『仮面の男』4/7
ついにもう1人の魔法使いが登場する。
必然的に、護衛たちの意識は薬楽へと向けられていた。――今が、最大の好機だった。
どちらか一人でもいい。至近距離で魔法を放てば、確実に仕留められる。二人は無言で頷き合うと、物陰から音もなく飛び出した。
「強化魔法!」
心の中で詠唱した瞬間、体の奥底から力が溢れ、筋肉が弾けるように反応する。空気が一瞬、震えた。
――距離にして、わずか5メートル。
二人の動きは疾風のようだった。護衛たちの視界に彼らの姿が映ったのは、わずか0.2秒後。反応する暇などない。
少女の魔杖の先端が、薬楽の胸元へ触れた。
「仕留めた――」カンは確信した。だが、次の瞬間、目に飛び込んできた薬楽の表情が、彼の思考を凍らせる。
――笑っていた。少女を見つめ、不敵に。
「待て!! 撃つな!!」
カンの声が空気を裂く。しかし、その警告が届くよりも早く、少女の詠唱はすでに完了していた。
そして――悲劇は、起きた。
閃光。衝撃。
「うぐっ!」薬楽の身体が仰け反り、床に崩れ落ちる。
「終わった、」
少女は息を荒げ、立ち尽くした。安堵とも混乱ともつかぬ感情が胸を締め付ける。強化魔法の反動も重なり、全身がだるい。
息を整え、暗視魔法を解除し、カンの方へと振り向く。――だが、誰も動かない。
カンも、護衛たちも、まるで時が止まったかのように少女を見ていた。
その光景に、少女の背筋が凍る。
「あ……え……?」
息が詰まり、後ずさる。
その瞬間――足首を、何かに強く掴まれた。
少女が振り返ると、倒れているはずの薬楽が、なおも意識を保っていた。
「バカヤロォが……」
掠れた声。胸を撃たれたはずの男が、なおも生きている。見ると、魔法が命中したのは胸ではなく、下腹部。軌道が、ほんのわずかに逸れていた。
(おかしい……なにか、間違ってる……)胸の奥に、ざらついた違和感が生まれる。
薬楽は苦しげに笑いながら、途切れ途切れに言葉を吐いた。「だ……だから撃つなって、言ったじゃねぇか……」
その一言で、すべてが繋がった。
少女は息を呑み、魔杖を強く握りしめる。
――解除魔法。
光が走る。オフィスの空気が一変する。
カンも護衛も、次々と霞のように姿を消した。
そして、床に横たわっていた薬楽の姿が――剥がれ落ちた。幻影が砕け、
そこに現れたのは――血まみれのカンだった。
「あ、あ……カンさん……?」
少女はその場に崩れ落ちた。指先が血に触れる。それが現実の温度だと理解した瞬間、呼吸が乱れ、喉が詰まる。詮索魔法を使ったのになぜ気づけなかったのか。どうして撃ってしまったのか。後悔が胸を焼く。視界が滲む。
そのとき、背後から静かに声がした。
低く、理知的で、少年のような声。
「君が使った詮索魔法は、ちゃんと“答え”を出していたよ。」
少女が振り向くと、そこに立っていたのは――
仮面をつけた、見知らぬ男だった。
「……だれ、答えは出てたって、何。」
少女の声は震えていた。脚に力が入らず、床に手をついたまま、ただ男を――いや、仮面の少年を見上げることしかできなかった。
カンもまた、意識が朦朧とする中でその少年を見た。少女とほとんど変わらぬ背丈。声はまだ若く、しかしどこか冷静で、年齢に似つかわしくない落ち着きを持っていた。特徴的な仮面とマフラー。それが、この異質な存在をより際立たせている。
少年は淡々と、しかし確信をもって口を開いた。
「――暗視魔法の特性だ。明るい場所で使えば、視界は鈍り、検知魔法の効果も半減する。
だから君は気づけなかった。最初からそこにいた“違和感”に。」
その言葉に、少女の目が揺れる。
「……やっぱり、わざとだったんだ。」
暗視魔法を解除させないよう、操作されていた。暗い場所から明るい場所へ。さらに明かりを消すといつ解除すればいいか判断ができなくなる。
