『三蔵とクロガネ』1
いよいよ本編が始まります!
これからどんどん新キャラが出てきますのでお楽しみください!
――2020年8月17日(月)
東久留米市のとある住宅街と、工場の隙間を縫うように、一本の細い路地が続いている。夜になると人通りはほとんど途絶え、舗装の古いアスファルトはところどころひび割れている。遠くで車の走る音がかすかに響く。
日を跨いだ深夜、午前0時を少し過ぎた頃。
弱々しい街灯が、アスファルトをぼんやりと照らしていた。三蔵は、友人たちと酒を酌み交わした帰り道を歩いていた。小雨が降り出し、傘も持たぬまま立ち止まり、ふと見上げた夜空の、雲の隙間から小さな星が顔を出していた。
昨日三蔵は、魔法界での大きな依頼を終えたばかりだった。六十八歳の身には堪える仕事だった。体はまだ動く。だが、若い頃のようにはいかない。酒が入って気分は悪くないが、体の調子は“下の中”といったところだった。
――そのとき、背後から。
気配。
微かな殺気が、雨に紛れて肌を刺した。常人なら到底気づけないほどの、細い視線。距離は十メートル以内。この脇道には、身を隠せるような障害物はない。
三蔵は、息を詰めた。
決して警戒を怠っていたわけではない。
だが――相手は、ただ者ではない。そう直感した。
静かに振り返るが、……何もいない。
気配も、まるで最初からなかったかのように消えていた。正面を向き直り、全神経を研ぎ澄ます。酔いは完全に醒めていた。手ぶらのままでは、あまりに危険。悟られぬよう、わずかに腕を下げて――相手の死角で、魔杖を呼び出し、静かに握った。
三蔵は立ち止まり、家までの距離をざっと見積もった。八十メートルほど。
「……ちょいと長いな。奴は手だれの――殺し屋ってとこか」
小さく吐いた息が白くにじんだ。
「魔法刀は今回の騒動で折れちまったし、怪我も痛む。万全じゃねぇ……どうしたもんか」
魔杖を出現させたとき、三蔵は同時にアルコールを打ち消す魔法を使っていた。頭は澄み切っていた。だが、体は重かった。瞬間移動で逃げる案も浮かんだが、すぐに打ち消した。魔法使い同士なら、移動先は高確率で割り出される。しかも、発動の直前に生まれる0.5秒の間――その一瞬こそ命取りだった。
軽率な行動は、死に直結する。そう理解したとき、予想外のことが起こった。
「あなた、水戸三蔵さんですね?七人の魔法使いの。」
なんと、背後から声をかけてきたのだ。
低く、よく通る声だった。その落ち着き方が、妙に知的で、同時に不気味でもあった。驚きを隠しつつ、三蔵は静かに振り返った。街灯が点滅し、光が途切れるたびに闇が濃くなる。
その中に、黒いスーツを纏った長身の男が立っていた。姿勢は崩れず、どこか品があった。だが、目の奥に宿る光は冷たかった。三蔵は胸の奥がざわつくのを感じた。理由はない。
ただ、本能が告げていた――この男は危険だと。
魔杖を握る手に力が入った。それを悟られぬよう、口を開いた。
「なぜそれっ……。
まさか自己紹介しに出てくるとは思わなかった。――あんた、殺し屋だろ。雰囲気からして、なかなかの腕前の。」
男はわずかに笑った。
「はは……さすがです、水戸さん。お見通しですね。しかも“褒めてくれる”とは。ありがとうございます。けど……気持ちとしては、少し複雑です。」
声は柔らかかった。だが、どこか演技じみていた。男は一歩だけ前に出た。黒い靴がアスファルトの水たまりを踏み、波紋が静かに広がった。
「私、クロガネと申します。
これでも、始めて三十五年になるんですがね。
――まだまだ、雰囲気が足りませんか?」
「褒めてるんだから、素直に喜びなさいよ。
俺も長いことこの仕事やって、いろんな奴を見てきたけど、あんたは――なんて言うか、言葉にできない不思議さがあるよ。ただ者じゃないってのは、すぐにわかった。見た目もかっこいいじゃねぇか。でもまぁ、できることなら美人なねーちゃんに狙われたかったなぁ。」
三蔵は軽口を叩きながら、同時に考えていた。
なぜこの男を前にして、不安を感じているのか。その理由に近づけそうな要素は、二つあった。
一つは、男が自分の名前を知っていたこと。
もう一つは、《《「七人の魔法使い」》》という言葉を口にしたことだった。
この情報を知っているということは、偶然ではない。――これは自分一人の問題じゃない。
そう悟った三蔵は、できる限り会話を伸ばし、男の目的を探ることに決めた。
「はは……まぁ、話はこの辺にしましょうか」
クロガネが静かに言った。
「そろそろ本題に入りましょう、三蔵さん。
私はあなたに――お伝えしたいことがありまして」
三蔵は肩をすくめて笑った。
「楽しみだなぁ。でもびっくりするのは勘弁してくれよ。もう歳だから、心臓に悪いのはごめんだぜ。まぁ、大抵のことじゃ驚かないけどな。
……ん? 待てよ。もしかしてそれは、あれか?“どうせ殺すから冥土の土産だー!” とか言うやつか?」
「はい。その通りですよ、三蔵さん。」
男の声が一段低くなった。
「……申し訳ないが、次、話の途中で割り込んできたら、お伝えする前に――死にますよ。」
クロガネは緩んでいたネクタイを、ゆっくりと締め直した。その動作一つで、空気が変わった。
緊迫していた状況に、さらに重い圧が加わった。殺気――それが明確な形を持ち始めたのだ。
三蔵の軽口が、どうやら男の神経を逆なでしていた。
今の短いやり取りで、三蔵は確信した。この男は、短気で、自己中心的で、そして――危険なほど真っ直ぐな性格だと。時間稼ぎは難しい。下手をすれば、ほんの一言で殺される。
雨脚が強まっていた。風はないのに、空気がざわついているように感じた。全身に突き刺すような魔力が流れ込み、鼓動の音が、やけに大きく響いていた。
――静かだ。
異様なほど、世界が静まり返っていた。
ふと、三蔵は思った。
(あぁ……この感覚。まるで、死神と立ってるみてぇだ。)
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