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第六章 おもちゃが大好きな貴方に③

「……叶えられないとは、どういう意味だ。サーシャ」


「ジラール。あなた勘違いしているわ。私は《星神》じゃない。《星神》と人間のハーフなの。私に《願い》を叶える力はないの」



 予想もしていなかったその言葉に、ジラールは、ただ呆然と立ち尽くした。



(……《星神》じゃない? じゃあ、僕の《願い》は、僕の夢は――)



 沈黙の時が訪れる。それは、サーシャにとって途方もなく長い時間だった。

 心臓さえ止まりそうな緊迫感の中、ジラールの一挙一動を見極めようとする。

 ユーリィもまた緊張していた。恐らく今、自分達は運命の岐路に立っている。肌でそれを感じ取っていた。知らず知らずの内に、表情が強張ってくる。

 そして――。



「は、ははは、サーシャ。君はいつもそうだね……」


「ジ、ジラール……?」



 ようやく動き出したジラールは、俯きながらぽつりぽつりと呟く。



「君はいつもそうやって、思わせぶりな態度をとって僕を期待させては裏切るんだ……。いつもいつもいつもいつもッ!!」


「う、裏切る? ジラール、あなた何を言っているの? 私は――」


「黙れ! 黙れッ! 黙れぇえええええ!! このクソ女!!」



 理不尽そのものの悪意をぶつけられ、サーシャは恐怖で身をすくませる。

 鬼の形相でジラールは、腰の短剣を抜刀した。

 銀色の弧を描き、刃はサーシャへと襲い掛かる。声も出せない彼女の代わりとばかりに、ユーリィの唇から短い悲鳴がもれた。――あの間合いでは避けられない!

 サーシャは反射的にギュッと目を瞑る。

 ――が、いつまで経っても痛みはやって来ない。

 恐る恐る瞼を開くと、白刃は、彼女の右頬の前で止まっていた。

 ジラールの双眸に、ここにきて初めて狂気の光が宿る。



「楽には死なせないぞサーシャ。まずは、その美しい顔を切り刻んでくれる!」



 サーシャの表情に緊張が走る。殺される覚悟さえしても、顔を刻むと言われて嫌悪を感じない女はいない。白刃はゆっくりと近付き、彼女の頬に冷たく触れた。

 サーシャは痛みに耐えるため、グッと歯を食いしばるが、短剣の切っ先は何故かそれ以上動く気配がない。不審に思ったサーシャはジラールの顔に視線を向ける。


 ――と、意外なものを目撃した。


 何故か、ジラールの顔から怒りが消えていたのだ。今は、信じられないといった様子の表情を浮かべている。このわずかな間に一体何が……? 

 サーシャが困惑していると、ジラールが口を開き始めた。

 ――その声は、震えている。



「……何故(・・)傷がない(・・・・)