――彼女は見事に、こうなるまで操られていた。
「(私のせいだ)」
唇を噛み、視界が滲む。
だが今は自分を責めている場合ではなかった。
――カンが、まだ息をしている。
「……ごめんなさい」
少女は震える声でそう呟くと、カンの下腹部――深く穿たれた傷口にそっと手を当てた。
「逃げろ、は、やく……」掠れた声。カンの手が弱々しく少女の腕を押す。それでも少女は首を振った。
「……ごめんなさい――でも、すぐ治します」
そう言って、瞼を閉じ、静かに魔力を集中させる。
次の瞬間、少女の掌から淡く白い光が溢れ出した。その光は水面のように揺れ、カンの傷をやさしく包み込む。
血が止まり、皮膚が閉じ、失われた肉が再生していく――。
光が収まった時、そこにはもう傷一つ残っていなかった。
「おま、嘘だろ……」
カンがかすれた声を漏らす。
「治癒魔法……?特殊魔法使い、なのか……?」
少女は返事をしない。ただ静かに立ち上がった。
だがカンの驚きは当然だった。
【治癒魔法】
それは、生まれ持った才覚によってしか発現しない、極めて稀な魔法。
訓練や修行で得られるものではなく、生まれた瞬間に宿っている力だと言われる。
その確率、百人に一人。
だが、他者の傷を癒せる“他己治癒”の能力を持つ者は、千人に一人にも満たない。
強さではなく特別性を加味し、特殊別魔法使いと呼ばれている。
カンが驚いている一方で、少女は血のついた手を握りしめて、少年の方を振り返った。
しかし――そこには、もう誰もいなかった。
仮面の少年の姿は、跡形もなく消えていた。
残されていたのは、静まり返ったオフィスと、倒れ伏していたカン、そして息を整える自分だけ。
多少なりとも動揺したものの、少女は冷静だった。まず状況を俯瞰して整理していく。
最初に頭をよぎったのは――あのときの疑問。
「時間稼ぎの意味」。
そして、ある答えにたどり着いた瞬間、少女は自分の額を軽く叩いた。
「……ば、バカか私は、逃がす時間を作るために決まってるじゃんか」
呆れと悔しさが入り混じった声だった。
それでも、今は自分を責めている場合じゃない。
少女はすぐにカンのもとへ駆け寄った。そっと、手を差し伸べる。
「…立てますか?」
「あ、あぁ…治ってるよちゃんと。」
カンは少女の手を借り、立ち上がった。
「――まだ近くにいます、ターゲットは。」
カンは息をのんだ。少女の迷いのない瞳が、確かに真実を映しているように見えた。
「……おう!移動しながら話を聞こう。」
二人は同時に詠唱を始める。
『転移魔法!』
詠唱からわずか0.5秒。
その姿は空気の中へと溶けるように消えた。
――そして次の瞬間。
二人の姿は、管理棟の外に現れた。
「うわ!…さぶぅいな…」
空気は冷たく、吐く息が白い。
頭上では先程までとは違い、雪が水混じりに降り、アスファルトを濡らしていた。鉄の匂いと油の残り香が漂う。
少女とカンは周囲を慎重に見渡した。
遠くで、タイヤの軋む音――。
「……車の音だ。でも止まった、てことは…」
カンが低く呟く。
さらに、複数の足音が濡れた地面を踏みしめる音が聞こえた。
「……足音が、車の方に向かってる。」
少女の言葉に、カンの目が鋭く細まる。
その一瞬で、二人の考えは一致した。
――近づいているということは、逃げるつもりだ。
つまり、そこに護衛がいるだけでなく、薬楽本人もいる。
「話はとりあえず後回しだ!」
考えるよりも早く、二人の身体は動いていた。
冷たい夜気を切り裂くように走る。
ただひたすらに――。
少女は走りながら、ふと過去の記憶がよみがえった。
――それは、カンと初めて出会った日のこと。
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