エピローグ 過去と未来
砂漠の先、地平線に沈み行く夕日。
今日も太陽はしっかりと働き、眠りに入ろうとしている。
その様子を僕は、フランムの外壁からボンヤリと眺めていた。
あの戦いから、数日が経つ。
ボアレロが死んだことで王国軍が戦う理由はなくなり、その時点で反乱軍の勝利となった。
とは言え、それでめでたしめでたしとは行かない。
戦闘による街の損傷はそれなりにあり、その修復作業だけでも中々大変だ。
それ以上に、王国軍の再編成や法整備など、やるべきことはいくらでもある。
新たな国王は当然ながらヴェルフとなったが、戴冠して早々に多忙を極めていた。
ギルド長であるラギや、あのガレンすらも手を貸しているようだが、それでもギリギリ業務が追い付いている程度。
ちなみにあとで聞いたことだが、反乱軍のメンバーの多くは、元王国軍だったらしい。
ボアレロに従うことなく、ヴェルフとともにフランムを取り戻す道を選んだ者たち。
道理で拠点を訪れたとき、しっかりしていると思った訳だ。
それゆえに王国軍の再編成は、彼らを中心に行われる。
ボアレロに従っていた兵士たちの処遇をどうするかは知らないが、ヴェルフなら悪いようにはしないだろう。
とにもかくにも、フランムが落ち着くのは時間の問題。
その時間を稼ぐべく、僕は外敵の警戒を買って出た。
ほとんど可能性はないとは言え、魔族は神出鬼没。
モンスターの動きにも、一応の注意は必要。
そう言った『建前』を説明した僕に対して、ヴェルフは苦笑していた。
きっと、本当の理由に気付かれている。
エレンのコートを失った悲しみ。
それを僕は、まだ引きずっていた。
他人が聞けばそんなことで……と思われるかもしれないが、僕にとっては本当に大事な物だったんだ。
その気持ちを紛らせる為に1人になりたくて、同行しようとしていた姫様たちには休息を取ってもらっている。
実際、彼女たちの疲労は決して軽くない。
駆け付けたサーシャ姉さんに傷は癒してもらえたが、血を多く流したルナの消耗が特に酷かった。
それでも今は普通に動けているので、ひとまず安心している。
僕の状態を姫様たちは心配しているようだったが、敢えて多くは語らなかった。
そのことを申し訳なく思いつつ、もう少しだけ許して欲しい。
ちなみに彼女たちは、僕に『付与士』の聖痕があることを知っている。
最初は混乱状態で問い詰められたが、敵の目を避ける為に黙っていたと言う説明で、強引に押し通した。
だが強い疑念を持たれたらしく、まだ何か隠しているんじゃないかと言われたが、聖痕の数に関しては本当に最後だ。
その他のことに関しては……ノーコメントにさせてもらう。
などと考えているうちに、すっかり夜が訪れていた。
修復が進んだ街に明かりが灯り、賑やかな声が聞こえて来る。
以前の王国軍が好き放題にしていた頃とは違う、健全で楽しそうな空気。
たった数日で1つの国が生まれ変わりつつあるのを、僕は目の当たりにしていた。
そのことに薄く笑みを浮かべ、再び外壁の外に目を向けようとしたが――
「シオン、今日もご苦労だったな」
「おい、ヴェルフ。 俺たちには労いの言葉はねぇのかよ?」
「拗ねんなよ、ラギ。 まぁ、俺は報酬さえもらえれば文句ねぇぜ」
ヴェルフとラギさん、ガレンが歩み寄って来た。
バタバタしていたせいで、彼らとちゃんと話すのは久しぶりだ。
しかし、いったいに何しに来たんだろう。
その疑問も込みで、僕は淡々と返事した。
「今日も特に問題はなかった。 それより、仕事は良いのか?」
「あぁ、ある程度落ち着いて来たからな。 今夜は羽を伸ばそうと思っている」
そう言ってヴェルフが掲げたのは、数本の酒瓶。
どうやら今から、酒盛りをするらしい。
なら、僕は邪魔だな。
すぐに結論を出して、その場を辞そうとしたが、ガレンに先回りされた。
「おっと、逃がさねぇぞ? お前も付き合えよ」
「ガレン……ここはオアシスの町じゃない。 未成年の僕が、飲酒をする訳には行かないだろう」
「か~、真面目だなぁ。 ちょっとくらい、良いじゃねぇか」
「ラギさん、そうは言いますが、法に守られている者が都合の悪いときだけ法を蔑ろにするのは、良くないと思います」
「そう言うところが真面目だって言ってんだよ……。 つーか、ヴェルフとガレンにはため口なのに、なんで俺だけ敬語なんだ?」
