一五九四→一五九〇
伊達政宗・・・甥でマザコンの方。
最上義光・・・伯父でシスコンの方。
これは、史料には残らない、密会の記録。
文禄四(一五九五)年、伊達政宗は、馬を走らせていた。彼の伯父であり、最大の宿敵である、最上義光からの呼び出しに応じてのこと。
心当たりは、ある。馬をつなぎ、心を平静に保つと、義光と待ち合わせた廃屋の戸を開けた。
「来たか、政宗……ちょっと待ってお前、どうしたのそれ」
政宗は、白装束で参上した。
「いや、最悪、殺されるまであるかなって……」
「同じネタ使い回すなよ」
天正一八(一五九〇)年、太閤殿下から小田原征伐に呼ばれた際、この伯父と甥は揃って遅刻をかましている。義光は徳川家康のとりなしで事無きを得て、政宗はいつでも切腹バッチコイな白装束で現れ秀吉をドン引きさせることで命拾いしていた。
「あのときはお互い肝が冷えましたね。にしても伯父上、いつのまに徳川殿を味方に?」
「うーん、何か、その場で。徳川殿とは何か気が合うんだよね」
あっちが狸なら、こっちは狐だもんなあ。と、これは政宗の口には出さぬ心の声。
甥である政宗から見た最上義光は、戦国武将らしからぬ戦国武将である。外交、懐柔、謀殺を駆使し、戦になる前にその芽を摘んでしまうことに長けた、時代遅れの武将。
政宗は、この伯父のことが好きではなかった。戦次第でどんな土地でも手に入るこの時代に、先祖代々の土地にこだわり、それ以上を求めようとしない。宿敵と認めているだけに、そんな消極的な姿勢がもどかしく、情けなくもあった。
だが、そう思うたび、母の言葉が脳裏を過ぎるのである。
――政宗、義光殿と争うのはやめておきなさい。
「で、何、殺されるまであるって。お前また何かしたの?」
はたと我に帰り、政宗はまず腰を下ろすことにした。
「まあ、その……まずは、お悔やみ申し上げます」
文禄四(一五九五)年八月十六日、義光の正室、大崎殿が亡くなった。
「あれから間も空けずに、こんなことになるとは」
政宗が苦しげに言うのは、同年同月二日に起こった、当代の関白・豊臣秀次の自害。及び、その妻子の連座による処刑である。その中に、義光の愛娘、駒姫もあった。秀次のもとに嫁いでから、一年も経たない間の出来事であった。
大崎殿が亡くなったのは、その僅か十四日後。まるで駒姫の後を追ったかのようだ――たまたま耳に入った噂ではあるが、政宗自身もそう思ったくらいには、仲の良い母娘であったことを覚えている。そんな娘だったからこそ、政宗も……。
「で、結局お前、何したの」
「駒姫の助命嘆願しようとしたのが太閤にバレました」
「バッカお前」
駒姫までもが処刑されると聞いて居ても立ってもいられなくなった政宗は、その日も馬を走らせていた。一応、密かに走らせたつもりだったのだが。
「やっぱり白装束だったから目立ったのかなあ」
「何でまた白装束なんだよ」
「一度いけたからこれでごねたらもう一回いけるかなって」
「二度と着るな」
義光に強く言われたことが堪えたのかはわからないが、これ以降、政宗が白装束で一発芸をしたという記録は残っていない。あってたまるか。
「わしは親だからいいけど、従兄でしかないお前はそんな動きしちゃダメだろ。ただでさえ秀次様とのことで目ェつけられてんのに」
政宗と秀次は個人的な親交があった。同年代であり、太閤秀吉の甥であった秀次と「変なおじを持つと大変だよな、お互い」などと意気投合したかは定かではないが、これでワンアウト。駒姫にも個人的な情があってツーアウトといったところか。
「土俵際で踏み止まりましたね」
「全然。全然出てるよ、足」
結果的に、駒姫を救うために同時に動いてしまった義光と政宗の姿は、傍から見てどう映ったか。考えるまでもないことだ。
「呼び立てした理由は警告のためだ、政宗。わしらに、謀反の疑いがかけられるぞ」
「……疑いなどではございませぬ」
政宗は、自らの拳の中で、骨の軋む音を聞いた。
「本当にしてしまえばいい。おれは、駒姫の命が奪われたことが許せない」
「駒のこと、かわいがってくれてたもんな」
「いえ、そんな気などありません! 十五も離れた従妹など、娘のようなものです!」
「そこまで聞いてないんだけどな。腹、召しとくか、白装束」