「え?」


「君の頬には僕が刻んだ傷があったはずだ。それが跡形もなく消えている……」


「「ッ!?」」



 サーシャ、そしてユーリィもまた言葉を失う。

 サーシャの頬に傷があるはずもない。

 何故なら、ユーリィが《星神》の力で治したのだから。

 しかし、それを言えば――。



「どういうことだ? 答えてもらおう。サーシャ」


「そ、それは……」



 この時、その善良性ゆえに、サーシャは致命的な失敗を犯すことになる。しかも、今日だけで二度目の同じ過ち――それも、同じ相手に対する失態だった。


 それは、命の危機に対し、一番大切なものを守ろうとする行動。


 一度目は自身の《秘密》を守ろうとし、還って眼前の男に興味を持たれてしまった。

 そして二度目は――大切な《友達》を守りたいと願うゆえ、彼女は無意識の内に、ジラールの視線から、ユーリィを庇うように移動してしまったのである。

 ジラールはニタリと笑う。全くもってこの女は――。



「ふふ、はははッ! 君は本当に分かりやすいな! 愛おしくて仕方がないよ!」



 そして短剣の切っ先を、空色の髪の少女へと向け直した。

 ユーリィの表情に緊張が走り、サーシャはようやく自分の失態に気付く。



「ま、待って! ジラール!」



 ジラールは視線だけをサーシャへ戻し、すでに興味を失くした声で告げる。



「……サーシャ。悪いが偽物の方には用はないんだよ。黙っていてくれるかい」



 サーシャは息を呑んだ。

 自分を『偽物の方』と呼ぶこの男はもう気付いてしまっている。

 ――本物がここにいることに。



「傷を治す。そんな真似人間に出来るはずがない。それが出来るとすれば……。

 くくく、はははは! まさか! おまけの小娘の方が当たりだったとはッ!」



 ジラールは熱を帯びた瞳でユーリィを見据え――獰猛な笑みを浮かべる。



「さあ! 今度こそ! 僕の《願い》を叶えてくれ! 本物の《星神》よ!!」



       ◆



 ジラールにまるで求愛のような熱意をぶつけられ、ユーリィは怖気に包まれていた。

 アッシュと共に暮らすようになってからは、久しくなかった感覚だ。

 ユーリィは、サーシャに視線を向ける。銀髪の少女は明らかに後悔していた。

 きっと先程の行為を、失態だとでも思っているのだろう。


 ――そんな訳がない。


 彼女の行為は、彼女の善意。サーシャの人徳からくるものだ。結果的に悪意に足元をすくわれたとしても、決して失態などではない。

 サーシャに出会えて、本当に良かったと心から思う。

 たとえこの先――どんな結末が待っていたとしても。



「……もし、断ると言ったら?」



 ユーリィの問いに、ジラールはサーシャの喉元に切っ先を向けることで答える。

 それは、実に分かりやすい無言の回答だった。

 自分の未来を悟ったユーリィは、途方もない恐怖に身を震わせた。


 ――怖い怖い怖い怖い。どうしようもなく怖い。今すぐこの場から逃げ出したい。

 押し寄せる恐怖の感情に、悲鳴を上げてしまいそうだった。



(……アッシュ……)



 自然と、彼女の愛しい守護者の名前が思い浮かぶ。

 今すぐ自分を抱きしめて欲しい。

 いつものように「大丈夫だ」と言って頭を撫でて欲しい。

 しかし、それは叶わない。彼はこの場にいないのだから。

 彼女は自分の意志で決断しなければならない。


 生か、死かを。

 サーシャの命か、自分の命かを。



(……そんな選択、イヤだ……。嫌だ嫌だ怖い嫌だ嫌だ怖い怖い怖い。死ぬのは怖い。死ぬのはイヤだ! 私は生きていたい! 私は死にたくない!)



 ならば、サーシャを見殺しにするのか……?

 そんな心の自問に、ユーリィは弱々しくかぶりを振る。

 サーシャの喉元に突きつけられた白刃が、目から離れない。



(……死ぬのはイヤ。けど、サーシャが殺されるのはもっとイヤ……)



 ユーリィは、ギュッと強く瞳を閉じた。

 サーシャはアッシュ以外では初めて出来た親しい人だった。

 彼女を失うことを考えるだけで、心を切り裂かれるような痛みを感じた。



(……それに、どちらにしても私は死ぬ(・・・・)



 断ればサーシャは殺され、その後、自分もジラールに殺されるだろう。

 それが容易に想像できるぐらいこの男は短絡的だった。

 かと言って《願い》を叶えれば、サーシャは助けられてもやはり自分は死ぬ。


 すでにユーリィの死は確定している。

 その上で、これはサーシャだけでも救うかどうかの選択なのだ。



(だったら私は……)



 ユーリィは俯き、グッと手を握りしめる。

 実は、この状況でも彼女には一つだけ思うところがあった。

 とても危うい賭けではあるが、もしも自分の推測通りに事が進めば――。



(……都合が良すぎる考え方。けど、二人とも助かるには……)



 正直、甘い思惑だ。が、それでもこの場でサーシャが殺されることは回避できるし、失敗したとしても、きっとアッシュが自分を止めて(・・・)くれるはずだ。


 ――そう。《彼女》と同じように……。


 ユーリィは、キュッと唇をかみしめた。

 それがアッシュにとってどれほど辛い事なのかはよく理解している。

 けど、それでも今は――。



(……ごめんなさい。アッシュ)



