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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

曇り時々雨か雪

作者: 七篠無銘

目の前にあることが事実だと、普通だと思ってはいけない。

1

あぁ、相変わらず寒い街だ。人も街も。誰も自分を見てはくれない。いつになってもこの心の塊を溶かす春はやって来ない。

きっとこの街のせいだろう。

天気予報はいつも曇り。1年間で晴れている日なんて殆ど無い。本来ここは朝日町と言う名前だが、ここに移り住んだ人間が晴れが多くなるようにと願いを込めて朝日が見える街【朝日町】と名付けたらしい。だが、この街の住人は皮肉を込めてここを曇り町とよぶ。

しかも今は冬の時期で、かなり雪が降っており 視界も悪い。この墓地までくる途中の自分の歩いている音が聞こえないほどだった。

昔、おばあちゃんに聞いた話によると周りが山で囲まれており雲が溜まりやすいとかでこの一帯の地域は晴れにくいのだとか、そして冷たい空気も溜まりやすく、気温がマイナス10度なんてざらにある。そのため路面は凍りやすく事故も起きやすい、しかも春には凍死した人が発見されるなんてことが1、2件はニュースであがってくる。山神が怒っているのかもなんてことをおばあちゃん言っていた気がする。それももう10年も前の話だしそのおばあちゃんももう居ない。2年前の、夏が一番暑い時期を迎えた頃、おばあちゃんは日課の昼寝を居間でしていた。しかし、声をかけてもピクリとも動かず警察を呼んだ頃にはもう息をしていなかったらしい。死因は熱中症が原因だとか。その時は悲しかったが2年もすればあぁそんなことがあったと思うようになってしまった。別に仲が悪かった訳ではない。どちらかと言えば良い方ではあった。毎年行事ごとがあれば帰ってきて手伝っていたし、いやいや帰っていたわけでもない。まぁ結局のところ時間が過ぎれば死と言うことすら思い出になるというわけだ。そういうことにしておこう。

ザッザッ 振り返るとショベルで雪を掻き分けてくる音が聞こえる。

雪で視界が悪く、よく見えないが恐らく二人組だろう。薄っすらと見えるシルエットを凝視したところ服装的に男女の2人組のようだ。向こうはこちらのことに全く気づいていない様子でなにか話しながらまっすぐこちらに歩いてくる。

別に立ち去る必要は無いのだろうが掃除の邪魔になってはいけないので物陰に隠れてしばらく様子を伺った。2人は墓の掃除をし終えて一言二言話したあと墓地を離れた。

珍しいものだ。この墓地は市街地から離れておりここに来る人はめったに居ない。墓参りにくる人間は自分ぐらいだ。随分古い場所だから市に掃除でも頼まれたのだろう。若しくは、今日が命日だったのか。何にせよこの天気で来るということはあの2人にとってはかなり重要なことなのだろう。僕は墓場から離れるために脇道にでたが墓の周りは建物も何もない。なので雪を遮るものがなく、仕方なしに吹雪に向かい合って重い足を進めるしか無かった。あぁ家に帰ったら温かい飲み物でも入れてなにか映画でも観ようかなんてことを想像しながら歩みを進めた。そうこうしているうちに家に着いてしまった。


2

僕はおばあちゃんの家に行くために停留所のベンチに座ってバスを待っていた。ふと懐かしいような香りが鼻を通り過ぎていった。確かに、誰かが横に来たことは分かっていた。その人は女性で身長は僕より少し低く、少しつり目だが、顔全体が整っていることで綺麗な顔立ちをしている。肩まである髪を後ろでいっぺんに結んでおり、この蒸し暑い夏にとっては暑さを凌ぐ最善策とも言える髪型であった。

「あなたもそうなの?」急にかけられたその言葉にびっくりし、僕があたふたしているところをよそにその人は前を向き黙ってバスを待ち始めた。『私には分からない』確かにそう呟いた気がする。彼女が僕の返答を待たず前を向いたときそう聞こえた。本当はもっと違う言葉だったのかもしれない。でも、そんなことより、僕はこの気まずい状況を自分の中で誤魔化そうとしたが何も思いつかず、ただ座って何も写らない充電の切れたスマホをじっと見つめているだけだった。

