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第五章 黒い太陽③

「……何とかまいたか……?」



 アッシュは、闘技場内の一室で息を潜めていた。

 一旦街中へと姿をくらませた後、灯台もと暗しとばかりに闘技場へ戻ったのが幸いしたらしい。そこはほぼ無人状態だった。こっそりと選手控室の一つに忍び込み、身を隠して一時間。流石に《鬼》達も諦めて帰っただろう。



「……はあ、なんで俺、こんな目にあってんだろ」



 と、嘆息した後、アッシュはとりあえず部屋から出ることにした。



「さて、と。こりゃあ随分時間が経っちまったな。流石にうちのお姫様達は、もう帰っちまっただろうし……これからどうしよっかな」



 ポリポリと頭をかきながら、一人手もち無沙汰に廊下を歩いていく。

 と、その時、通路の奥から何やら声が聞こえてきた。

 アッシュの眉がピクリと上がる。



(……何だ? 笑い声? 誰かが談笑してんのか?)



 無人の廊下に響く陽気な声に人一倍強い彼の好奇心がムズムズとくすぐられた。

 また《鬼》の奴らだったら嫌だな~、と少しだけ迷いもしたが、結局うずき出した好奇心には勝てず、アッシュは声のする方へと足を向けることにした。


 そうして少しばかり廊下を進むと、その先には槍を持つ二人の騎士が立っていた。どうやらこの二人が声の主のようだ。



「どうよ! 俺の言った通り白い方が勝っただろ!」


「あー……はいはい。それよか声でけえよ。警備サボってたの団長にばれるぞ」


「大丈夫だって。ああ、くそ、なんで昼の部は賭け禁止なんだよ。夜の部なら大穴だったのに」


「金賭けねえから当たったんじゃね? お前のことだし」


「て、てめえ、何てことを言いやがる! んじゃ見とけよ。今日の夜こそは――」



 と、そんな感じの会話が聞こえてくる。

 アッシュは少し記憶を探る。眼前の騎士達は黄色い騎士服を着ていた。確か、黄色は王都の治安維持を任務にする第三騎士団のシンボルカラーだったはず。



(ってことは、こいつらは第三騎士団の騎士ってことか……)



 と、考えていたら、



「――え? ちょ、と、止まれ! お前、こんな所で何をしている!」



 談笑に夢中だった騎士達がアッシュの存在にようやく気付き、慌てて槍を身構えた。



「え、あ、いやまあ、見物ついでの散歩なんだが、あんたらこそ何してんだ?」



 アッシュの問いに、騎士達は一瞬互いの顔を見合した後、



「……我々は任務でここから先を封鎖している。用がなければ帰ってもらおう」



 騎士の一人が険しい表情を浮かべつつ、アッシュの眼前に槍を突き付けた。

 しかし、アッシュは槍の穂先に目もくれず、興味津々に背を伸ばし廊下の奥を覗き込む。一体何があるのだろうか? 少しわくわくする。だが、面白そうではあるが、ここで強引に出たら、やっぱり犯罪者になるのだろうか?



「――おい! お前、話を聞いているのか!」



 一向に帰ろうとしないアッシュに、もう一人の騎士も業を煮やして槍を突き付ける。

 アッシュは流石にまずいかな、と頬をかいた。そして、もしこんなことで犯罪者になった場合、同居人の少女がどんな顔をするのかを思い浮かべる。

 ……ああ、やっぱりこれはまずい。



(まあ、これ以上野次馬根性を出しても仕方がねえしな。今回は諦めっか)



 と、思った矢先、



「何をしているお前達! 一般の方に槍を向けるなど!」



 奥から轟く新たな声。コツコツと足音を響かせ、現れたのは四十代の男だった。

 黄色のサーコートを纏う、見事なカイゼル髭をたくわえた大柄な騎士。

 威風堂々と佇むその壮年の騎士に、二人の騎士が慌てて敬礼をする。



「だ、団長!」


「申しわけありません! しかし、怪しげな男ですので……」



 と告げてから、二人の騎士は揃って道を開けるかのようにアッシュを指差した。



「……怪しげだと?」



 壮年の騎士が、見定めるかのようにじろじろとアッシュを凝視する。

 その男はしばし眉をしかめていたが――不意に目を軽く見開き、厳しい顔つきへと変わった。その様子に、アッシュはわずかばかり緊張する。

 この壮年の騎士は今『団長』と呼ばれた。

 ならば、彼こそが第三騎士団の団長なのだろう。もしかしたら自分の素姓を――祖国でのアッシュの立場を知っているのかもしれない。

 まさかと思いながらも、アッシュが眼前の騎士を警戒していると、



「この馬鹿が! この方をどなたと心得る!」


「えッ? 団長、この男をご存じなのですか?」



 アッシュはかなり動揺した。この国へは平穏を求めてやって来たのだ。

 昔のことであまり騒ぎになると、その目標も達成出来なくなる。



(以前に会った記憶はねえが、このおっさんには口止めを頼むべきか……)