「ヴェルフとガレンには、敬語で話さないで欲しいと言われたからです。 僕は基本的に、年上には敬語を使います」
「んじゃ、俺にも敬語禁止な。 その代わり、俺もシオンって呼ばせてもらうからよ!」
「……わかった、ラギ。 これで良いか?」
「おう!」
何が嬉しいのか、快活に笑うラギに苦笑を返す僕。
こう言う関係には馴染みが薄いが、心地良さも感じている。
もっとも、それと飲酒は別問題。
改めて僕は断ろうとしたが、その前にヴェルフがニヤリと笑ってのたまった。
「心配しなくても、違法にはならんぞ」
「何だって?」
「今のフランムは法整備の途中で、飲酒に関してはまだボアレロの頃のままだ」
「……つまり?」
「飲酒に年齢制限はない」
「詭弁だと思うが……まぁ良い。 そう言うことなら、参加させてもらおう」
「くく、そう来ないとな。 ラギ、どっちが先に潰れるか勝負するか?」
「あん? ガレン、俺に勝てると思ってんのか?」
「待て待て。 今日の酒は、そう言うタイプじゃないぞ? 取って置きを用意したから、ゆっくり楽しんでくれ」
「ほほう、取って置きねぇ。 俺の舌を満足させられるかな?」
「お前に酒の味なんかわかんねぇだろ、ラギ。 酔えれば何でも良いんだからな」
「馬鹿にすんな、ガレン! 俺だって上手い酒くらいわかるっての!」
「わかったから、少し落ち着け。 すまんな、シオン」
「気にするな、ヴェルフ。 こう言う騒ぎも、醍醐味の1つなんだろう?」
「まぁ、そうかもしれんが……。 とにかく、座ってくれ」
ヴェルフに促されて、僕たちは外壁の上に腰を下ろした。
空を見上げると満天の星が広がっており、非常に綺麗。
炎塊石のお陰で、気温も丁度良い。
酒盛りするなら、持って来いの環境。
そんなことを思っていると、ヴェルフが人数分のグラスに酒を注いでくれた。
僕の前にも置かれたが、どう言った酒かはわからない。
ヴェルフたちがグラスを持ったのを見て、僕も手に取る。
それを確認したヴェルフは全員を見渡し、感慨深そうに声を発した。
「遅くなったが、皆のお陰でフランムを奪還出来た。 本当に感謝している。 軌道に乗せるまで油断は出来んが、今夜は楽しんでくれ。 乾杯!」
ヴェルフの言葉に合わせて、軽くグラスをぶつけ合う。
ガレンとラギは一気にあおっていたが、僕は少し躊躇ってから1口飲んでみた。
何と言うか、不思議な味がする。
美味しいのは美味しいが、やはりアルコールが気になった。
微妙な顔をしている僕に気付いたのか、ヴェルフは苦笑しながら酒を飲んでいる。
その後は、賑やかな時間が続いた。
ガレンがラギをからかい、それをヴェルフは楽しそうに眺めている。
僕も巻き添えに遭いそうになりつつ、適当に躱していた。
彼らは腐れ縁とのことだが、端から見れば親友に違いない。
身分や立場は随分違うのに、どうやって出会ったんだろうな。
少しばかり羨ましい思いを抱きつつ、ちびちびと酒を舐めるように飲む。
段々とアルコールに慣れて来たのか、純粋に美味しいと感じ始めた。
すると、酔いが回ったのかどうかは知らないが、ガレンがニヤニヤしながら言い放つ。
「それで? シオンは誰にするか決めたのかよ?」
「あ! テメェ、あんな上玉に好かれやがって! 1人くらい、俺に寄越せってんだ!」
「酔っているな、ラギ……。 気にしなくて良いぞ、シオン」
「大丈夫だ、ヴェルフ。 ガレン、質問に答えるなら、今は誰も選ぶ気はない」
「へぇ? じゃあ、どうすんだ?」
「……全員が満足出来る道を探す。 僕も含めてな」
「くく、良いじゃねぇか。 冗談じゃなく、俺は応援するぜ。 ハーレムは男の夢だよなぁ」
「まったく、ガレンも酔っているな。 だが、俺も同意見だ。 シオンたちが幸せになれるなら、どんな形でも支持しよう」
「有難う。 ハーレムかどうかは別として、良い結果になるよう尽力する」
「くそッ! ヴェルフ! こうなったら独り身同士、飲もうぜ!」
「悪いな、ラギ。 俺にはもう恋人がいるんだ」
「な!? 聞いてねぇぞ!」
「今は仕事が恋人だからな。 フランムを立て直せたら、そのときにまた考える」
「ヴェルフ……。 良く言った! 俺も仕事が恋人だ! ギルド長として、ガンガン働くぜ!」