ただただ気まずい時間を15分程過ぎたころ市外にでるバスがやってきた。

おばあちゃんの家までバスで1時間程揺られることになるのだが、バス停で話しかけてきた彼女は同じバスに乗ったもののしらない間に降りていた。まさに風のような人だった。

市内を出て、幾つかの大きい田んぼを通り過ぎ、個人経営の常連しか来ないような定食屋を何件かを見送ったところに、朝日町がある。朝日町に、バス停は2つほどあるが降りる駅は一つ目の駅で神社の前にある。神社の名前は朝日神社で、この街の名前の由来になったところだ。ちょうど夏祭りが近い時期なので提灯やら旗を飾り付けている。いつも夏祭りをこの街で過ごすが、いくら来たって飽きない。とくに、何が面白いとかは無いのだが、恐らくこの田舎特有の空気感が好きなのだろう。


バス停から20分歩いて家が密集している所におばあちゃんの家がある。元々集落だったが、時代の変化に応じて、集落同士で合併し、今の朝日町が出来上がったらしい。久しぶりに来たこともあって少し遠回りをし過ぎた。昼過ぎに出たはずが、少し日が傾いている。学校帰りであろう子供たちが僕を走って追い越していく。

『ガラガラガラ』田舎によくあるタイプの引き戸を開けると懐かしい匂いが鼻を通り抜ける。おばあちゃんは居間だろうか。玄関をまっすぐ行って突き当たりを左に行くと居間があり、おばあちゃんはいつもそこで過ごしている。おばあちゃんの夫つまり僕からするとおじいちゃんは、何年か前に亡くなり、おばあちゃんはこの広い家に一人で暮らしている。よくおばあちゃんは冗談で、『もう少し家が狭ければ移動せずにすむんだけど』なんてことを言っているが、いつまでもここにいるということはこの思い出の場所を手放したくは無いのだろう。僕だってそうする死んだってこの場所を離れることはないだろう。

「ただいま、おばあちゃん」

いつも通り声をかけると優しく返事が返ってきた。

「あぁお帰りなさい。外は暑かったろう。冷蔵庫にお茶でもあるから飲みな。」

「はーい」

僕は言われるまま台所に向かった。カタカタと音のなる換気扇。取っ手がバカになった冷蔵庫。相変わらずの光景だった。父や母が仕事で忙しいときはいつもおばあちゃんの家に泊まっていたが、大概やりたいことは昼までに終わってしまうので、寝るまでの時間はいつもこの台所でおばあちゃんと話したり絵を描いたりしていた。

ふとテーブルの上を見ると細長いグラスの花瓶が置かれているのに気が付いた。これは何だろうヒヤシンスだったか。一輪だけの花は綺麗な紫色をしている。その花に特に気にも止めず、お茶を1杯飲み終えると再び居間に戻った。

居間に戻るとおばあちゃんは新聞を見ていた。

「台所のヒヤシンスは誰にもらったの?」

そこまで聞く気は無かったが会話の種にでもなるかと思ってきいてみた。

「あぁあれね。昼過ぎに女の人がやってきて、もしよかったらなんて言うからもらったのよね。別に断っても良かったんだけど断る理由も無いからねぇ。台所が殺風景だったから貰っちゃったのよね。」

