第38話 夢
戦場でありながら、静まり返った空間。
ただし、向かい合った両者からは刺すようなプレッシャーが放たれており、意思を雄弁に物語っていた。
相手を何があっても倒す――いや、敢えて殺すと表現しよう。
片や、煌めく長槍と大盾を装備したソフィア。
片や、反りのある剣と標準的な盾を構えたナルサス。
無音かつ緊迫した空気が充満する中、口火を切ったのはソフィアだった。
「いったい、どこからどこまでが嘘なのですか?」
ソフィアが目を細めて問い質す。
断っておくと、彼女は戦うことに躊躇はない。
ただ、それでも聞いておきたいと思った。
しかし、ナルサスはそれには答えず、反対に問を投げ付ける。
『ナミルを殺したのか?』
モンスター化した影響で、くぐもった声。
だが、その言葉ははっきりとソフィアの耳に届いており、僅かに目を見開いたが――
「はい、わたしが殺しました」
それ以上の反応を示すことなく、言い切るソフィア。
口にすることで、全く影響がなかったとは言えない。
だとしても、彼女が揺らぐことはなかった。
威風堂々と佇むソフィアを見て、数舜瞑目したナルサスは、ゆっくりと目を開いて声を漏らす。
『『輝光』に死を』
呟くと同時に駆け出すナルサス。
シオンほどではないが、驚異的な速度。
そう分析しつつ、大盾を掲げてソフィアは斬撃を受け止めた。
タイミングも完璧で、何も問題はないかに思われたが――
(重い……)
内心でソフィアは声を落とす。
受けた腕に痺れるような衝撃が走りつつ、即座に反撃に出た。
引き絞った長槍を真っ直ぐに突き出し、ナルサスの胴を狙う。
ところがあっさりと攻撃範囲から逃れた彼は、余裕を持ってソフィアを見据えていた。
たったこれだけの攻防でも、彼女はナルサスを強敵だと認めざるを得ない。
モンスター化によるパワーアップは、やはりミゲルやナミルと同程度。
ただし、ミゲルよりも遥かに聖痕者として優れており、戦闘技能はナミルを凌ぐ。
その相乗効果によって、ナルサスの強さは別次元に到達していた。
更にソフィアはグレビーとの戦闘でかなり消耗しており、長期戦は不利。
そう結論付けた彼女は、不意打ちの一撃で終わらせることにした。
以前より格段にチャージ速度が上がった、【流れる星の光】。
長槍を振り被ったソフィアに対してナルサスは微動だにせず、力強く佇んでいる。
そのことに若干の違和感を覚えつつ、ソフィアは力を解き放った。
水平に飛来した光の流星群は、あのノイムすらも撃退したが、ナルサスの覚悟はそれを凌駕する。
『オォォォォォッ!!!』
雄叫びを上げながら剣と盾を駆使して、全ての流星を弾き返したナルサス。
流石に驚きを禁じ得なかったソフィアだが、ナルサスは息を乱しながらも、余裕を感じさせる声で言い放った。
『多少の調整は出来るようだが、そのスキルはあくまでも範囲攻撃。 単体に対する威力は、どうしても落ちる』
「く……」
『自慢のスキルを防がれた気分はどうだ? だが、まだまだこの程度では終わらせんぞ。 今度はこちらの番だ』
再びソフィアに向かって、ナルサスが猛然と斬り掛かる。
元々のトップスピードはそれほど速くなかったが、今の彼はカティナをも軽く上回っていた。
その上で、元来の強みである緩急を付けられたソフィアには、ナルサスの動きが残像を残して見えている。
そこから繰り出される連撃は非常に厄介で、強大なパワーと相まって受けるのが厳しい。
しかしソフィアは必死に喰らい付き、なんとかチャンスを窺っていたが、主導権は完全にナルサスが掴んでいた。
『【ウェイブ・スライサー】』
ナルサスがスキルを発動した瞬間、彼の剣が波打った。
ガード直前で変化を付けられたソフィアは瞠目し、咄嗟にバックステップする。
だが、ナルサスが逃すことはなく、波打つ刃が彼女の脚を傷付けた。
ダメージ自体は大したことないが、問題なのは機動力の低下。
動けないと言うほどではないものの、確実にソフィアの素早さが落ちている。
そしてナルサスは、それを狙って成し遂げた。
それを察したソフィアは内心で悔しい思いを抱いたが、そんな暇はない。