「くく、ヴェルフとお前を一緒にすんなよ。 恋人を作らないのと作れねぇのは、全く違うんだぜ?」
「うるせぇ、ガレン! もう良い、こうなったらヤケ酒だ!」
「だから、そう言う酒じゃないと……はぁ、好きにしろ」
浴びるように酒を飲み干すラギに、呆れ果てた様子のヴェルフ。
きっと高い酒なんだろう。
嘆息したヴェルフと涙ながらに飲み続けるラギ、愉快そうなガレン。
今、彼らと一緒にいられる僕は、幸せ者なのかもしれない。
そうして夜も更けた頃、ようやくして場が静かになった。
ラギとガレンが寝てしまったからだ。
そんな2人に苦笑しながら布を掛けたヴェルフは、こちらに振り向いて言葉を連ねる。
「今日は強引に誘ってすまんな」
「いや、むしろ礼を言う。 僕にとっても、良い気分転換になった」
「そうか、それなら良いんだが」
「では、そろそろ解散するか。 明日も仕事があるんだろう?」
「あぁ。 だが、その前に少しだけ散歩しないか?」
「別に構わないが」
「良し、行こう」
そう言って、外壁の上を歩き始めるヴェルフ。
彼がどう言うつもりか知らないが、断る理由もない。
並ぶようにして、無言で足を動かし続ける。
ヴェルフは街の方を眺めて、微笑を浮かべていた。
時間も時間なので賑やかさはなくなっているが、魔明に照らされたフランムは平和そのもの。
そのことを噛み締めているように見えたヴェルフが、唐突に口を開く。
「全てが元通りとは言えないが、俺の知るフランムが戻って来た。 改めて礼を言う」
「僕だけの力じゃない。 お前は勿論、ラギにガレン、姫様たち、他にも多くの人が戦った結果だ」
「そうだな。 そしてその中には……あいつも含まれている」
「……ナルサスか?」
「あぁ。 ソフィア姫から伝言を聞いた。 魔蝕教だったことは今でも完全には受け入れられていないが、あいつがフランムの為に尽力していた事実は変わらない」
「……そうだな」
「こんな俺を、甘いと思うか?」
「いいや。 魔蝕教だからと言って、全てを否定する必要はないと思う。 良いことは良い、悪いことは悪い。 お前なら、しっかりと見極められるだろう」
「だと良いがな……」
足を止めて夜空を見上げるヴェルフ。
その顔には毅然とした表情が浮かんでいるが、どこか無理しているようにも感じる。
それを見た僕は、気付けは声をこぼしていた。
「何でもかんでも我慢せず、辛いときは泣くのも良いかもしれないぞ。 根本的な解決にはならないが、僕も散々泣いて少しは落ち着くことが出来た」
「……そうか」
「仕事に没頭するのも良いが、無理はし過ぎるな。 倒れたら本末転倒だし、ナルサスにも怒られるぞ」
「……わかった、気を付ける。 有難う、シオン」
「礼を言われるほどのことじゃない。 では、僕はそろそろ帰る。 またな、ヴェルフ」
「あぁ、また会おう」
そう言って階段を下り始めた僕の背後から、鼻をすする音が聞こえたが、気のせいだと言うことにした。
街に出た僕は通りを歩き、借りている宿屋を目指す。
散乱していたゴミなどは掃除され、何より物乞いが見当たらない。
これはヴェルフが真っ先に、奴隷の扱いを改善した成果だ。
とは言えただ甘やかしている訳じゃなく、その辺りのバランスは上手く調整している。
フランムが本当に変わりつつある……いや、戻りつつあるのを実感していると、やがて宿屋が見えて来た。
特に何も思うこともなく、玄関を潜り――
「遅かったわね」
「まったくよ。 寝ちゃいそうになっちゃったじゃない」
妖艶な微笑を湛えたルナと、プンスカ怒ったリルム。
そして――
「お疲れ様でした、シオン様」
「もう、こんな時間まで出歩いちゃ駄目じゃない」
純粋に労ってくれたアリアと、心配そうに眉を落としたサーシャ姉さん。
更に――
「お帰りなさい、シオンさん」
華やかな笑みを咲かせた姫様。
5人に出迎えられた僕は一瞬目を見張り、すぐに返事した。
「ただいま帰りました。 それはそうと、まだ起きていたんですね」
「はい、シオンさんを待っていました」
「待っていた? 何かありましたか、姫様?」
「何かあったと言いますか……あ……」
不意に言葉に詰まった姫様が、他の少女たちを困ったように見やる。
それを受けたリルムたちも似たような面持ちになり、何とも言い難い空気が漂っていた。
どうしたんだ……?