特に気に留める様子もなく答える。

「その人って全く知らない人?」

「ええ、ここらへんでは見たことないねぇ。最近こっちに来た人じゃないかしら。先月も地方から引っ越してきた人も居るみたいね。」

ふと、バス停で会った女の人を思い浮かべた。

「おばあちゃん。その人の髪型ってポニーテールだった?」

「あぁ確かに髪の毛を後ろでぎゅっと結んでたねぇ。顔も整ってて最初見たときはモデルさんかと思ったもんねぇ。」おばあちゃんは少し考えてから答えた。

あの人かもしれない、そう思った。だが、なぜ家に?この家の付近には誰も引っ越してきて居ないはずだ。ますます彼女が分からなくなった。

取り敢えず考えるのは明日にしよう。

バスに長く揺られたせいか疲れていたので寝ることにした。

「おばあちゃん。ちょっと寝てくるね。おやすみ。」

翌日、僕はあのバス停で出会った彼女を探すことにした。


翌朝、僕は近所を改めて見て回ることにした。特に新しく建てた家や、軒先が今風になっているかなど調べたが、あまり成果は得られなかった。果たしてあの人はどこから来たのだろうか。やはり祭りに合して、こちらに来ていた人間なのだろうか。生憎、これと言ってこの街に知り合いもいないので地道に探すしかないのだが、あまりゆっくりとしていられない。夏祭りまでは今日を入れて3日しかない。この間に何としても彼女を見つけなければ。

今日の捜索は諦めておばあちゃんの家に帰ると、おばあちゃんは慌ただしく何かを探していた。

「この前、ヒヤシンスをくれた人がまた家に来たんだけどどこかで見たことあるのよねぇ。それで写真に残ってないかと思ってアルバムを探しているんだけどどこにしまったかさっぱりなのよねぇ。」

あの人はまた来たのか。僕は心のなかで舌打ちをした。

「そんなに気になるんだったら僕が探しておこうか?おばあちゃんには色々と祭りの準備があるでしょ?」

するとおばあちゃんは半ば諦めた声で返事をした。

「そうねぇ。明日探してもらおうかしら。いやぁねぇ年を取るってのは。色々と大事な事を忘れちゃう。」

「思い出さないほうが良いこともあるよ」

何気に出た自分の言葉に僕自身びっくりした。幸いおばあちゃんには聞こえてなかったようでさっきまで見ていたであろう新聞に目を落とし、読み漁り始めた。

残り2日どうやって見つけるかしっかりと作戦を立てねば。

夜になるとふと思い出すことがある。幼少期の記憶なんてものじゃなく、ただ道路の脇に猫が横たわっている映像がフラッシュバックのように映し出される。車に轢かれて虫の息だった猫を僕はじっと見つめていた。何もできなかった訳じゃなく、生というものの先に何があるのか。その答えが見える気がした。だんだんと光を失っていく瞳を見つめながら僕はその最後の火を摘んだ。


2日目、相変わらず朝からうだるほどの暑さが嫌になるが、あの女をほっておく訳にはいかず捜索する他なかった。例年通りなら何事もなく祭りの期間を過ごせるはずだった。しかし、探しているということを悟られずに人を見つけるというのは中々大変だと言うことが分かった。世間体もあるが、こんな狭い田舎では噂が立てば一瞬で広まってしまう。怪しまれるのは逆に僕の方になる。それだけは避けたい。これだけ街の中を探していないとなればやはり隣町まで出るしか無いが、そんな事を悠長にしていられない。残り1日どうにかして見つけなければ。

家に帰るとまたおばあちゃんが家の様々な引き出しを開けっ放しにして探し物をしていた。

「やっぱりあの人をどこかで見たことがあると思うんだよねぇ」おばあちゃんは僕が帰ってくるなりそう言った。

「誰かに似ているとかなんじゃない?結構ああいう人いると思うよ。」僕は適当に答えた。アルバムは無いはず。昨日帰ってきた後に探したが特におばあちゃん以外の写真がある痕跡はなかった。それどころか異常に写真が少なすぎるのだ。カメラはあるのにフィルムがなく、写真立てがあるのに写真が飾られていない。だから僕は気付けなかった。あの女の存在に。


3日目、僕はまた、あの女を探すことにした。今日こそは居場所を突き止めてやろうと思い、今日は朝早くから行動することにした。この家にくるまでに公園を通る必要があるのだが僕はそこで張るのが得策だと考え公園のベンチに居座ることにした。恐らくあの女が来るのは朝。そのタイミングで見つけるのが最適だろう。

公園へ犬の散歩に来る人が減り始めた頃、ようやくそのタイミングが訪れた。

いつものように後ろで髪を縛った顔の整った女。おそらくヒヤシンスを持ってきた人物その人だ。その女は特に警戒するわけでもなくそそくさと公園の前を通り過ぎていった。僕は慎重に後をつけることにした。こういった事は趣味じゃないが、探偵ごっこのような気がして少しワクワクしている。