勝負どころを見逃さずに仕掛けて来たナルサスに対して、ソフィアは【突き穿つ光】の体勢を取る。
これならばたとえ盾で防がれても、貫通して倒すことが可能。
もっとも――
「【突き穿つ光】!」
ナルサスがまともに受けるなら、だが。
迫り来る長槍を冷めた目で見たナルサスは、無感動に横に捌く。
今度こそ言葉を失ったソフィアの一方、ナルサスは顎を大きく開いて噛み付いた。
間一髪で復帰したソフィアは辛うじて回避したが、息を大きく乱しゆとりは微塵もない。
とにかく仕切り直すべくナルサスから距離を取り、体と頭を落ち着かせようとしている。
そんな彼女にゆっくり振り向いたナルサスは、強者の風格を漂わせながら語った。
『貴様の攻撃は直線的過ぎる。 いくら強くても、それではわたしには通用しない』
きっぱりと断言したナルサスと、反論出来ないソフィア。
確かに彼女のスキルは強力だが、基本的には長槍の動きに連動している。
そこを見極められるなら、防ぐことは可能。
とは言え、言うは易く行うは難し。
神速と言えるソフィアの刺突をあっさり受け流すなど、常人には無理だ。
もっとも、そんなことは関係ない。
その他大勢には出来ないとしても、眼前の敵に可能なら大問題。
これで、【流れる星の光】も【突き穿つ光】も使い難くなった。
だからと言って現状の通常戦闘は、分が悪い。
どうするべきかソフィアが懊悩し、なんとか活路を見出そうとしていると――
『ナミルは最期に、何か言っていたか?』
唐突に、ナルサスがそのようなことを言い出した。
思わず考えを止めてしまったソフィアだが、これに関しては伝える義務があると判断する。
「最後まで魔蝕教の信念を貫き通していましたが……生まれ変わったら普通の友だちになりたい……そう言ってくれました」
『……! そうか……。 ならば、尚のこと貴様には死んでもらわなければな』
「わたしもいつか、またナミルさんに会いたいとは思います。 ですが、それは今ではありません」
『貴様の意思など聞いていない。 わたしが無理にでも、あの世に送ってやる』
言い終わるかどうかと言うタイミングで、何度目かの突貫を敢行するナルサス。
相変わらずのスピードとパワーを大盾で受け止めながら、ソフィアは必死に声を絞り出した。
「ナミルさんと貴方は、どう言う関係だったのですか?」
尋ねながら、大盾で押し返すソフィア。
『……もう何年も会っていなかったが、妹みたいなものだった』
間を置かずに斬り掛かるナルサス。
「それは……すみませんでした」
長槍で受け流し、反撃の刺突を放つ。
『謝罪するくらいなら、自害しろ』
転身して避けつつ、横からの一閃を振り切った。
「わたしにはまだやるべきことが残っているので、それは出来ません」
しゃがむことで剣閃を躱し、同時にナルサスの足元を薙ぎ払う。
『ふん、所詮はその程度の罪悪感と言うことだ。 使命の為なら、殺して良いと思っているのだろう?』
小さく跳躍し、縦に回転しながら剣を振り下ろした。
「違います」
遠心力の乗った一撃を大盾で受け止め、両の足で床を踏み締めるソフィア。
至近距離で睨み合いながら、彼女は決然とした声音で告げる。
「たとえ相手が誰であれ、奪って良い命など存在しません。 それは魔蝕教でも同じです。 ですが、それでもわたしは止まる訳には行きません。 わたしが止まってしまっては、世界中の人々が危険に曝されてしまいますから」
『……どちらにせよ、使命の為なら仕方ないと言うことだろう』
「仕方ないとは思っていませんが、貴方から見れば同じことかもしれませんね。 では聞かせてもらいますが、魔蝕教は誰の為に戦っているのですか? 世界が魔王に支配された先に、本当に平和が待っていると思うのですか?」
大盾と剣でせめぎ合いながら、言葉を交換する2人。
ソフィアの疑問を受けたナルサスは歯を食い縛り、怨嗟の言葉を紡いだ。
『わたしたちの祖先から平和を奪っておいて、良くも言えたものだ』
「……やはり、過去の『輝光』と何かあったのですね?」
『お喋りはここまでだ。 どちらにせよ、わたしは貴様を殺す。 これは確定事項だ』