内心で僕が首を捻っていると、口火を切ったのはリルムだった。
「じゃんけんよ! 恨みっこなしね!」
などと宣言した彼女に従って、美少女たちが輪を作った。
何が始まろうとしている?
ますます疑問が強くなった僕にお構いなく、姫様たちが気合いの入った表情でじゃんけんを始めた。
何度も何度もあいこが続き、数えるのも億劫になった頃――
「ふふ、皆さんすみません」
勝者、姫様。
何のかは知らないが。
負けた少女たちは悔しそうにしながら、結果を受け入れているらしい。
何にせよ謎な状況だが、ニコニコと笑った姫様が魔箱からある物を取り出す。
それを目にした僕は――
「これは……」
呆然と声を落とした。
姫様が抱えているのは、白いコート。
それも、エレンにプレゼントしてもらった物と、非常に良く似ている。
何を言えば良いかわからず、戸惑って姫様たちに視線を向けると、満足そうな笑みを浮かべていた。
そして、代表したように姫様が語り始める。
「シオンさんの為に何が出来るか、話し合ったのです。 それで、全く同じ物を用意することは出来ませんが、なるべく似た物を用意させてもらいました。 形が似ていても、意味がないかもしれません。 ですが、今のわたしたちに出来ることは、これくらいしかなくて……」
段々と声が小さくなった姫様。
視線を巡らせると、他の少女たちもどことなく不安そうにしている。
一方の僕は尚も衝撃から立ち直れていなかったが、丁寧にコートを受け取って袖を通した。
ずっと着ていたかのように、しっくり来る。
思わず両腕で自分の体を抱き締めた僕は、万感の思いを込めて告げた。
「有難うございます、姫様。 皆も、本当に有難う」
「ううん、良いのよ。 シオンが元気になってくれるなら、これくらい朝飯前だから」
「良く言うわね、痴女レッド。 貴女は見ていただけじゃない」
「う、うっさいわね、ゴスロリ! あんただって一緒でしょーが!」
「はいはい、喧嘩しないの。 でも、本当にアリアちゃんは凄いわね。 これで食べて行けるんじゃない?」
「あ、有難うございます、サーシャ様。 ですが、わたしはこの1着に全身全霊を懸けたので、もう同じようには作れないと思います」
今、サラッととんでもない事実が判明した気がする。
「作った? まさか、アリアの手作りなのか?」
「あ……そ、そうです。 なので、サイズが合わないとかあれば言って頂ければ……」
「いや、その逆だ。 ピッタリ過ぎて驚いている。 アリアは本当に何でも出来るな」
「も、勿体ないお言葉です……。 それに、実際に縫ったのはわたしですけど、材料を探してくれたのはソフィア様たちです。 ですから、これは皆で作った物ですよ」
「アリア……有難う。 そう言ってもらえると、わたしたちも助かるわ」
「メイドちゃんが良い子過ぎて、ゴスロリの性格の悪さが際立つわね……」
「そっくりそのまま、お返しするわ」
「どう言う意味よ!?」
「そのままの意味だけれど?」
「あぁ、もう! 何時だと思ってるの? 少しは静かにしなさい!」
宿屋の玄関で言い合いを始めるリルムとルナ。
それを窘めるサーシャ姉さんと、顔を見合わせて苦笑を浮かべる姫様とアリア。
エレンのコートを失ったのは悲しい。
だが、僕のことを真剣に考えて贈ってくれたこのコートは、新たな宝物となった。
このコートに誓って、彼女たちを幸せにしてみせる。
具体的な方法はまだ見付かっていないが、そう心に決めた。
エレンとの過去と姫様たちとの未来。
どちらも抱えて、前に進もう。