あれから10分ほど経ったが何処かに寄る様子もなく女はおばあちゃんの家に向かった。中々不思議な気持ちになるものだ。いつも何とも思わず使う道をこんなにも緊張しながら帰ることになるとは。

女はおばあちゃんの家につくと、インターホンを押し、自分はリカだと名乗った。やっと掴めたヒントだがあの家でリカという名前を見たことが無い。あの最初のヒヤシンスをもらった日からこの家に何かヒントがあるかと思い探したが不自然なほど子供や孫の写真は無かった。何なら本人の写真も無いほどだったまるで誰かが持ち去ったかのように。そうこうしているうちにおばあちゃんはリカを家の中に招き入れ2人は家に入っていった。僕もいつまでも玄関先に張り付いている訳にもいかず家が見える程度に離れたところからリカが出てくるのを待った。太陽が真上を少し過ぎた頃ようやくリカが外に出てきた。僕は少し不安がよぎった。あの女の顔を見るとやりきったような表情をしていた。今すぐ何があったのか問い詰めたいところではあるが何処に住んでいるのかを調べるためにまた女の後をつけることにした。順調に公園まで来た頃思わぬ事件が起きた。女は公園に入るなり急に踵を返して僕がいる入り口に向かってきたのだ。咄嗟の出来事に何もできず僕はそこで尾行がバレていたことを知る。

「やっぱり私のことをつけてたんだ」

女はしてやったりな表情でこちらをじっとみた。

「あなたは本当に誰なの?」

完全に敵を見る目をしていた。そして立て続けに女は言った。

「あなたがあの家に、何も関わりが無いことは知っている一体何が目的なの?あの人をどうしようと言うの?」

あの人とはおばあちゃんのことだろう。

しかし、僕は気がついた。少しふつふつと込み上げてくる負の感情を。

「ただの古い知り合いですよ。昔はよく遊んでもらってたんですよ。」

僕は相手を刺激しないように言葉を返した。するとリカはこう言い放った。

「じゃあなぜ祖母は貴方の名前を知らないの?」


3

慌ただしい朝、朝食はいつも赤いマグカップを使っている。

上京して4年、祖母と2人暮らしだった里香はおばあちゃんが認知症になったころに家を出た。本音を言うと祖母を見ていられなくなった。ずっと一緒だと言ってくれた自分を忘れていく祖母を里香は耐えられなかった。里香の両親は幼い頃に死んでおり、高校生頃までは祖母と2人で暮らしていた。認知症をきっかけに上京した後は職を転々としながら細々とした暮らしを送っていた。上京して2年を過ぎた頃に今の会社に就職することが出来た。給料は決して良いとは言えないものの、同期も上司もいい人ばかりなので文句は言えない。自分ひとりで暮らしていくなら何の問題もなく過ごしていけるほどだった。何なら今の暮らしが幸せだと思っている。今朝は会社で会議があり、準備があるので今日に限ってはこんなにバタバタとしている。一緒に準備するはずだった同期は風邪で来れず、2日ほど前から会社を休んでいる。一人いないからといって準備をしなくていいというわけにはいかずこうなってしまったのである。出発予定時間より少し早めに家を出た里香は昼ご飯を買うために商店街を抜けていくことにした。通勤の時間には少し早く人もまばらな商店街を抜け駅に向かっているとふと花屋が目にはいった。一人で暮らすことになってからは家に花を飾ることもなく、殺風景な暮らしをしてきたが、祖母と暮らしていたときは、よく台所のテーブルに花が1輪飾られていた。だけど花の名は忘れてしまった。たしか、ヒヤシンスだった気がする。恐らく祖母もそんなこと覚えていないだろう。たとえ、聞けたとしても。

今朝の会議は何事もなく終わり、昼からは休みとなった。家に帰っても落ち着かないので最近気になっているカフェで夕方まで時間を潰すことにした。最近出来たカフェらしいのだが、少し変わっているらしい。噂によると本と飲み物をその場で注文するとか。その本は一応は貸し出しではあるが購入も出来るそう。本好きの同僚が鼻息荒く教えてくれたのを覚えている。だが、こうして、普通の暮らしをしているとふと、あの狂気のようなあの日を思い出してしまう。あの時どうしていれば良かったのか。あれほど自分を無力だと思ったときは無い。