政宗はスン……となって座り直した。もう白装束なんて着ないよ絶対。
「伯父上に、謀反の気持ちはないのですか」
「あっどんまぐねんだず」
あ、訛りが出た。指をさしてはしゃぐ政宗をじろりと睨む義光。
「あったらまずいんだよ。最上氏と伊達氏は、東北の二大最大勢力。わしが太閤殿下ならさっさと潰しておくに限る連中だ。謀反なんて大義名分でそれをやれるんなら、喜んで大軍を差し向けるだろうさ。謀反の疑いあり、なんて付け入る隙を見せちゃならねえ」
「しかし、それほど心配することはないでしょう。我々は別に、結託するほど仲良くないし」
「駒のことで思わず馬走らせておいてそれ言う?」
大事なのは結託しているという事実ではなく、それを為し得る可能性の有無。義光にそう説かれ、何のことを言っているのか思い至らない政宗ではない。
――政宗、義光殿と争うのはやめておきなさい。
それは、戦になれば伯父上がおれに勝てるはずもないからと庇っているのですか。政宗が問うと、母は首を横に振った。
――敗けるのは、あなたです。
天正一六(一五八八)年、大崎合戦。
義光と政宗、互いの部下同士の小競り合いから発展した大戦である。この戦で雌雄を決すると思われていた両雄であったが、そうはならなかった。
戦場の中心で義姫が和睦を叫んだからである。
「あれはまずいですか」
「まずいね。義さえいれば、わしらは和解できるって宣伝しちゃったようなものだ」
「……伯父上があ、ちゃんとお、母上にガツンと言ってくれないからあ」
「無茶言うなよ。お前こそガツンと言やあよかったんだ、息子なんだから」
「おれじゃダメですよ。伯父上の言うことしか聞かないんだからあのひと」
「聞かないよわしの話も。昔からそうだ。だからああいうことするの」
梃子でも動かなかった義姫の前に、義光と政宗は成す術もなく、和睦するほかなかった。この大崎合戦の顛末により、この伯父と甥は、遠い未来の現代で「シスコン武将」「マザコン武将」呼ばわりされることになる。間違いなく、二人にとってターニングポイントとなった出来事であった。
「なんか、あのときもそうでしたね。小田原参陣前」
「義のやつが急に言ってきたんだよなあ。わしもお前もギリギリまでそれに手を回してたから遅刻したんだっけ」
しみじみと、在りし日を思い返す。二人なら地元じゃ負け知らずなことを思い出した甥と伯父は、ある思いを抱き、それを先に口にしたのは義光だった。
「よう。いっちょ、また仕掛けてみるか」
ざわ、と全身の毛が逆立つのを政宗は感じた。政宗は、戦国武将らしからぬこの伯父が好きではない。だが、その内に「怪物」を飼っていることは知っている。その「怪物」が貌を覗かせるのは、悪だくみをするときだ。
こうなった伯父を前にすると、母のあの言葉もたわ言ではないと思える。
――敗けるのは、あなたです。
政宗は、戦国武将ではないかもしれないが、その胆力は武将のものに違いない伯父のことが、嫌いではない。
◉◉◉
「要は、わしとお前が手を組むはずがないってことを太閤に信じ込ませればいいんだ」
義光は筆を指先でくるくると回しながら、頭の中に絵図を描く。出羽は民話の国、物語を作るのは民も領主もお手の物だ。
「白装束で乗り込んで直訴しますか、二人で」
「絶対やらねえ」
それに、と口走り、義光は筆を止める。
「太閤は言葉なんか信じねえで必ず裏取りをする。かつて白鳥十郎長久が織田信長公に自分を売り込みに行ったとき、奥羽の主だって勝手に名乗ってすんなり通ったことはあったが……天下人も、人によってザルだったりするんだが、太閤秀吉は信長公とは違うさ」
「ザルじゃなくてサルですからね」
「いや、あれはハゲネズミだろう」
現代では、歴史考証により、どうやらサルじゃなくてハゲネズミと呼ばれていたらしいとわかり盛り上がる秀吉界隈だが、ルッキズムを糾弾するトレンドの中で、いつまでサルだのハゲネズミだのはしゃいでいられるだろうか。
閑話休題。
「だから、太閤の手の者が調べるであろう手紙に、断片的に偽の情報を書く」
「ああ、またおれと伯父上で匿名の手紙をバラまくんですね」
「そうそう。署名の部分だけ切り取って誰が書いたのかわからないよう意図的に工作したやつをね。お前も筆武将と呼ばれる男だ、やってもらうぞ」