 しかし、団長に口止めを願い出る前に、その声は雷鳴の如く廊下に響き渡った。



「馬鹿者が! この方は、この方こそは! 流れ星師匠――その人ではないかッ!」


「その名前どんだけ広まってんの!?」




 と、まあ、結局アッシュは騎士団長と共に、封鎖先へと入ることになった。

 大幅に興味をそがれ、正直もう帰ろうかなとも思ったが、騎士団長の話では、《鬼ごっこ》とは別件で自分を探していたらしい。

 その理由がこの先の部屋にあるということだ。

 そうして、ふてくされたようにアッシュが歩いていると、騎士団長がにこやかに話しかけてきた。



「いやあ、闘技場では、お見事でしたな」


「見事だったのはメットさんで、俺じゃねえけどな」



 アッシュは皮肉気に答える。実際、闘技場で彼自身が戦った訳ではない。結局、アッシュを鬼の形相で追いかけまわした連中もサーシャの活躍に酔っていただけなのだ。

 だが、騎士団長は意外なことを語る。

 真剣な瞳で、しかしどこか愉快そうに――。



「……またまたご謙遜を。あの闘技場に響き渡った咆哮の如き気勢。貴方ほどの騎士は、かの皇国でも、あと六人しかおられないでしょうに」



 騎士団長の不意打ちのような言葉に、アッシュは目を瞠る。

 騎士、皇国、そして六人――。



「……あんた、最初から知って……」


「まあ、そのお話は後日でも良いでしょう。それよりも着きましたよ」



 と、目の前のネームプレートがかけてあるドアを指差す。

 アッシュは怪訝な表情を浮かべた。ネームプレートの名に覚えがあったからだ。



「……アンディ=ジラールか」


「まずはお入りください。状況は中でお話ししましょう」



 騎士団長に勧められるまま、アッシュはドアを開き――表情を強張らせる。

 その部屋は荒らされていた。

 ベンチは倒れ、床には黒い布らしきものが散乱している。

 明らかに誰かが争った痕跡だ。

 しかし、それ以上に彼の目を引くものがそこにはあった。

 それは投げ捨てられたように放置された銀色のヘルムと、抜き身の短剣だった。

 アッシュは放置されていた短剣の柄を握る。

 この三ヶ月の間に何度も手にした感触だ。



「……《ホルン》の剣……」


「……この部屋は、四十分前に清掃員が発見した時のまま維持しています。遺留品から恐らくサーシャ=フラム嬢と、アンディ=ジラール氏の間に、何かしらのトラブルがあったのではないか、と推測しています」


「メ、いや――サーシャの行方は?」


「現在捜索中です。ジラール氏の所有する屋敷を対象に捜査していますが、現時点では何も報告は受けていません」


「……てことは、サーシャの遺体が見つかったって報告もねえんだな?」


「……確かに、その報告もありませんが……」



 アッシュは同じく放置されていた鞘を拾い、自らの作品である短剣を納める。

 続けて、無造作に銀色のヘルムを拾い上げた。

 ――それは、どんな時にも必ずサーシャと共にあったヘルムだった。

 騎士団長はヘルムを凝視するアッシュの表情を見て、ふっと小さく息をもらす。



「アッシュ=クライン殿。お身内の方と思い、この件をお伝えしましたが――失敗だったかもしれませんな。……出来れば貴方には大人しくして頂きたいのですが」



 名乗った覚えもないのに、自分の名を知っている騎士団長に対し、



「おいおい。どこの世界に、お姫様の救出を他人任せにする騎士がいんだよ」



 アッシュは肩をすくめて答える。

 そして、最後に不敵な笑みで一言付け加えた。



「それにさ。一回殴られたら百回殴り返すのが、俺の――俺達七人の流儀なんだよ」



       ◆



 森の静寂に心を浸しながら、ジラールはワイングラスを傾けていた。

 グラスに鼻を近付け芳醇な香りを堪能した後、血のように赤い液体を一口含み何度も舌の上で転がす。甘味と酸味が絶妙にブレンドされた味が口内に広がっていった。

 ――うん。実に美味い。

 流石は父の秘蔵の一品。密かにくすねてきただけの価値はある。

 フフンと満足げな笑みを浮かべつつ、ジラールは窓の外を窺った。


 そこは「ラフィルの森」にあるジラール個人が所有する別館。

 常時十人以上の使用人によって管理されている館であり、彼が色々と特別な遊戯にふけるための秘密の別荘だ。

 その一階の応接間から見えるのは黒服の男達。わざわざ《商品》をこの館まで《搬入》してくれた彼らが、馬に乗り立ち去ろうとしている所だった。



(ふふ、まったく、良い買い物をしたなぁ)