4

「なぜ貴方の名前を祖母は知らないの?」どうしても里香には理解ができなかった。その男の奇怪な行動にではなく、何故祖母が標的にされたのか。里香及び家族は皆、祖母が重度の認知症だということは誰にも言っていないはず。どうやって。

すると、今まで何一つ表情を変えなかった男が、水面に絵の具を垂らした時のように顔にだんだんと怒りの表情が現れてきた。

「あれは、僕の家だ。」

男はうわずった声で言い放った。

「僕たち二人はずっと二人で暮らしていたんだ。ずっとね。」

男はしまったと思ったのか、わざと落ち着いたような声で話した。しかし、里香は知っている。この男が言うように二人で暮らしていたという事実なんて無かったことを。

「貴方は私を知らないようだけど私は貴方を知っている。」

里香は知っている。あの時のことを。

「雨が降る日貴方は猫を殺したはずよ!」

目の前の男はピンときていないのかそれともしらばっくれているだけなのか、全く表情を変えないままこちらを見た。

「あの日の前日私の飼っていた猫は居なくなった。いつもなら放っておいてもすぐに帰ってきたけど次の日が雨だったから私は学校から帰ったあと家の近所をくまなく探したわ。でも、見つからなかった。あの雨の日までは。あのときはすごく後悔したわ。もっと探していればあんな死に方しなくても良かったのにって、貴方が私の知らないときに祖母の家に来ていた事を知っていればって。」

里香がそう言い終わると、男の顔に少し動きがあったような気がした。しかし依然として男は何も言わない。墓穴を掘ることを恐れたか、それとも次の一手を考えているか。しかし里香の予想は外れた。男は開き直ったかのような声で話し始めた。

「あぁあの猫のことですか、中々僕に懐かなくてねぇ。せっかく僕が遊んでやろうとしているのに引っ掻いてきたものだから少し教育をしてやろうと思ったんです。雨に当てていれば大人しくなるだろうと思ったのですが、残念ながら途中で逃げ出してしまってね。」

男は楽しかった思い出のように話を続けた。

「さすがに僕も直ぐに返すのはマズイと思ったので追いかけたのですが道路でもう死にかけになっていてね。僕にはもう見つめることしか出来なかった。あの時のことは大変申し訳なく思っていますよ。」

「でも、あの時、猫が逃げなければ死んでいなかったそうは思いませんか?」

里香にはこの男が言っていることが一つも理解できなかった。恐らく内容をかみ砕いて説明されても分からないだろう。淡々と話すその猟奇的な人物は同じ人間では無いような気がした。

里香が言葉を返せずにいると男は続けて話し始めた。

「しかしながら、僕がおばあちゃんに何かしたって言うんですかね?話し相手になってあげてるし、あの人にとって僕は健康になるためのいわゆる介護者のような存在だと思いますが?」

里香は思い知らされた。これほど話が通じない人間がこの世に存在するとは。恐らく普通に話しても意味がない。しかし、この状況で警察を呼べるわけもなく、里香はただ黙って男の御託を聞いているしかなかった。真夏ということもあって今の時期は誰も外に出たがらない。しかも年寄りばかり住んでいるこの街では尚更だ。

里香としてはここでこの男を捕まえて、おばあちゃんの家に近づけさせないようにしたかったが、この状況ではあきらめるほか無いのかもしれない。里香は酷く反省した。考えもなしにこのような人間を相手にすべきでなかったと。気持ち半ば諦めているとふと、視界の隅に人影が見えた。


男は見かけによらず焦っていた。おばあちゃんの孫だと言い張る女にバレたばかりか、自分がどういう存在か知られてしまった。これまでいかに街の人間に自分がどういうものか知られないように立ち回っていたのに。あの時間に出歩く人間など居なかったのに、ああいう時に限って誰かがいる。とり敢えず荷物をまとめてこの街から逃げなければいけない。女が目を離した隙に逃げてきたのは良いものの、これからどうするか、まだシナリオは完成していないというのに。ずいぶんと公園から離れたが、おばあちゃんの家まではまだ少し距離がある。何故僕がこんなにつらい思いをして灼熱の中を走らなければならないのか、あれもこれもあの女が来たからだ。そうに違いない。