「まあ、書き方はだいたいわかっていますから」
政宗は思い出す。かつて共に悪だくみをしたときに、義光が語った「騙す」ためのノウハウを。
『いいか。大事なのは、全部べらべらと書いてやることじゃない。あくまで断片的に情報を与えて、そいつの頭ン中ですべてがつながるよう、お膳立てしてやることだ。人間、自力で閃いたと思い込んだ考えには、下手すると一生取りつかれる。相手の頭の良さを利用してやるのさ』
そんな秘訣をおれに開示していいんですか。意地悪く訊ねたつもりだったが、義光は嗤うだけだった。その姿に心地よい畏れを感じたことを政宗は覚えている。
「それで、偽の情報とは?」
「そうだな……たぶん、年をちょっといじれば、太閤は食らいつくと思う。ここをこうすりゃ、うまいこと問題が解決するはずだ」
義光はさらさらと書いた文を政宗に見せる。『文禄三→天正一八』と書かれていた。
「五年前。義のやつが最上に引き上げてきたの、その頃ってことにしよう」
「いや、それが何になるんです? 小田原征伐があった年に母上が出奔したところで……あっ」
思い至った甥の様子に、義光がにやりと笑う。
「そっか。その年、おれが小次郎を殺したんだった」
小次郎――伊達政道。伊達政宗の実弟である。
「じゃあ母上は、それを嘆いて実家に帰ったってことに」
「いや、そうじゃねえ。義はな、逃げ帰ってきたんだよ」
「……どういうことです?」
「同じ頃、お前病気したろ。実はその病気は、義が盛った毒によるものなのでした」
「な、なんだってー!?」
突如明らかになった真実を知り驚愕する政宗に、義光は更に畳みかける。
「そうだな、実行したのは小次郎だ。小次郎は義に唆されていた。当主になりたくて兄の命を狙ったが、仕留め損ねて返り討ち。義の出奔をそのすぐにあとに改竄するだけで、企みが失敗した黒幕の動きに仕立て上げられるんだよ。いいねえ、ハゲネズミ好みの筋書きが出来上がってきたぞ」
なるほど、と政宗は舌を巻く思いだった。政宗と義光が手を組むとすれば、それは義姫を介してのことで、何故その発想になるかといえば、大崎合戦があってこそ。だがその後に、政宗と義姫の関係に決定的な溝が生じていれば、それはもうご破算になったと思うのが当たり前だろう。
瞬時にこれほどの戦略を練るとは、やはり義光は大した武将だ。だからこそ、一矢報いたくなる。
「なるほど、だいたいわかりました。しかし、一つ注文があります」
「おう、何だ。言ってみろ」
「出奔、もっと遅くできませんか?」
「……それ何の意味があるの」
「いや、息子に毒盛ったんですよ。もっと引きずるでしょう。すぐ出奔なんかするかなあ? ちょっと現実感っていうか人の心の描き方が足りないんじゃないですかあ?」
一矢報いるというよりは、もはやただのいちゃもんであった。
「すぐ出奔するに決まってんだろ。殺し損ねたんだぞ、報復される前に逃げるわ、普通」
「おれは報復なんかしないし母上もおれを殺そうとしたりしない!」
「それじゃまずいからそういうことにしようって話をしてんだよ、今!」
さっきまでの悪だくみの雰囲気はどこへやら。ギャーギャーと喚き立つ甥と伯父は、義姫出奔チキンレースで絶対に負けられない戦いを始めてしまった。
「だいたいおれを殺し損ねて伯父上のもとに逃げるって、母上完全に伯父上側の人じゃないですか!」
「おっそうだな。だったらわしも共謀していたことにしよう」
「ほらー! すぐそうやって仲良しぶるー!」
「ぶってねえよ! 結局わしとお前が対立する構図になってる方が筋書きに厚みが出るからだよ!」
「でもこの筋書きだと、母上おれより伯父上の方が好きってことになるじゃん!」
「仕方ねえだろお前、毒盛られてんだから! 毒盛ってやった方を好きとかありえねえだろ!」
「毒を盛るほど愛してるってこともあるじゃないですか……」
「知らねえよそんなやべえ女……ていうか、愛してるから殺すなんて、そんな薄っぺらい設定で人物像をブレさせるんじゃないよ。情なんかない方がいいの」
「伯父上は母上をどうしたいんですか!?」
「泣く子も黙る戦国一の悪女だよ!」
