表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2025年12月  作者: 鍋乃結衣
3/13

第三話 12月10日朝7時半

 帰りの電車内。出入口付近に私は寄りかかっていた。車窓の外は、すっかり真っ暗だ。行きと違い、帰りの電車はぎゅうぎゅうに混み合う。まず座れはしないし、密集しているため空気も悪い。風邪のウイルスとかがたくさん漂っていることだろう。

 

 私の家の最寄り駅まで、あと三十分はかかる。スマホの電源もいつの間にやら切れ、モバイルバッテリーも忘れた。仕事の時とはまた違う、退屈な時間だった。何か暇つぶしになるものはないか、とキョロキョロしていると、ひらひらと動くものに気が付いた。

 

 私のいる所とは反対の出入り口に、ベビーカーがある。その中にいる赤ちゃんが、私の方に手を振っていた。もこもこの暖かそうな白い服に身を包み、頭には同じくもこもこで白い帽子を被っている。ベビーカーを押しているのは、二十代くらいの女性で、おそらくは母親だろう。真っ赤なコートをまとい、片手にスマホを持ち、何かに見入っている。赤ちゃんに視線を戻すと、いつの間にか手を振るのをやめ、おしゃぶりをしゃぶっていた。その目は、私をじっと見据えている。てっきり窓の外の景色を見ているのかと思い、少し体を動かすと、その視線もついてきた。

 

 私の顔に変なものでもついているのか。そう思い、手のひらで顔をぱっぱっとはたく。すると、またしてもいつの間にか、赤ちゃんはおしゃぶりを吸うのをやめていた。代わりに、黄色い棒のようなものをかじっている。運動会のリレーのバトンくらいの大きさだ。その丁度真ん中の辺りを、かじっている。だいぶ強く嚙んでいるのか、ミシミシ音がする。

 

 ないとは思うが、あんなに強く噛んだら、割れてしまうのではないか。破片なんかを誤って飲み込んだら、大惨事だ。そう思い、母親の方に目を向けると、相変わらずスマホをいじっている。指を上下左右に動かしているあたり、ゲームをしているのか。一声かけた方がいいかな、と思い、赤ちゃんに視線を戻すと、またまた、リレーのバトンは消えていた。

 

 代わりに持っているのは、銀色の板だった。板チョコの包みと言えば分かりやすいか。あれの光沢をさらに増した感じだ。それを、またガジガジ噛んでいる。私を見つめながら。スマホのモバイルバッテリーだろうか。スマホと同じくらいの大きさのがあると聞いたことがある。

 

 ……いつの間に。さっきのバトンもそうだが、一体どこから取り出したんだ。そもそも、母親が赤ちゃんに物を渡すところを見ていない。ずっと、どちらかを見ていたのだから、動きがあれば気づくはずだ。だんだん、嫌な感じがしてきた。よく考えれば、赤ちゃんが噛む音はなかなか大きいのに、周りの乗客は気にも留めていない。……尋常のものではない。

 

 これ以上、彼らを見てはいけない。注意を引いてはいけない。

 

 

 目を逸らそうとしたその時、ベビーカーの上で何かがきらめいた。それは、スマホのカメラだった。母親の持つスマホが、顔の高さにまで上げられている。そのカメラは、私の方を向いていた。赤ちゃんだけでなく、母親の気まで引いてしまったことは明白だった。

 

 撮影されているのは不快だったが、とにかく目を合わせてはいけない。私は目を閉じた。ああいう変な者は、いつも変な現れ方をする。朝昼も、時間帯も関係なく、どこにでも突然出現する。無害な奴もいるが、それは遭遇した後も何も起こらなかった時に初めて分かる。見た目だけで区別なんてできない。

 

 ただ一つだけ言えるのは、「下手に注目されない」ことそれだけである。

 

 ふと、母親の持っていたスマホのことがよぎった。あれは、私を本当に撮影していたのだろうか。異常な存在のことは理解できないが、もしかして、呪いの一種だったのだろうか。とすると、このまま家に帰るとまずいかもしれない。だが違う、別の可能性もある。母親はずっとスマホをいじっていたが、ゲームをしていたわけじゃないかもしれない。スマホ越しに、ベビーカーの赤ちゃんを見ていた可能性がある。……なぜスマホ越しに?

 

 目を閉じていると、嫌なことばかりが思い浮かぶ。暗闇の中、赤ちゃんの噛む音がどんどん大きくなっていく。べきべき、ががが、ぱりん、と。それは、もはや騒音の域にまで達していた。今絶対に眼を開けてはいけない。でも、怖い。音が大きくなっているが、ただそれだけではない気がする。赤ちゃんと母親が、私に近づいてきたのだとしたら……

 

 ごくん

 

 と音がして、騒音は止んだ。すると、心なしか空気が軽くなった気がした。恐る恐る目を開けると、赤ちゃんも母親も、そこにはいなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