 そしてユーリィは震える手を抑え、遂に決断する。



「……分かった。あなたの《願い》を、私の――《最後の祈り》で叶える」


「ユ、ユーリィちゃん!」



 喉元の刃も忘れ、前に出ようとするサーシャをユーリィは手をかざして止める。

 ユーリィの顔には、すでに恐怖の影はなかった。

 ただ静かに、悲痛で顔を歪める友達を、哀しげに見つめていた。



「でも、代わりにお願いが三つある」


「ふん。一つの《願い》の見返りに三つも望むか。まあ、いいさ。言ってみろ」


「まずはこの館にいる人間を――使用人を人払いして」


「……? どうしてそんなことをする必要がある?」



 ジラールの質問に、ユーリィは苛立ちを込めて答える。



「……聖骸化を知らない訳じゃないでしょう」


「ん? ああ、そう言えば、そんなのもあったっけ。……ま、いいか」



 パンパンッと手を打つジラール。すると応接間のドアがノックされ、妙齢のメイドが一人、入室してくる。彼女はジラールに深々と会釈すると、



「お呼びでございますか。若様」


「ああ、今からこの館の使用人全員に暇を出す。馬車なり馬なり何でもいい。とにかく、すぐさまこの館から立ち去り、可能な限り遠くへ行くんだ」



 承知致しました、と応えてメイドは退出する。ジラールはユーリィを睨みつけ、



「これでいいだろ。残り二つを早く言え」


「二つ目は、私が《願い》を叶えた後、サーシャは解放して」


「……まあ、いいだろう。ただし、ここで見た出来事は他言無用だがな。で、最後の一つは何だ?」


「最後に、少しだけサーシャとお話させて」


「……それもいいだろう。だが、おかしな真似はするなよ。少しでも怪しいと思えば、容赦なくサーシャは殺すからな。そう思え」



 その脅迫に、ユーリィは黙って頷く。

 そんな二人のやりとりを、サーシャは呆然と見ていた。状況についていけない。



(い、一体、どうなっているの? 最後って何? そんなの、まるで――) 



 ユーリィはサーシャに近付くと、我知らず座り込んでしまっている銀髪の少女を、泣きじゃくる子供をなだめるように優しく抱きしめた。



「サーシャ、ありがとう。私を守ってくれて、私の友達になってくれてありがとう」



 銀髪の少女の肩が、ビクリと震える。



「な、何を言っているの。お礼なんて、私、何もして上げられてないのにッ!」



 サーシャの慟哭に、ユーリィは微笑みながら首を横に振った。



「ううん、そんなことない。私を友達と呼んでくれて本当に嬉しかった。……私には友達なんていなかった。ずっと一人ぼっちで……。アッシュと出会うまで、人間なんて信じてもいなかった。人間なんて汚い。本当に――大嫌いだった」



 人間なんて汚い。その言葉はサーシャの心の傷跡にも響いた。

 ハーフの自分でさえ傷ついたのだ。

 《星神》の彼女は、もっと多く、もっと深く心に傷を負い続けたのだろう。

 きっと、人の欲望の深淵を幼い頃から覗いてきたのだろう。

 そんな辛い目に、ずっと遭ってきたのだ。

 だからこそ、ユーリィはこれから幸せになるべき子なのだ。



(なのに、なのに何でよッ! どうしてこんなことになるのよッ!)



 憎悪を宿した瞳で、サーシャはジラールを睨みつける。


 ――何もかも、すべてこの男のせいだ。


 サーシャは刺し違える覚悟を決める。このまま何もしないよりはマシだ!

 そう決意して、立ち上がろうとする――が、



「……それはダメ」



 目の前の少女に肩を抑えられ、止められてしまった。



「そ、そんな、どうして……。ユーリィちゃん」



 蒼白な顔でユーリィに問うサーシャ。

 が、ユーリィは何も答えず沈黙するだけだった。

 サーシャを見つめる空色の髪の少女は、ただ静かに微笑んでいる。

 その笑みは、とても澄んでいて――。



「―――――あ、――」



 いつしか、サーシャの瞳から涙が零れ落ちていた。ハッとして必死に止めようとするが、涙の雫は次から次へと溢れ出た。

 ――嫌だ嫌だ! これじゃあ本当に最後の……。



「と、友達なら一緒に遊びに行こうよ! ユーリィちゃん、まだこの国に来て半年でしょう! この国にはまだいっぱい楽しい所があるよ! だからッ!!」



 些細な、けれど《星神》でも叶えられないその願いにユーリィは困ったように笑う。



「……うん。そう出来たらいいと思う。けど無理なの。私は今日――ここで死ぬ」



 それが、ユーリィの結末。あまりにも哀れな結末。

 サーシャの涙は、もう止まらなかった。



「……う、うっぐ……。そ、そうだ! 先生はどうするの! ユーリィちゃんがいなくなったら、先生は凄く悲しむよ!」



 咄嗟に思いついた、ユーリィを引きとめるための言葉。

 しかし、これではまだ足りない。そこでサーシャは一度息を吐く。ここから先の言葉は彼女にとってかなりの勇気がいるが、そんなものに構っていられない!