言い返そうと思ったが、咄嗟に、政宗は押し黙った。その気迫から、義光の「怪物」を感じたからだ。ひと息入れて、義光は諭すように言葉を続けた。
「義姫は、自分の息子を殺し合わせるような悪女だ。そんな悪いヤツがよ――」
五年前と同じ、「怪物」が顎を開く。
「兄との権力争いが嫌になった息子をこっそり逃がそうなんて、思うはずもねえだろ」
そして「怪物」はおれを咥え込み、連れて行く。戦から離れ、世のことをより広く見渡せる丘の上へ。松の木の下で二人して和歌を詠んでいたら「娘が生まれた」と一報が入り、大慌てで屋敷に戻り、「駒」と名付けられるまで見届けたあの日に。
「まだいるんだろ。小次郎は死んでないとか言って、祭り上げようとする阿保が」
「……お恥ずかしながら」
「ならそいつらへのトドメにもなるだろ。生きちゃいねえよ、悪女義姫と、独眼竜政宗の板挟みになった弟なんて」
――敗けるのは、あなたです。
大崎合戦のときも、義姫は政宗にそう語り掛けた。
――だって義光殿は、若い頃、温泉で襲ってきた野盗をフルチンで皆殺しにしたくらいのやばい人なんですからね。フルチンですよフルチン。
母上、強調するのはそっちでいいんですか。
いや、でも母上、その話はさすがにハッタリをかましたい伯父上が盛ってるんだと思います。だって、この「怪物」は、そういうことができる類の「怪物」ではないですよ。この時代だから異形に思えるだけで、きっと生まれる時代が遅いか早いかしていれば、きっとどこにでもいる気の良いインチキおじさんで、「家族のためなら何だってする」、その程度の親馬鹿だったに違いありませんから。
「わかりました。伯父上の筋書き通りにいたします」
「やっとわかってくれたか」
「でも、二年! あと二年は伊達にいたってことで!」
「その値切り意味あるゥ!? 全然わかってねえじゃん!」
かくして義姫出奔チキンレースは再燃し、義姫を好きすぎる男たちの絶対に負けられない戦いは明け方にまで及んだ。大筋を合意できた頃には、甥も伯父も、魂を燃やし尽くしていた。
その甲斐もあってか、伊達政宗、最上義光ともに「結託して謀反する疑いあり」と怪文書が記された立て札を屋敷前に立てられるという事件が起こるが、太閤は「いや、あんな仲悪いやつらがそんなことするわけないじゃん」と見逃した逸話がある。陰謀をあからさまに書き並べてかえって嘘っぽくしたその立て札も、悪だくみの一環だったのではというのは、それ自体が陰謀論なのでここまでにしておこう。
天下人の度量を見せた秀吉だったが、このとき捨て置いた義光が迷いなく徳川家康側について上杉軍を東北に足止めしたことで、関ヶ原で豊臣家が敗北する一因となった。頂点まで上り詰めた元平民は、かつて自分自身も知っていたはずの、家族を喪った恨みの大きさを想像できていなかった。それが一つの分水嶺であったのかもしれない。
そんな少し先の未来を頭の中に描いていたのかどうか。義光は欠伸を一つして、気安く甥の肩を叩く。
「いいか政宗、今は何としても生き延びるぞ」
そう言って去って行こうとする義光を、政宗は呼び止めた。
「伯父上、これだけは言わせてください」
「どうした。何か不備でも……」
「大崎合戦のとき、母上はおれの方に『敗けるからやめておけ』と言ったんです。母上が守ろうとしていたのはおれの方ですからね!」
「なんて捨て台詞だ! もういいぜッ!」
天正一八(一五九〇)年、義姫出奔。
仙台藩の正史『伊達氏治家記録』にはそう記されている。
ところが、後年の新史料の発見から、義姫が最上家へ出奔した時期は、文禄三(一五九四)年であると断定され、通説の見直しがなされている。
この物語は、なぜ出奔の記録を四年も早めたのか、その謎から推測した、創作である。
最後にもう一つ。
最上義光と伊達政宗が同じ陣営で戦うという(誰のとは言わないが)宿願は、「北の関ヶ原」と呼ばれる長谷堂合戦で果たされることになる。義光の、これまでの策略家のイメージからは打って変わり、殲滅戦を展開する鬼神のような戦いぶりを耳にした政宗は「フルチンの話盛ってなかったのかよ!」とか「ほら、やっぱ母上、おれの方を守ってくれてたんじゃん!」とか、言ったとか言わないとか。
参考文献『家康に天下を獲らせた男 最上義光』