しばらくして家に着くとおばあちゃんはいつものように居間にいた。

「あなたの名前を私は知らないの。ずっと近くにいたのに、あなたは誰なの?」

僕が居間に入るなりおばあちゃんはこちらを向かずそう言った。

僕はあまり焦っている様子を伝えないようにしなければと思い、いつものような口調で答えた。

「おばあちゃん、何を言ってるんだよ。僕じゃないか。孫の顔も忘れたっていうのかい?」

「孫は一人だよ。」

今まで聞いたこと無いようなトーンでおばあちゃんは返答した。まるで極寒の中、川に突き落とされたような感覚。

僕はまだなんとかやり過ごせないかと考えたが中々頭が回らない。何せこの炎天下の中を走ってきたのだ。こんなの機械だって故障する。

僕が言葉を返せずにいるとおばあちゃんは再び口を開いた。

「今のうちにここから消えてくれないかい?今なら警察にあなたを突き出さずにすむんだよ。」

おばあちゃんは優しい口調で諭した。

僕はやはり納得がいかなかった。何故こうも自分だけが不幸なのか、何故人から遠ざけられなければいけないのか。

「まるで僕が悪いみたいじゃないか。」

僕の中を巡り巡ってやっと這い出た感情が言葉になって、雨の匂いと共に誰も居ない部屋を通り抜けて行った。


5

視界の端に見えた人物は町長だった。昨日のうちに祖母の家に付き添いで行ってくれるように今日の午後に公園で待ち合わせをしようとしていたのだが、たまたま買い物の帰りで公園の近くを通ったらしく誰かが言い争っているのを聞いて様子を観に来たのだった。町長とは、昔に祖母の認知症の件でお世話になっていた。祖母は今では落ち着いているが昔は直ぐにパニックを起こして誰彼構わず暴力をふるようになっていた。なのでそういう症状の激しい日は町長夫妻の家に泊めてもらっていた。暴力の対象は里香のみならず飼っていた猫にもなっていた。だから飼い猫が逃げ出したのは、少なからず祖母が原因の一因になっているかもしれない。飼っていた猫が死んだことにより祖母の症状は治まった。自分に負い目を感じていたのだろうか、里香や町長が誰かはわからなくてもパニックを起こさずに距離をとって様子を伺うようになった。そういったことが積み重なって里香は家を出た。祖母一人だけを置いて自分だけ逃げて良いのだろうかと思いながら。

しかし、あの男から目をはなすべきではなかった。誰か一人でも味方に付けば大人しくなるのではと思い気をそらしてしまった。町長も違和感を感じ取って走って里香の方に走っては来たが思いのほか、男は素早く、逃げていってしまった。町長と合流し一通りのことを町長に説明した後、2人は取り敢えず交番に走った。交番にはいつでも1人は常駐しているので、お巡りさんに応援を呼んでもらって祖母の家に向かうことにした。男と遭遇してから2時間ほどたってようやく祖母の家についた。明日が祭りということもあって道路が交通規制されており予想よりかなり遅く到着することになった。祖母の家にまだ男がいる可能性があるので先に警察が入り安全を確認したのち、里香たちが入るという手はずになった。しかし、男はどこにもおらず、あるのは動かなくなってしまった祖母の遺体だけだった。後に、遺体を確認した警察から聞いたところによると死亡の原因はおそらく絞殺だそうだ。祖母の遺体には複数のあざがあったようだが、これは犯行前に付けられたものだそう。まるであの時の猫のように。冷たくなって倒れている祖母を里香はただ見ているしか出来なかった。結局思い出してもらうことすら出来なかった自分は祖母にとって何だったのだろうか。家族だったはずなのに涙が出ないのはなぜだろうか。こんなにも空が泣いているというのに。