「ユーリィちゃんがいなくなったら私が先生をとっちゃうよ! 先生と結婚して、先生の、あ、赤ちゃんとか産んじゃうよ! それでもいいのッ!!」



 と、恋敵に精一杯の発破をかけた。

 その言葉に、ユーリィは俯いてキュッと眉を寄せるが、



「……いいよ、サーシャなら……」



 そう告げて、すぐに微笑んだ。

 サーシャの顔が絶望で歪む。

 その返答は、ユーリィがすでに死を受け入れている証だった。

 本当に、本当にもうどうしようもないんだと、サーシャは理解してしまった。

 堪えていた嗚咽が、とうとう唇から零れ始める。


 口元を押さえ、肩を震わす友達の頭の上に、ユーリィは優しく手を置いた。

 悲しい時や辛い時、アッシュはいつも自分にこうしてくれた。

 一番大切な人との思い出を胸に抱きながら、ユーリィは銀色の髪を梳かすようにサーシャの頭を撫でる。



「アッシュは凄く鈍感だから、きっと苦労すると思うけど、いつかはサーシャの気持ちに気付くはず。だから頑張って」



 そして、彼女のただ一人の友達に、激励の言葉を贈った。

 ――が、さらに声をかけようとした時、ふと何かを思い出したのか、



「……けどね、もし……」



 表情を曇らせて、ユーリィは言葉を詰まらせた。

 どうやら何か迷っているらしい。

 それを察したサーシャは、涙でぼやけた瞳をこすり、



「……ヒック……、けど……なに……?」



 嗚咽の混じった声でそう尋ねると、ユーリィは戸惑うような瞳を見せて、



「あのね、出来ればアッシュに想いを伝えるのは少しだけ待って欲しいの。奇跡みたいな、本当に奇跡みたいな可能性だけど、もしかしたらまだ私にだって……」



 そこで言葉を切る。この先は、今この場で言うべきではなかった。

 あれは、ユーリィにとって紛れもなく最後の希望だ。

 ジラールが傍にいる以上、別の言葉に置き換えるべきだった。


 ユーリィは考える。どんな言葉がいいのだろうか。どんな言葉なら、サーシャを通じて、アッシュに自分の狙いを伝えられるだろうか。


 彼女は熟考し――そして、自分の願いでもある言葉へと至る。

 だが、正直これだけでは弱い。恐らく真意までは伝わらないだろう。

 そこでユーリィは、一人の人物を思い出した。


 緋色の鎧機兵を駆る女。呆れるほど脳天気な――自称アッシュの大親友。


 アッシュがどんな想いで《彼女》と戦ってきたのかを知っているくせに、《聖骸主》を救いたいなどと宣う無神経で大嫌いな女なのだが……。



(……仕方がない。彼女の言葉が一番確実。これならアッシュも絶対に気付く)



 伝えるべき言葉を決めたユーリィは、再びサーシャへと視線を戻す。

 すると、捨てられた子犬のような瞳で、サーシャが自分を見つめていた。

 その愛らしさに、ユーリィは優しく微笑む。

 そして、ユーリィは別れを惜しみながら、もう一度サーシャを強く抱きしめ、ジラールには聞こえないように、胸に抱いた二つの言葉を彼女の耳元に囁いた。

 伝言を受け取ったサーシャは、一瞬、怪訝な表情をする。



「……? ユ、ユーリィちゃん。今のって……?」


「……今は秘密。必ずアッシュに伝えて。そしたら分かる。それと、私が死んだらすぐに逃げて。絶対に近寄っちゃダメ。じゃないと――」


「――おい、小娘。いつまで話し込んでいる気だ。そろそろいいだろう」



 と、会話に割り込み、不機嫌そうな顔で催促するジラール。

 ユーリィは一度ジラールを睨みつけた後、無愛想な表情で答えた。



「分かった。もう充分。約束通り私の《最後の祈り》であなたの《願い》を叶える」

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