「そうは行きません。 何度も言うように、わたしにはまだやるべきことが残っていますから」
どちらからともなく一旦距離を取った両者は、間を置く頃もなく再び激突した。
緩急を駆使した動きと【ウェイブ・スライサー】を軸に襲い来るナルサスと、必死に対抗するソフィア。
当初は付いて行くのが精一杯で、何度も浅く斬られている。
それでも退くことなく挑み続けたソフィアは、ようやくして逆襲の糸口を見付けた――が――
『【デュアル・スパーダ】』
ナルサスの剣が2重にブレる。
まさかの事態に戸惑いつつソフィアは防御と回避を試み、片方の刃は防ぐことに成功したが、もう1本の刃が脇腹を斬り裂いた。
致命傷は際どいところで免れたものの、決して浅くはない傷。
脇腹を押さえながら後退したソフィアの額には、びっしりと汗が浮かんでいる。
そんな彼女を平然と見送ったナルサスは、感情を窺わせない口調で言い放った。
『良く避けたな。 今ので終わらせるつもりだったが』
「……そう簡単に終わる訳には行きません」
口では強がったソフィアだが、実際はかなり辛い状況だった。
ナルサスの技巧は目を見張るものがあるとは言え、総合的な実力で言えば、『剣技士』としてはアリアが上だろう。
しかし彼は、徹底的に『輝光』を分析している節があった。
それに加えて、モンスター化による基礎能力の向上。
ミゲルやナミルのように特殊な能力は持っていなさそうだが、そのことで逆に自分のスタイルを保てている。
先ほどのダメージを負ったことで、ソフィアはますます長期戦が不利。
大きく深呼吸した彼女は覚悟を固め、次の攻防で決めると誓った。
だが、彼女にはどうしても聞いておきたいことがある。
「ナルサス……わたしたちと魔蝕教が和解する道はないのですか?」
『ない。 『輝光』自身に非がないとしても、原因になったのは確かだからな』
「『輝光』自身には非がない、ですか……」
『……余計なことを言ったな。 そろそろ終わらせるぞ』
「こちらのセリフです。 そして、勝つのはわたしです」
『ふん、出来るものならやってみろ』
言い捨てたナルサスが、猛然とソフィアに襲い掛かる。
熟達した剣技と体捌き、そして変則的な2つのスキル。
これらに翻弄されたソフィアは防戦一方で、体中に細かい傷を刻まれ続けた。
決定打だけは与えていないものの、それもいつまで続くかわからない。
【護り防ぐ光】を使えば防ぐことは出来るが、あのスキルの真骨頂は全周囲を守れること。
ナルサスのように正面から挑んで来る相手には、劇的な効果は期待出来ないのだ。
それでなくとも多大な神力を消費するので、選択肢からは外さなければならない。
結局のところこれは、真っ向から戦ってどちらが強いかと言う勝負。
そして、そのステージに上がったのなら、ソフィアは『輝光』として負けられなかった。
眦を決したソフィアは後方に跳躍しつつ、【流れる星の光】の構えを取る。
対するナルサスは目を細め、力強く構えた。
『またそのスキルか。 何度でも叩き落としてやる』
これは本心だが、彼なりの覚悟の表れでもあった。
敢えて何でもない風に装っているが、ナルサスにとっても【流れる星の光】を凌ぐのは至難の業。
だが言葉通り、何度撃たれても負ける気のない彼に向かって――
「【流れる星の光】ッ!」
ソフィアが長槍を全力で投擲する。
無数に分裂したのを確認したナルサスは、剣と盾を使って耐え抜こうとして――
『ぬ……!?』
曲がる。
範囲攻撃であるはずの【流れる星の光】が、一転集中で殺到した。
このアレンジを思い付いたのは、皮肉にもノイムと戦ったあとで、物理法則を無視した彼の攻撃を参考にしている。
とは言え、ぶっつけ本番。
この場面で実行したソフィアも凄いが、ナルサスも諦めてはいない。
『させんッ!』
単体特化型とも言える【流れる星の光】の突破力は、凄まじいものがある。
それにもかかわらずナルサスは見事に剣で弾き、盾で受け流していた。
あとどれだけ続くかもわからないほどだが、彼の心が折れることはない。
そうして遂に――
『はぁ……はぁ……!』
全ての槍を防ぎ切る。
