第十七話 12月19日 「病院と姿見」
大怪我をした。腕がひしゃげて、頭蓋骨がひび割れて、内臓がぐちゃぐちゃになって、歯が何本か砕けた。
普通なら死んでいる。そうお医者さんは言った。さも気味悪そうに私を見ながらそう言った。言葉に出して言われなかっただけマシではある。態度で示されるたけでも傷つきはするがともかく。
薬のおかげが幾分か痛みは引いていた。身体中言いようのない違和感だらけだが、確かに回復しているのを感じる。全身包帯でぐるぐる巻きではあるが、その下では細胞たちが傷の修復に勤しみ、蠢いているのだろう。私と違い、働き者だ。
一方で私は暇を持て余していた。昨日の朝から病室にいるがベッドから一歩も動けないことがこうも退屈だとは思わなかった。大げさではなく、文字通り一歩も動く事が出来ない。ほぼ全身ギプスで固定されていて、少し身をよじる程度の動きしかできない。すると当然、腕を動かせないのでまずスマホも漫画も読めない。トイレに行きたくなっても歩けないので、まさかのオムツだ。耳も鼓膜が傷ついたとかで良く聞こえない。なんなら目すら若干やられており、いつもより視界がぼやけている。私を現実から逃がしてくれるものが、ここには無い。すると頭の中には、私の悪癖である悪い想像が溢れてくる。
入院費どうしよう。貯金は二十万もない。入院の相場なんて知らない。手術っぽいこともしたから、なんだか百万くらい取られる気がする。払えない時はどうなるのだろうか。財産差し押さえというやつか。身ぐるみ剥がされるのだろうか。それとも、警察にとっちめられるのか。前科がついたらもう働けなくなるのか。私は路頭に迷うのか。折角助かったのに、まだ二十代後半なのに。
ねえ、どう思う?
私はそう言った。最悪の気分でそう言った。実際にその言葉を発せられたのかは知らないけれども、少なくとも気持ちではそう言った。私の隣に置かれた、鏡に対して。
それは横に倒された、異常に大きい姿見だった。天井と壁まで届きそうなほどに大きく、もはや鏡の壁である。それでも姿見だと分かるのは、かろうじて長方形なのと一応縁には茶色い木の枠があるからだ。
昨晩、何気なく視線を横にやった時、私の前に突然現れたそれは、どう考えても怪異だった。
ただ別に、この姿見は何をしてくるわけでもない。昨日の今日なので流石に当初は警戒したが、それもじきに無駄だと分かった。攻撃はないし、私の未来を映し出すこともないし、人の本当の心を表すということもない。多分どこかの親切な人がくれた魔除け的な鏡ということもないし、逆に霊道を開く呪物ってこともないのだろう。
だって、こんな真隣にいても禍々しさや霊気を微塵も感じないのだから。
ねえ、どう思う?
再び問いかける。無害な可能性が高いとは言え、本来怪異に下手にちょっかいをかけるのはよくない。が、こうも暇かつ最悪の気分なら、変なものにも構いたくなる。
残念ながら返答はない。姿見も、鏡の中の私も沈黙を貫いている。身体だけではなく、頭まで包帯でぐるぐる巻きの私。こうしてみると、お医者さんの言う通り、生きているのが不思議なくらいの怪我をしたのだと分かる。後遺症とかは残るのかもしれないがこれで済んだだけも奇跡だったのだ。視線を姿見から天井に戻す。
暇だ。そして最悪の気分だ。そして、ああ、まただ。またあの想像が勝手に始まる。再び私の将来———お先真っ暗な将来を思い描いては絶望していた、そんな時。ふと、本当にふと、こんなことを思った。まさか私がまだ、あっち側の世界にいるということはないだろうか。あっち側、白奈出山のような異界に。
この姿見は、まさかとは思うが、この世とあの世の境目、ということはないだろうか。映画でよくあるやつだ。死ぬ間際、魂だけになった主人公が、病室に横たわる主人公自身を見下ろす。今回の場合、見下ろすというより、横目でチラ見している感じだが。そして、私の本当の体は鏡の向こうにあって、今の私は魂に過ぎない……ということは、まさかとは思うが、ないだろうか。
妄想に過ぎない。何の根拠もない。だが———しかし。
視線を今度は下、私の足元の方に向ける。その先にはカレンダーがかけられている。以前ならはっきり読めたはずの数字も、今はぼやけて見える。
…………12月…………………………19日………………?
大丈夫だ。鏡文字ではない。この世界が鏡の中、あの世ということはない。ほっ、と息をする。癖とはいえ、ナーバスになりすぎた。安心すると同時に、眠気が襲ってくる。
徐々に瞼が重くなる。
入院費用とか今後とかは、また目覚めてからくよくよ悩むとしよう。実はまだ異界にいた、なんて最悪だけは避けられたのだし。
もう寝よう、眠い…………………………………………………………………あれ?
鏡の中、頭まで包帯でぐるぐる巻きじゃ、目って見えないんじゃない?