 思わず笑みがこぼれる。

 ようやくだ。ようやくサーシャを手に入れることが出来た。

 まさか『購入』になるとは思わなかったが、今思うと最初からこれぐらい強引であっても良かったかもしれない。


 しかも、今回の件では予定外のおまけまでついてきた。


 サーシャと共にいた少女。ジラールは彼女も買い取っていた。

 あの少女は《星神》ではないが、《処分》するには惜しいと思ったからだ。

 今はまだ幼いが、あの少女は数年もすれば間違いなく絶世の美女になる。今のうちから自分好みに色々躾けておくのも一興だ。

 それを思うと、もう楽しみで仕方がない。



(くくくッ、あの小娘め、一体どんな顔をするのか……。いや、まずはサーシャからかな。彼女には随分と手間ををかけさせられたし、ここは存分に……)


 

 と、愉悦の笑みを浮かべていたジラールだったが、ふと机の上に置いてある書物に目が止まる。彼は机に近付くとグラスを置き、その黒い書物を手に取った。

 それは黒服達が残していった《星神》の文献――すなわちカタログだった。

 すでに《星神》は《購入》したのに、もう次の《商品》とは気が早いな、と思いつつも興味があったので受けとったものだ。



「まあ、今回はイレギュラーだったしな。正規の《商品》も買えということか」



 そして、パラパラとページを読み飛ばし――不意にピタリと指が止まる。

 興味を引く項目があったのだ。


 ――《商品》の性能について――


 ジラールは興味津津に、そのページを読み始めるが……。



「……何だよ。《星神》って結構出来ない事が多いんだな。作れるのは無機物限定だって? 食物はダメ、生物もダメか。しかも叶えられるのは一日三回が限度。その上、回数の回復には丸五日間のインターバルが必要って……何だよそれ。効率悪すぎだろ」



 はあっと大きく息を吐き、ジラールは落胆した。


 一日に三度《願い》が叶う――。


 それはジラールにとって何の魅力も感じなかった。

 そんなもの、彼の人生にとって当たり前だったからだ。

 欲しい。欲しい。欲しい。

 そう声に出せば、何でも手に入った。周りが勝手に用意した。

 ゆえにジラールは制限付きの《星神》の能力に、わずかな感慨さえ抱けなかった。



(やれやれ。これじゃあ《星神》としては、あまり期待出来ないか)



 興味を失くした彼はカタログを閉じようとするが、不意にその手が止まった。

 最後に記載されていた内容が目に飛び込む。


 ――ただし、最後の一度のみ、すべての制限は解除されます――



「最後の一度? 要するに《最後の祈り》のことか」



 ジラールは考えた。何でも手に入る自分にとって、まだ手に入れていない、あるいは手に入れるのが不可能なものとは何だろうか……?

 瞳を閉じ、自分自身の願いと向き合う。


 そして、思いついた。


 ――いや、思い出した。子供の頃から抱き続けたある夢を。

 あの夢が叶う。そう考えるだけで鼓動がドクンと跳ね上がる。

 だが、同時にジラールは悟った。

 自分の夢を叶えるには犠牲が必要だと。――そう。サーシャの犠牲が。


 ジラールは思い悩む。

 サーシャは《星神》である以前に、自分が想いを寄せる女性だ。

 確かに一度は失う覚悟もしたが、出来ればそれは避けたい。

 ならば、次の《商品》を待つか……? 

 ――いや、無理だ。恐らく《商品》の運搬には何週間もかかるはず。

 そんな気の遠くなるような時間を我慢できるはずがない。

 しばらくジラールは苦悩の表情を浮かべていたが、唐突にストンと結論を下す。

 

 まあ、いいか、と。


 彼は再び、サーシャの命を切り捨てた。

 元々ジラールは、熱しやすく冷めやすい性格をしていた。

 欲しい物でも一度手に入れると急速に興味を失う。

 サーシャに対しても、まだ何もしてない内から興味を失った訳ではないが、手に入れた途端、以前より執着を感じなくなっているのも事実だ。


 それに、ジラールがサーシャに執着していたのはその美貌に対してだ。

 美しいということだけならば、サーシャの代わりは幾らでも用意出来る。そう拘る必要もないだろう。

 ジラールはごく自然にその考えに至った。


 ――だが、それでも一度愛した少女を殺めるのは、あまりにも悲劇的だ。


 そう思ったジラールは、机の上にカタログを投げ捨てると、右手を胸に、左手を腰に差した短剣に当てて、


「ああ! 何という悲劇だろう。やはり僕は、愛する君を殺めなければならない運命にあるようだ。でも、サーシャ! 君なら分かってくれるはずだ! きっと僕のために死んでくれる! そうだろう! サーシャ!」


 と、まるで悲劇の主人公のように語った。

 しかし、もしここが舞台ならば、彼はとんだ三文役者だろう。

 何故なら、演ずるのが悲劇でありながらその口元は歓喜で笑っていたのだから。

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