息も絶え絶えで腕に力が入らないような状態ではありつつ、確かにナルサスはソフィアに打ち勝った。
そう、ここまでは。
「捉えました」
『……ッ!?』
いつの間にか目の前にいたソフィアを見て、声を失うナルサス。
それでも頭は回転させており、彼女が【突き穿つ光】を繰り出すつもりだと悟る。
瞬間、全力で身を仰け反らせたナルサスに向かって、ソフィアが長槍を突き出し――
「【突き穿つ光】ッ!」
ナルサスの予想通り、スキルが発動された。
ところが、事前に動いていた彼には届かず、穂先が胸に触れるか触れないかの位置で止まる。
ホッと安堵したナルサスは冷や汗を流しながら、反撃に出ようとしたが――
「はぁぁぁぁぁッ!」
射出。
長槍の先に込められていた神力がレーザーとなって――貫く。
ナルサスの胸に風穴を空けた。
これはシオンの【閃雷】を真似た戦法だが、さきほどの【流れる星の光】と同じく初めての試み。
今回は成功したが、結果がどちらに転ぶかはわからなかった。
しかも、かなり無理な運用をしたせいで、ソフィアの身体には相当な負担が掛かっている。
全身を走り抜ける痛みに顔を顰めている彼女の一方で、ナルサスは崩れ行く自身の身体を見て溜息をついた。
そのまま沈黙が辺りに落ちたが、ようやくしてナルサスが声を発する。
『すまないな、ナミル。 そちらに行ったら、思い切り叱ってくれて良い』
虚空を見つめながら紡がれた言葉を聞いて、ソフィアはやり切れない思いだ。
毅然とした面持ちを作っているが、どうしても気持ちが晴れない。
そんな彼女の内心を見抜いたのかは定かではないが、ゆっくりと視線を移したナルサスが問い掛ける。
『少しでも罪悪感を持っているのか、『輝光』?』
「……後悔はしていませんが、正直に言うと……辛いです」
『ふん、甘いな。 そんなことで、この先もやって行けるのか?』
「……ご心配なく。 わたしは必ず、魔王を倒してみせます」
ほとんど強がりに近かったが、ソフィアの言葉は偽りではない。
心が痛いと感じてはいるが、すぐに立ち直ってみせる。
密かにそう決意した彼女を黙って見つめていたナルサスは、不意に顔を背けながら口を開いた。
『罪悪感があると言うのなら、1つ伝言を頼まれてくれないか?』
「伝言……? 誰にですか?」
『……ヴェルフだ』
「……! わかりました……」
居住まいを正して、一言一句を聞き逃すまいとするソフィア。
それに関してナルサスは何も言わなかったが、安心して告げることが出来た。
『お前といた時間は、悪くなかった。 フランムのこれからを頼む。 ……以上だ』
「ナルサス……さん」
『魔蝕教にとって最優先すべきは、『輝光』の殺害だ。 これは何があっても動かない。 だが……1人の人間であることに違いはなく、それぞれの人生がある。 わたしにとってフランムの奪還は、間違いなく夢だった』
「なら……それなら、どうして最後までその生き方が出来なかったのですか!?」
『魔蝕教だからだ。 そうとしか言えない』
「そんなのおかしいです! 魔蝕教って何なのですか!? どうして、そこまで……」
尻すぼみに声が小さくなって、床に涙を落とすソフィア。
それを見てもナルサスの表情は変わらなかったが、小さく嘆息してから言葉を連ねた。
『オークター村に行け』
「え……?」
『そこに、貴様の求める答えがあるはずだ』
「ま、待って下さい。 それはどう言う……」
『悪いが時間だ。 ではな、『輝光』。 ナミルとともに、先に待っている。 そのときは……わたしとも――』
最後まで言い切ることは出来ず、ナルサスの体が塵となって風に攫われた。
しばし呆然としていたソフィアだが、傷とは違う痛みが胸を襲って手を当てる。
すると――
「あ……」
そこには、シオンから贈られた指輪があった。
それを握り締めたソフィアは瞑目し、小さく呟く。
「……わたしは、迷いません」
自分に言い聞かせたソフィアは、強引に意識を切り替えた。
そして、もうこの世にはいないナルサスに向かって言い放つ。
「安心して下さい。 貴方の夢は、彼が必ず叶えてくれるでしょう」
そう言ったソフィアの顔には、信頼に満ちた笑みが浮かんでいた。