葬儀は町長と里香の2人で行った。祖母には面識のある人間などこの街に居なかったので小さく済ませた。警察からの事情聴取や、朝日町から市内に行く道で事故があったのもあり、朝日町でしばらくの間、町長夫妻の家で過ごした。帰れなかったのはほとんど事故のせいだった。雨のせいで道端に倒れていた人に気付かず、トラックが踏んでしまった。それの影響で制御を誤り、対面車両と激突。死者3名、負傷者6名を出す事故があったそう。近所の主婦が話しているのを聞いた。2週間たったころやっと里香は自分の家に戻った。

翌年の夏も過ぎ冬が少し過ぎた頃に町長からあの男について連絡が来た。あの男は堺歩という名前で、里香が上京して半年頃からあの家に住み着くようになったらしい。主に祖母の家の離れを使っており、離れには男の所持品が複数あったようでそこから名前を割り出すことができたらしい。男は祖母の家に住み着く以前に同じようなことをしていて、逮捕されていたが何故か直ぐに釈放されており、各地を転々としていたようだ。なので中々足取りが掴めず警察としても堺歩という男を追うのは難しかったようだ。しかし今回の事件では殺人の容疑までかかっているので流石に警察も動くしかなく男の行方を調べてはいるが、依然として男の居場所は掴めず、八方塞がりなのだそう。

あの祖母の事件から2年が経った頃に町長から連絡が来た。あまり町長は墓参りのことを言ってこなかったが一緒に行ってみてはどうだろうかなんていう内容だった。今まであまりあの町には近づく気にはなれなかった。事件のせいでもあるが、忘れようと仕事に熱心なふりをして見ないようにしていた。しかし墓の世話は町長に任せっきりであったため1度くらいは顔を出さなければと思い再び足を踏み入れることになった。


6

「やっぱりこの時期は積もりますね。」

里香は祖母の墓参りのために朝日町に来ていた。この時期は市外に出るバスが極端に減るので町長の車で朝日町まで送ってもらっていた。

「この年になると雪なんて面倒が増えるだけの季節なんだけど、孫は毎日雪だるまを作りに行こうなんて言ってくるから全く良いのやら悪いのやら。」

町長は面倒と言いながらずいぶんと楽しそうな顔をしている。墓地は朝日町の入り口近くにあり、祖母の墓もそこにある。町長が言うにはやはり町長以外に墓参りに来る人間も無く、何日かおきに散歩がてら水を替えたり掃除をしたりしてくれているそうだ。しかしながら今日はずいぶんと吹雪いている。掃除をしても直ぐに雪まみれになりそうだ。車から掃除道具を持って祖母の墓に向かった。流石にこの天気では誰も墓参りに来ている様子もなく、雪をかぶった墓が転々とあるだけだった。

「たまには、ここに来るようにします。こういう日は無理かもしれませんが。」

里香は少し明るい口調で言った。

「そうか、それはよかった。さぞ喜んでくれると思うよ。」

町長は優しい口調で返した。

「覚えてくれているでしょうか?結局最後まで私のことを理解している様子はなかったんです。」

「誰も居ないよりかはマシだと思わないかい?例え自分が相手のことを忘れているとしても、こうして顔を見に来てくれることほどうれしいものは無いと思うよ。」

村長はまた、優しい口調で答えた。

里香は少し微笑んだ。自分にも支えてくれる人がいたのだと、そう思った。祖母の墓を掃除した後2人は帰ることにした。帰るころには少し吹雪もましになっており、朝日町で日をまたぐ心配もなさそうだ。車に向かって歩いているとふと後ろで人の気配がした。しかし、そこには誰もおらずただ殺風景な景色が広がっているだけだった。

「あなたも一人だったのね」里香は誰も居ない空間に言葉を投げた。

読んで頂きありがとうございます。

気味の悪い文を書きたくて頑張ってみましたがどうだったでしょうか。

男の話をもう少し膨らませればよかったかなぁとか、男とおばあちゃんが話す場面をもう少し増やせばよかったかなぁとか、色々考えましたが取り敢えずこういう形で完成になりました。因みに夏にヒヤシンスは咲きません。

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