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2025年12月  作者: 鍋乃結衣
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第一話 12月9日朝7時

 さくらのアーケードには何でもある。ゲームセンターに駄菓子屋、ファミレスに映画館、路地に入ると喫茶店や風俗もある。多種多様な業種があるせいで一日時中、何かしらの店が営業している。明かりと人の声が絶えない場所。それがさくらのアーケードである。

 

 朝。さくらのアーケードをまっすぐ進むと駅に着く。そのため、学生や通勤中の大人の行列ができる。今、私もそこに混じって歩いている。

 今日は一段と寒い。天気予報では気温が五度まで下がると言っていた。なので、私も完全防寒の服装にした。セーターの上にコートを羽織り、首にはマフラーを巻き、手袋もはめた。これで身体の大部分は暖かいが、マフラーの僅かな隙間や、服の袖から冷気が侵入して、局所的に寒い。くすぐられるようなものなので、くしゃみが誘発される。私は「へくしゅ」とくしゃみが出る。


 この時間帯になると、夜は閉じている店、本屋や映画館などが営業し始める。制服を着た少年が映画館に入っていくのを見ると、授業をバックレるつもりなのだなあ、と微笑ましく思う。スーツを着た明らかに疲れ切った男性が本屋に入っていくのをみると、頑張れ、と思う。


 そうして周りを見ながら進み、不動産屋の前に置かれた、客寄せの大きな招き猫の前を過ぎた時だった。どこからか視線を感じた。例えるなら、大勢の前で転んだ時に向けられる、憐れむような視線。それとなく視線の主を探すけれど、相変わらず姿は見えない。招き猫の前を通るたびにいつもこうなる。

正直気分がいいものではない。いつから視線を感じるようになったのか。はっきりとは覚えていないが、たしかこの付近に越してきて、さくらのアーケードを通るようになってからだと思う。他の人は気づいていないようだから、私だけに向けられたものなのだろう。それか、私だけが感じ取れるのか。


 私は感覚が鋭い方ではない。むしろ鈍いとよく言われる。仕事中、目の前に置かれた「目を通しておけ」とメモの貼られた書類に気づかなかったり(あとで指摘され、すごく怒られた)、先方が怒っていることを察せなかったり(これもあとで上司に死ぬほど怒られた)、日常に支障をきたすくらい鈍い。

 

「おいあんた」

  

 突然、後ろから声をかけられた。頭の薄い男が、私を睨んでいる。


「邪魔」

 

 そう言われて、はっと周囲を回すと、いつの間にかアーケードを抜け、駅前の信号まで来ていた。しかも、私は信号の前で立ち止まっていた。頭の薄い男に謝り、横断歩道を渡る。鈍いのではなく、ボーっとしているだけかもしれない。

 

 私が乗るのは急行本川越ゆき。通勤ラッシュ時でもあんまり人がいないし、運がいいと座れる良い電車だ。高田馬場で西武新宿行きからわらわら人が降りていくのを見ると、大変だなあと思う。改札を抜け、駅のホームに立ち、後は急行本川越ゆきを待つだけになった。が、いつまでたっても電車が来ない。普段なら三、四分で来るはずなのに、もう十分は経っている。なんとなく、電車の突着時間が表示される電光掲示板を見上げる。「遅れが出ている」らしい。具体的にどのくらいだと思っていると、アナウンスで「約一時間近くの遅れが出ている」とのこと。遅刻は必至だった。とっさにスマホを取り出し、会社に電話をかける。


「あの、花田ですが」


「……遅刻か」


 聞き慣れた男の声だった。


「え? あっはい」


「西武線だっけ。遅延してる」


「はい、なので一時間ほど」


「例のもの、持ってきた?」


「あ」

 

 電話の向こうから舌打ちがし、ぶつりと切られた。流石に私も意味が分かった。私は家まで引き返さなければならない。


人の流れに逆らって、さくらのアーケード進む。ほとんどのお店が営業を始めており、先ほどとは比べ物にならない賑わいようだ。平日の朝なのに。仕事柄遠出することもあるが、ここまで賑やかで豊かなアーケードは見たことがない。だいたいどこでも、一、ニ店はシャッターが下りていたり、人が来るのも特定の時間だけだったりする。だが、ここはいつでも盛況だ。映画館なんか、外まで数人の列ができている。服屋からも、レジ担当の「いらっしゃいませー」と声が聞こえてくる。全てのお店に、人がいる。たまに思うことだったが、不気味だった。なんども言うが、平日の朝っぱらから、毎日のように映画館に人が押し寄せるなんてことは、普通ない。あまりにも盛り上がりすぎている。駅に向かっている人はともかく、休日かのようにアーケードで過ごしてるものからは、人ではない異質な気配すら感じる。


 そうこうしている内に、例の招き猫の前まで来た。帰宅時にもこの前は通るが、その時は視線を感じたことがない。だが、朝に、引き返すような形で通ったこともこれまでになかった。マフラーの下に、汗が噴き出るのが分かった。なんだか嫌な予感がした。だが、私はここを通る以外で家に帰ることはできない。路地に入って迂回すると、危ない人たち(半グレかヤクザみたいな見た目の奴ら)に絡まれてしまう。私は意を決して、一歩踏み出した。

 視線を感じた。相変わらず、どこから来ているものか分からない。だが、これまでと明確に違うのは、憐みの視線から好奇の視線に変わっていることだった。洋服を前後逆にして歩いた時に向けられる、あれと同じ。何が珍しいのだろうか。私なんかを見て、何になるのか。

 仕事先が多分遅刻を認めたので、急ぐ必要はない。だが、視線の主をわざわざ探しに行けるほど暇でもない。そんな勇気もない。そうは思っていても、私はきょろきょろと挙動不審に、視線の主がいないか見渡しながら歩いていた。結論からいうと、何か真新しいものを見たわけではない。路地にたたずむ幽霊とか、マンホールから覗く目とかがあったわけではない。

 ただ、引き返してやっと気づいた。アーケードで遊んでる奴らが私を見ていただけだった。


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