第十話 12月16日神様その7「仏様」
荻久帽昌也『神聖の儀式』大溝公社 2007年12月26日 第一刷出版 255-257貢より引用
東京都多摩地区にある、A市の信仰は、他のものと比べて異相を帯びている。顕著な例を挙げると、神罰祭である。神罰祭とは、△△寺にて毎年12月に催される、「神罰神」への感謝を伝えるための祭りである。明治までは、地域をあげて行われる大規模な祭りであったが、第二次大戦以降、徐々に祭りの規模は縮小されていき、現在では儀式を執り行うのみとなっている。
通常、祭りは神への感謝を表すために催される。B市の××祭や、C市にある□□祭が該当する。
神罰祭も、一見すると同じように思える。だが、一つだけ決定的に違う点がある。それは、祭りの始まりに奏上される、歌詞である。以下に、歌詞の現代語訳を記載する。
黒く巨大な眼、人の正義を治す。
高く逞しき肉体、人の悪事を裁く。
広く美しき手、人の魂を明からす。。
ここに神をおろしたまえ。
この歌詞は、△△寺の境内に設置された看板に書かれたものである。所々、意味の通らない文章になっていることがわかるだろう。次に、実際に神罰祭で詠まれる歌を文字起こししたものを読んでほしい。
黒く巨大な眼、人の正義をなぞる。
高く逞しき肉体、人の悪事を裁く。
広く美しき手、人の魂をまどわす。
ここに、神をころしたまえ。
意味合いが全く異なることがわかる。
そしてもう一つ、疑問点が出てくる。それは、寺であるにも関わらず、歌の中では神について述べられている点だ。寺とは本来、仏教を根底に置いているものであり、神を祀るのは神社である。この矛盾について、△△寺の近辺に住む方々に取材を試みたが、口を揃えて「興味がない」と言うばかりであった。
『神聖の儀式』に記述されていた「神罰祭」が催されるのは、まさに今日この場所、△△寺である。
昼間、私は△△寺の境内にいた。同書に記されていた天罰神と、あの「神様」には似た部分がある。「人の悪事を裁き」「人の魂をまどわす」、というのが神様が断罪と称して、人間を操り襲いかかってきたのと酷似している。
私が本を読んだだけでは、この結論には辿り着けなかった。イカれ女の言葉がなければ、気づけなかった。あいつは一体なんなのだろうか。見覚えがある気もするが、単なるデジャブな気もする。
とにかく、私は天罰祭に潜り込む必要がある。そして、できれば今日で神様と決着をつけたい。団地での襲撃以降も、何度か攻撃はあった。駅のホームで普通の女性が殴りかかってきたり、ここに来るまでにも車に轢かれかけた。これが毎日続くようでは、本当に参ってしまう。気を張らないと死ぬ日常は、マジでキツい。
さて、神様がもしも天罰神と同じ存在であれば、自分が祀られているのだから、天罰祭に来る可能性が高い。いや、神様ぶっている以上、来なければおかしい。
神罰祭の始まりまで、しばらくある。なるたけ寺の情報を集めておこう。
神罰祭は、儀式を行うだけ、と聞いていたが、本当らしい。出店はおろか、何かを準備している様子すらない。しかし、儀式をするにしても、何かしら事前準備が必要な気もするが。
ふと、境内への入り口にたてられた看板が目に入った。例の本で読んだ歌詞が書かれている。これが、実際に歌われる時には、全く意味合いが異なってくるという。本当に真逆の意味になる。神様を冒涜し、何かに殺してもらおうとしている歌に。
……助けを求めている? そういえば、ここは
寺なのに神様を祀っているとか。よく考えれば、神様を祀っている、というのは本当なのだろうか。むひろ、か神様を侮辱し、殺してもらおうとしていたのではないか。仏様に。
なるほど、△△寺は、仏様に神様、天罰神を殺してもらおう、という意図のもと立てられたのかもしれない。ならば、意味がわかる。歌詞と実際に詠まれる歌の内容が違うのは、神様を欺くためか。「私たちは神様を祀っていますよ」わざわざ看板にまで書いて知らせて、実際には微妙に歌詞を変えて読むことで仏様に助けを求めていた。 となると、神様は頭が悪いのかもしれない。
まあ、どれもこれも、△△寺と神様に本当に繋がりがあれば、の話だが。遠くから鈴の音がする。人の話し声を聞こえてくる。祭りが近い。




