いた時、ユーリィは悟った。
何故彼が自分を引き取ったのか。その理由を。
正直ショックだった。要するに、自分が《彼女》と同じだったから――。
しかし、ユーリィはかぶりを振った。
そんなショックも些細なことだ。些細なことにしか思えなかった。
同時に生まれたこの想いに比べれば。
「―――……」
ユーリィは無言のまま歩を進め、アッシュの右隣に立つ。
そして青年のコートの裾を、キュッと握りしめて、
「大丈夫。私は《最後の祈り》なんて使わない。約束する。だから安心して、アッシュ」
と、初めて彼の名を呼ぶのだった。
以降、彼女はアッシュを名で呼ぶようになる。
ずっと傍にいることを心に誓って。




